「『自分に素直になれる薬』?」  
 シロジロは問いにひとつ頷き、二本の指で薬瓶を揺らしてみせる。  
 賢水ベースの淡青に、植物色の濁りが加わった液体。  
「ナルゼから買い叩いた。――どんな能面笑顔も一発で自分が汚れた魔女だと告白したらしい」  
「それ、魔術師としてセルフ不謹慎すぎないかなあ」  
 向かいの席、ハイディは、苦笑しながら自分のカップに口をつける。  
 カップの中身は薄い珈琲で、徹夜用に用意してある一杯使いきりタイプのインスタントだ。それを見てシロジロは、  
「……安い能楽なら、それにこの薬が仕込まれているところだな」  
 ハイディはカップを傾ける動きを止め、上目遣いだけで反応を寄こした。  
 本当に安い能楽なら吹いたりむせたりするところだろうが、彼女はそうすることもなく、  
「それはないと思うな」  
 一口。  
 それをもって応えて、ハイディはシロジロを真っ直ぐに見て、笑う。  
「疑わないのか」  
「んー……、まずね? この薬、ナルゼたちにとってはエロ薬かもしれないけど、使い方によったら自白剤でしょ?」  
 言うと、ハイディは指で己の額を示し、  
「一晩で済めばいいのかもしれないけど、もし長時間効いたりしたら大変だよね。  
 自白剤飲まされた状態の私がうろつくなんて、――ベルトーニ商店の損にはなっても、得にはならないもの」  
 ハイディの言う通りだ。  
 彼女は毎日のように商店の経理に触れ、シロジロと販売戦略について語り、時には取引先との交渉事などにも顔を出す。  
 それゆえに商店にとっては力になる存在で、それと同時に突かれると痛い情報の塊だ。  
 
 だからこそ、  
「だからこそ気をつけておけ。確かに私はそんなことをするつもりはないが、――うちに損をさせたい連中だって沢山いる」  
「有難う。心配、してくれてるかな?」  
 シロ君いまいち表現素直じゃないけど、と笑い、  
「やっぱり、効き目が一晩でも、私にその薬を飲ませちゃ駄目だよ」  
「? まだ何か損になるのか?」  
「うん。……だって」  
 いきなりの動きで、ハイディはシロジロに手を伸ばした。  
 顔に触れるかと思った指先は、シロジロの指越しに薬瓶に触れ、包み、  
「私、素直になったら、きっとシロ君にこの薬を飲ませたくなるよ?」  
 それこそ一生素直になるくらい、と続けるハイディは笑っている。  
 冗談めかして、目を細めて瞳を見せずに、笑っている。  
 シロジロはその表情に一瞬迷いを得たが、ややあって、ハイディの冗談という態度に見合った応えを返した。  
 苦笑。  
「……確かにそれは困るな。素直にさせられては商売にならん」  
「そうそう。私としてもシロ君の商売の邪魔になるのは避けたいし――だから駄目」  
 そしてハイディは、何事もなかったかのようにシロジロの手から薬瓶を取る。  
 逸れた話題を呼び戻すように、それを二本の指でくるりと揺らし、  
「でもどうする? 商品化。梅組なら買いそうなの結構いるけど、……自分に素直に色々壊しまくるんじゃないかな」  
「……その補修をうちで担当すれば二重の儲けになるか?」  
「シロ君、流石にそれ極道だと思うのね」  
 いつものようなやり取りに戻りながらも、シロジロは思う。  
 ……素直になったら邪魔になると思うのなら、邪魔をしたくないというのは本心なのか?  
 思うだけだ。  
 問うたとして、いつもの笑顔で睨まれるだけだろうから。  
 

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