私の心と同じようにたよりない灯りが室内をかろうじて暗闇から引き離している。だがそんな  
寝台の端まで届かない光でも、今の私にはそれで十分だった。  
ただこの少女を照らしていてくれれば、それで。  
 
下を見ずに途中まで脱がせていた寝間着を引き下ろす。ゆったりしてやわらかな素材のそれは  
音も立てずに寝台の脇に落ちた。そしてもう一枚。女の子らしい桃色の生地が目の端に映った。  
裾から手を滑り込ませ膝の上へ向かう。掌を大腿に這わせれば若さに溢れいつまでもさすって  
いたくなるようなみずみずしい肌に気が逸り、下肢を覆う布きれをさっと奪い取った。  
全く、我ながらどれだけ即物的なのかと思う。上から順にではなく先に一番大事なところを  
脱がせるなんて。  
膝上丈の下着は襟ぐりが大きく開いて鎖骨を露出している。抱きしめればふわりと押し返す  
体だが、そこは燭台の灯りで影が映るほどくっきりと浮いていた。きっとこれを脱がせれば  
ほっそりとした体が現れるのだろう。  
 
橙色に染めるともし火にも彼女の頬が上気しているのが分かる。  
表情の全てが知りたくて額に散る髪を脇によけると恥ずかしくなったのか、こちらをじっと  
見ていたすみれ色の瞳が閉ざされた。そしてほわ、とさらに頬が濃く色づく。夕日を頬に  
いただいたと思うほど赤く、熱くなり、その反応があまりに可愛らしくて瞼の上にまた  
口付けた。  
すると彼女はまつ毛を震わせ窺うように私の顔を見上げた。  
小さな唇、薄く開いた場所を指先でなぞると反射的にかやはり閉じてしまう。指を差し込む  
ようにして唇を開かせると、自身の唇を重ねた。  
「ん……」  
歯はきちんと並んでいて端からそろりとなぞってゆくのも心地良い。小さいからあっという  
間に反対側にたどりついて、そのまま裏側まで舐めた。口内のぬるついた感触に素のままの  
彼女を感じて嬉しくなり、遠慮がちにしている小さな舌にちらちらと誘うように触れては  
反応に困るのを楽しんだ。  
 
視線が交わるたび彼女が微笑んでくれるのは私を安心させるためだろうか。考えても分から  
ないことは頭から締め出して顔から顎へ、さらに喉へと唇を落とす。噛みつくようにしては  
舐めて、きつく吸っては点々としるしを残した。  
今まで誰と寝た時もこんな感覚に陥ることはなかったが自分にそれだけ余裕が無いということ  
だろうか。気を抜いたら彼女への気遣いすら置き去りにしてこの華奢な体を貪ってしまいそう  
だった。  
 
腰でゆるく結ばれている帯に手を伸ばすとそれを察したのか少女の胸が大きく上下した。  
それでも彼女は何も言わない。  
帯をほどいて裾をたくし上げる。  
「手、あげて」  
耳元に囁くと彼女は私の言う通り脱がせるのに合わせて腕をあげた。ばんざいのかたちにして  
下着を脱がせると、最後に長い髪が服からこぼれた。薄金色の髪は華奢な肩に、胸元にと流れ、  
腕や脚で体を隠そうとする姿が年にそぐわないほど彼女を艶めかしく見せた。  
 
寝巻きと同じように薄手の下着も寝台の下に落とし、彼女の体を覆うものはもうなにもない。  
全裸の彼女に比べ私は下ばきは穿いたままで上半身は裸とはいえ包帯に包まれている。  
乾きかけているはずの傷が、片手で自重を支え力が入っているせいかちょっと身動きした  
拍子にも痛んで動きを慎重にした。  
だがその感覚にも徐々に慣れてきてしまっている。  
慣れたと言うより人恋しさに自身を駆り立てるものが、痛みを霞ませているだけかもしれな  
かった。  
 
露わになった体を顎から喉を人差し指でなぞる。  
左から右へ、鎖骨の陰影にそって舌を這わせたいと思うのは男にとって自然な衝動だろう。  
指先が胸の間を通るときに少し身を縮めたようだったが、腹部のくぼみを過ぎて大事な場所の  
手前まで指を止めなかった。  
掌を落とすとなめらかな肌にも一糸も纏わぬ寒さ故か緊張のためか、肩も腕も、胸すら  
わずかに粟立っている。  
     
それこそ自分の肌と触れ合う感触に慣れて欲しくて、彼女をぎゅっと抱きしめた。  
こんな成り行きでもひどくするつもりはない。怖がって欲しくなかったから。  
 
口付けをはえ際に、髪にと繰り返しながら手は勤勉に動いている。肩を撫で、腕に触れ、指と  
指をからめてはその先にも唇を落とした。  
ふつふつと立つ鳥肌に、最初の触れた時の滑らかさに戻るかと掌をそっと彼女の胸に這わせた。  
ただやさしくと心に念じて揉み上げる。  
丸く盛り上がったやわらかな肉。片手で髪を撫でつつもう一方は胸の先端を摘み、弾いた。  
「……あ、っ」  
舌先で硬くなった部分を転がしては唇で圧迫する。そのたび彼女は息をつめ、私は敏感な  
反応に満足してさらに手を動かした。掌に吸いつくようなみずみずしい肌はまるで男を  
知らない乙女のようだ。  
 
以前、最初の印象よりも若いと思ったがそれは顔だけでなく全身についても言えることだった。  
腰回りや大腿にはまだ成長の余地があり、それに比べて細すぎるくらいの腕が拠り所を  
求めてか私の首へと回された。だが裸身に引き寄せるのを照れているのかぎゅうと抱きしめる  
ようなことはない。  
少々の寂しさを感じながら私は手をくびれへと回しさらに下へ動かした。白い丘陵は感動的な  
までの柔らかさを弾力をもっていて、両手で弄ぶうちにより彼女の近くへ行きたいと思い  
始めていた。  
 
大腿へ、その内側へと掌の感触に慣らし、さらに足の付け根へと滑らせた。  
真夜中に全裸で触れ合う二人、彼女の呼吸が落ち着いたのを知って私は秘密の場所へ手を  
伸ばした。  
瞬間小さく身動きしたがそれには気付かないふりをして指先を下へおろした。  
なんとなく感じていたのだが、やはりと思う。彼女は全体に体毛が薄いようで、その場所も  
例外ではなかった。  
 
