フィールは寝台の上でぼんやりしていた。  
いつでも眠れるよう燭台の灯りも消して暗くて見えない天井を見上げている。  
時々はあ、とため息をついては寝がえりをうった。  
 
もう十日ほども経つがあれ以来ジュジュと会っていない。  
晴れの日が続いたせいか彼女がこの家に来ることはなかったし、フィールもどんな顔をして  
会えばいいのか、何と謝ればいいのか考えつかなかった。  
もちろんすぐに謝らなきゃとは思った。だが会いに行っても出て来てくれないかもしれない。  
きっと自分の顔を見るのも嫌だろう。そう思うと勇気を出せず、そのうち日が経ってますます  
会いにくくなった。  
だが会わなければ忘れられるかと言えばそんなはずもなく、日中はがむしゃらに仕事をして、  
それでもやはり夜寝る前にはこうして必ず思い出してしまうのだった。  
 
大事に大事にして来たのにあんな風に怯えさせて。震えて泣いていた。  
そんなつもりはなかったのだと言っても信じてはくれないだろう。  
何も言わないで帰ってしまったのも当たり前だ。  
朝、きちんと謝って送って行きたかったけど――。  
ガルムに自分の気持ちを押しつけては駄目だと言われたばかりだったのに。  
調子に乗っていたわけではないと思う。  
 
「だってあんなこと言うから……」  
言い訳がましい言葉が口をついて出てきた。  
壁の方にごろんと寝がえりをうつ。  
 
いいなあ、なんて。  
 
どっちが?ガルムが?ドロシーが?それとも二人の関係が?  
人を羨むなんて自分では物足りないということなのだろうか。  
あんな風に互いのことを理解し合って――心も身体も――それがうらやましいのだとしたら、  
それは自分の責任ではない。  
だからあの時、彼女が歩み寄るべきじゃないかと、彼女のせいだと思った。我慢を強いられて  
いるのはこちらなのだから。皆も言っていたではないか。よく耐えられるなと。  
そんな気持ちが頭をよぎり苛立ちからくる冷たい怒りが心に満ちた。  
それでも少しは理性が残っていたと思った。彼女に気付かれないように、苛々を押さえようと  
したのに、出来なかった。  
 
無理やり口付けて、首へ、うなじへ、それに……普段服の下に隠された部分へも。  
あんなに嫌がっていたのに彼女の意思を無視して強引に服を脱がせた。  
綺麗でなめらかな肌、薄い体。  
肩から背中、胸から腰をゆるやかに結ぶ曲線がとても扇情的だった。  
抵抗する姿さえ色っぽかった。  
自分を振りほどこうとする力はあまりに弱く、これで敵うと思ってるのだろうかと笑いさえ  
こみ上げてきた。  
自分を好きだと言っておきながらなお拒もうとする彼女のすべてを征服したくなった。  
あんなに嫌がっていたのに。彼女は本気で掴む腕を振りほどこうとしていた。  
「――っ!」  
 
問題の場面を思い出し、体が反応しそうになるのを感じて枕に頭を押し付けた。  
無理に意識を逸らさなければ無意識に手を下半身へのばしてしまう。忘れたいはずの自分の  
行為を、彼女の姿を慰めに使ってしまう。  
しかし良心の呵責がそれを許さなかった。  
 
「駄目だなぁ……」  
意気地のない自分が嫌になって独り言ちる。  
彼女がどんな態度をとっても自分がしなければならないことは一つだけ、誠意を尽くして謝る  
しかない。許してくれるまで何度でも、何と罵られても。  
やるべきことが分かっているのに行動に移せない自分に腹が立った。  
     
こんな風に毎日自分の心に問いかけては、謝りに行けない己に絶望し、消せるわけがない  
出来事に悶々としていた。  
ため息をついては寝がえりをうつ。それを繰り返しているだけだが頭の中は忙しかった。  
だからその時も音がしたことに最初は気付かなかった。  
もう一度こん、となる  
フィールは今度こそそれに気付くと物音に体を緊張させて辺りに目を向けた。発信源が家の  
中か外からかと耳をそばだてると今度はこんこん、と二度なった。  
 
