彼女は何故か不機嫌だった。  
「聞いてください、千里様」  
 羨ましくなるくらい綺麗なブロンドの髪を感情的に揺らしながら彼女は言う。  
「この前美影様とお風呂に入っていたらですね、美影様が――」  
 彼女の口から出てくるのは喜怒哀楽の感情がたっぷりと篭った言葉だ。  
 主に今は怒の感情を漏らしているが聞き手である風見・千里はそれを笑顔で聞いていた。  
 確かにテーブル越しに向き合って眉を立てながら彼女は憤っていたが、それが風見には嬉しいのだ。  
 これでも風見は久しぶりに他国のUCATから日本UCATに戻って来たばかりだったりする。  
 疲れは結構溜まっている。  
「それでですね――」  
 が、それを無視してでも彼女の話は聞く価値があった。  
 何故ならば彼女は自分の妹分の様なものだ。  
 それに先程から飛んで来る話題はとても楽しげで、聞いているだけでその場に自分も居た様な気分になれる。  
 日本を長い間離れていた身としては、帰って来たという気がして妙に心が躍るし。  
 兎にも角にも彼女の話は聞いていて楽しいのである。  
 そして、今も目の前で彼女は怒りの表情を一変させていた。  
 彼女はいきなり尻すぼみになった言葉の後、少しだけ迷った様な仕草を見せ、  
「その」  
 左耳の横を流れる己の髪を指で弄くりながら顔を赤くした。  
 何だ。  
……え?何、この仕草……この子がこんな顔見せるだなんて。  
 何だ。  
 思わぬ急展開に風見の頭が目まぐるしく憶測と予想を飛ばし始める。  
 風見の直感は言う、十中八九彼女の顔は"恋する乙女の者"だと。  
 風見の理性は言う、だが記憶の中の彼女はそこまで恋愛に"興味がある者"ではない筈だったと。  
 どちらも頷けるものであり、故に風見は直感を取った。  
 恋に対する予想に知識など当てにはならない。  
 出会いというものは常に唐突にやってくるものなのだ。  
 だから風見は椅子に腰を落ち着けて、どっしりと構える。  
 妹分に好きな人が出来たならば、自分は頼れる姉貴分でなければならない。  
 幸い自分には既に大切な人がいるしきっとアドバイスの一つや二つ上げれるだろう。  
 だから風見は頷く。  
 大丈夫だ、と。  
 自分は彼女の力になれる、と。  
「何いきなりどもってるの、ほら早く話の続きをして頂戴」  
「は、はい」  
 まずは話しの後押しだ。  
 押さえ切れない感情が漏れ出して思わず先程よりもずっと笑顔が深まってしまうが、向かい合う彼女は気づかない。  
 それほどにまで彼女にとっては大事な事なのだろう。  
「……先日、あちらの御宅で料理をしていたら後ろから急に抱き締められまして……」  
「……あちらの御宅?」  
 首を僅かに傾げる。  
 風見は、抱き締められた、という部分よりも"あちらの御宅"という言葉に反応する。  
 つまり彼女は今現在、気になっているであろう人物と、  
……同棲してるか、通い妻してるって事……?  
 驚愕は何とか押し隠す事が出来たが、内心では目を見開きたい気分だ。  
 数年前までは千里様、千里様と何かと自分の傍に居たがった彼女がまさかそんな事をしているとは。  
 嬉しいような、悲しいような、そんな喜びと感傷が綯い交ぜになった感覚が風見の胸に降りてくる。  
「……あ、あちらの御宅と言っても千里様もご存知の場所なので、し、心配は御無用ですよ?」  
 照れた風に両手を胸の前に持ってきて小さく振る彼女の姿を見て風見は心中で頷きを一つ。  
 黒だ。  
 間違いなくこの様子は黒だ。  
 だから風見は相手を聞き出すために若干自分達を分断するテーブルへと身を乗り出し、  
「で、誰なのよ?この風見さんに言っちゃいなさいよ、ほれほれ」  
 にやつきを隠さずに彼女の額を指で突く。  
 柔らかい肌が反発してくる感触がなんとも言えなかった。  
 が、そんな心地良さに浸っている風見とは逆に彼女は身を縮める様に顔を俯かせた。  
 顔が真っ赤になっているのが丸見えだが、風見はそれを見て笑みを深めるだけだ。  
 