どうだろうと多少不安に思ったが、指が閉じた部分へ分け入るとそこは私の愛撫で十分潤んで  
いた。  
そっと動かせばぬるりとしたものが指先にまとわりつく。彼女の表情を見、声を聞いていれば  
分かるが、それでもはっきりと表れた女の反応に安堵した。  
意識は指先へ、視線は無意識に少女の喉のあたりにいっていたが、肩を掴む手に力が入るのを  
感じて顔を前に向けた。  
見れば眉をひそめ私を見ている。その濡れた瞳と言ったら、こんな風に視線だけでこちらを  
昂らせる相手は今までなかった。  
 
そこにある突起に触れると脚が閉じようとした。もちろん間に私がいるからそんなことは  
出来ないのだが無意識の反応だろう。  
彼女の愛液で濡れた指で、くりくりとそこを捏ねてやる。と、腰が逃げそうになったのに  
のし掛かるようにして彼女をつかまえた。  
「ぁ……っ、あ」  
声をあまり出さない人なのか、それとも感じて――いないわけではない、と思いたい。  
時折り小さな喘ぎが吐息に混じる。  
入口をそろりと撫でると秘唇のさらに深く、奥へとゆっくり指を沈めていった。  
 
私は焦っていたのかもしれない。本当はもっと丁寧に愛撫するべきだったのかも。  
そんなことを心の奥で考えて、だが指先に感じる粘液の感触に、逸る自身を抑えることが  
出来なかった。  
中をほぐすのもそこそこに、下ばきを緩め脱ぎ捨てる。  
いきり立ったものをほころんだ場所へと押し当てた。  
途端彼女が一段と大きく体をすくませる。だが逃げようとはしない。というより、紅潮した  
顔にもほんの少しおびえが見え、彼女は逃げぬよう努めているように見えた。  
 
「――……」  
突然ある可能性に辿りつき、私は一瞬動きを止めた。  
     
まさか。  
まさか彼女は――まだ、蕾なのだろうか。  
 
「君……まさか」  
乗り出して言いかけると小さな手が私の口を塞ぐ。  
何を言おうとしたのか察したのだろうか。じっと私の顔を見つめて、それから首を横に振った。  
まるで『何も言わないで』というように。  
 
まさか、と。  
人間と我々カテナは寿命が十倍も違うことは分かっていた。だが――考えが足りないと  
言われればそれまでだが――カテナは彼女ほどの年になると(外見上の年齢で、だが)多くの  
者はすでにある程度の経験を済ませている。  
だから、その可能性を考えていなかった。  
何よりいくら気の毒だからと言っても、経験のない乙女が身をもって男を慰めてくれるなどと、  
誰が思うだろう。  
筋道だてて考えたわけではなかったが、無意識に彼女は経験済みだと思っていたことに、  
そしてそんな彼女が私を受け入れてくれたことに私は愕然となった。  
 
だが胸の中に去来する思いとは裏腹に、下半身に凝る衝動が私を止まらせなかった。  
この期に及んで経験の有無を言っても始まらないと追及を避ける彼女に甘えて、というより  
も、その事実を頭から締め出して、再び彼女に集中した。  
 
ぐっと腰を進めると細い腰がしなる。  
もっと丁寧にすれば良かった。やさしく、やさしくすれば良かった。  
女体と交わる感覚に恍惚としながら後悔を覚える。  
痛みにか彼女の脚に力が入り、くっと伸びるのを感じた。眉根を寄せている顔に何度も口付け  
脚を撫でてやる。辛さを少しでも和らげてやりたかった。  
 
突き当りに辿りつくと彼女の肩口に顔を落として大きく息をついた。  
本当に疲れているのは少女の方だろうが。  
細い腕を辿ると敷布を強く握りしめているのに気付き、自分の肩へともってきた。  
「ここに置いておいて」  
そして抱きしめて欲しいと甘えたことを言ったら、こぼれるような笑顔を見せてくれた。  
「でも傷口には触らないようにすればいいのね?」  
「出来れば」  
そう答えると彼女は両手を背に回して抱きしめてくれた。私からも同じように両手を回す。  
もう少しこのままでいればいい。彼女の中が少しでも慣れるまで。  
 
彼女も本当は口を利くどころでは無かったのかもしれない。互いに沈黙したままただ抱き  
合っていた。  
 
暫くして囁くような声がした。  
「ね」  
「うん?」  
「あの……う、動いても……もう」  
さすがに直接的すぎて恥ずかしいのか言いつつ顔を横に向けてしまう。  
本当はもう少しこのままでも構わなかったのだが、言葉に甘えてほんの少し体を引いた。  
実際動かなくても挿入したままのものは萎える気配はなく、これが本能のせいか相手が彼女  
だからか、私にはよく分からなかった。  
 
もう一度腰を寄せる。  
彼女の中は私にぴたりと吸いついて離れない。体をゆっくり前後させると少女が小さく声を  
もらした。だが表情と言えば額に薄汗を滲ませながらも励ますよう微笑みかけてくる。内心  
臆したのが分かってしまったのだろうか。  
平気なふりをして(これは彼女のほうこそ、だろう)唇を啄ばんだ。  
それでも彼女との行為を止めることが出来ない。  
そんな自分があさましいと思ったが、自身への感想をわきに追いやってなお動きたくなるほど  
彼女の姿は可憐で扇情的だった。  
     
「や……あ、っ」  
何度目か中を抉るよう強く腰をぶつけると濡れた膣内、襞に擦れるのに体の奥から知った  
感覚が押し寄せてくる。抗えない、大きな波に頭の中が真っ白になる。  
「くっ……!」  
私は衝動に流されるまま、彼女の中を自分の欲望で満たした。  
 
 
彼女がカテナだったら多少は気を使ったのだろうか。だが私達の行為に妊娠の可能性は欠片も  
なく、遠慮する必要がない。  
 
この頃にはもはや行動の理由は寂しさだけでなくなっていた。  
彼女の肢体は私の本能を誘惑してやまない。  
 
達しても一向に萎える様子のない自身に美しいくびれを抱え直すと、再度抽迭を始めた。  
繋がった部分からは密着し擦れ合うのに合わせて隠微な音が聞こえる。  
「ぁ……あ、待って……」  
下から小さく制止する声があがったが私は聞かなかった。  
繰り返し突き上げるたび彼女の体が弓なりに反る。  
顔をそむけ、声を抑えるためか口元を手の甲で隠す彼女の、なんと美しいことか。抱きあう  
女性がこんなに神秘的なものに見えたのはこれが初めてかも知れない。  
 
