「実はココが一番楽しみだったりするのよね〜♪」  
1年B組きっての情報通、諜報部―――今は記録班だが―――の一員、綿貫響は、仕事という事も忘れて頬を緩ませた。  
ビデオ片手に立つ彼女の前のドアには「料理研究会の甘味処」と書かれた張り紙。  
朝から甘い物三昧―――というのは、女の子にとっては最早タブーに等しい行為であろう。特に―――近頃、お腹周りの肉が気になり始めた響にとっては。  
しかし、大概が欲望に歯止めが効かないのもまた事実。甘い物好きの彼女なら尚更である。  
「学園祭だし…今日一日くらいはいいよね、うん」  
響は自分に言い聞かせるように独りごちた。  
―――結局のところ、これが彼女の導き出した結論であるのだが。  
「それじゃあ…」  
緩んだ頬を更に緩ませて、響は意気揚々とドアの取っ手に手を掛け、景気良く引き開けた。  
「おじゃまっしまぁ―――  
 
……って、あれ?」  
響は拍子抜けした顔でその場に立ち尽くした。  
それでもビデオはしっかり回しているのが、流石は諜報部というべきか。  
いや、彼女が驚いた理由といっても、別に大した事ではない。  
ただ、まさか自分の他に先客が居たとは思わなかったワケで。  
 
「ありゃ」  
とスプーンを口に運びつつ言ったのは、演劇部所属、1年D組のボケ担当スーツアクターにして学年でも5本の指に入る問題児―――  
「芹沢さん…なんでいるの?」  
響はまだポカンとしている。  
一方の"先客"―――芹沢茜は心外という顔で、  
「なんでって…オススメらしいから朝一で来てみたんだよ」  
「いや…そじゃなくてね」  
茜のズレた答えに苦笑しながら、響はふたつ隣の椅子に座った。  
ついでに今日イチオシの特製パフェを注文する。  
「劇の方はいいの?」  
そう。  
着ぐるみ担当とはいえ、仮にも演劇部である芹沢は、本来ならもう公演の舞台に立っている時間である。  
「あー、それなら心配ないない」  
「?」  
「今回は代役を用意してあるんよ」  
茜は器の底のフレークをつつきながら、事も無げに言った。  
 
*  
 
(なんで私が…)  
当の"代役"である鈴木改め6号―――もとい、6号改め鈴木は、舞台裏の椅子に座って溜息をついていた。  
何事も「頼まれたら断れない」という性格が災いして、  
最初の公演だけという条件ではあるが、彼女は茜の代役を、それもぶっつけ本番で務める羽目になったのである。  
…極めつけは、この恰好。  
「うぅ〜…暑いよぉ〜…」  
幾ら何でも、パンダはないだろう。パンダは。  
(こんな重いモノ着てあれだけ動けるなんて…  
芹沢さんて結構タフなんだなぁ…)  
と一人感心していると、  
「おーい芹沢ー」  
と声を掛けてきたのは、茜と同じ演劇部の2年、高瀬和也。  
 
「え…あ、はいっ!」  
"芹沢"と呼ばれる事に当然ながら慣れていない6号は、ワンテンポ遅れながらも律義に返事をした。  
茜の要望で「内密」に代役を務める事になっているので、部長はおろか他の部員も誰一人としてこの「入れ代わり」の事実を知る者は居ないのである。  
「お前、出番俺が出てからすぐだろ?そろそろ準備しとけよ」  
「はい、わかりました」  
―――数秒の間。  
いつもの茜と違う、やけに素直な反応をする眼前のパンダを、高瀬は訝しげに見つめる。  
が、彼はどうやら茜の只の気まぐれと判断したらしく、  
「それじゃ、頑張れよ」  
と茜―――6号に一声掛けて、舞台上へ出て行ってしまった。  
(頑張れよ―――か)  
こうなった以上、やるしかない。  
覚悟を決めた6号は、よし、と一言呟いて椅子から立ち上がったのだった。  
 
―――無論、  
これから起こる"悲劇"を、彼女はまだ知る由も無い。  
 
*  
 
「それで…ね」  
茜は食べ終わった器にスプーンを落とした。  
カラン、と甲高い音がテーブルに伝わって響く。  
「ん?」  
「いやさ、ただ代役頼むだけじゃツマラナイじゃん?」  
「つまらないって…」  
何の為に代役頼んだんだアンタは、とでも言いたげな表情を浮かべる響を他所に、  
「だからさ…ちょっと仕掛けをして来たんよ」  
と茜は悪戯っぽい笑みを浮かべる。  
何かしらの"行動"を起こす前の、彼女のいつもの癖だ。  
「仕掛け?」  
と訊き返す響。  
またロクでもない悪戯でしょ、と付け加える。  
「うん、ちょっとばかりアダルトなヤツをね」  
「ふーん…」  
響は今度は訊き返さなかった。  
アダルト―――と言っても、いつもより「少し」行き過ぎた程度のモノだろう―――その位に、響は考えていたのである。  
―――問題は、その「行き過ぎ」の程度なのだが…  
 
