武蔵左舷二番艦“村山”の一角には、暫定議員である本多・正信の家が存在する。  
 そこに暮らす正信、正純の親子、そして通いの使用人の他に、最近新たな住人が増えた。  
 本多・二代。かつて空席となっていた武蔵総長連合の現副長である。  
 三河消失に伴い武蔵に移り住んだ人々の中で、二代は正純の家に部屋を借りることとなった。  
 理由としては、武蔵内で最重要人物の一人となった正純の護衛役というのがあり、  
また三河時代に付き合いがあった関係だから、というのも大きい。  
 二代が武蔵住民になってから数日。学校にも私生活にも馴染み始めているようで、  
そのことに正純は、こっそり安堵を得ている状態だった。  
 
 
 
「二代、風呂沸いたけど入るか?」  
「……ん、あぁ。風呂で御座るか?」  
 妙な間を置いての返事に、正純は疑問を覚えて、  
「どうかしたのか? 帰ってきてからボーッとしてるみたいだけど。  
 体調が悪いんだったら、風呂はあまり良くないよな。薬もあるが――」  
「あぁ、いや気遣い無く。拙者、産まれてこのかた無病息災ゆえ」  
 それは一般的に裏で笑われる告白な気もしたが、正純は気にしないことにした。  
「風呂、うん、風呂は良い物で御座るな正純。拙者毎日感謝しているぞ」  
「あぁ、それは良かった。タオルとかいつもの場所だから、出たら言ってくれ。それじゃ」  
「あっ、――正純っ」  
 部屋を出ようとした正純を、二代が強く呼び止めた。  
 振り向いて見ると、彼女にしては珍しく、目を少し伏せて言葉を迷っている様子だ。  
 先程から様子が変だったこともあるし、だから正純は助け船を出そうと思って、  
「二代、何かあったら遠慮無く言ってくれ。家のことでも、学校のことでも。  
 三年梅組は変態が多いし、武蔵の生活は慣れるまで大変だと思う。だから、助けになるからな」  
 自分も引っ越してきた当初は大変だった。家庭然り、学校然り。  
 母を失った自分。郷里と父を失った二代。きっと、解り合えることもあるだろう。  
 そう思いながら正純は、二代の返事を待った。  
「……忝のう御座る。では、正純」  
 大丈夫、何を言われても応えよう。正純のその思考は、  
 
「――風呂、一緒に入ってもらえぬだろうか?」  
 
 予想外の方向から、奇襲を受けて崩壊した。  
 
 市民に重量権を課す“武蔵”において、暫定議員の家といえど、豪華なジャグジーがあるわけでは決してない。  
 本多家の内風呂は、一畳半ほどの狭いスペースに湯船と洗い場がしつらえてある。  
 一人で入る分には十分な広さだが、元服後の人間二人が入るには手狭といえるだろう。  
 実際、現在二代に背中を流してもらっている正純も、風呂場の狭さを感じていた。  
 しかしその狭さには、正純の精神的な面も含まれている。  
 ……一体、二代は何を思ってこんなことを……。  
 自分の胸が気恥ずかしいというのも無くはないが、同性の友人に対して、決定的な断りの理由には出来なかった。  
 きっと何か事情があるのだと思っても、二代はまだそれらしいことを言ってこない。  
 それがまた、正純に落ち着かない、居心地の悪さを与えていた。  
「正純、力加減はこれでよう御座るか?」  
「えっ、あ、あぁ丁度良いぞ」  
「左様か。問題があれば言ってくれ」  
 それにしても、思えば他人に体を洗ってもらうのは果たしていつ以来だろうか。  
 いやそもそも、胸の手術の後は他人との身体接触を避けるように生活してきた。  
 先日トーリに衆人環視の下で辱められたのは、正純にとってもはや忘れてしまいたい記憶だ。  
 アレと比べれば、二代に背中を流してもらうのは安心するし、気分が良い。  
 水の節約にもなることだし、慣れてしまえばいいのかな、と正純は思った。  
 ――背中に、湯が掛けられるのを感じる。  
「終わったで御座る。次は前で御座るか?」  
 二代の言葉に、正純は内心で少し焦りを覚える。  
「いやいや、前は自分で洗うから。それより次は、私が背中を流そう」  
「忝ない。――では、宜しく頼み申す」  
 