力任せに彼女の腰を抱き上げると腿の上に乗せるように抱えこんだ。  
「きゃ……っ!んん……っ」  
私は寝台の上に半ば膝立ちになりながらうろたえる彼女を引きよせ口付けた。  
後ろからこの白い背中を眺めるのもいいだろうが、向かい合っての行為だと口付けが容易  
なのがいい。  
「あっ、あの……ン……ッ、ぁ……」  
やり場のない手を私の肩に回してくれたから、私は両手を彼女の大腿にやり再びゆっくりと  
ゆすり上げた。  
しがみつく少女のあえぎ声が耳元に響く。  
先と違う体位で突き上げられるの感触にやはり腰が浮いたが、私も後ろから彼女の肩に手を  
回して離さなかった。  
脚が私を挟む姿勢になったが私が腰を動かすたびに緊張し力が入るのか、中にいる私をきつく  
締めつけてきた。  
 
何もかもがたまらなかった。  
貪欲に唇を重ねればおっとりと絡めてくる彼女の舌の動きも、中では締めつけながら逃げ  
ようとする体も。  
終わりが見えてきて大きく彼女を突き上げる。  
「んっ……」  
揺するたび大きな胸が私の体を撫で、下半身に滾るものが私を扇動した。  
ひと際強く突き上げる。  
貫く先から快感が駆け抜けるのに私は裸身を強く抱き締め背筋を震わせた。  
 
「はぁ……はぁっ……」  
続けての絶頂を迎え、さすがに私も肩で息をした。  
彼女には何が何だか分からなかったかもしれない。愛撫に対する反応はあっても声音には  
なんとなく不安の色を感じたから。  
繋がりを解くのは名残惜しかったがここまでしてもそれ以上自分本位にはなれなかった。  
一方的な思いやりだと言われるかも知れないけれど、彼女にも同じような感覚を味わって  
欲しくて改めて彼女の首筋に唇を落とした。細く白い喉元にちゅ、と音をたてて跡を残すと  
舌先でなぞるように下へ下へと舐めていった。  
両手は量感豊かなふくらみの上にあって、麓からつんと上を向いた場所まで余すところなく  
撫でては捏ねる。  
「は……」  
小さな唇からもれる吐息に陰影が混じると、私は再度そこへ舌を這わせた。  
     
桃色に尖った場所にきり、と噛みつくと彼女が肩をすくめるのが分かった。最初はそっと、  
だが徐々に強く。何故だか半ば彼女を試すような気持で立てる歯に力を加えていった。  
口と言うのは自分で思うより大分力のある器官で、なのにまだ嫌がらないのかとこちらが  
心配になる頃、ようやく彼女は声をもらした。  
「ぁ……!」  
それでも私を責めるようなことは言わない。切なげにまつ毛を震わせて問うような眼差しを  
向けるだけだ。  
 
あまりにも控えめな態度に私は急に己の行為に罪悪感を覚え、彼女の耳元で謝罪の言葉を  
述べた。  
彼女は頷くでも首を横に振るでもない。潤んだ瞳が映っているのは私の顔しかなく、だが何を  
思い何を考えているのかまったく分からなかった。  
分かるのはそれでも私を拒否してはいないということだけ。  
 
赤く歯形のついた場所にもう一度舌を這わせると、自分が傷つけた部分を丹念に舐めた。  
 
もう片方の乳房に左手を置く。さっきの反省も兼ねてひたすらにそっと、やさしく揉み上げる。  
張りのある柔肉は掌の中でさまざまに形を変えた。  
肌と言う肌、指先に感じる彼女は若さに溢れていた。  
 
背中に手をまわせばかすかになぞっていく指の動きに敏感に身動きする。知らず知らずの  
うちに微笑みを浮かべているのに気付き、慌てて再度顔を雪のような肌の上に落とした。  
腰の下へさらに手を進めれば曲線も滑らかな臀部に至る。  
腿の付け根から持ち上げるように、あるいは横から尻朶を寄せるようにする。小さめの丘は  
すべすべしていてその感触に私はうっとりとなった。  
 
指先が新たな場所に触れるたび、身を縮め、眉をひそめる。  
その度に口付けを交わし並びの良い歯をなぞり、赤く濡れた唇を吸った。  
 
これはすべての御使いに言える感覚だと思うが、御使い時代は人間を行為の対象に考えること、  
同じ姿かたちをしていてもその発想すらなかった。  
もうずっと昔、お伽話に人と恋に落ちる御使いの話を聞いたことがあったが、それも我々に  
とっては獣と恋をするようなもので、本当にただの夢物語でしかなかった。  
だが今考えてみればそれは神々が現れる前に真実あったことなのかもしれない。人間への  
差別意識さえなければ種族を越えて愛し合うことが出来ると、先人達は知っていたのだ。  
「ふ」  
「え……?」  
「なんでもない……なんでも」  
「でも、ん……っ、あ、……ぁ……ん」  
思わずもれた笑みに目を眇める少女。何か言いかけたのになんでもないと首を振って口を  
塞いだ。  
最中に何を埒もないことをと我ながらおかしくなった。が、でなければ行為に夢中になって  
しまいそうだった。夢中になってこれ以上自分勝手にこの少女を抱くことを避けたかった。  
 
小さな手がやってきて私の視界を塞ぐ。  
「見ないで……」  
舌を這わせていても自分を見上げてくる私の視線に照れてしまったのだろう。  
可愛らしい声に目がゆるむ。  
「恥ずかしい?」  
「ええ……恥ずかしいわ」  
そう答えるのもやっとの恥じらいぶりに、私は身を乗り出して枕もとの燭台に息を吹きかけた。  
もともと小さな火は簡単に消え、灯りがもれぬ様窓もしっかり閉ざされた部屋のこと、辺りは  
星の明りさえ見えぬ真の暗闇に染まった。  
 
これでもう彼女のかたちを知るのはこの手と記憶だけだ。  
見えなくなったものの居場所を確認するように髪を撫で、頬を撫で、口付けを交わす。  
「……っ、ん……ふぁ……」  
     
