注意:男同士の同衾表現あり(雑魚寝)  
 
「ただいま」  
玄関を開き声をかけたものの、ドロシーはまだ帰っていないようで中からの返事はなかった。  
今日はどちらに行く日だったかと今朝の会話を思い浮かべる。  
だが肝心の記憶に届かないうちにどこにいるのかを気が付いた。  
 
「そうだ、さっきまで僕がガルムと会ってたんだから、今日はおばさんのところだよなあ」  
妹はきっとおばさんの止まらぬ世間話の犠牲になっているのだろう。  
フィールはそっかそっかと呟きながら手洗いへと向かった。  
水差しから桶に水を汲み日中の汗と埃を落とすのにざぶざぶと顔を洗った。水を捨ててもう  
一度新しい水で顔をすすぐ。さっぱりして布で顔を拭いながら台所へと向かった。  
料理用に汲み置きしてある水を大甕から柄杓ですくって直接水を飲む。それはまだ小さい頃、  
妹に行儀が悪いことだからやっては駄目だよと教えたことだったがこの家には今は自分たち  
二人しかいない。わざわざ椀を出すのが面倒だった。  
もちろん妹に見つかったら怒られるだろう。  
 
「お兄ちゃん」  
「……!」  
柄杓を持ったままふう、と一息つくと後ろから声がして飛び上った。  
「お、お帰り!ドロシー」  
叱られるかと振り返ると肝心の場面は見ていなかったようだ。  
ただいま、と笑顔で台所に入ってきたのにフィールは胸を撫で下ろした。  
 
フィールは甕に蓋をしその上に柄杓を渡して元通りに片づける。  
台所の隅に置いてある箒と塵取りを持ってきて竈の前にしゃがみ込むと、中にたまった灰を  
丁寧にかき出し始めた。  
 
妹に背を向けたまま話を再開する。  
「いつの間に帰ってたんだい?」  
「さっきだよ。ただいまって言ったのきこえなかった?」  
後ろでかたんと鳴ったのはドロシーが椅子に腰かけた音だろう。  
「そっか全然気付かなかったよ」  
「そんなことよりお兄ちゃん、ガルムさんに会った?今日行くって言ってたけど」  
「あぁ、うん。差し入れまでもらっちゃってさ、なんだかかえって悪かったよ」  
好意でしてくれたとは言えガルムに手間をかけたことが申し訳なく、今さらにフィールは  
自分の頼み方のまずさを悔やんだ。  
始めから日時を指定して都合を聞けばよかったのだ。  
 
ドロシーは黙りこんでしまった兄の背中をじっと眺めていた。  
彼女が家族だからかなと思うのはこんな時だ。口には出さなくても兄が何を考えているのかが、  
何となく分かるのだ。  
 
「なんだい?」  
視線を感じたのか、フィールは掃除を終え立ち上がると自分を見つめている妹を振り返った。  
「ううん、なんか今朝よりすっきりした顔してるなあって。ガルムさんとお話しして、悩み  
ごとは解決したの?」  
家族に心配をかけるなというガルムの台詞を思い出し、彼は妹の頭を撫でた。  
「ごめん、心配掛けたみたいで」  
済まなそうな顔の兄に、ドロシーはううんと首を横に振った。  
「お兄ちゃんが元気になったならいいの。よーし、じゃあすぐご飯の仕度するね。そっちに  
行ってて」  
フィールの背中を居間に向かって押してやると早速腕まくりをして床に置いてある籠から  
野菜を選び始めた。  
 
居間の椅子に腰を下ろすと台所から鼻歌が聞こえてくる。兄の心配事が無くなったのがよほど  
嬉しいのだろう。  
フィールは頬を掻いた。  
我がことのように心配したり喜んだりしてくれる妹に胸が温かくなった。そしてこの間の  
彼女に対する態度を思い出し、フィールは自分の気遣いのなさにいよいよ落ち込んだ。  
     
ドロシーとのことに悩んで行ったのがきっかけで、ガルムは時々ヴィティスの店に飲みに行く  
ようになっていた。  
あの時座った席が指定の位置になりつつある。  
酒量をわきまえているのだろう。彼は決して深酒などせず、いつもゆっくり二、三杯飲んだら  
すっと帰る。店にとってはとても行儀のいい客だ。  
ガルムが考え事をしている時はヴィティスもあえて話しかけるようなことはせずに、少し  
離れた位置で棚にずらりと並ぶ酒瓶を拭くなどしていた。  
 
