昔々、ここではないどこか。
ある王国に好奇心の強い王女様がいらっしゃいました。
姫君の好奇心は、城の中を忍び歩いては探検をし、悪霊を封じ込めた秘密の部屋
を探し当てる程強く、今日も王女様はそのやっかいな想いに任せるまま一つの実
験を試みていました。
「貴方が私の前世の旦那様らしいわね
ピリンフルドガルド十二世?」
気品と可愛らしさあふれる姫君の自室でその奇妙な実験は、今まさに行われよう
としていました。
姫君のたおやかな腕には、ずんぐりむっくりな猫が抱かれ、つまらなそうな表情
で通にしかわからない魅力を振りまいていました。
猫-ピリンフルドガルド十二世(以下ピリン)-はいつもつまらなそうな表情でした
が、今日は少しだけ、ほんの少しだけですがその表情を和らがせています。
やはり猫も、ほのかに汗臭く堅い騎士の腕より、ほんのりと花の香りただよう柔
らかい腕の方を喜ぶのでしょうか?
「よし!いきますわよフィーリア!!!
大丈夫、ただ接吻するだけですもの!」
実験とは、猫の飼い主の言(「ピリンは殿下の前世での夫で、呪いは姫君の接吻で
とけますよ〜」)
を試す為のものでした。
静かに、けれどもしっかりと近付いていく淡い薄紅の唇。
猫も心なしか面を上向け、姫君を待っているようでもあり………。
しかしあと数センチの所で邪魔が現れました。
扉を音が出る程に勢いよく開け放ち現れたのは、件の猫の飼い主-フェリクス-でした。
彼の表情はいつもの底の知れない笑顔ではありましたが、若干冷たいものを含ん
でいてますます得体が知れません。
「ピリン…殿下と何をしているんだい?」
「に゛ゃっ!」
つかつかと姫君には目線一つくれずに騎士は近付き、猫を摘みあげました。
いつも彼が猫を抱き上げるときは優しく慣れた手つきで、抱かれる対象に不快感
を抱かせるようなものではなかったはずなのに…。
今回ばかりは違いました。
「フェリクス!
そんな持ち方はやめてあげて!」
「ああ、殿下
そうですね、可哀相だし貴女に免じて許してあげます」
部屋に入ってから初めてフェリクスは姫君の目を見つめ、ほほ笑みました。
しかし、冷たさが消えた笑みと姫君へ向けた視線と違って猫への対応は、先ほど
に輪をかけて彼らしくないものでした。
騎士は猫を「ぽい」と部屋の隅へ放ります。
そして、空いた腕で姫君を柔らかく拘束しました。
「フェリクスッ!?」
「なんです?」
慌てる姫君の二重の問いにフェリクスはにこにこと笑みを返すだけ。
「貴女がいけないんです
僕というものがありながら、ピリンと浮気しようだなんて…」
「う、浮気だなんて…
私はただ確かめようと…」
いくらあの「王の試練」を通して恋仲となったフェリクスでも、近すぎる距離で
す。
姫君は戸惑い、かすかに上気した頬を隠すように俯き弁明をしますが、いつもの
キレのある弁舌とは違って只しどろもどろに繰り出されるものなど、のらりくら
りとした掴み所のなさで全騎士中一・二を争うフェリクスには痛くも痒くもあり
ません。
「そんなひどい貴女には『ばち』をあてなければいけませんよ」
「えっ…………きゃっ!?」
幼げな顔をしている割になんだか技巧派なフェリクスは、姫君に口では言えない
ことをしかけだします。
いくら一線を越した関係の仲とはいえこんな昼間に、しかも立ったままでなど
、姫君にとってひどく恥ずかしく想像だにしないことでした。
「ま、待って」
「待てません」
「は、恥ずかしいから…」
「『ばち』なんだから仕方ないと思いますけど」
「ほ、ほら
ピリンも見ていますわ!」
姫君はスカートの端をたくし上げようとする騎士の手をつかみ必死の抵抗をしますが、
のらりくらりとかわされ効果は全くありません。
ですが、姫君がピリンを持ち出すとフェリクスは執拗な動きを止めて、肩口にう
ずめていた面を上げ、目線を姫君に合わせました。
「ピリンにも『ばち』があたるべきです
見せつけてあげましょうよ」
彼が浮かべる満面の笑みに姫君の顔色は赤くなるやら青くなるやら。
「そ、そんな…」
「そろそろ黙って…」
その後随分遅くまで騎士と王女の戯れは続き、それ以降ピリンフルドガルド十二世は
姫君のそば近くに全く近付かなくなりました。
昔々、ここではないどこかのある王国であったお話です。
豪華な寝台の上、情事に疲れて眠る姫君の隣りで、一人の騎士がいつもと同じく猫を
慣れたふうに抱いていた。
だがその表情は、優しげに猫を抱く手つきを裏切って酷薄な笑みを張り付け、薄
闇の中ぼんやりと浮かび上がって青白い。
「ねぇ、哀れなピリンフルドガルド十二世
一時の夢でも楽しかったかな?」
「にゃー」
騎士に抗議するかのごとく猫がか細い声をあげる。
その鳴声には、猫の言葉がわからぬものにさえ心にくる『悲哀』が込められてい
た。
「元に戻れそうだったのにね、哀れなピリン
君の可愛い花嫁は結局化け物を選んでしまったよ
本当に可哀相なピリン!」
芝居掛かった仕草で両手を掲げた騎士がつむいだ同情の念をあらわす言葉には、
嘲笑の毒がたっぷりと塗り込められている。
ふいに騎士のそばで眠っていた姫君がかすかに身じろいだ。
「…んん…フェリクス……なんですの…?」
騎士の声はごく小さなものだったが、うすいまどろみの中に漂っていた姫君の意識を
揺り起こすのには十分だったのだろう。
「なんでもないですよ、フィーリア
まだ時間はありますからゆっくりなさってください」
先ほどとは打って変わって、酷薄さのかけらも無い姫君への想いに溢れた甘くやさしい
声音だった。
猫をひざに乗せたまま、騎士はふんわりとした姫君の髪の手触りを楽しむかのようにかるくなでる。
やさしいふれあいに姫君はかすかに笑み、そっと目をつむった。
「…おやすみなさいフェリクス」
「おやすみなさい、僕のフィーリア」
二人の愛情溢れるやり取りを猫はじっと見ていた。
〜おわり〜