「…ふう」  
カチャン、という小さな音をさせて、南条は自室のドアを開けた。ドアの隣の  
スイッチを押し、明かりをつけると現代を生きる「超お嬢様」に似つかわしくない  
シンプルで少し大きめな部屋が浮かび上がった。きれいなフローリングの床。  
床中においてあるたくさんの動物のぬいぐるみ。美しい木目のある本棚には小説や  
動物の図鑑(種類はかなり豊富だ)が並んでおり、机はきれいに整頓されてあまり  
使われていないパソコンがちょこん、と乗っていた。  
時間はもう夜11時。風呂あがりのまだ濡れた髪を軽く拭きながら、からからと  
窓を開ける。まだ上気している肌に夜風が気持ちいい。窓辺に両手をついて、  
すうっと深呼吸すると、今日一日の疲れがからだの中から抜けていくみたいだった。  
「…気持ちいい」  
しばらくそうしていると満足したのか、南条は静かに窓を閉め、うーん、と伸び  
をした。今日は金曜日。明日一日学校でがんばれば休日を楽しめる。今度の  
休日は何をしよう。そういえばそろそろ新作の服が出るみたいだし、友達とショッピング  
もいいな。家にいるたくさんの動物さんたちと語らいのひとときを過ごすのも悪くない。  
「うーん、でも…」  
机で明日の用意をしながら、ちらっとベッドに目をやる。見るからに清潔で柔らか  
そうな豪華なベッドの枕元に、拙い木彫りの写真立てがあった。写真立ての中には  
自分のクラスメイトで、銀髪で、そして眼鏡の奥のするどい目に強い意志を感じさせる  
男の子がサッカーをしている写真。  
犬神つるぎ。  
 
「…犬神君…」  
名前を呼んだだけで胸が熱くなる。顔がほてる。両の頬に手をあてると、思わず  
「ほぅ」っと艶っぽい声が出てしまう。 普段学校でこそ、からかわれるたびに  
否定してはいるものの。なんだかんだで南条操は犬神つるぎのことをかなり強く  
意識していた。…いや、意識しているという言葉では足りない。はっきりといえる。  
彼が『好き』だと。  
いつから彼が『好き』だったのか。それは思い出せなかったけど、とにかく彼の  
ことを考えるだけでこんなにも幸せだ。  
ベッドに近づき、写真立てを手に取る。  
写真立ては、南条が自分でつくったものだった。勝手に写真をかざっているのだ、  
せめて写真の中の人にでも、誠意を見せるべきだと思ったお嬢様のプライドだった。  
「今日は…一緒に寝させてもらいますわよ」  
 
にへー、というイカニモな幸せ顔をした南条は写真を胸に抱えるとベッドに転がり  
込んだ。  
写真を抱えたまま、ベッドの上を転がってみる。  
ごろごろ。  
ごろごろごろごろ。  
なぜかはよくわからないが、とにかく幸せだ。  
ごろごろ。  
「…犬神君…」  
愛しい人の名前を呼ぶ。…今度の休日、犬神君と一緒にいたいな。  
でも、それは無理だろうな、とすぐに思った。犬神は桃月学園でも指折りの学力、  
運動能力を誇っているが、無愛想ぶりも指折りだ。女の子に誘われたって、まず  
ついてはこないだろう。そもそも、彼はバイトをしている。休日は絶好の稼ぎ時の  
はずだ。  
「まったく…私をこんな気持ちにさせるなんて、犬神君も失礼ですわ…」  
ここにいない彼に悪態をつき、ぷうっと頬を膨らませる。が、写真を見るとすぐに  
また真っ赤なにへへー、という顔になる。  
「でも、今日は許してさしあげますわ…特別、ですわよ」  
幸せそうな顔のまま、写真を胸に抱え、彼のことを考えながらまどろみに落ちていった。  
 