この日も彼は静かに飲んでいるガルムの邪魔にならないように仕事をしていたのだが。  
「ヴィティス」  
「なんだ」  
「OZであった時分のことを覚えているか?」  
ふむ、とヴィティスは少し考える表情になった。手にしていた瓶をそっと棚に戻す。  
「印象深いことなら多少は。――何か気にかかることでも?」  
ただ昔の話をしたいというのではないだろうとヴィティスはそこまで洞察した。  
御使いの当時行ってきたことは皆、あのレオンですらあまり語りたがらないのだ。それぞれが  
今まで避けていた話題に突然ガルムが言及したので、ヴィティスの目が鋭さをもった。  
「当時小娘に何か変わった様子はなかったか?」  
ガルムの質問にヴィティスは眉をあげた。  
生真面目な彼のことだから神がどうとか、御使いとして行ってきたことが悔やまれるだとか、  
そういう話を振ってくると思ったのだ。  
「ジュジュ……?珍しいな」  
わざわざ彼女の話をすることが、だ。  
「俺はあの頃小娘に対して無関心だったからな」  
この言葉には少し語弊があるだろう。  
無関心だったのではなく無関心であろうとしたのだ。  
会話をすればかみ合わず、彼女の行為を耳にすればそれにも異を唱えたくなる。それは彼女に  
しても同じだったようで寄ると触ると喧嘩ばかり。関わらないようにするのがガルムにとって  
最も精神的に負担の少ない方法だった。  
「変わった様子と言っても……。彼女は短気ですぐ苛立ったり怒ったりしていただろう?  
感情の起伏が激しくて多少おかしな所があっても気がつかなかったと思う。特に何かあったと  
いう話も聞いていないが」  
「そうか。ならいい」  
 
ガルムはそっとため息をつく。  
難儀なことだと思った。『情を交わす』と言うが、フィールとジュジュの場合はそれが未だに  
精神的な部分に止まっているのだ。交際期間の長さを思うと同じ男として気の毒になる。  
 
――僕はそりゃ、好きな子と……ジュジュと抱きあいたいって思うんだけど。そういうこと、  
彼女は思わないのかな?』  
 
少年の主張はもっともなこと。  
それともそんな気持ちが分からぬほど、彼女はまだ子供なのだろうか。  
だが過去に手掛かりがないのなら、本人に理由を聞くほかない。  
我ながらお節介とは思いつつ、このことは今度会った時に知らせておこうと考えていると  
目の前の男が相変わらずの無表情で訊ねてきた。  
「どうして急にそんなことを。ジュジュがまた何かしたのか?」  
「いや、小僧がな……――っと」  
ガルムは慌てて口元を押さえた。ごほんと咳払いをする。  
考え事をしながら話をするものではない。うっかり反射的に答えてしまうところだったと彼は  
自分に呆れた。フィールが信頼して相談してくれたのを裏切るような真似はしたくなかった。  
右手で頬から顎を撫でながらフォローを入れる。  
「余計なことを言うところだった。奴の個人的なことだから勝手に話すわけにもいかん。今の  
質問は忘れてくれればありがたい」  
ガルムの要請にヴィティスはほんの少し口元を上げる。言われるまでもないと笑っているよう  
でもあった。  
「仕事柄、客の話を忘れるのには慣れている」  
「すまんな」  
 
話を切り上げるように酒杯を空けるとガルムは二杯目を求めた。  
 
「そう言えば今日はレオンは休みか?」  
窓の外を見て思い出したように尋ねる。  
窓の真下がレオンの指定席だった。  
店主はお代わりを注いでやりながら時計に目を向ける。  
「さて……まだ時間が早いからね。これから来るかも知れないし、今日はもう来ないかも  
知れない。それにしても休み、とは」  
ガルムの台詞に苦笑する。  
「俺がここに来て奴に会わない日はないからな。そうも言いたくなる」  
「気持は分かる。彼はいいお客様だよ。季節ごとに皆勤賞を設けたら一回や二回では済まない  
程通ってもらっている」  
「それはまた随分だな。アルミラは何も言わないのか?」  
そんなに頻繁に家を空けていたら普通の恋人同士だったら喧嘩になってもおかしくない。  
「彼女は放任主義なんだろう。まあレオンも大人だからね」  
「年齢的にはな」  
相変わらずガルムのレオンに対する評価は厳しい。  
珍しくヴィティスの目元にやわらかい微笑みが浮かんだ。  
「あまり激しいやり取りは遠慮してくれたまえ。せめて他にお客がいる時は」  
「気をつけよう……が、余計な事を言うのはもっぱら奴の方だぞ」  
奴に言え、と肩をすくめれば背後で鈴の音が聞こえた。  
扉の硝子越しに見える影でヴィティスにはそれが誰だか分かったのだろう。  
 
