「やれやれ……」  
酒屋の背中を見送って私は店の扉を閉めた。  
 
 
慌ててフィール君の家から帰って来た時、酒屋の主人はちょうど留守だと諦めて帰るところ  
だったという。  
私が見たのは彼が馬の首を返しているところだった。  
あんなに焦ったことは最近ない。  
 
主人に駆け寄って留守を謝罪したが、当然機嫌を悪くしただろうと思った。  
しかし意外にも彼は一山越えての道のりが無駄にならなくてすんだと笑って許してくれた。  
以前より私に対するあたりがやわらかくなった気がする。取引を重ねたことによって多少は  
打ち解けてくれたということだろうか。  
 
店の入口を入ってすぐの場所に木箱が五つ、積み上げられている。  
この村はもともと人口の多い方ではない。となれば自然、客の数も消費される酒の量も知れて  
いるというもの。それでも開店当時に比べれば酒屋との取引の頻度は増えているし、客の数も  
しかり。  
御使いの脅威がなくなったことが人々の心を健やかな状態へ向かわせているのだろう。  
逃げ隠れせずに済むから田畑の面倒をきっちり見ることが出来る。その結果村全体の生産量も  
あがり、人々の生活にゆとりが出てきたのだ。  
そうなれば嗜好品への需要も少しずつ増えるというもの。  
 
自然と口元が緩む。  
少しずつだが経営が上向きになってきたことに満足を感じる。  
常に酒を扱っていられること、そして自身の生活への安心を得たこと。なによりそれが人々に  
平和が戻ってきたことを示すからだ。  
 
すでに検品の済んだ品を休む間もなく棚に並べていく。空箱を店の裏に出してから、やっと  
人心地がついた。  
隙間なく瓶の並んでいる様子にはうっとりする。やはりこうでなくてはならないと、私は  
自身の仕事に満足した。  
 
「ふー……」  
肩を回しながら店から自室へと続く扉をくぐる。  
真っ直ぐ台所に向かい水差しから椀に透明の液体を注ぐと、動きっぱなしだった体に水分を  
補給した。  
立ったまま一息に飲み干すと思わずため息がもれる。  
「久し振りに走ったからな……運動不足か」  
OZであった頃と違い、こういう仕事では滅多に走ったりなんだりということはない。徐々に  
失われてゆくだろう体力に何か運動でも始めるべきだろうかと真剣に考えた。  
しかし体力をつけるという目的のために運動するのは何か腑に落ちないものを感じる。日常  
生活で何らかの手段を探すべきだろうか。  
「……」  
とりあえずは現状維持でも大丈夫か。  
 
面倒な考え事は後にして、私はもう一杯水を飲むと洗濯や掃除など、日中の仕事を済ませる  
為に脱衣所に向かった。  
     
この晩はレオンもガルムも飲みには来なかった。  
ガルムにしてみれば秘すべき事柄を無理やり聞きだされ、足を向けたくなかったのだろう。  
気持ちは良く分かる。  
レオンの方はきっとアルミラに説教でもされているに違いない。彼女はレオン個人には  
おおらかだが、誰かにかかわることとなると教師のように、あるいは親のようにうるさい  
ところを見せる。きっと無断で外泊したこと、そして予告なくフィールの家に泊ったことに  
ついて厳しく言い聞かせているのだ。  
そして本人は『悪かったよ』と平謝り。  
好き勝手しているようで、本当はレオンは彼女に頭が上がらないのは周知の事実。  
その有様が目に浮かぶようで寝台に一人横になりながらつい笑ってしまった。  
 
それにしても今日は朝から疲れる一日だった。  
ごろりと寝がえりを打つ。  
「……」  
ふと戸締まりについて不安を覚えた。  
いや、きちんとしたはずだ。だが店も裏口も、いつも流れで鍵をかけるので半ば無意識の  
行動のせいか、時折こんな風にどうだったかと心配になるのだ。  
「……」  
大丈夫だろうと目を閉じたがやはり気になる。  
このまま悶々としていても仕方がないので私は諦めて寝台を降りた。  
部屋履きを履き店へ向かうと住居部分と繋がっているカウンターの内側から出て、壁際に行く。  
窓という窓、そして店の扉が確かに締まっていることを確認してようやく安心した。  
戸締まりや火の始末というのは一度気にしてしまうとはっきり思い出せることが少ない。  
ぐずぐず思い悩んでいるよりさっさと見に行っていしまった方が精神衛生上良いのだ。  
 