鼻が悪いわけではない。だがこの時までその香りに気付かなかったのは余計なところに神経が  
行っていたからだろうか。  
彼女の体からほのかに漂ってくる甘い香りに気付き、くん、と匂いを嗅いだ。  
「甘い香りがする」  
「え?……あぁ、お昼に居間に花を生けたの。それかしら」  
暗闇に聞こえる声は密やかで可愛らしい。だが下から香ってくるのはそれを包み込んであまり  
ある程の濃厚な花の香だった。瑞々しい緑の匂いもする。  
吸う息から胸の中まで染めてゆきそうな甘い空気に頭がしびれるような気がした。  
 
見えないのを良いことに、下方に体をずらすとほっそりした腿を持ち上げた。  
はっきり映らなくても私に対してあからさまになった場所。そこを撫で、つぶと指先を埋める。  
ほんの入り口だが普段は触れられぬ部分のこと、彼女はたちまち脚を閉じようとした。  
「駄目……閉じないで」  
しんとしているせいでつい声をひそめてしまう。  
静寂の向こうに迷っている気配を感じたが私はそれこそ躊躇いなくそこに顔を寄せた。  
陰核をついばみ、舌先でくすぐっては唇でやわやわと揉む。  
「やっ……駄目……!」  
上に逃げようとするのに大腿を抑えつける。秘裂に差し込んだ指で内壁を探った。  
「あっ、あっ……あ、いや……!」  
切れ切れに声を上げるが手を休めたりしない。徐々に喘ぐ声が切なげなものへと変わって  
いくと私は突起をしゃぶっていた舌をずらした。  
くっしょり濡れた所を片手で開いて秘所の入口を舐める。  
「駄目……おねが……」  
最後まで言えない台詞にも首を振る。  
「力を抜いて」  
それだけ言うと愛液で満たされた場所を舌で遠慮なくねぶった。  
いやらしい水音に混じって上の方から短く息をつくのが聞こえる。少しして彼女の体から力が  
抜けたのを知ると手を豊かな胸に伸ばした。  
二か所を同時に弄られ持って行きようのない手が胸を這う手に重なる。  
ぎゅっと握られるのと、彼女の腰が震えるのは同時だった。  
「ぁ……っ!」  
彼女の反応に満足し心の中でため息をついた。  
そして自分の愛撫で達したことに自身が思った以上に喜んでいることに気が付いた。  
 
濡れた口元を手の甲で拭って耳元に顔を寄せる。  
「疲れた?」  
「つ……!?」  
髪を撫でるとふいと横を向かれた。  
「あ……そ、それは疲れたわ。私……頭がおかしくなるかと思った……嫌だって言ったのに……」  
最後には本気で責めるような物言いに、ただ一言ごめんと謝った。  
一言しか言えなかったのは嬉しくて口元が緩んでいたから。  
どもりつつも答えてくれる彼女がとても愛おしくて抱きしめた。  
柔らかい体がとても心地良かった。  
 
不意に少女が口を開いた。  
「寒いの?」  
「え?」  
「震えてるから……」  
そうまで言われてもまだ自覚はない。  
抱きしめる手に力を入れ過ぎたのだろうか。  
背中を小さな手が動いた。包帯越しにも彼女の掌はとてもあたたかく感じる。だが傷の上を  
撫でられたのにはつい声をもらしてしまった。さすがに直接傷を刺激されるのは辛い。  
「ッ……!」  
「――ご、ごめんなさい……!」  
焦ったのを見ると彼女もうっかりしてのことだったのだろう。  
「いや、大丈夫」  
     
平然を装っても微妙な声色は隠せない。  
彼女は何かに気づいた様に目を見開いた。  
「あ……もしかして傷のせい……?熱が?」  
震えの原因が怪我から来る熱のせいだと思ったらしい。  
「いや、熱はないよ。大丈夫」  
手当てをしようというのか腕から抜け出そうとしたのに私は首を振った。それが理由でない  
ことだけははっきりしていたから。  
少し下にある彼女の頬に自身のそれをぴったりとくっつける。  
「ほら。熱なんてないだろう?」  
だからといって原因が分かるわけでもなかったから緊張してるみたいだ、と笑いかけた。  
「それなら一緒だわ」  
ほっとしたようにやさしい声が返ってきて、なんて正直なんだろうと胸がじんとした。  
 
 
互いに少し息が上がっていたからと抱き合っったままでいるうちに私はすっかり眠りこんで  
しまった。  
考えてみれば戦闘のあった夜、それも怪我を負った後の行為だ。ちょっと気を抜けばそうなる  
のは当然のことだったと思う。  
疲労の蓄積に体は相当参っていたのだ。  
それでも夜が明けぬうちに目覚めてしまったのはなんとなく、落ち着かなかったからだろうか。  
 
 
「ん……」  
寝返りを打とうとして、腕の中にある心地よい体温に状況を把握した。  
下から穏やかな寝息が聞こえる。慣れないことに疲れたのだろう。そうっと体を外して寝台を  
抜け出しても彼女は目を覚まさなかった。  
 
灯りがなくても目はおぼろげに辺りの輪郭を捉えている。  
がたつく木の窓を開けると夜はすでに白み始めていて、ほんの少しうとうとした程度だが来た  
時間が時間だからか朝がとても早く感じられた。  
高さのある窓に室内がぼんやり明るくなっても彼女は目を覚ます気配がない。  
窓を細く閉じて最低限の明かりが入るようにすると私は下に落ちていた服を身につけた。  
「……っ」  
肌着を着けるときだけはさすがに背中の傷が痛んで顔をしかめた。  
最中はあまり気にならなかったものだが。  
そう思った瞬間あまりにあからさまな自分の思考に顔が熱くなる。手の甲でこすると頬の熱が  
手に移りそうだった。  
 
最後に上着を手にして寝台を彼女の方へ回る。風邪をひかないよう上掛けを首のあたりまで  
あげて頬にかかる髪をよけた。  
まだあどけない寝顔に心が和む。  
昨日の不安や心細さは消え、今の自分には選んできた道に迷いはなかった。不思議なほどに。  
一晩(というか数時間だが)経って冷静になったのだろうか。  
いや……彼女のおかげだろう。  
触れる指先を動かしても気付く様子はない。思わずそのやわらかい頬に口付けたくなったが  
目が覚めては困る。なんとか自制心を発揮すると代わりに指に髪をからませ、そこに唇を  
落とした。  
 
改めて窓をきっちり締め静かに部屋を出た。勝手知ったる台所から家の鍵を拝借する。  
例によって周囲に気をつけて表に出ると外から玄関の扉に鍵を掛けた。  
「寒いなあ……」  
思ったよりも低い気温に身震いをする。  
 