窓だ。  
外に誰かがいる。  
フィールははっとして寝台に体を起こした。  
盗賊だったらと見えない室内を見回してもとりあえずの武器になるものは置いていなかった。  
いざとなったら大声でトトを呼べば何とかなるだろうか。  
そんなことを考えながら静かに寝台を降り窓際へ近づいた。  
窓には薄手の布と厚手の布とを、目隠し用につけてある。朝日が昇ったら目覚めるようにと  
厚手の布は窓の脇にくくってある。  
外から見えないようにそうっと目をやると、途端目の前に手が浮かび上がった。  
その手は今度はかなり強く窓を叩いた。硝子が揺れ、音が辺りに響く。続いて聞こえた声に  
彼は驚きより先にめまいを覚えた。  
 
「ねえ、フィール。フィールってば!……いないの?」  
彼女にとってはささやくような声でも夜の静謐の中では窓越しにもはっきり聞きとれる。  
フィールは慌てて窓を開けると声を抑えるのも忘れて彼女を叱りつけた。  
「ジュジュ!君……こんな夜中に――まさか一人で来たんじゃないよね!?」  
「え……もちろん一人だけど?誰と来いってのよ」  
言外に見りゃわかるでしょと言っている。  
悪びれるところのない少女にフィールは目を怒らせた。  
「ばかっ!危ないじゃないか!」  
「あー!」  
掌をぽんと叩く。やっと意味が分かったとそんな顔だ。  
「そっか。ごめんね。心配……した?」  
あっけらかんと言って頭をかくと気まずそうにフィールの表情をうかがった。  
フィールは窓枠に手をかけ身を乗り出した。  
窓の下にいる少女に厳しく言い聞かせる。  
「あれほど!何度も!言ったのに……!以前、夜の森は一人歩きしないって約束しただろう。  
君って人は……」  
「なによ、もう。そんなに怒らなくても」  
せっかく会いに来たのにいきなり怒られたものだから少女は頬を膨らませた。  
「怒ってるんじゃないよ。まったく、一瞬で僕がどんなに冷や汗かいたか教えてあげたいよ」  
顔を押さえて嘆く様子はジュジュには大袈裟にしか思えなかったが、彼の言葉は訪問の理由を  
考えるといいきっかけでもあった。  
 
少し俯いて呟く。別に彼に聞こえなくても良かった。  
「……教えてもらおうかな」  
「え?なに」  
「ううん、なんでもない。ちょっとそこどいて」  
室内のフィールに持っていた手燭を押し付けほらほらと手を振る。  
彼が黙って言う通りにすると窓枠を乗り越え部屋に入り込んだ。  
「お邪魔しまーす」  
テーブルに預かった灯りを置いて振り返る。  
「ジ、ジュジュそんな、げん……」  
ジュジュの格好に気付いたフィールがそんなところからじゃなく玄関へ、と言いかけたが  
言い終わる前にはもう彼女は室内にいた。  
裾がまくれるのにも構わず(多少は気を使ったようだが)脚を上げる姿は見ている方が隠せと  
言いたくなるようなものだった。  
     
ジュジュは部屋の真ん中に立つと小さな炎が暖かく照らす室内を見回して、それから彼に  
注文を出した。  
「こっち来て」  
窓の傍から離れない男に手招きする。  
「……うん」  
そっと窓を閉め自分の正面に来るとさらに後ろを向くように言った。  
 
フィールが言うとおり自分に背中を向けるとジュジュはぎゅう、と後ろから彼を抱きしめた。  
「ジュジュ?」  
「この間はごめんね」  
「――!」  
彼は一瞬硬直した。  
まさか、少女に謝られるとは思っていなかったのだ。  
慌てて首を振る。  
あんなことになったのは誰が考えたって彼女のせいではない。  
責めるように気持ちをぶつけたのも、嫌がる相手に対し力ずくで無理やり行為に及ぼうと  
したのも自分だ。  
「違うよ。あれは……あれは僕が駄目だったんだ。ごめんよ……謝って済むことじゃないけど。  
君が嫌がっているの分かってて、力じゃ君は僕に敵うわけないって分かってたのに、僕は――」  
腰にまわされた小さな手に自分の大きな手を重ねた。  
 