「それじゃ、スイッチオン」  
何時の間に取り出したのか、茜はカチッと小気味良い音を立てて、手元のスイッチを押した。  
 
*  
 
「…んッ!」  
6号は下半身に違和感を感じて、軽く声を上げた。  
(な…何コレ…んんッ!)  
違和感が気の所為ではない事を認めると同時に、意識とは無関係に身体がビクンと反応する。  
どうやら―――着ぐるみの股間の辺りで、何かが振動しているらしい。  
(ん…うッ!…な…んで…急…に…!?)  
弱めの振動によって、徐々に敏感になっていく下半身。  
疼きを何とか抑えながら、現在の状況を出来るだけ把握しようと努める。  
しかし、実際そんな事はどうでもいい。  
一刻も早く、この不可解な違和感から抜け出したい。  
抜け出したいのだが。  
(…ッあ……んッ!)  
…今現在は下手な動きは出来ないし、この感覚にこれから暫く耐え続けるというのも無理がありそうだ。  
何故かと言えば、今は―――  
 
*  
 
(……?)  
突然動きを止めた茜―――ではなく6号を見て、高瀬は内心戸惑っていた。  
(どうしたんだ芹沢…?)  
そう言えるのならまだ良いのだろうが、今の彼は小声で話す事はおろか、合図の為の動き一つすら出来ない状態。  
何故なら―――  
(次、お前の台詞だぞ…?)  
―――何故なら、今は既に舞台の上。  
1回目の公演が始まって間も無い頃なのである。  
(…………)  
客席の方に目を遣る。  
何人かの客は、こちらの異変に気付き始めているようだ。  
 
(待てよオイ…冗談だろ?)  
せめてもの抵抗として、目で合図―――のようなもの―――をする。  
問題児の茜とて一応は演劇部のはしくれ。  
万が一台詞をド忘れしたとしても、それは全くの白紙ではなく、"記憶"という紙に穴が開いたようなものである。  
思い出せないという事は、絶対に無い筈だ。  
(頼むぞ…ホントに…)  
高瀬は最早祈るような心持ちで、目の前のパンダを凝視していた。  
無論そのパンダが動きを止めた本当の理由など、彼は知る筈も無い。  
 
*  
 
「芹沢さん…ソレ何?」  
「気にしない気にしな〜い♪  
よっし、もっと強くしちゃえ〜♪」  
 
茜は最早、完全にストッパーが外れている。  
こうなった彼女は、もう誰にも止められない―――  
 
*  
 
「ふぁ…ッ!」  
今までが一杯々々の状態だった6号は、  
何の前触れも無く強くなった振動に堪え切れず声を漏らした。  
「んッ、は…うン……ぁっ!」  
一旦破られた心の堤防は、滅多な事では修復が利かない。  
声を止めようとする意思が強くなるほど、自分で発しているとは思えないような嬌声が、喉元から小さく―――それも眼前の高瀬にギリギリで聞こえない位に―――溢れ出て来る。  
「ん…ふっ…ぁ…っんっ!」  
今までに経験の無い、  
「機械」の感触。  
「機械」の感覚。  
「機械」の、快楽。  
それら全てが、未開発の彼女の身体を、思考を、癌細胞の如く蝕んでゆく。  
「は…っ、あ……んぅ…!」  
(…お願…い……誰…か…止め……)  
最早、  
脳内に思考を有する余裕はゼロに等しい。  
「ふ…っぁ…ぁぁっ…!…っん…っ!」  
(こ…んな……こん…な…の…)  
未経験の快楽に溺れるような余裕も、  
また然り。  
彼女にとって―――いや常人にとって、  
今の状況は只の拷問でしかない。  
 
「ひ…あっ!…ぁ、ああっ、ぁんっ!」  
(…おか…しく…なっ、ちゃう…よぉ…)  
―――快感に堪え続けるという、ある意味矛盾した、そして最も苦しい拷問。  
当人にとってそれは、  
苦渇に等しい悦楽であり、  
束の間の永遠である。  
「ん…ふっ!…は、ぁん…ぅ」  
どれ位の時間が経っただろうか―――実際はほんの数十秒なのだが―――永遠とも思われる"監獄"の中で、彼女にとっての時間経過の情報は、  
嫌応無く耳に入る自身の喘ぎ声と、  
徐々に込み上げて来る感覚だけ。  
「あっ、んっ…ひゃん!ん、あっ!」  
全身に電流が走るような感覚。  
汗なのか愛液なのかよくわからないモノが腿を幾筋も伝い、下半身は足までびっしょりと濡れている。  
 