上着を手に向かったのは昨夜私達の過ごした部屋だ。窓には鍵を掛けておかなかった。  
音を立てないよう、彼女が目を覚まさないよう慎重に開けて窓枠の内側にあるへりに鍵を置く。  
多少の不安もあったがもう完全に日が昇る。この部屋の窓は高く小さいし、いくら鍵が開いて  
いても日が出たあとなら誰もこんなところから侵入しないだろう。  
 
そんなことを思いながらそっと窓を閉じて小走りに森へ、私は村を後にした。  
     
あの子達は人の気配を察して移動していることがままある。いつものようにエテリアの流れを  
辿りながら私は明け始めた空に比べ薄暗さの残る森を歩いた。  
道々、昨夜自分のしたことがひどく恥ずかしくなって、傍らの木を殴りつけては痛む傷に  
しゃがみこんだ。  
 
二人の元に帰ると赤い猫は細い目でこちらを見ていた。それはいつものことなのだが。  
「やあ。ただい、ま……?」  
なんだろう。彼に睨まれているような気がする。  
戻るのが遅かっただろうか。いや、いつもより早いくらいだったけれど。それとも何か考え  
事をしていてその辺にあるもの(この場合私の顔だ)を見つめているだけだろうか。  
何となく気まずくて当たり障りのないことを言ってみる。  
「私の顔に何かついてるかい?」  
「いや」  
彼は短く答えて首を振った。  
目に見えるような変化などないと思ったけれど、それでも気付くものがあったのか。  
おかしいと思いつつ頬を撫でると、熱い。映す物も無くて確認できないが、多分赤面している  
のだろう。  
 
なんだか昨夜のことを彼に見透かされるような気がして恥ずかしかった。  
恥ずかしく……そして嬉しかった。  
そう感じるのは彼女と過ごした夜が確かに現実の事だったと思えたから。  
 
「傷はどうした。手当てはしてもらったのか?」  
「あぁ――うん。丁寧に包帯を巻いてくれた。思ったより浅かったみたいだよ。火傷みたいに  
なってて出血もほとんど止まってたみたいだ」  
心を半分彼女に向けたまま答えた。  
「そうか」  
「君は?休めたかい?」  
彼はご主人の隣にいるのがなにより落ち着くのだとよく言っていた。  
赤い猫は私の質問に鷹揚に頷き大きな口をにんまりと開いた。  
「ご主人はお前のことを心配しておられたのだぞ。大丈夫と申し上げても落ち着かず村の方へ  
行こうとしたほどだ。もちろんお止めしたが……この果報者め」  
「本当?何も危険なことなんてないのに」  
目の前にいる神々の子を見ると心配性な自分が恥ずかしいのか木陰に隠れてしまった。  
それでもエテリアがふわりと漂ってくるのにあの子の本心が見える。  
本当に私の怪我を心配してくれていたのだと、切なくなった。  
 
こんなに私を気にかけてくれる相手がいるのに寂しがるなんて。  
私は何て鈍いのだろう。彼女もきっとそう思ったに違いない。  
「清々した顔をしおって」  
「え?そ、そう?」  
すっきしりたなんて言われては気になってしまう。特にあんなことの後では。  
明後日の方を見てそうかなあと呟いていると彼がさあさあと急かしてきた。  
「ほれ!」  
例によってレクスが頭の上に飛び乗ってくる。  
「行くぞ」  
「え?どこに」  
「寝ぼけておるのか?後始末だ!戦闘の跡がまだ残っているのだぞ?……お前、だから早く  
戻ってきたのではなかったのか?」  
「あ……いや、うん!もちろん分かってるよ」  
慌てて頷くと猫を両手で抱きあげた。  
移動するのに頭の上にいられたんじゃそれこそ落ち着かない。  
無意識に脇に抱えると離せだの何だのとわめくのが聞こえたが、頭の中がごちゃごちゃして  
まるで耳に入ってはこなかった。  
 
 
 
  ***  
 
 
 
「やあ」  
「どうぞ、入って」  
「お邪魔します」  
 
もう定型文ともいえる受け答え。  
彼女は微笑んでいる。  
 
私はあの日何も言わずに立ち去ってしまったことをフォローしなくてはと思ったものの、  
どう言葉にしたらいいのか分からなくて、とうとう何も言えなかった。  
 
感情に任せて抱いた。経験のない少女に無理をさせた。  
だから彼女の体のことが気にかかってたが、あんな風に辞去しておいて『体は平気?』なんて  
聞く権利、私にはない。  
彼女もあの日のことについては何も言わなかった。  
以前と変わった様子を見せることもない。  
いつものように私に手を洗わせて、食事と寝台を提供して。  
普段通りの彼女に、すっかりあのことに言及するタイミングを逸してしまった。  
 
あれきり破れたままの上着を見て首を傾げた。  
「これ……鋏は通るかしら」  
椅子に掛けてあったのを手にして背中の破れた部分を眺めている。表から見て裏から見て、  
私の方を向いた。  
「このままじゃ、もし同じ場所を攻撃された時あまり防護の役目を果たさないわ。あなたさえ  
良ければ裾を少し切り取って破れた部分を繕いたいんだけど」  
「ええっと……直してもらえればそれは助かるよ」  
「そう?ならやってしまうわ。こういうの、そのまんまにしておけないのよ。気になって  
しまって。性格ね」  
早速に居間の棚から針と糸を持ってくる。  
先に休んでいてと言うのを拒み彼女の手が破れを繕っていくのを見ていたが、その手際の  
良さは魔法みたいだと感心した。  
時折り他愛ないことを話して。沈黙も辛くはなかった。  
 
 
私達の間にはまるで何事もなかったかのように再び日々が過ぎていった。  
そしてその後も何度かの戦闘があった。  
 
私は自分の選択した人生を大分静かな目で見られるようになっていた。以前のように昂る  
ことももうない。  
ただ一つの目的、それを果たすまでは後悔の言葉を口にしないと誓ったのだ。  
 
 
 
「きれいだなあ」  
森の中、横を歩きながらしみじみと神々の子を眺め、つい今さらの感想をもらした。  
だがあの子の従者には今さらなどという概念はないらしい。ないどころか四六時中、口を開く  
たび『ご主人』を讃えても彼に言い過ぎるということはないのだろう。  
「全くだ。御主人ほどエテリアに愛されているものはこの世に存在せんぞ」  
こういう時だけは素直に同意する。頑固で扱いに困る時もあるけれど、こういうところだけは  
可愛い、とレクスに対して思った。  
 