 暫く逡巡していたのか彼女は視線を左右にゆっくりと動かすと、  
「……です」  
 ぽつり、と何かを呟いた。  
 視線を逸らしながら恥じらう彼女の姿は可愛らしく思わず抱き締めたくなるが、  
……それやっちゃうとはぐらからされそうだしなぁ……うー。  
 今は彼女の思い人の事を聞きだす方が先だ。  
「なぁに?」  
 風見は笑みのまま軽く首を傾げ、彼女に仕草で声量を上げるように催促する。  
 すると向き合う彼女の泳いでいた視線が真っ直ぐと風見を見た。  
 思わず身を引きそうになってしまうくらい強い視線だ。  
 風見はこの視線を知っていた。  
 何かを決めて実行しようとする者に宿る覚悟の視線。  
 だから風見も身を引いて、椅子に深く腰をかけた。  
 そして改めて強い視線を送ってくる彼女と視線を交差させる。  
 彼女は膝の上で両の拳を握り締め、未だ若干赤い顔の中で眉を立て、  
「ひ――」  
「ひ?」  
「ひ、飛場様の御宅です!」  
「……あー……なるほどねぇ……」  
 肩から一気に力が抜ける。  
 つまり彼女は美影に後ろから抱き締められて恥ずかしかったと言いたかったわけだ。  
 まったく、心配して損した。  
 だらけるように椅子の背もたれに沿って体が沈んで行く。  
「飛場様ったら急に抱き締めてくるものですから……わ、私にも心の準備というものが……」  
「は?」  
 今彼女は何と言った。  
「え?あ?えーっと、今、誰って言った?」  
「え?飛場様、と……」  
「あー、うん、なるほど……飛場ね。飛場。飛場先生の方?」  
「いえ、飛場・竜司様の方ですが……どうかしましたか、千里様?」  
「……」  
 嗚呼、夢か。  
 まさかあのパシリ後輩が目の前の清純で純真で従順な彼女を落とせる訳がない。  
 だから目の前で顔を恥ずかしさで真っ赤にして、  
「もう……あまりからかわないでください、千里様」  
 とか顔を左右に振っている彼女も夢の登場人物なのだ。そうに違いない。  
 目を覚まさねばと思う風見は勢い良く頭を振り、  
「ふんぬ!」  
「ち、千里様!?」  
 テーブルに頭を叩きつけた。  
「ぐはぁ!?痛い!?」  
「大丈夫ですか、千里様!?何故、いきなりこの様な奇行に!大城様ですか!?まさか大城様の菌が脳に!?」  
「いや、大丈夫だから。ちょっと突発的に自虐に走りたくなっただけだから」  
「そ、そうですか……?何かお悩みがあるなら相談に乗りますが……」  
「……あー、うん……」  
 原因は貴女なのだけれども、などとは言えない風見であった。  
 だが、これは夢じゃないという事がこれで解った。  
 先程彼女が述べていた内容が真実であるという事も証明されたのだ。  
 じゃあ、何か、本当にあのパシリ後輩は彼女の事を惚れさせたというのか。  
「嘘だッ!」  
「嗚呼!やはり大城様の菌がー!千里様がぁーっ!」  
 泣きついて来る彼女――シビュレを視界の端に風見は虚ろな目で何処かを睨みつけ大声で笑い始める。  
「大丈夫、シビュレ。飛場はこれから"転校"しちゃうのよ、あはははははは!」  
「メディーック!メディーック!至急救護班を呼んでください!千里様が急に暴れ始め――」  
「HIBAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」  
「千里様ぁーっ!?」  
 もはや半壊状態の風見を止められるものはいない。  
 彼女は腰周りにしがみつくシビュレを引っぺがして部屋を出て全速力を持って廊下を駆けた。  
 