「ううん」  
否定の言葉と共に背中に当たるジュジュの頭が横に振られるのが分かった。  
「真面目な話するから、聞いてて」  
「え……」  
改まった言い方に後ろを振り返る。すると間髪入れずに下から声が上がった。  
「こっち見ないで!……そう、そのままで。見つめ合ってたらこんな話出来ないんだから」  
すう、と大きく息をして、頭と呼吸を落ちつけてから彼女は話し始めた。  
「あのね。最初に謝るね。四年も付き合ってきたのにずっと、その……しなくて。嫌がってて  
ごめんなさい」  
「別にそんなの謝ること――」  
「黙って聞いててってば!」  
謝罪の続きをしようとする彼を遮って口を閉ざすよう強要した。  
「あ、うん……」  
「あんたのことはちゃんと好き。これは本当。初めて会った時のこと憶えてる?あたし随分  
ひどいこと言ったけど、あの時からずっとあんたのこと気になってた。それで……色々あって  
あんたと付き合うことになって。あたし舞い上がっちゃうくらい嬉しかった」  
その時のことを今でも良く憶えているのだろう。彼女はとても幸せそうに微笑んだ。  
「あんたはぽーっとしてるし鈍いけど、一緒にいると他に何にも要らなくなるの。一緒に  
散歩したり、ご飯食べたり。そんな些細なことが楽しかった。あたしらしくないなって自分  
でも思うけど、穏やかな毎日を重ねていけるのが嬉しかった。それだけで満足しちゃうくらい。  
あえて深い関係にならなくても、いいかなって……」  
「ジュジュ?」  
だんだん小さくなる声にフィールは前を向いたまま呼びかけた。  
少女の息をつくのが聞こえる。気持ちが高ぶってきたのか吸って吐くその音は震えていた。  
「あたしの性格知ってるでしょ?欲張りなのよ。自分が好きなもので手が届くものはなん  
だって自分の物にしたい――でもあんただけは駄目だった。好きだから」  
「……」  
フィールは唇を噛んだ。  
彼女がこんなに赤裸々に自分の心情を告げるのはこれが初めてだった。  
恋人の性格を理解したつもりでいたが、そうではなかったのだと思い知らされた。  
「あんたのこと本当に、馬鹿みたいに好きだから、これ以上近寄ったらあんたなしじゃいられ  
なくなっちゃうって。でも、だから……最後までするの、怖くて……」  
言いたいことを上手く言葉に出来ないのか途切れ途切れになった。  
「だ、だめ……や、やっぱり上手く言えな……」  
体も小さく震えているのが伝わってくる。  
心細いのかさらに彼女の腕は強くフィールを抱き締めた。  
     
「僕も好きだよ」  
フィールはそこまで聞くと彼女の言いつけを破って振り返り少女を引き寄せた。  
ジュジュは思わず顔を上げる。彼の真摯な瞳にぶつかってすぐに目を逸らした。  
「怖かったの?ずっと」  
「……っ」  
少女は彼の問いにただ頷く。  
 
『好きだよ』  
 
今まで何度言われたか知れない台詞にジュジュは目頭が熱くなった。  
彼に悟られないようさりげなく下を向く。  
 
今日は普段どんなことを考えてどんな風に感じているのかみんな正直に言うつもりだったのに、  
やはりちゃんと言えなかった。  
彼を思うだけで心が春のような暖かさに満たされること。  
気持はとても真剣なものなのに心にずしりと重くなるようなものではなく、ふわふわと脚が  
地についていないような心地になること。  
こんな性格の自分が彼のためになるなら、喜んでくれるなら何をおいてもしてあげたいと思う  
こと。それに。  
 
フィールの気持に感謝し――逃げ出したくなることを。  
 
時々叫びたくなる。怖い、恐ろしいと。  
彼のいなくなる瞬間が。  
この気持ちに終りが来る時が。  
そしていっそのことと思ってしまう。この不安を早く手放してしまいたいと。  
だがそれと同じくらい強い気持ちで思うのだ。最後まで離れたくないと。  
ドロシーがガルムに言ったように、彼に終わりの来る時傍らにいるのは自分でありたいかった。  
 