そして再び横になってしばらく、とんとんと控え目に訪問を知らせる音が聞こえた。真夜中  
だからと気を使っているのだろう。  
裏口だ。  
こんな時間の来客だが、相手が誰かは見当が付いている。  
私は眠気を払って再び寝台を降りた。  
 
 
「どうぞ」  
扉を開き中へ招き入れる。  
先に立って寝室へ入り彼女を座らせると、棚から葡萄酒と酒杯を二つとった。寝台の手前に  
あるテーブルに置き二言三言交わしながらそれを注ぐ。  
彼女は短く礼を言って受け取り、小さく乾杯をしてそれに口をつけた。  
赤く輝く液体はいつ見ても美しい。私にとっては宝石より貴いものだ。  
 
余程うっとりしていたらしい。彼女はしみじみとこちらを見て『本当にお酒が好きなのね』と  
呆れたように言った。それでも『私とどちらが……』なんていう定型的な質問をしてくること  
はない。  
微笑む彼女の唇も美しく、私は目を細めてそれを眺めた。口腔を満たす香りに勝るとも劣らぬ、  
雨の中にきりりと咲く花のような。  
葡萄酒と違うのは濡れた赤味が男の情欲をそそるというところだろうか。  
 
隣どうしに座り他愛のない話をしては口付けを交わす。向こうもそのつもりで来ているから  
今さら嫌がるようなことはなかった。  
そして互いの身に着けているものを脱がせ合って性欲を満たすためだけの行為に及ぶ。  
寝台の上で身動きするたびに下から甘やかな吐息が聞こえた。  
酒に酔うように、互いの与えあう快感に酔う。鼻をくすぐる汗の匂いすら、相手の魅力を増す  
要素に過ぎない。  
美しい体と惜しまぬ奉仕。機会を得るのは彼女の気まぐれによるものだが、私に文句のあろう  
はずもなかった。  
     
彼女はその後私の腕の中でしばらく休み、夜が明けぬうちにと帰って行った。  
暗いから送って行こうと言っても人に見られたら困るからと頑なに拒む。それもまた、いつも  
通りの会話だ。  
 
裏口にもたれ、彼女の姿が遠く藍色に溶けるのを見届けると、私は再び寝室に戻った。  
置いたままの酒杯にもう一杯注ぎ窓際に立つ。  
東の空はすでに薄紫から水色へと変化を遂げている。  
夜明けだ。  
灯りなど必要ないといつも言っていたが、彼女は無事家に着いただろうか。  
 
薄く笑って酒杯に口をつける。適度な運動の後は喉が渇くのだ。  
こんなことを言ったら怒られるだろうが。  
 
レオンやガルムはいい相手はいないのかと訊いてくる。だが、特定のパートナーではないが、  
こうして時々会う相手はいるし特に不自由は感じていない。  
彼女が求めているものは快楽と背徳感なのだろう。  
互いに特別な感情を持たない割り切った関係、それに不満はなかった。  
 
そんなことを考えながらさらに酒杯を傾ける。一人の時は何かしら考え事をしながら飲むのが  
癖になっていてつい飲み過ぎてしまう。だが今は純粋に喉の渇きを潤したかった。  
一杯だけと中身の残った瓶に栓をして棚へ戻す。  
ふう、と行為後の気だるさに一つ伸びをして寝台へもぐった。  
 
 
レオンに独り寝は慣れていると言ったのは本当のこと。私はこの部屋で誰かと朝を迎えた  
ことがない。  
ただ、今は決まった相手を求めるよりも、酒場の店主として店の経営を考えている方が楽しい  
のだ。  
こんなことを言ったらレオンにはまた呆れられるだろうが。彼は誰か紹介しようかと身を乗り  
出してくるだろう。案外世話焼きなところがある彼には時々閉口させられる。  
怒りっぽいところがあるがおおらかと言えばおおらかな男だ。少し年配の女性のようなところ  
もある。  
それこそ怒るに違いない、言ったりはしないが。  
 
私は苦笑いをしつつ燭台の灯りを吹き消した。それが必要ないほどすでに室内は明るくなって  
きている。  
私は差し込む光から逃げるように掛布を引き被った。  
 
 
  〜おしまい〜  
 
 

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