 数分もしないで外に飛び出た彼女を夜天に浮かぶ月の光が照らす。  
 だが、彼女は疾走。  
 目的地はもう決まっている。故に彼女は駆ける。  
「おや、風見君。もう帰って来ていたんじゃなぁ。どうかなお茶ひぐらしっ!?」  
 何か吹き飛ばした様な気がしたが風見は無視した。  
 
 
 
    ●  
 
 
 
 そうして走る事数十分。  
 風見はとある一軒家の前に立っていた。  
 全身から蒸気を上げるその姿はまるでオーバーヒートを起こした機械の様にも見える。  
 だが、その瞳に宿る色は人間としての感情をありありと表していた。  
 彼女は玄関前に設置されたインターホンを押し、数秒待つ。  
『はい、どなたでしょうか?』  
 まだ少年と言っても通る様な若干の幼さを含んだ声がインターホンに仕込まれたスピーカーから響く。  
 それに対して風見は、  
「風見で思い出せるかしら?」  
 体から吹き出る蒸気を無視してとんでもなく良い笑顔を浮かべ、言った。  
 声は優しかった。本当に優しかった。まるで死に行くものを看取る死神の如く優しかった。  
『か、風見先輩!?帰って来てたんですか!?』  
「えぇ、ついさっきだけどね」  
『わぁ!知らせてくれれば歓迎会の用意でもしたのに風見先輩も人が悪いなぁ!』  
「うふふ、そうね。それで、今出て来られるかしら、飛場?」  
『いやぁ、残念ですが今から美影さんとお風呂でして!嗚呼本当に残ね――というか』  
「?」  
 風見は飛場の言葉に片手に持った機殻槍を地面に叩きつけてリズムを取りつつ首を傾げる。  
『なんかさっきからなんか凄いガンガンと金属音がしてるんですが、おおおお、落ち着きましょう風見先輩!?』  
「大丈夫、私は冷静。だからとっととぶっ殺されに来なさい?」  
『この人、ナチュラルに殺人宣言してますよー!?』  
「煩い」  
 風見はインターホンの設置された玄関横の壁を叩いて飛場を黙らせる。  
 表情は先程までの笑顔とは打って変わった憤怒の表情だ。  
「あんたには美影が居るんでしょうが!なんでそのあんたにシビュレが惚れてんのよ!?」  
『ええええ!?シ、シビュレさんが僕にですか!?そんな馬鹿な、でもそれだったら嬉し――嘘ですごめんなさい』  
「……?」  
 糾弾に即座に謝る飛場。  
 が、その返答に風見は目を見開き、呆然とする。  
『嗚呼!沈黙が痛い!あと後ろからの母親の視線も痛いんですがー!』  
「ちょ、ちょっと待ちなさい。まさかあんた……気づいてなかったの?」  
『え?そんな、第一シビュレさんは何時も"美影さんの為"にお手伝いに来てくれるくらいで……』  
「……あんた、シビュレになんかした?」  
『……ちょっと大変そうだったのでお手伝いシタダケデスヨ?』  
「何故どもった。言いなさい、何があったの」  
『……』  
「言え」  
『ひぃ!し、シビュレさんの裸を見てしまったりとか、手を合わせてしまったりした事があるであります!』  
「開けろ☆」  
 取り敢えず飛場家を壊すと飛場の母親とかにも被害が及ぶのターゲットだけを外に出そうと風見は思う。  
『あはは、風見先輩。僕、今ちょうど御腹が痛くなってしまいまして……寝ていいですか?』  
「うん、私が子守唄を歌ってあげるわよ?永遠に起きれないけど」  
『わぁ、超快眠ですね。でで、でも今日のところは急ぎますので!じゃあおやすみなさい!』  
 ガチャリと飛場が通信を拒んだ音がインターホンから聞こえる。  
 
 風見は立っていた。ただ立っていた。  
 背後の空気が何故か陽炎の様に揺らいでいたとしてもただ立っていた。  
 表情は、笑顔だ。  
 
 
 