「よぉ、なんだ?今日は暇みてえだな……お?ガルム!てめえ最近よく来るじゃねえか!」  
 
当然のように隣に腰掛ける男にガルムは深々とため息をついた。  
貴様に比べれば来ているうちにも入らん。  
そう嫌味を言いたくなったがこれも言いあいの種になるかと出かかった言葉を飲み込んだ。  
ただ一つ問題があるとすれば一人が我慢しても、もう一人がやり合うのを楽しむがごとく  
言いたい放題なことだった。  
大抵レオンが真面目な話にちゃちゃを入れてガルムを怒らせるのだ。  
雑談に加わりながら何気なく時計に目を向け、店主は今日は一体いつまで穏やかな会話が  
続くだろうかと予想した。  
それは二人がそろった時の、そして他にお客がいない時のヴィティスの密かな楽しみだった。  
 
 
「あれ……?誰か来たよ?おばさんかなあ」  
「いくらなんでもこんな夜中にはこないよ。いいよ、僕が出るから……誰だろう」  
玄関の方から乱暴に呼び鈴を鳴らす音が聞こえ、フィールはドロシーを制して立ち上がった。  
近所の人かと予想したが、今までこんな非常識な時間に訪ねて来たことはない。  
不審に思いつつそれでも音の様子から急ぎの用かと早足で玄関に向かう。  
すると扉の外にいたのはとても見慣れた顔だった。  
 
「よぉ!」  
「レオン!……それにヴィティスまで。二人とも、こんな時間にいったいどうしたんだい?」  
当然の質問にレオンはいつものようにほんの少しだけ顎を反らし、今は大分近くなった  
フィールににやりと笑ってみせた。  
その横にはヴィティスがいる。  
彼がフィールに対する時はその向こうに懐かしい友人を思い出すのか、いつもやわらかな  
(とフィールは感じている)表情だ。ふとした拍子に見せる少年の言動に父親と似ている  
ところを見つけては親しみを感じているのかも知れなかった。  
 
レオンはともかくヴィティスは相手の都合も聞かずに遊びに来たりはしない。  
突然の訪問に驚きを隠せないフィールをよそに、彼らは回りくどい説明を抜きにして本題に  
入った。  
「てめえ、相談事ならガルムなんかじゃなく俺にしやがれ。あんな奴よりよっぽど役に立つ  
助言をしてやるのによ」  
要約すれば『みずくさい』の一言に収まるだろう。  
 
レオンがフィールの肩を勢いよく叩いた。本人は大分手加減したのだろうが、あまりの力に  
少年はよろめいた。  
「ガルムから君がとても悩んでいると聞いたのでね。横から口を出してもいいものかとも  
思ったのだが……」  
「悪りぃな。ちいとばかり奴から話を聞いちまったんだよ」  
「……え――?」  
この間の今日でガルムから聞いたと言うなら内容は一つしかない。  
フィールは自分の顔が恥ずかしさからかっと熱くなるのがわかった。背中にもじっとりと汗を  
感じる。鏡がなくては見えないが多分真っ赤になっているだろう。  
二人をまともに見ることが出来ず、答えに迷いながら目を伏せる。  
 
少年が気まずく思っているのに気付かない振りをしてくれたのか、二人は彼の様子に構う  
ことなく言い合いを始めていた。  
「無理やり聞きだした、の間違いではないか?」  
ヴィティスが訂正する。  
「いちいちうるせえな。ちょっと聞かれて話しちまうってことは自分で解決出来る自信が無い  
からだろ?」  
「まあ確かに。そうとも言えるな」  
「大体てめえも一緒に聞いてたくせに自分ばっかり棚に上がりやがって」  
「君がおかしな解釈でフィール君を困らせる気がしたのでね。念のためついて来ただけだ。  
ガルムからもよくよく君を見ていて欲しいと頼まれたし」  
「てめえ、喧嘩売ってんのかよ」  
これには答えずヴィティスはフィールに手にしていた包みを差し出した。  
「例によって例の如く酒だ。君は全然うちに来てくれないからね。ガルムの家に行ったとき  
くらいしか飲む機会もないだろう。ドロシー君がいては夜中に家を空けるわけにも行かない  
だろうし」  
「そうそう。男同士腹を割って話をするにはやっぱ酒だろ?」  
「……」  
当の本人の意見は一言も聞かずに、自分たちは相談を受けに来たのだと、そういうことだった。  
ガルムの人柄は知っている。多分彼も強引に聞きだされたのだ。この二人に両脇から追及  
されたのでは逃げるのは大変だっただろう。  
フィールは二人を前に困ったような笑みを浮かべながら、今頃後悔しているであろうガルムの  
心中を思いやった。  
 
