からり、と音を立ててミトツダイラは戸を開けた。  
 その戸を開ければ、そこは武蔵アリアダスト教導院前側棟二階、三年梅組の教室だ。  
 一歩教室に足を踏み入れて、  
「皆さんおはようございま――」  
 挨拶は、そこで途切れた。  
 理由は一つ。それは、  
「な、なんですのこの状況は……」  
 教室の中は、一言で言って異常だった。  
 その情景を描写すると、まず机と椅子が、それぞれ窓側と廊下側にちょうど半分づつずらされている。  
 その結果、教室中央にはある程度開けた空間が出来上がっていた。  
 そして、クラスメイトが既に全員揃っていて、彼らは教室中央の空間を縁取るような形で、無言を保ったまま集まっているのだ。  
 全ての視線はこちらを向き、何かの圧力のようにこちらを圧迫してきている。  
 パッと見た感じだと、大道芸人を取り囲む観客、という状況に見えなくもない。  
 ただ、クラスメイトを観客だとして、大道芸人のポジションに納まるのが、  
「おーネイト、やっと来たか! 待ちくたびれたぜ!」  
 馬鹿だった。  
 馬鹿は空間の中央に陣取って、こちらを手招きしている。  
 ……コレは何かのイベントですの?  
 至極当然の疑問だと自分では思うが、疑問を作ったところでこの状況が変わるわけではない。  
「早く早く! こっち来いよ!」  
「……こっち?」  
「だから、ここだって! 俺の前! カムヒア!」  
「はあ……」  
 一歩、二歩、と足を進めて、そこでミトツダイラは不意に気が付いた。  
 総長を大道芸人、クラスメイトを観客だとすると、  
 ……まさか私、立場的にアシスタントですの?  
 いつの間にやら完全に巻き込まれていた。  
 というか、戸を開けた瞬間から巻き込まれ型の構図がすでに出来上がっていたというか。  
 まずい、何かがおかしいと身体の中で警報が鳴り響く。  
 しかし、足を止めようにも周囲の視線がそれを邪魔する。  
 ミトツダイラは、このクラスが静かであるということはそれだけで第一級の非常事態である、ということを今更ながら気づいた。  
 ……というか、戸を開ける前に気づくべきでしたわ……。  
 しょうがないので、ある程度の覚悟は決めて総長の前に立った。  
 
「……それで、何か私に用があるのですか?」  
 首を軽く傾けて聞いた。  
 すると笑みを浮かべていたトーリが、  
「――――」  
 一瞬で表情を変えた。  
 それは先ほどまでの笑みが幻だったかのような真剣な表情。  
 しかし、こちらを威圧するような感じは全くなく、逆に敬意の現れのような、嫌味のない表情だ。  
 ……な、なんですのコレは?  
 と、ミトツダイラは不安と軽い焦りを得る。  
 なぜなら先日観た恋愛系能楽でヒロインに告白する主人公がちょうどこんな顔をしていたからで  
 それによってその主人公とトーリの顔が重なって勿論ヒロインは自分で  
 告白された後はなにやら思わせぶりな音楽とともに見つめ合う二人を中央に暗転して  
 そして次のシーンではいつの間にか朝になっていて小鳥の鳴く声で自分が目を覚ましてその横には彼が  
 ……って一体何を考えてるんですの私は――――!!  
「あー、ネイト、その、なんだ、喋ってもいいか?」  
 その一言でミトツダイラは我に返った。  
「――っは!? あ、あー、え、ええ。大丈夫、構いませんわよ?」  
 ブルブルと首を振って思考の残滓を払った。  
 まだ顔が熱いが、まあ気にしない。  
「んじゃあ、えーと、なんだ」  
 トーリはそこで切って、  
「うん。つまり、前の戦いでのお礼がしたかったんだよ」  
 言ったトーリの顔は相変わらず真剣そのもので、瞳はまっすぐとこちらを見据えている。  
 ミトツダイラはその姿勢に圧倒されつつ、  
「え、お礼なんていいですわよ。私は当たり前のことを当たり前にこなしただけですわ」  
 しかし、彼は首を横に振る。  
「いや、でもさ。俺、ホントに有難いと思ってんだよ。お前がいなかったら、俺、絶対にホライゾンを救えなかった。だから、こういうこといい加減にしたくねえんだ」  
「で、ですけど、私一人だけのお陰じゃありませんわよ?」  
 すると、トーリは周りのクラスメイトを見て、  
「いや、それは分かってるよ。俺、もう一人一人にちゃんとお礼言ってあっから。後はお前だけだ」  
「…………」  
 こちらが返す言葉に困っているのを見て、彼は微かに笑った。  
「だからさ、」  
 そして、次の動きは一瞬だった。  
「力を貸してくれて有難う」  
 トーリが、深々と頭を下げたのだ。  
 