相反する二つの気持に心が押しつぶされそうで、出会った時より広さを増した胸にしがみつき、  
そこに顔を押しつけて目をぎゅっとつぶる。  
 
瞼の裏に浮かんでくるのは片思いというものを自覚した時のこと。あの時はただ浮かれて  
いた――と思う。  
告げたい、愛されたい、でも断られたら。  
人々が普通に経験する感情に、それだけで頭が一杯になっていた。  
一時は常に傍にいるドロシーにさえ嫉妬した。考えられないことにアルミラに相談したりも  
した。  
それがどうだろう。  
こうして想いが通じたら片思いの時より臆病になってしまった気がする。  
何年も触れ合うのは唇のみで一線を越えられずにいる。  
踏み切れないのは自分。  
フィールは待ってくれている。健康な男子だもの、いつまでも拒否していたら振られるかも  
知れない。その位は分かる。  
それでも――それでもだ。  
そこを超えたときの自分に自信がなかった。  
 
ガルムが言っていたとおり。  
一度は手に入れたもの。失うのが怖いから、いっそのこと手に入らなければ良かったのにと  
彼を恨んだこともあった。  
 
 
彼を殺してしまうかもしれない。  
 
それは直感だった。  
いつだっただろう、付き合い始めたばかりの頃だ。やはり手をつないで談笑しながら歩いて  
いた時にふと心に差した影。  
顔はフィールとの会話に笑っていたが、心臓はそれまでにないほど早鐘を打っていた。  
     
彼を完全に手に入れてしまったら、自分が完全に彼のものになってしまったら、それなしで  
生きてゆくことは出来ないだろう。  
人間とカテナがどれだけ違うかと言えば、自分がようやく大人の女になる頃、かれは寿命を  
迎える。その時を恐れながら、日々の小さな出来事に感謝して生きてゆくのかと、それが  
自分に出来るのかと問えば答えは否だ。  
彼がいなくなった後どうやって何百年も生きてゆくのか。  
遠い未来に来る別れをただ待つのが恐ろしく、いっそのことと自分の手で彼の命を断ち切って  
しまいたくなる。  
だから、こんな風に自分を怯えさせる存在はいなくなってしまえばいい。そう思って衝動的に  
やってしまうかもしれない。もともと我慢のきかない性格ということは自覚しているのだ。  
自分のすべてを受け入れて欲しいし、相手のすべてを手に入れたい。  
それは誰だって持っている欲求だ。  
ただ、身も心も愛し合った後、その時どうなるのか。  
 
より深い愛に気付くのか。  
絶望を知るのか。  
その状況になってみなければ分からないことに、いくら無謀な彼女でも賭けられるわけがない。  
 
常に正と負にぶれる自分の本心をもう何年も、ジュジュにしてはこれ以上ないほどの自制心を  
発揮して抑え込んでいたのだった。  
 
「あた……あたし、も……好き」  
こみあげてくる嗚咽を必死に抑えながら少年の言葉に答えた。  
フィールの手がジュジュの髪をさらさらと梳いた。  
こういう時はいつも黙って抱きしめていてくれる。それが彼女には嬉しく、申し訳なかった。  
そしてそんな彼が好きなんだとしみじみ感じて口が開いた。  
「フィール……あたし、あんたを殺しちゃうかもしれない」  
 
顔を押しつけてる部分が上下し大きく息を吸ったのが分かった。  
潤んだ瞳で見上げれば、驚きに目を見開いた彼と目が合う。  
「ジュジュ?それってどういう……」  
「お願い……あたしがあんたのことをその位好きってこと、知ってて」  
小さな手でフィールの頬を両側から包み込む。引き寄せれば素直に腰をかがめてきたので額に  
ちゅっと口付けた。  
涙の粒が重みに耐えきれず目の端からこぼれる。  
彼は何も言わず少女の濡れた頬を拭った。  
「あんたのことを考えてるとそれだけで頭がいっぱいになっちゃうの。でもあたしはそれが  
怖い。あんた無しで生きていけなくなっちゃったら、そうなるのが怖いの。だから」  
「だから……?」  
 
ジュジュは彼の胸にしがみついた。  
ありのまま話ているとやはり自分は異常なのだと思う。  
逃げないでほしかった。彼に縋りたかった。  
「そう。分かんない。分かんないけど……あんたのこと殺そうとするかも知れないって。  
あたしも本当は、あんたの全部が欲しいし、あたしの全部をあげたいの。でも、そしたらどう  
なっちゃうか分かんないから。本当はあたしだって」  
ひっく、としゃくりあげる。  
「あ、あたしだって……ガルムやドロシーみたいに……なりたい、のに……」  
「ジュ――」  
フィールの口を塞いでちゅ、と吸った後、顎の先端へも唇を落とす。  
彼はほんの少年だった数年前よりも大分がっしりと線が太く男らしくなっていた。  
それに比べてちっとも変化のない少女は少年――もう青年と言うのが相応しいだろう――の  
手を己の胸へ導いた。  
かつて彼の手が伸び、拒否した場所へ。  
 