この子は最近、本当に賢くなった。  
以前のようにエテリアをむやみに引き寄せるような真似をしない。  
そのせいか神々も気配を辿りにくくなっているのだろう。追っ手と対峙する頻度も日に日に  
少なくなっていった。  
 
 
ある日彼が言った。  
「カインよ」  
「うん?」      
「今はもう以前ほど必死に逃げ回る必要はないな」  
「そうだね」  
頷いて返す。  
あの子の纏うエテリアはもう普通の生き物達のそれと同じ程の量になっていた。  
緑豊かな森の中ではもうかなり見つけにくいだろう。動物たちや木々の気配に紛れて、よほど  
運が悪くなければ、偶然が働かなければ、私のようにその気配に敏感なものがいなければ、  
発見される心配もないと思う。  
「ご主人はまだ中から出ていらっしゃらないが、人という物をお前やあの娘から随分学ばれた  
ようだ」  
彼には珍しくまわりくどい表現だった。  
一体何を言おうとしているのか。  
 
私は肩をすくめた。  
「私はカテナだし、あの子が基準って言うのがちょっと問題かもしれないけどね。……彼女は  
人間にしてはかなり変わってる」  
「茶化すな。真面目な話をしてる」  
「ごめん」  
予想外の真剣な声に、私は素直に謝った。  
「分かるか?中に見えているのは基礎となったもの……人間か、カテナかはおれサマには  
分からんがな。しもべ達も同じような段階を経てなおああした異形を持って生まれる……が。  
おれサマには分かる。御主人はきっと人の姿を得てお生まれになるだろう」  
「……」  
それは幸か不幸か。私には分からない。もっと自由に生きることのできる姿が他にもあるかも  
しれないのに。  
そう思うと先に待つ出来事の全てが私の責任のような気がして少し胸が痛かった。  
こんなにエテリア達に慕われている子には、なるべく苦しい生き方をして欲しくなかったから。  
 
「幸せになれるかな」  
「なれるに決まっておろうが!」  
口を突いて出てきた台詞に彼が敏感に反応する。裂けた口を大きく開いて怒鳴りつける様子は  
今にも食われそうだと思うほど。  
白く鋭い歯がこの上なく存在感を主張していた。  
さらに叱られるかと内心身構えたが、彼はそれ以上の追及はしなかった。  
 
話は予想外の方へ行った。  
「が――それはお前にも言えることだ」  
「え?」  
「たまには我儘を言ってもいいのだぞ」  
「我儘?」  
意味が分からない。  
 
「先に言ったようにご主人の様子を見れば、もうひと所に落ち着いても良い頃だ」  
「うん……でも」  
どこに落ち着くというのだろう。  
一瞬脳裏に浮かんだ場所を、私は慌てて打ち消した。  
だってまさか。  
そんなこと――言えるわけがない。  
 
「お前はあの日からずっと自分のことを二の次にしている。それでは生きる喜びなど生まれぬ。  
違うか」  
「……」  
この猫はそれこそ日頃何を考えているのだろう。気を抜けばたちまち本音を探られてしまい  
そうだ。考えても無駄だと分かっていることに心を縛られているのを、知られたくはないのに。  
否定の意味で首を振った。  
「幸せだよ、私は。自分が何をすべきか分かっている。それより大事なことがあるかい?」  
「話をはぐらかすことだけは一人前だな」  
一度だってはぐらかされてくれたことなんかないくせに、こういうことを言う。  
 
ぬけぬけと言う彼に私は言葉を重ねた。  
「あの子や君に逢えたことは僥倖だった」  
「そんなことを言っているのではない。とぼけるな。自分のためにもその脳みそを使えと  
言っておるのだ。常に一つのことしか出来んほど要領が悪いわけでもないだろうに」  
「……何を言ってるのか分からないよ」  
核心に触れようとする台詞に顔を背ける。  
だってそれは夢を見るようなもの。私なんかが望むには図々しい願いだ。  
「自分一人幸せに出来ず、他者をそこへ導くことが出来ると思っておるのか」  
どうしてこうなんだ。  
いつもいつも、自分の推察は合っているのだと人の意見を聞かない。  
「そう心配せずともお前が腑抜けにならんよう、おれサマが見張っていてやる」  
「でも私は」  
「どうしたいのだ!」  
私は眉をよせた。  
「駄目だ。どう考えたって無理だよ」  
「お前……ヴィティスにはさんざん素直になれとか言っていたくせに自分はそれか」  
それを言われるときつい。  
「こう言っちゃなんだけど、私は彼よりは素直だよ」  
「どうだかな。あの男は自分が間違っていると分かればあっさり認めたぞ」  
「私が間違っていると?」  
「さてな……お前自身はどう思っておるのだ」  
こうやって最後にはこちらに言わせようとする。嫌な性格だ。  
 
「……そうやって、君は無責任なことばかり言う……」  
「ふん」  
責めるような呟きに彼は鼻を鳴らした。  
「無責任だと?当然だ。おれサマは貴様に対してとるべき責任などないからな。七つ八つの  
子供でもあるまいになにを寝ぼけたことを」  
「それはそうだけど、焚き付けるだけ焚き付けておいてあとは知らんなんて、ちょっと勝手  
なんじゃないのかい?人の一生がかかっているのに」  
こちらとしては当然の気持ちだが、そう口答えすると赤い猫は面倒臭そうに目を細めた。  
「ちっ……よいか?おれサマだって何も考えずにものを言っているわけではない。お前が  
自分の選択に責任をとれる男だからこそ言っているのだ。でなければ誰がこんな提案をするか。  
それこそ人の娘の一生を台無しにするかもしれんのだぞ」  
「……」  
 
これはもしかして褒められているのだろうか。だとしたら彼と言葉を交わしてから初めての  
ことだ。  
ぽかんと彼を見たのも一瞬のこと。苛立たしげな彼の様子を見るとそんなことをのんびり  
考えている場面ではない。  
拳をぎゅっと額に当てて、私は黙り込んだ。  
 