 
「あれ?こんばんは。……なぁんだ、お二人だったんですか。村の方で何かあったのかと  
思ってちょっと緊張しちゃいました」  
にっこりと微笑むドロシーにヴィティスも愛想ではない笑顔で返し、レオンも彼らしい元気の  
良さで返事をした。  
「やあ、こんばんは。夜遅くにすまないがお邪魔するよ」  
「うっす、久し振りだな。ちょっとボウズと話があってな。邪魔するぜ」  
「どうぞごゆっくり。後でお茶お持ちしますね」  
ドロシーは何故か居間ではなくフィールの部屋に向う彼らの後ろ姿に声をかけた。  
「お気遣いは無用だ。これがあるから」  
ヴィティスが手にした酒瓶を掲げて見せると少女はわかりましたと頷いた。  
 
ドロシーが何かつまむものをと思って台所に向かうと、そこではすでにフィールが何やら  
やっていた。肴の用意でもしているのだろう。  
こういう時あるものでささっと料理してしまう兄が少し妬ましく感じる。  
経験値が違うから仕方が無いとはいえ、兄にお客さんが来ているときのつまみの用意くらいは  
自分がしてやりたかったのだ。  
控え目に申し出る。  
「手伝う?」  
「大丈夫。遅くなるかも――っていうか多分遅くなるだろうからお前は先に寝てていいよ」  
「そう……?」  
背を向けたまま答えたが立ち去る気配のない妹にフィールが振り返った。  
彼女は何故か眉をよせ沈んだ顔をしている。  
     
「どうしたの?」  
「ううん、なんか……この間ガルムさんと話したこと私には話してくれなかったでしょ?  
レオンさんとヴィティスさん、そのことで来たのかなって。悩み事、解決してなかったの?  
それなら言ってくれればいいのに……私だって話を聞くくらいは出来るのに。私だって……」  
一番近くにいるのに兄の役にも立てないのが辛いのだ。  
だがまさか妹に男女の付き合いがどうのとそんな話を出来るわけがない。  
妹の優しさに感謝しながらも彼は言葉を濁した。  
「そんな大したことじゃないんだ。ガルムに話したら自分じゃあんまり参考になるような  
意見を言えないって。それで気を遣ってくれたみたいでさ。二人が来たのはいきなりだった  
からちょっと驚いたけど」  
「きっとガルムさんのお話聞いてすぐにレオンさんが『じゃ、今からいってみるか』って  
来たんだと思うな。レオンさん、行動早いから。ヴィティスさんはそれが心配でついて来たん  
じゃない?」  
レオンを見ておくようガルムに頼まれた言っていたのを思い出しフィールは小さく吹き出した。  
 
 
少年の部屋でレオンとヴィティスはいつになく真剣な顔でフィールの話を聞いていた。  
二人があまりにまっすぐ自分を見つめてくるので、事情を話しながら彼の視線はどんどん  
下がっていき、最後には時々上目づかいに二人の反応を見るだけになった。  
 
「――というわけ……なんだけど」  
 
本人から改めて話を聞き、二人はフィールの気の長さに再び呆れ、あるいは感心した。  
「ふむ……」  
「それで一人で悶々と悩んでたのかよ」  
「うん……ごめん」  
レオンは顔の前で手を振った。  
「別に謝ってほしいわけじゃねえよ。ただ俺達がいるんだから、たまには思い出せって話だ。  
おい、飲んでんのか?」  
「う、うん」  
「君には少し強いかもしれないな」  
フィールがちびちびとやっている様子にヴィティスが自身も口に含みながら言ったが、確かに  
水で割った状態でもそれはいつも皆と飲むものより強かった。  
「もっとぐーっといけよ。ぐーっと」  
「うわ……」  
レオンの言うように思い切って酒を流し込むと、喉が焼けるような感覚に思わず目を閉じる。  
「美味しいだろう。普段は果実酒しか持っていかないから……これは麦で出来てるんだが、  
この辺りではあまり作ってないらしくて貴重なんだ。たった三本しか入らなくてね」  
「うち二本は俺が飲んだ」  
得意げに笑うレオンへ嘆かわしいというようにヴィティスは頭を振った。  
「君は美味い酒を見つける天才だよ」  
「てめえのしまい方が悪いんだろ?ズラッと並ぶ瓶の後ろにもったいぶってちょこっとだけ  
のぞくように置いてあるんだ。気にすんなって方が無理だ、なぁ」  
後半はフィールへの台詞だ。  
何と言っていいか分からず彼はあいまいに微笑む。  
「はは……」  
「そうやってすぐ話がそれる。フィール君の話を聞きに来たんだろうに」  
「おお、それそれ。そうだったぜ」  
 