やわらかい感触の下からジュジュの鼓動が伝わってくる。そこは壊れてしまわないか心配に  
なる程の速さで脈打っていた。  
 
少女の顎をつたってフィールの手の甲に滴が落ちた。  
「本当は求められるたびに嬉しかった。あんたはいつも真剣で、その気持ちを疑うことなんて  
一度もなかったもの。でもね、それでもやっぱり怖かった。あの二人みたいに乗り越えられ  
なかった……臆病なんだわ。だから自分の気持ちばっかり大事にして、あんたの気持ちを  
思いやることが出来なかったの」  
そして彼女はもう一度ごめんなさい、と言った。  
 
「本当はどうして受け入れられないのか分かってほしくて、でも……知られたくなくて。  
これじゃ振られちゃうとも思ったわ。そんなことになるなら全部打ち明けてしまえばいいとも」  
フィールは少女から手を取り戻し頬に手を添える。俯く顔をそっと自分の方へ向けた。  
ジュジュは逆らわなかった。  
「今まで、ずっと――?」  
目に涙をたたえたまま自嘲気味の笑顔を浮かべる。  
「――こんなことを何年もぐずぐず考えてたの。何も言わないで相手に我慢を強いて……  
今さらながらあんたに酷いことをしたと思う――こんなののどこがいいのかまったく理解に  
苦しむわ。それとも……もう、やめちゃおっか……」  
付き合いを続けるのを、だ。  
 
こんなのというのがジュジュ自身を指していることに、フィールはとんでもないと首を振った。  
「どこがなんてそんな……そんな所も含めてきみのことを大事に思ってるんだ。うまく言え  
ないけど……きみの笑顔が好きだよ」  
ジュジュは下を向いてしまった。  
泣いていたのとは別の理由で頬がさらに赤くなる。  
彼女の変化に気付かぬままフィールは正面の空間を見つめ、彼女に対して思うままを言葉に  
した。  
こういう時の彼は照れるということをしない。聞いている方が恥ずかしくなることがしばしば  
だった。  
 
「いつも元気がいいし、でも落ち込むときも半端じゃないけどね。そこも好きだ。時々口を  
とがらせて拗ねた表情をするけど、それだって僕には愛おしい」  
「ばかなことばっかり言って……」  
フィールの言葉にそれこそ照れた少女が脇腹をつねった。  
「いたた……僕は本気だよ」  
自分はジュジュが好きなのだと、自分を否定することはないのだと言いたかった。  
「……ん」  
フィールの真面目な声に頷いて、やっぱり悪かったとつねった所を撫でた。  
彼女にも分かっていた。フィールは上っ面の褒め言葉なんか口にしない。真実感じたこと  
だけを言う。  
馬鹿正直ねとよく言ったものだ。  
「きみの我儘も僕にとっては可愛いものでしかないんだ……時々度を超す時もあるけど。年々  
少なくなってるし」  
「なにそれ、褒めてるの?」  
正直すぎる言葉に重苦しい雰囲気から一転、思わず吹き出してジュジュは彼を見上げた。  
「もちろんさ」  
心外そうに答え、フィールはさらに続けた。  
「だから……自分のことをそんな風に言わないで。今度のことだって、打ち明けてくれたじゃ  
ないか。僕には言えないことだってあるだろうけど、悩んでいることがあったら相談して  
欲しい。だから……これからも」  
「これから……?」  
「うん。やめちゃうなんて言わないでよろしく――してくれる?」  
 
「〜〜〜っ!」  
にっこり微笑むフィールにジュジュは顔をくしゃくしゃにした。  
あんな異常とさえいえるような気持ちを告白したのに、彼は応えてくれた。受け止めてくれた。  
そう言ってくれたらいいと願っていたその通りに。  
小さく口を開けて、ぱくぱくと動かした後また閉じる。  
感極まって声が出なかった。  
     
「ねえ」  
ますます自分を強く抱き締めるジュジュに返事を催促する。  
「……する……して。あたしの方こそ……これから、もお願い、します」  
「うん……良かった」  
フィールは彼女が自分に向けてくれる気持ちを同じだけ、いや、それ以上返すように強く強く  
抱き締めた。  
 