    ●  
 
 
 
 飛場は震えていた。  
 ベッドの中に入って一人で震えていた。  
 自分の半身とも言える美影には申し訳ないが彼女一人でお風呂に入ってもらった。  
 心配だが、今は自分と居る方が心配だ。  
 何故なら――、  
「飛場君☆」  
「ひっ!?」  
 思わず声が裏返る。  
 布団から出てはいけない。見てはいけない。  
 今出たら見えるのは悪夢だけなのだから。  
 だから飛場は眠ろうと無理矢理に瞼を閉じる。  
「もう飛場君ったらお寝坊さんねー☆」  
「ぐー!ぐー!」  
 いびきの真似事をしてみるがもしかしたら逆効果だったかもしれない。  
 というか、そんな声音を出されると貴女本当に誰ですかと言いたくなってしまう。  
「仕方ないなぁ、私が起こして上げる☆」  
「うごぁっ!?」  
 腹部に強大な圧迫を感じると同時にその勢いで上半身を覆っていた布団が剥ぎ取られる。  
 そこには、  
「ひ〜ばぁ〜くぅ〜ん☆」  
「いやぁあああああああああああああああ!」  
 寝ている自分に馬乗りになりながら悪鬼の如く笑う風見の姿があった。  
 汗をかいて頬を蒸気させるその姿がとても色っぽかったがぶっちゃけそんな場合ではない。  
 彼女は飛場の頭の左右にゆっくりと手をつけると彼の顔を覗き込み、  
「一片、死んでみる?」  
 対する飛場に出来る事はただただ勢い良く頭を振って降伏の意を示す事だけだ。  
「おおおお、落ち着いて話し合いましょう、風見先輩!」  
「さっきも言ったでしょう?私、冷静」  
「カタコトになってますし、嘘は良くありませんよ!?」  
「じゃあ冷静じゃないから殺っちゃおうかなー☆」  
「そっちもいやぁあああああああああ!?」  
 叫ぶと同時に音が来た。  
 しかし音の出所は飛場の首でも頭でもない。もっと遠く風見の後ろに位置する部屋の扉からだ。  
「竜司さん、どうしました?……あら?」  
「「あ」」  
 扉を開けたのは飛場の母であった。  
 髪に若干の白髪を混ぜた彼女は扉を開けた体勢のまま飛場とその上に乗る風見を見て硬直。  
「……あ、あらあらまぁまぁ……ごめんなさいね、ほほほ……」  
 ゆっくりと扉を閉じた。  
 
「……」  
「……あの、風見先輩?」  
 重い沈黙が部屋を満たす。  
 飛場はかける言葉を考えるが、思いつかない。  
 何しろこちらは先程まで襲われそうになっていたのだ、思いつく筈もない。  
 だが、沈黙は意外な事に風見が口を開く事で開かれた。  
 彼女は額に一筋の汗を流しながら、  
「……逃げるわよ」  
「え?」  
「逃げるって言ってるのよ!」  
「って、ぐぇ!?一体なにが、ひぃ!?」  
 飛場の叫びの直後、何故か床をぶち破って黒く巨大な機械の手が今まで飛場達が居た位置に出現した。  
 武神の手だ、と判断するのに数秒。そしてその操り手を思い浮かべるのに数秒。  
「み、美影さん!?」  
 彼女は居た。  
 一房の金髪を残した黒い長髪を揺らしながら柔らかい笑みを浮かべる女性が手の根本に立っていた。  
 風見は飛場の首根っこを掴んだ状態で開いた窓から飛び出す。  
 その時飛場は見ていた。  
   
 美影の笑みの中、目だけは笑っていない事を。  
 
 
 
 
 その後の誤解が解けるまでの逃走劇は後のUCATの歴史にも刻まれる事となった。  
 が、これが切欠となり凶悪な奇病"エロゲ体質"の発見となる事を――今は誰も知らない。  
 
   
 ◆エロゲ体質第一発見者・大城・一夫教授かく語りき――『世界の夜明けはちかいぜよ』  
 

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