「一体どういうつもりだろう……彼女が君に恋い焦がれていたのは周知の通りだが」  
ガルムと同じことを言われフィールは眉を上げた。  
自信過剰ではない彼はガルムの言葉を話半分に受け取っていたものの、それが事実だとしたら  
ジュジュが彼を受け入れない理由がますます分からない。  
「お付き合い、と言うのを始めれば遅かれ早かれそういう展開になると分かっているだろうに」  
「だよね……」  
「だよなあ。その状態で何年もお預けってのは辛いぜ」  
     
「あのさ、僕、本当はずっと気になってたんだけど」  
「なんだよ」  
「彼女さ、人間の年で言ったら十四か十五くらいじゃない」  
「ふむ。確かにそのくらいだな。それが何か?」  
「あの……体は、その……大丈夫……なのかな」  
「はぁ?」  
聞き返すレオンをヴィティスが制した。  
フィールの言わんとしていることが彼には理解できたようだ。  
「我々カテナも寿命と身体的な成長を比較すれば君たち人間と変わらない。もう百と数十年  
生きてるだろうが彼女ほどの年齢になればもう子供だって産めるはずだ」  
「そっか」  
自分を『受け入れたくない』ではなく『受け入れられない』可能性に気付いてから、自分が  
無理を言っていたのかもと不安になっていたため、ほっと息をついた。  
「僕はこの通りそれなりに大きくなったけど、彼女は違うだろう?その辺が問題なのかなとも  
思ったんだけど違うならいいんだ。ただ……」  
「なんだよ」  
「彼女、あんまり若いままだから、時々悪いことをしてる気分になる」  
頬をかきながら告白する少年に二人は笑い声を上げた。  
 
ひとしきり笑ったあとレオンが漬物に手を伸ばしながらずばりと聞いてきた。  
「で?お前ら実際にはどこまで進んでんだよ」  
「え――」  
「止したまえ。我々が知る必要はないだろう」  
「ばっか、はっきり言って好奇心だよ。ってか真面目な話、どこまでなら許してくれんだ?」  
「え……っと」  
今さらながら、そこまで具体的に答えていいものかと言い淀むフィールにさらに押してくる。  
「今さらからかったりしねえから言ってみろよ。もしかしてそこに手掛かりがあるのかも  
知れねえだろ」  
一般的な手順を踏んでいたつもりの少年は、レオンの台詞にどきりとした。  
自分がなにか変なことをしていたかもしれないと、この時初めて気付いたのだ。しかし変な  
ことといっても、まだ服を脱がせる段階にも至っていない。  
心当たりがなかった。  
それとも体を触られるのすら嫌だったのだろうか、いや、そんなそぶりは見えなかったがと  
無意識にレオンを凝視しながらフィールは頭を高速回転させた。  
 
「口付けは?」  
「は?」  
横からの声に思考を停止しつつも乗り気でなかったはずのヴィティスが具体的なことを聞いて  
きたのに、少年の目が点になった。  
案外他人の恋愛事情に興味があるのだろうか。  
レオンも横から口を挟む。  
「いくらなんでもそれはいけるだろ」  
「それは……普通に」  
「ほらみろ」  
ヴィティスはレオンを無視して話を続けた。  
「そうか……その先は?」  
「だからその……途中まで、しか……」  
それだけ言うとフィールは恥ずかしさを飲み込むように酒杯をひと息に空けた。勢いだけで  
飲んだのか酒の強さに軽くむせる。  
それを見てヴィティスが水差しを寄せてやった。  
「もっと薄くして飲めばいい」  
「うん」  
「よくそれで我慢出来るもんだ。それで?駄目だって言われて大人しく引き下がるのか?」  
「だって彼女が嫌がるのを無理やりに進めるのも、さ。理由も分からないのに強引になんて  
そんなこと出来ないよ」  
     
