職業・忍殺
「あ、しまったでござる……」
「どうした? 弁当でも忘れたのか?」
不意に声を上げた点蔵にノリキの言葉がかかる。
時刻はちょうど昼休憩の時間、武蔵の補修作業のとある現場でのことだ。
「いや、うっかりとメアリ殿の弁当を間違えて持ってきてしまったようで御座る」
「……愛妻弁当というやつか」
いやあ、まいったで御座るなあ、などと照れ笑いをあげる点蔵とノリキのやりとりの中、不意に点蔵の顔を掠めて飛来する物があった。
一瞬遅れるように、点蔵の頬に一筋の朱い筋が浮かび始める。
背後をそっと確認すれば、今己の頬を浅く切り裂いたノミが背後の木製コンテナに突き刺さっているのが見えた。
周囲からあの野郎許さねえ……等と言った呟きが微かに聞こえてくる。
その事実に気づいた点蔵が、浮かべていた笑みを凍りつかせたとき、
「あの、点蔵様?」
「アイエエエエ! ナンデ? メアリ殿ナンデ!?」
「はい、あの、お弁当を間違えてお持ちになられたので……」
うろたえる彼に声をかける、巫女服姿のメアリ・スチュワートの姿があった。
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「すみません、間違えたことに気づかなくて……あら? 頬をどうなされたのですか?」
柔らかく微笑みながら、点蔵の頬についた切り傷をメアリが見る。
「ああ、いやあ少々……たいした傷ではござらぬ」
「いけません。小さな傷でも最初が肝心ですから、少し失礼しますね……」
唾でも付けておけば大丈夫で御座ると返す点蔵を制して、彼の頬にメアリが顔を近づけていく。
そして、しばし彼の傷を確かめるようにしていたメアリは、不意にその傷を舐め取るように舌を這わせ始めた。
「メ! メアリ殿!?」
「ん、すぐに終わりますので動かないでください……」
そのまましばし、メアリが点蔵の傷にちろちろと舌を這わせる。
そんな二人の姿に、周囲はただ沈黙をもって見守るだけだ。
「はい、これで大丈夫です。小さな傷ですから跡も残りません。私みたいになったら大変ですから」
「……かたじけのう御座った。しかし、メアリ殿」
「はい?」
彼の傷を癒し終えたメアリに、点蔵が向き直る。
「自分、貴方と同じになれるのならば、それも良いと思うで御座るよ」
「……点蔵様」
「その傷全てを含めて、貴方で御座るのだから」
点蔵の言葉に、顔を赤らめたメアリが、感極まったかのように抱きついた。
そして次の瞬間には、周囲の視線に気づいてさっと身を離す。
「あ、あの、お夕飯作ってお帰りをお待ちしますね!」
「りょ、了解で御座る!」
赤くなった顔を恥ずかしげに隠すように、メアリが小走りにその場を離れていく。
そんな彼女を見送る点蔵に、背後から剣呑なアトモスフィアが広がっていくのが感じられた。
恐る恐る背後を振り向いた点蔵の視界に、自分を包囲するような人影たちの姿が目に入る。
「ドーモ。点蔵サン。……早速ですが死ね! カチグミ=ニンジャ!」
「ド、ドーモ。ミナサン。 ええ!? ひょっとしてヤバイ級のピンチで御座るか? 自分!」
「わかっているなら言わなくていい……」
いつの間にか、目元にファイヤーパターンを施したメンポを被った集団に囲まれた点蔵に、あくまで平静なノリキの声が響く。
既にその場には、周囲の彼等が発する油断ならないカラテが満ち満ちていた。
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」
「アイエエエ! アイエエエ!……」
襲い掛かる人影から逃れるように駆けだす点蔵の姿を見ながら、ノリキはすっかり遅くなった弁当を広げ始める。
「……忍者殺すにゃ刃物は要らぬ。愛のひとつも有ればいい」
目の前の光景を見ながら、ふと漏れ出した言葉をつぶやいた。
「わかっているなら、言わなくてもいいか……」
そんな、武蔵の平和な日常の一幕であった。