 
少しして腕の中の少女が身じろぎした。  
フィールは腕の力を緩めて解放してやる。  
ジュジュは両手を自分の頬にあてて深呼吸をした。大分落着きを取り戻したようだ。  
「やっぱりなあ」  
「ん?」  
「泣いちゃった。この間から泣いてばっかり……もう、いつもはこんなじゃないのに」  
泣いてばかりいる自分が弱々しい女の子のようで本意ではないらしい。  
目元をこすっている。  
「たまにはいいさ。いつも強気なくらいだもの」  
「なによ、もうっ!」  
手を振り上げる彼女にフィールは笑いながら身をかわした。  
 
二人を包む空気がすっかり柔らかくなった。  
「ねえ、ジュジュ……」  
「なぁに?」  
「このためにわざわざ来てくれたの……嬉しいけど本当に心配なんだよ。もうレクスだって  
ないんだ。何かあったらさ。……さっき窓の外に声を聞いた時は心臓が止まるかと思った」  
「うん……ごめんね?」  
素直に謝るあたり本気でジュジュのおとないに焦ったのが伝わったとわかる。  
 
「いくらあたしだって本当ならこんな時間に訪ねてきたりしないわ。面倒くさい。ただ今回  
はね、あんたに話そうって決めたらいてもたってもいられなくなっちゃってさ。時間を置くと  
やっぱり話すの止そうかなって迷うだろうし。それに、ね」  
「うん?」  
フィールはひとまず安心した。真夜中の訪問は彼女自身もあまり好きではないらしいことに。  
それならあまりくどくど言わなくても進んで無茶をしたりしないだろう。  
「夜の方がいいと思って……ついでだし……ううん、ついでって言うんでもないけど……  
だから……」  
はっきり言わない彼女の説明をフィールはじっと待った。  
それに気付きジュジュは困ったように笑うと彼の胸元をつかんで自分の方に引き寄せた。  
耳元でなにやら囁く。  
 
微かな音がフィールの耳に届いた。  
「え……?」  
 
「もう一回言ってくれる?」  
思わず頼むとすでに一歩離れていた少女がぷいと横を向いた。  
「き、聞き返さないでよっ。二回も言えないわ!」  
怒ったように言う。いつもの彼女だ。  
「え……でも、だって……」  
ジュジュはそっぽを向いたままぎゅっと自分の腕を抱きしめている。頬が赤い。  
「だって……そんな」  
聞き返すなと言われてはっきり口に出来ずフィールは顔じゅうに疑問符を浮かべている。  
いきなりあんなことを言われたら確認したくもなるというものだ。  
 
『この間の続き、しよ。もう嫌がんないから』  
 
フィールは彼女の誘いを手放しで喜んだりしなかった。かえって胸が痛んだ。  
きっとこの間のことを自分が我慢させていたせいだと気にしているのだろう。  
     
彼は少女の申し出に頭を振った。  
「ジュジュ……いいんだよ、そんな無理しなくても。理由を話してくれただろう?僕は――」  
まだ待てるよとそう言いかけて、だがその言葉は遮られた。  
ぴしゃんと頬を叩くように両手で挟まれる。  
少し下にある彼女の顔は少し怒っているようだった。  
 
「あんたさ、あたしが冗談で言ってると思ってる?」  
「う、ううん」  
顔を挟まれ不自由ながらゆるゆると首を振る。  
「じゃあ、この間のこと、気にして言ってると思ってるの?」  
「……うん」  
いたたまれなさに目を伏せる。  
途端に頬にある手がそこの肉をぎゅうと掴んだ。  
「ひ、ひたひよ……!」  
不自由な口で抗議の声を上げる。  
実力で引き剥がさないのは彼女の言った通り、この間自分がしたことに罪悪感をもっている  
からだ。  
 