ヴィティスが顎を撫でながら他の可能性を示した。  
「案外押し倒されるのを待っているのでは?彼女は天の邪鬼だから……」  
「おぉ、ありえるな。もっと男らしく強引にせめてよ!ってか」  
茶化すレオンにヴィティスが眉を寄せた。  
「それを男らしいということについては異論があるな」  
「だから……そんな感じじゃないんだよ。真剣に避けられるっていうか、嫌がってる」  
「だってお前らもう付き合って何年経つ?三……四年くらいか?」  
「うん、四年。四年になるけど……長さじゃないんだよ。きっと」  
大きくため息をつくとフィールはテーブルに突っ伏した。  
うっかりか故意にかゴン、という結構な音が響く。  
「フィール君、大丈夫か」  
「もう酔ったのかよ。はえーぞ」  
少年は額をぶつけたままの状態で首を振った。そのままテーブルに右頬をぺったりと載せて  
話を続ける。顔を上げる元気もないのだろうか。  
「違う……なんか情けなくなってさ。もう四年目なのに……」  
「なのに?」  
「どうして嫌なのか理由を言ってくれないのはさ、僕を信用してないからじゃないのかな。  
だってこれって二人の問題だろう?なのにどんなに根気よく尋ねても聞かせてくれないんだよ」  
二人の、ではなく明らかにジュジュの方に問題があるとレオン、ヴィティスは判断したが  
黙っていた。  
フィールがぼそぼそと本音を語るのに真剣に耳を傾ける。  
「こういうのって時間がすべてじゃないとは思う……でも僕たちの間にはそれなりに築いて  
きたものがあると思ってたんだ。気持はちゃんと通じてるんだって。だけどそうじゃなかった  
のかな、彼女にとって僕はまだ全部を話すには物足りない、頼りない存在なんだなって……」  
「周りから見れば特に落ち度はないように感じるが。それに君は年の割にしっかりしていて  
頼りないなどということはないと思う」  
「だよなあ。何が不満なんだか。だいたいあのガキ、元が我儘だから何が気に食わないって  
言っても、あーまたなんか言ってら、くらいにしか思わねえんだよな」  
「レオン、そんな言い方はないよ。我儘っていうほど勝手じゃないし」  
フィールの台詞に顔を見合わせた二人は『痘痕もえくぼ』という言葉を思い浮かべた。  
「なんだ?俺達はのろけを聞かされに来たのか?」  
「そういちいち冷やかすな」  
「もう何とでも言ってよ……」  
すっかり元気の無くなってしまったフィールの頭を軽く叩くと、今度はレオンはその恋人に  
ついての感想を言った。  
「あのガキもなあ、普段は余計なほどにはっきりものを言うくせに、どうしてこういう問題  
だけ言葉を濁すんだ?問題があるならいつもみたいに言やあいいんだよ。何考えてんだか」  
「まったくだ。嫌がるだけでは彼女にとっても解決にならないだろうに」  
「複雑な乙女心ってやつか?」  
「さて、そんなものを持ち出されたら我々男にはしつこく追及も出来ないだろうよ」  
お手上げというようにヴィティスは肩をすくめた。  
 
「だいたいよ……おいボウズ。聞いてんのかよ」  
「フィール君?」  
そう言えばさっきから彼は発言をしていなかった。ヴィティスがそっと肩を揺すったが  
反応がない。  
のぞき込むとテーブルに顔をのせたまますうすうと寝息を立てていた。  
「眠ってしまったようだ」  
「いちいち言わなくても見りゃわかる。ったくしょうがねえな」  
レオンがフィールの頭をつつく。  
酒に酔っていたのかやはり目を覚ます気配はなく、むにゃむにゃと口を動かしただけだった。  
「結構考え込む奴だからな。もうちっと早く俺達に話せば良かったのに。人に話すだけでも  
気が楽になるからな。忍耐強いのも善し悪しだぜ」  
「ガルムも言っていたが内容が内容だけに、なかなか話し辛かったのだろう」  
「おまけに相手があれだからなあ」  
「ああ、彼女ではな。フィール君が気を使っても使っただけ安心してしまうんじゃないか」  
「フィールも気にしてないみたいだからいっか、って感じだろ?」  
     
「ジュジュは人には乙女心が分からない奴、と言って眉を吊り上げるのに……」  
「自分こそ男心が分かってねーよな。こいつも遠慮してねえで一度ガツーンと言っちまえば  
いいんだよ。てめーとやりたいんだよって」  
あからさまな物言いに、ヴィティスは首を振った。  
「そんなことを言ったら可哀想に、平手打ちを食らってお終いだ」  
もちろんジュジュの気性を考えたらそれだけで済まないだろうことは明白だ。  
レオンの指がまた少年の頭をつつく。  
「んー……」  
「良く寝てら。誰の為に来たんだか……本人が最初に撃沈してりゃ世話ないぜ」  
「彼には強すぎたんだろう。君がこんなのを選ぶから」  
「俺のせいかよ!」  
反射的に言い返すと、うう、と下から唸り声がした。顔をしかめているのは夢の中でも彼女の  
ことを悩んでいるからかも知れない。  
それを見てレオンがフィールの横に顔をよせた。暗示をかけるよう耳元で囁く。  
「もうちょい強引にいったらどうだ?あのガキだって初めてだろうし上手に流せるとは思え  
ねえ。本気で嫌がってたとしても押し倒したらわけが分からないうちに受け入れてくれるかも  
知れないんじゃないか」  
 