 ……ええと。  
 戦闘があった日のことを思い出すと、確かに、『お礼して欲しい』といった意味の言葉を言った気がする。  
 そのことを覚えていたのかどうかは分からないが、しかし、  
 ……やっぱり、ずるいですわよね……。  
 いつもは軽いくせに、どうしてこういうことばかり誠実なんだろうか。  
 ミトツダイラの頬に、無意識の笑みが浮かぶ。  
 ……だからこそ、私はこの人の騎士でいられるのですけど。  
 どのように答えるか少し迷ったが、素直に言っておくことにした。  
「――ええ、どういたしまして」  
 言うと、トーリはゆっくりと顔を上げた。  
「うん。ホントにありがとな」  
 周りから、安堵のため息が漏れた。  
 これで感謝の儀は終わったのだろうが、  
「…………」   
 動きのない時間は続いていた。  
 ミトツダイラは、それに強い違和感を感じる。  
 ……もう終わりじゃありませんの?  
 周りを見ると、誰一人としてその場を動こうとしない。その上、未だに視線はこちらに向かって突きつけられている。  
 何かがおかしい。  
 大体、お礼を言うだけなら何処か適当な場所に呼び出して、そこで行えば良いのではないか。  
 いちいちこんな机までずらしてやるようなイベントではないはずだ。  
 まだ何かある。絶対ある。  
「あ、あの、総長。……まだ、何かあるんですの?」  
 すると、彼は全く動じた所もなく、  
「あー悪い、まだ一つあるんだ。むしろこっちが本題っていうか」  
 ? と首を傾げるが、彼は続けて、  
「うん。お前、俺のことを王だ! って言って騎士として守ってくれてるけどさ。……良く考えたら、騎士の誓約、だっけ?  
ってまだやってなかったんだよな」  
 周りから軽いざわめきが走る。  
「だから、一応形だけでもやっておこうかな、って思ってさ……駄目か?」  
 
 まさかそう来るとは思わなかった。  
 それは、幼い頃の約束。  
 彼が本当に王になるつもりならば、私たちはそれに手を貸す、と。  
 その時は、確かに本気だった。  
 ……けれど、時が経つにつれて、だんだんそれを思い出すことも無くなっていって……、  
 そして、先の戦いがあった。  
 檻に囚われた姫の前で、全世界に向けて言い放った彼の言葉を思い出す。  
 ……もしかしたら、総長は本当に、新しい国を作ってしまうのかもしれませんわね。  
 それならば手を貸さないわけにはいかない。  
 約束したから仕方なく、ではなく、今の自分の意思で、  
「……構いませんわよ」  
「そっか」  
 トーリは笑うと、本で読んだだけだから間違ってたらゴメンな、と前置きして、  
「じゃあ、ここに軽く腰落としてくれ」  
 言うとおりに、彼の前に跪いた。少し俯いたままで、彼の次の言葉を待つ。  
「手を」  
 彼の出した手に自分の掌を重ねた。  
 そして、  
 
「おっしゃあ勝ったぁぁ――!!」  
 
 トーリがいきなり両手を天井に突き上げて叫んだ。  
 更に次の瞬間、  
 
『負けた畜生ぉぉ――!!』  
 
 周りが一斉に叫んだ。  
 ミトツダイラは、圧倒的な置いてきぼりを食らって、  
「え? はい?」  
「どーだオマエら見たか! この俺の鮮やかな調教テクニック! どんな凶暴なわんこでも一週間で立派な番犬に!」  
 周りは一斉に、  
「まさかこいつがそんな知恵を持っていたとは……」  
「馬鹿の癖に、こういうときだけ頭を回らせやがって……」  
「てか誰の入れ知恵だよ」  
 トーリは大声で笑って、周りを指差す。  
「はっはっは、まさに負け犬の遠吠えですなあ! いやあ気持ち良い! 実に気持ち良い! ざまあみろ!」  
 その辺りで、半ば放心状態だったミトツダイラは意識を取り戻した。  
「ち、ちょっと! さっきから何の騒ぎですの?」  
 するとトーリが顔をこちらに向けて、  
「いやネイトありがとな! お前のお陰で来月発売のエロゲ『自宅防衛軍4』が買えるぜ!  
 自宅に蟻とか蜘蛛の擬人化美少女が出てくるらしいんだけどよ、それが『さ、サンダー!』 で――」  
 エロゲはもう卒業したんじゃなかったのか、とも思ったが、突っ込むと変な方向に行きそうだったのでそこで止めた。  
「そんなことを聞いてるんじゃありません! だから一体コレは何なんですか?」  
 聞くと、トーリは全く何でもないことのように言った。  
「だからな? つまり、賭けだよ。ギャンブル。ユアアンダスタン?」  
 イエス。  
「で、内容的には、俺がネイトを『お座り』させられたら俺の勝ち。更に『お手』をプラスして倍率ドン! 更に倍!」  
 わああ、と周りから悲鳴が迸った。  
 それに反比例してミトツダイラの温度は急激に下がっていく。  
 頬がヒクヒク動くのが自分でも分かった。  
 しかし馬鹿は気づいているのかいないのか、こちらの頭の上に手を載せて、かき回すように撫でてきた。  
「よーしよし。良くできましたねー可愛いぞー。……そうだ、ご褒美をあげよう」  
 胸ポケットからビーフジャーキーを取り出して、こちらの口に突っ込んできた。  
「おいしいだろー? 全くこの愛い奴め」  
「…………」  
 ミトツダイラは、下がった体温が、急激に上昇していくのを感じる。  
 破壊衝動に、点火。  
「よしよし、ステイステイ。嬉しいだろ? 嬉しいときはな、こう言うんだ」  
 馬鹿が真面目な顔で、  
「『わん』」  
 
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 三年竹組の生徒と三要は、本日一度目の体験をした。  
 

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