その姿勢のまましばらく、うんともすんとも言わない私に彼が焦れたように言った。  
「よいか、あとは『お前が』どうしたいかだ。どうするのが良いとは思っても、この通り  
おれサマは助言することしか出来ん。選ぶのはお前自身なのだから」  
あれだけ好き勝手を言っておきながら自らの発言を助言という彼のふてぶてしさは見習いたい  
ところだ。  
いつも自信満々で迷いを見せない猫。  
彼の十分の一でも自分に自信が持てたら私はどうしただろうか。どこかで違う選択をして  
いたのだろうか。  
いや……それはないだろう。  
いつだって迷いを抱えながら、それでも自分にとって一つしかないと思える道を選んできたの  
だから。  
 
「間違いは……正すべきだろうか」  
「言うまでもないことだ」  
そう。このレクスはいつもこんな風に私を支持してくれた。  
逃亡を始めて、何につけ彼のせいだと思ったことは一度もない。時には思い悩んだことも  
あったけれど。  
 
今だって自信はない。  
こうすることが私にとって良いことなのか。本当に間違いではないのか。なにより彼女に  
とってはどうなのかと。  
だが、彼の言うのは誰もみな自分が決めているということなのだ。  
仮に私が何を言おうと、どう受け止め、どう応えるのかは彼女が決めることだと。  
玉砕したくはないけれど当たるだけなら、口にするだけなら。  
あとは彼女が。  
 
私は深呼吸をした。  
赤い猫と神々の子に視線を巡らす。  
「――二人とも、ここで待っててくれるかい?」  
「いつまでだ」  
「私が呼びに来るまで」  
「行くのか」  
問う彼の口元は笑っているような気がした。  
後ろ向きのまま一歩下がる。  
「……戻ってきたらきちんと彼女に紹介するよ。この猫は言葉を話すんだって。いいだろう?」  
「望むところだ」  
不敵な笑みを浮かべる彼に自分も微笑みを浮かべ、私は彼女の家を目指し駆け出した。  
 
とっくに日は暮れていて、でもそんなことは私には関係なかった。月明かりもない森を足元も  
見ないで走るから木の根に脚を取られ転びそうになったり、藪に突っ込みそうにもなった。  
いくら多少は目が利くといっても真昼のように見通せるわけじゃない。時間はかかる。  
すっかり覚えた木々の並びを彼女の家への案内として、私は休みなく走った。  
 
森を抜けるともうそこは彼女の家の近く。  
村の外れとはいえ耳を澄ませても辺りから物音は聞こえてこない。さすがに村人達も寝台に  
入る時間なのだろう。  
一応周囲を見回して、いつもしているように裏口に回る。  
 
もう眠っているかもしれない。  
いつも訪ねる時間帯よりまだ遅い……あの夜のように。  
 
だが叩こうとすると同時に扉が開いた。  
「……!」  
「きゃ……!」  
がちゃりと開いた扉のこちらと向こうで同じように驚いた顔が見つめ合う。  
 
人々が寝静まる頃だというのにどこかへ出かけるところだったのか、彼女はいつかの夜の  
ように寝間着姿だった。同じように肩掛けをしてあの時と違うのはもう少し暖かそうな生地の  
物になっているということだけ。  
 
私は息を整える間もない彼女の登場にやっと一言だけ言って手を挙げた。  
「やあ」  
「驚いたわ……本当に」  
しげしげと見上げてくる少女に当然の質問をした。  
「出かけるの?」  
聞いていておかしいなとは思った。なにしろ寝間着に肩掛けを羽織っただけの姿だ。いくら  
村の人と仲が良いと言っても人を訪ねるのにふさわしい格好ではない。  
 
彼女は首を振った。  
「いいえ。いいえ……どうしてかしら。あなたが……来るような気がして」  
そして胸元で肩掛けをぎゅうと掴むと反対に私に尋ねてきた。  
「あなたこそどうしたの?また何かあったの?あの子達は?」  
訪ねてくる時間が遅いのに不吉を感じたらしい。  
最近馴染みの猫の姿が見えないのに扉の外へ視線を巡らせる。だが手燭はようやく足元を  
照らすくらい。森の向こうが見通せるはずがなかった。  
     
「なんでもないんだけど……置いて来たんだ」  
「置いて来た?どうして」  
「とても大事な用があって――中に入れてもらっても?」  
村人は寝静まったいるとはいえ、どんな酔狂な者が夜道を歩いているとも限らない。いつもの  
ように家に入る許可を求めた。  
「ああ、そうね。ごめんなさい。どうぞ入って」  
彼女の後に続いて後ろ手に扉を閉める。  
さらに中へと進む彼女を呼び止めた。  
「待ってくれ。今日は……君に話があって来たんだ」  
「休みに来たのではないの?……何かあったの?必要なものがあるなら言ってくれれば――」  
「そうじゃないんだ」  
 
自分に関係のない事が起きたと思っているらしい。  
畳みかけるように聞いてくる彼女の言葉を遮ると、私はそっと手を差し出した。彼女の手から  
手燭を取り上げて床の上に置く。  
その上でもう一度彼女に手を伸ばした。  
「……?」  
訝しげな表情とともに彼女もそろりと右手を差し出す。  
ぎこちなく重なる手を握り、私はさらにもう一方の手で小さな手を包み込んだ。  
こんなに緊張したのはいつ以来だろう。  
 
ああ、この世のすべてのものに宿るエテリアよ、私に勇気を――。  
最後に目を閉じてすう、と深呼吸をする。  
 
「こんな……あっちこっち逃げ回っているような男だけど……」  
 
女性に気持ちを伝えるのに花を贈ることもできない。  
それどころか共にいれば命の危機が増すだけの。  
 
「君にあげられるものは何もない。私が持っているものはこの身一つだけ……もし、それでも」  
まっすぐな瞳に私の方が俯いた。  
「……っ」  
なんて言えばいいのだろう。  
続く言葉がなかなか出てこなくて、でも彼女は黙って待っている。  
思い切って顔を上げた。  
私は少し下にある顔を、その澄んだすみれ色の瞳を見つめる。  
こんなに勇気を出して言葉を発するのは初めてかも知れない。  
 
自分に立てた誓いを守るのに涙の一つも我慢できないような男だけど。  
寂しくて、君の優しさに逃げてしまうような男だけど。  
逃げないで欲しい。  
笑わないで欲しい。  
寂しいから言っているのではないと、本気なのだと伝わって欲しい。  
 
「私と一緒にこれからの人生を過ごしてはくれないか」  
「――!」  
びくん、と肩が揺れる。目の中の光が揺れ、戸惑いが見えた。  
私の台詞を反芻しているのか、小さく眉を寄せるのに私はもう一度言葉を重ねる。  
「私と共にあってほしい」  
 