「うう……さい……」  
フィールは耳元で喋る男にしかめっ面になった。  
「うるさいと言ってるぞ」  
「るせえ!だから分かってるっての」  
目を閉じ酒杯を傾ける男にレオンがかみついた。  
「てめえはガルムの時といい、人の意見に文句ばっかり言いやがって」  
「そうでもない。ただ、理由が分からなくて手を出しかねているのにそれを強引に持っていく  
なんて、普通の彼なら絶対にしないだろう」  
「俺だってそうは思うぜ。しかし……」  
ちら、と見るとフィールはさっきより大分落ち着いた表情で寝息を立てていた。  
「いつまで『普通で』いられるやら」  
「まったく……」  
既に手酌でやっていた二人は最後に残った分を公平に注いで飲み干した。  
 
 
フィールの悩みを肴に飲みに来たようなものだ。しかし本人が眠ってしまった以上はいても  
仕方がない。  
「そろそろ失礼しようか」  
ヴィティスが立ち上がるとレオンが声をかけた。  
「ちょっと待て」  
「なんだ」  
「こいつはこうだしお嬢ちゃんもとっくに寝ちまってる。俺達が外に出たら誰が戸締まり  
すんだよ」  
「仕方がない、彼を起こせば……」  
「起きると思うか?」  
「……」  
二人の視線がフィールに注がれる。  
 
起きないだろう。よく眠っている。  
ではどうすると言うのか。ヴィティスが目で問うと問題ないと親指で件の部屋を指した。  
「居間で雑魚寝させてもらおうぜ。問題は長椅子が一つしかないってことだが、さて。いざ  
勝負――」  
「居間で寝ているのを見たらドロシー君が驚くのでは?」  
「そりゃあ……驚くに決まってる。いっちいちうるせえな。じゃあ一体どうしろって?」  
駄目を出すヴィティスに対し苛立たしげに頭をかくと、レオンはあ、と声を上げた。  
「そうだ!主寝室あるだろ。あそこ使わしてもらうか」  
彼の言葉にヴィティスは疑わしげな顔になった。  
「――掃除してあるのかい?」  
「人んちで失礼なこと聞いてんじゃねえよ。俺の部屋じゃねえんだ、きれいになってる筈。  
テオロギアから帰ってきた時も、掛布一枚剥いだだけで使えたからな――行くぞ」  
     
「レオン、待て」  
ヴィティスが眠ってしまっている少年を顎で示した。  
「ああ……っと。まったく、世話が焼ける……」  
それでもフィール横抱きにし、軽々と部屋にある寝台へ運んでやる。  
「……っこらせっと」  
レオンにしてはそっと寝かせてやると下の方ではヴィティスが少年の靴を脱がせていた。  
きちんと足元にそろえるあたり性格が出ている。  
本人はすうすうと寝息を立ててまったく気付く様子はない。  
レオンの方も乱暴に、それでもちゃんとフィールの頭が隠れるまで毛布をかけてから改めて  
ヴィティスを促した。  
 
 
「ほら、ここなら二人で寝ても余裕だろ?」  
大きな寝台を前にレオンが何故か自慢げに隣を見た。  
「確かに掃除が行き届いている。住人の性格が出ているね」  
レオンは内心まだ言ってんのかと思ったがそれも性格と諦めた。それより当面の問題がある。  
 
「ヴィティス」  
「なんだ」  
彼はさっそく掛布を剥いでいた。埃が立たないようにそうっとだ。  
「てめえ寝ぞう悪いか?」  
「それほどひどく動くことはないと思うが。枕に足をのせていたこともないし」  
「ならいいけどよ――寝ぼけて抱きつくなよ?」  
「それは君だろう。私は独り寝には慣れているからね」  
上着を脱いでさっさと寝台にもぐり込みながらヴィティスが言い返した。  
「ばっ……」  
今さらアルミラとのことを冷やかされるとは思っておらずレオンは一瞬言葉に詰まった。  
「あんまりこちらに寄ってこないように」  
「お互いさまだっての!」  
レオンは窮屈な格好で寝るのが嫌なのか下穿きだけの姿になってからヴィティスの隣に、  
それも大分離れて横になった。  
男二人、一つの寝台に寝るのは結構抵抗があるようで、うっかりすれば床に落ちると言うほど  
二人は端に寝ている。間にもう一人くらいは入れそうだった。  
 