「は、あんっ、ふぁ…!」  
ぶるりと身体を震わせると同時に、永遠とも思われた快楽の迷路にも終わりが近い事を、彼女は感じた。  
「あ、んんっ!あっ、あ、あっ、ああっ!」  
出口が見付かれば、後は簡単だ。  
流れに揺蕩っているだけで、終竟は自ずとやって来る。  
「あっ!あ、んっ!ひうっ!んぁ!あっ、ん、ぅあっ!ひぃ、あっ!あぁっ!あぁんっ!」  
限界が近付くにつれ、嬌声も激しさを増す。  
舞台下の観客達も、目の前の高瀬も、もう彼女の眼中には入っていない。  
快楽への欲望は、  
彼女を此処まで変えてしまった―――  
「ん、はっ、あ、あぁぁぁーーーーーっ!!」  
込み上げて来たモノが内で爆発するのを感じると共に、彼女の意識は真っ白な海の底へと沈んでいった。  
 
*  
 
突如、パンダの動きが止まった。  
 
最初に"彼女"が動きを止めてから数十秒。  
それから今まで、パンダこと6号は小刻みに全身を震わせたりもぞもぞと身体を攀らせたりと落ち着かない素振りを見せていたのだが―――  
「………?」  
ワケが解らない、という顔をする高瀬。  
「…芹沢……?」  
そう呟いて、パンダに向かって手を伸ばした、その瞬間。  
 
―――ぐらり、と。  
恰も高瀬の手から逃れるように、  
パンダの着ぐるみが後方に大きく傾いた。  
「え」  
思わず声が漏れた。  
自分でも驚くほど間抜けな声だった。  
パンダと床との傾斜が小さくなっていくのをその声に見合う間抜けな顔(であったと自分では思う)で見る事しか出来ないまま、  
パンダは、バターン、と大きな音を立てて、派手にひっくり返ってしまった。  
「芹沢ァーーーーーッッ!?」  
「茜ちゃーーーーーん!?」  
高瀬と円の叫び声を最後に、パンダ―――の中の6号の意識はぷつんと途切れた。  
 
*  
 
「さて…そろそろ頃合いかな?」  
一連の騒動などいざ知らず―――本人もここまで発展するとは予想だにしなかったのであって―――茜はタガの外れた薄ら笑いを浮かべると、そう言いながら席を立った。  
「ドコ行くの?」  
スプーンを口に運びながら、響が尋ねる。  
何かしらの危険を察知したのか、何時の間にやら茜からかなり離れた所に座っていた。  
「いんや、ちょっと偵察にね」  
「偵察って…」  
最早公演自体は全く眼中に無いといった様子の茜を、響は半ば呆れ顔で見上げる。  
「それじゃ、すぐ戻って来るから」  
「ハイハイ…」  
「あ、そうそう」  
茜はドアの前で振り返って、  
「万が一ウチの先輩達が来ても、私の事は黙っといてね?」  
「いいから早く行ってきて…」  
響の力無い突っ込みを背に、茜はドアの取っ手に手を伸ばして―――その手が、空を掻いた。  
 
「へ?」  
茜がそんな間の抜けた声しか出せなかったのは、自分が開けようとしたドアが勝手にスライドしたからではない。  
問題は、向こう側からドアを開けた人物であって―――  
「ハ…ハルカ姉さん……」  
「あら…偶然ねぇ?こんな所で会うなんて」  
"ハルカ姉さん"―――こと高見沢ハルカは、「曇りの無い笑顔を浮かべ」ながら「隔ての無い優しい声で」そう言い放った。  
「あ…あはは…そ、そうですね…」  
冷や汗を流しながら何とか笑顔を取り繕おうとする茜だが、身体の方は感情に正直に、一歩、また一歩と徐々に後退していく。  
(マズい…目が笑ってない……)  
どうしてバレた、とか、  
何があったか、とか、  
そういう事は良く理解らないが―――恐らくこの後すぐに知る事になるのだろうけど―――とりあえず、今判っている事は二つ。  
自分の所業がバレたこと。  
そして、自分はこれから―――  
「公演サボってこんな所で何やってるのかなぁ〜?えぇ!?」  
「いっ…いやぁぁぁぁぁぁぁ!」  
 
演劇より面白いかも―――と思いながら、響はその光景を眺めていた。  
ちゃっかりビデオを回してる所が、流石は諜報部と言うべきか……  
 
 
 
 

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