 垢擦り用の手拭いを持って正純が振り向くと、髪をまとめて前に回した二代の背中があった。  
 風呂桶で目の前の背中に湯をかけて、正純は泡立てた手拭いを当てがった。  
 軽く力を入れながら擦っていると、ふと、二代の背の傷跡に気がついた。  
 目をこらさないと解らないようなものばかりだが、数は少なくない。  
 治療の符を使っても、皮膚の色の僅かな違いなど、跡は残ってしまうものだ。  
 二代の傷に正純は、彼女の戦い――三河での修行から、先日に至るまで――を思い、心に感じ入るものがあった。  
 その感情を、失礼にならないようにと思いながら、声に出す。  
「なあ二代。今更だが、ウチに住む以外にも選択あったのに、良かったのか?」  
「……ん、薮から棒で御座るな。いかが致した?」  
「その、……私なんかと同じ家で、良いのかなって思ったんだ」  
 同じ本多の姓でありながら、かつての三河では比較された関係だ。  
 自分が二代に思うところがあったように、逆があってもおかしくない、と正純は考える。  
 彼女の傷を見るうちに、“違い”をふと意識してしまった。  
 二代は振り向かないでいるから、正純に表情は解らない。  
 ……今の私の言葉、二代はどんな顔で聞いたのかな。  
 少し不安に思っていると、二代の小さな笑い声が聞こえた。  
 苦笑というか、噛み締めているような笑い声。  
「正純、むしろ拙者が聞きたいで御座るよ。そなたの家に押し掛けてしまい、迷惑ではないかと」  
「そんなこと、……父の不在が多くて、広すぎる家だと思っていたくらいだから有り難い」  
「拙者は、拙者のような者を率先して受け入れてくれた正純に感謝して御座る。  
 互いに有り難く思っているのだから、どこに問題が御座ろうか」  
 二代の言葉を聞いた正純は、横に結んでいた口を緩めて、  
「――そうだな、変なことを聞いた。ありがとう、二代」  
 拙者こそ、と応える二代の背に、正純は湯をかけて泡を流した。  
 
 正純は、終わったぞ、と二代に言って、  
「それじゃ、私が体洗っている間に湯に浸かってくれ。熱い内に入りたいだろ?」  
「えっ? あ、いや……」  
「ん? もしかして二代はぬるい方が好きだったか? だったら私が先に入ろうかな」  
「そ、そうではなくてっ」  
 二代は正純に背を向けたまま、躊躇いながらこう言った。  
 
「……正純、その、……前も洗ってはくれぬか?」  
 
 ――いや、意味が解らない。  
 率直な感想を胸に抱いた正純だったが、二代はどうやら真剣に言ったらしい。  
 表情はよく解らないが、頬が紅潮しているように見える。きっと風呂場だからだ、と正純は判断した。  
 しかし、何と返事すべきだろう。全身洗浄ってスキンシップ過剰にならないか?  
 いやいやいや、この発想自体、葵姉弟の言動に毒されてやいないだろうか。  
 友人の体を洗うのにやましいことなんて無いぞ? 現にさっき、二代の背中を流したじゃないか。  
 うん、大丈夫、大丈夫だ。だから、私は笑って答えれば良い。  
 
「――Jud.、お安いご用だ」  
 
「……忝ない、では、宜しく頼む」  
 二代が体ごと振り返って、正純と向き合う姿勢になった。髪を後ろに流して、手を膝の上に置いている。  
 正純は手拭いを泡立て直して、二代を改めて見るが、  
 ……覚悟したつもりが、なかなか気恥ずかしい……。  
 それは二代も同じなのか、顔を少し横に向けて正純から視線を外している。  
 今度は二代の顔が赤らんでいるのがはっきり解ったが、風呂場で体温が上がっているからだ、そうに決まってる。  
「……それじゃ、洗うからな?」  
 正純が言うと、二代は頷きを一つ返した。  
 
 

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