真っ暗な天井を見上げてレオンが口を開いた。  
「お嬢ちゃんに間に入ってもらえば良かったな」  
能天気な台詞にヴィティスはため息をつく。  
「あまり品のないことを言うな」  
「あー?」  
横にいる男に視線を向けた直後、レオンは逆に半ば怒鳴るようにヴィティスを非難した。  
「品がない発想をするのはてめえじゃねえか!俺はそんなこと考えてねえ!」  
「うるさい。夜中なのだから静かにしたまえ」  
すぐ隣で、しかも時間帯を考えない声で話されたからだろう。うんざりしたように言うと  
ヴィティスはさっさと向こうを向いてしまった。  
「〜〜〜!勝手な奴だぜ」  
 
これがその夜の会話の締めくくりだった。  
 
 
彼が目を覚ました時、室内の明るさに反射的に窓の外を見た。徐々に日が短くなってきたとは  
いえ、まだまだ日の出は早い。  
窓枠の作る影で太陽の高さを知るとフィールはぴしゃりと顔に手を当てた。  
「……!寝坊したー!」  
 
すでに寝間着を脱いで身支度を整えたドロシーは顔を洗いに行く途中台所の方で物音がする  
のを聞いた。詳しく言うなら割れものを乱暴に積んでいるような音だ。  
 
「お兄ちゃん?」  
どうかしたのかと部屋の向こうにいる兄に声をかける。すると台所をのぞくまでもなく彼が  
飛び出してきた。  
「あ、お兄ちゃ……ふぁあ……お兄ちゃんおはよう。今の音なに?」  
「ドロシーごめん!寝過ごしちゃったんだ。もう行くよ。ご飯食べたままになってるから  
片付けておいて!」  
「えっ?あれ?じゃあ二人はどうしたの?お昼は?」  
「持った。レオンとヴィティスは起きたらいなかったから帰ったんだと思う、じゃあね!」  
「う、うん、いってらっしゃい!」  
ばたばたと慌ただしく出ていく兄に何故だか自分も焦って声をかけると、ドロシーは朝食の  
仕度を始めた。  
 
スープの入った鍋を火にかけ時々かき混ぜながら手早くパンを焼く。蜂蜜やガルムにもらった  
ジャムをテーブルに並べながらふと首を傾げた。  
「お兄ちゃんが寝てたのにどうやって戸締まりしていったのかな……?」  
先に帰ったらしいと言っていたが、まさか鍵をかけないで出て行ったとは考えられない。  
ヴィティスの存在がその可能性を否定するのだ。  
「……ま、いっか。あとでお兄ちゃんに聞いてみようっと」  
するとはたして、すでにこの家には自分とトト以外誰もいないと思っていたのに後ろから声を  
かけられ、ドロシーは文字通り飛びあがった。  
 
「ドロシー君!」  
「きゃあ――っ!?」  
反射的におたまを握りしめ後ろを振り返ると台所の入口にヴィティスが立っていた。しかし  
なんだか様子がおかしい。そわそわと落ち着かなげだ。  
「え?え?ヴィティスさん?お帰りになったんじゃ……どこにいらしたんですか?レオン  
さんは?」  
「いや、昨夜フィール君が先に眠ってしまって。我々が出て行くと戸締まりが出来ないのでね。  
事後承諾になってすまないが主寝室を使わせてもらったんだ。勝手なまねをしたことは重ねて  
謝るが、これから酒屋が来ることになってる……というかもう店の前で待っているかも知れ  
ない。申し訳ないがこれで失礼する」  
手を上げると言うだけ言って玄関に向かう。  
ドロシーは慌てて台所から顔を出し彼の背中に声をかけた。  
「でもご飯……朝ご飯すぐご用意できますから――」  
食べていってくださいと勧めるとヴィティスは扉の取っ手に手をかけながら申し訳なさそうに  
首を振った。  
「本当に時間がないんだ。あの酒屋はこの村ではうちしか取引がないんだが、短気と言うか  
商売っ気がないと言うかやる気がないと言うか、ちょっと時間がずれると帰ってしまうんだよ」  
相当焦っているらしく話す必要のないことまで言っている。  
「今日のところはレオンに任せるから始末は彼にやらせてくれ。騒がせてすまないがこの埋め  
合わせはまた!」  
最後にそれだけ言うとヴィティスは明らかに寝起きと分かる姿で飛び出していった。  
髪はぼさぼさ、上着は手に掴んだまま。  
 
「あんなに慌ててるヴィティスさん初めて見た……」  
ドロシーは彼の後姿にぽつりともらした。  
 
    
  〜つづく〜  
 

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