今度こそ彼女は大きく息を吸った。  
「君を愛している」  
小さな体がすくみ、肩掛けが滑り落ちた。  
 
手を引かれるのに素直に右手を離してやった。  
緊張で心臓が壊れそうだ。耳元でうるさいくらいの音がしている。  
長い長い沈黙はまるで一日にも感じられた。  
     
駄目か。  
彼女の反応のなさに私は気持がずんと落ち込むのを感じた。  
 
彼女は顔をそらした。  
「どうしてそんな……それは――責任感から?」  
「まさか!」  
あの夜、関係を持ったことについての言葉だろう。  
愚かにもこの時、あの出来事はすっかり頭の中から消えていた。それだけ彼女に想いを告げる  
ことで頭がいっぱいだったのだ。  
予想外の台詞に慌てて首を振った。  
確かにあの一件も無関係ではない。あの時私を慰めてくれたことには大変な感謝と申し訳  
なさを感じている。  
こんな大きな図体をした男を求められるまま、体ごと慰めてくれた。受け入れてくれた。  
嘆きと焦燥に追い詰められたあの時、もし縋るものがなかったら。そう思うとぞっとする。  
真実に気付かなければ良かったとあの子に武器を振りおろしていたかもしれない。罪の深さと  
孤独への恐怖で自分を見失っていたかもしれない。  
 
「責任感なんて、そんなものじゃない。ただ私は……君が……私を……」  
なかなか言葉に出来ないのを彼女は辛抱強く待ってくれた。  
 
「君が……支えてくれたのが本当に心強かった。君の優しさが。時々厳しかったり……」  
余計な事を言いそうになって咳ばらいをする。いや、そう余計なことでもないのか。正直に  
伝えるべきだろうか。  
「一人で逃げているのが嫌だから言うわけじゃないんだ。だいぶ逃げ回るのにも慣れたし、  
あの子もエテリアを引き寄せなくなったしね。御使いとの戦闘も劇的に減った。だから利害で  
言うわけじゃないんだ。それは分かって欲しい」  
彼女は数度瞬きをした。  
やはり何も言わずに話の続きを待っている。  
「私は……その、君といると心が安らぐんだ。私みたいなのにも隔意を持たずに接してくれて」  
「……それはあなたが正直に話してくれたからだわ」  
「ね、そう言うだろう?そうやってこちらが向けただけ、真剣な気持ちに本気で返してくれる、  
そんなところが……私を励ましてくれて……叱ったり。そういうところ全てが好ましい」  
「私みたいな子供に怒られても?」  
「怒られても」  
まあ、と眉を上げるのに私は生真面目に頷いた。  
年の頃は確かに少女だが彼女が精神的に子供だとはもう思ってはいなかった。  
 
 
ふふ、と私の顔を見て微笑みかける。  
「そうね……では、次からはお帰りなさいと言うわ」  
「それじゃあ……」  
「分からなかったかもしれないけれど、私こそ半端な気持ちであなたと……その、ああいう  
風になったのではないの。力になれるなら、助けてあげられるならたとえそれがどんな形  
でも……応えてあげたかった」  
そっと目を伏せる彼女の頬はほんのり赤く染まっている。  
 
「ああ……!」  
 
恥ずかしそうに告白する彼女を私は壊れ物のようにそっと抱き締めた。そして腕の中に彼女を  
感じても喜びは一向に鎮まらず、次第に腕に力がこもっていった。  
すると彼女は身じろぎし、私を見上げて訴えてきた。  
「ね、放して。……苦しいわ」  
あんまり嬉しくてその額に小さく口付ける。  
「ありがとう」  
感謝の言葉を告げると、満面に笑みを浮かべている自分とは裏腹に何故か彼女は哀しげに目を  
伏せた。  
     
「次は、ね……」  
「なんだい?」  
「次にここを出る時は行ってきますって、言ってちょうだい……」  
語尾が細く消える。  
「もう来ないかも、なんて思いながら見送るのは嫌なの」  
もしかして、以前から彼女は私の安否を気遣っていてくれたのだろうか。いや、それは感じて  
いたが。  
「そうしたら早く帰って来てって、言えるでしょう……?」  
泣き出しそうな顔にそっと口付けた。  
私を案じてくれる気持ちに今まで気付かなかったなんて。  
 
顔をあげて私は改めて問いかけた。  
「聞いてもいいかい?」  
「……?なに?」  
「君の名を。名乗っていなかったけど私の名は」  
「知ってるわ」  
 
「え――?」  
「あなたの名前。私……知っているの」  
私は思いがけないことに目を見開いた。  
「まさか、どうして」  
名乗った覚えはない。名乗るべきか迷った時もあったが私は逃げている立場。結局は意識して  
隠していたのだから。  
「あの時……初めて会った時のこと、憶えている?」  
「ヴォロに襲われた時のことだろう?」  
「ええ。あなたに助けてもらった。私を背中に隠してしもべから守ってくれたでしょう?  
あの時あなたのレクスが後ろから飛んできて叫んだんだもの……『カイン』って」  
「そうか」  
そう言われればあの時確かにあの猫は私の名を呼んでいた。そして私は彼を手に。  
脳裏に邂逅の夜を思い出しているとまた彼女が口を開いた。  
では彼女はあの猫が言葉を話すことも知っていて、何も言わなかったのだろうか。  
何もかも、知らないふりをして。  
「あの時、あなたが姿を現した時、それは驚いたわ。だってあの……ヴォロ?あれから逃げて  
いる途中に真っ黒い人が出てくるんですもの。私、死ぬかと思った」  
 
告白するまでもない。彼女は薄々気付いていたのだろう。私がOZの一員だということに。  
それでなお私の話を聞いてくれていたのか。信用してくれたのか。  
 
「ああ。泣かないで、カイン」  
慌てて私の頬を拭ってくれる。  
最近、本当に泣いてばかりだ。こんな姿とてもあの猫には見せられない。  
 
泣き顔を見られるのに、もはやなんの抵抗もなかった。  
涙を拭う彼女の手を掴み微笑む。  
「君は?なんて言う名前なの」  
すると彼女の顔が近付いて一瞬だけ唇に触れていく。  
「本当は、ずっとそう聞いて欲しかったの」  
そう言う彼女の方こそすみれ色の瞳から涙がぽつりとこぼれた。  
 
 
「私の名前は――」  
 
 
  〜おしまい〜」  
 
 

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