およそ容赦と言うものがない力の入れようだった。  
だがジュジュには手加減する理由がない。  
こんな場面であんな台詞を言った女に念を押す、それがなんとも無粋で腹立たしかった。  
最後に思い切り強く左右に引っ張って手を離した。  
「あんたって本当に鈍いわね!ちゃんと人の話聞いてたの?」  
「ってて……聞いてたけど……?」  
顔を解放されて痛みを和らげようと撫でながらジュジュを見た。  
「あれは本当に無理やりだったわ、それは確かにあんたが悪い。でもね、そんなことになる  
原因を作ったのはあたしだし、言ったでしょ?――ぜ、全部あげたかっ……って」  
途中までは確かに怒っていた目が恥ずかしげに視線をずらす。  
「――!やだ、もう、ばかっ!!こんなこと何度も言わせないでよ!」  
またも自分らしくない態度に照れてジュジュは拳を振り上げた。  
 
咄嗟に目を閉じたがいつまでたっても手は降ってこない。  
そっと相手をうかがうと、ジュジュは数歩離れたテーブルの側に立っていて、そこには彼女の  
持ってきた手燭が置いてあった。  
寝るつもりだったから部屋の燭台はすでに消してあって、今はそれだけが室内を照らしている。  
「ジュジュ……」  
少女はそれを持つとちらとフィールに目をやった。怒ったように照れたように頬を染めたまま。  
彼女が手燭のかさを持ち上げてふう、と火を吹き消すとあたりは闇に落ちた。  
 
 
いきなりのことに目が慣れず彼女がどこにいるのか見えない。  
「ジュジュ?」  
まだそこにいるのかと思いそれでも深夜のこと、小さな声で名前を呼ぶ。見えるわけでもない  
周囲に視線を泳がせると、そっと手を握ってくる温かいものがあった。  
それを握り返し引き寄せる。  
力のままにとん、と彼女の体が腕の中におさまった。  
 
フィールはしばらくそのままでいたが、いつまで経っても胸の動悸は治まりそうになかった。  
それどころか早くなる一方だ。  
手を引かれるまま、自分の胸に顔を埋めた少女もそうなのだろうか。  
どんなに緊張してるのか、心臓の音が彼女にすっかり伝わっているだろう。  
「あの……本当に……?」  
この状況で何といっていいか分からず、叱られたにもかかわらず彼は問いを重ねた。  
「ん……」  
 
 
ジュジュは広い胸に抱かれながら、結局自分は誰かに背中を押して欲しかったのだと気が  
付いた。  
堂々めぐりの思考を断ち切って、出来ることはやってみろと誰かに言われたかったのだ。  
     
『どうしたって後悔するに決まっている』  
 
ガルムの言葉は彼女にとって青天の霹靂だった。  
同じことを考えていたというのに、だからこそ行動するのだと彼は言い、ジュジュはだから  
何もしたくないのだと思っていた。  
思い悩む彼女にとって彼の話は天啓と言っても過言ではなかった。  
ジュジュの最も欲しい言葉を言ってくれたのが、彼女が最も苦手にする相手だったというのは  
不思議なものだ。  
 
小さな小川の前で足踏みしてしまうような心もとなさ。  
渡った後に見える風景を見てみたくて、でも長い間、そのたった一歩が踏み出せなかった。  
フィールと一緒に季節を歩んで行きたかった。  
一歩。  
たった一歩踏み出せば景色も変わり、季節も夏に変わるだろう。  
ゆったり移ろいゆく季節を――緑の眩しい夏も、実り豊かな秋も。そして、厳しく悲しい色を  
した冬も――共に眺めると、心に決めたのだ。  
衝動に流されそうになっても来た道を振り返れば今までの思い出が見えるはず。  
 
 
フィールは彼女の耳元に顔をよせ、さらに言葉を継いだ。  
「こんな……途中で止めてって言われても、聞けないよ?――それでも?」  
少女はただこくんと頷いた。  
 
フィールの手が動く。  
互いが見えないから、囁く声、触れる感覚だけが相手を知る手がかりだった。  
指先が少女の頬に触れ、顎の輪郭を下へと辿ってゆく。顔を上向けるとそこに唇を落とした。  
そっと触れ、離れる。何度も何度も、角度を変えてはただ触れるだけのひそやかな口付け。  
体を離すとフィールはため息とともに呟いた。  
「キスするだけでこんなにどきどきするなんて……」  
「うん……緊張、する」  
 
心臓が壊れそうなほどの鼓動はまるで初めて手をつないだ時のような。  
 
もう一度かたく抱き合う。  
はあ、とフィールが息をつくのがやけに大きく聞こえた。  
 
 
     
   〜つづく〜  
 

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