   
「…で、南条さん。犬神君とはドコまでいったの?」  
「…へ!?」  
「あー、それ私も気になるー。ねえねえ、どうなの?」  
「ななななな、何をいきなり!?」  
翌日、放課後。一見完璧お嬢様な南条だが勉強は苦手で(他にも色々苦手だが)、  
このあと再テストだ。それが始まるまで、仲のいい友達とランチタイムとあいなった。  
…が、恋の話、うわさはいつの時代も女の子の大好物であり、南条が犬神に  
ご執心というのはクラスでも有名な話だった。一部では南条と犬神はすでにアレな関係と  
いううわさもあり、こういう話題になるのは必然といえるだろう。  
「もしかして…告白とかしちゃって返事待ちとか!?」   
「わ、私と犬神君は全然!まったく!何も関係ありませんわ!だ、大体私は犬  
神君のことなんてなんとも思ってませんわ!」  
「えー、そうなのー?つまんないなー」  
「もう!からかうのはやめてくださる!?」  
顔を真っ赤にして力いっぱい否定する。その態度だともう好きだって認めてるような  
モンだよ、とは思うが心優しい彼女たちは苦笑いするにとどめておいた。  
 
「からかってなんかいないんだけどなー…まあ、進展あったら教えてねーん♪  
それじゃ、アタシたち別の教室だからもう行くね」  
「私もー。それじゃ、また月曜ね、南条さん」  
「もう…ごきげんよう」  
彼女たちが教室から出て行くのを見届けると、南条は真っ赤な顔のまま、ふう、と  
ため息をついた。…からかわれるとモノすごく恥ずかしい。なんで恥ずかしいのかは  
またわからないのだが、嬉しいような気分もしていた。   
「もう、皆さん、エレガントさがありませんわね」  
また、ため息ひとつ。ふと、犬神に目がいった。思わず胸が高鳴る。今しがた「そん  
な話」をした手前、彼がこっちを見ているわけでもないのに少し気マズい。  
なんとか表情に出さないようにしてみると、どうやら何か雑誌を読んでいるようだった。  
放課後ともなればすぐ帰るか、教科書を広げていることが多い彼にしては珍しい、  
といっていいだろう。ついつい気になってしまった南条は、何かのきっかけになるか  
も、という若干の期待を持って犬神に話しかけることにした。  
 
「ごきげんよう、犬神君。雑誌を読んでいるなんて、珍しいのではなくて?」  
「ん、南条か。ああ、ちょっとな」  
南条に気づいた犬神は、少しだけ頬をゆるめると、そっけないながらも返事を返した。  
「何を読んでいるのかしら?ちょっと失礼しますわよ」  
「あ、おい」  
ひょい、と雑誌をとりあげる。表紙をみてみる。『月刊わんにゃー』。  
「………えーと。犬神君、動物好きですの?」  
ちょっと胸がときめく。犬神君が私と同じ趣味?そうだったらちょっと…いやかなり…  
うれしい、かも。しれませんわ。  
「嫌いではないがそんな雑誌を買うほどではないな。いや、妹がネコをほしがって  
いてな」  
ひょい、と雑誌をとりあげ返すと、またパラパラとページをめくりはじめた。  
「妹さん?」  
「ああ、もうすぐ誕生日なんだ。動物好きなヤツでな。まあ、普段いいコにしてるし、  
ちょっと奮発したプレゼントでもしてやろうかと…南条?おーい、南条?」  
気づくと、南条はどこか遠くを見つめていた。  
   
 『操、脳内会議〜!ドンドンパフパフ〜!』  
 『犬神君の妹さんが、ネコさんをほしがってるんですって』  
 『ネコさんなら、家にたくさんいますわ』  
 『それなら、ここで私の家にご招待して、色々なネコさんを見せてあげて好みの  
 ネコさんを買うアドバイスをしてあげるっていうのはどうかしら?』  
 『きっと犬神君とたくさんお話できますわ』  
 『もしかしたら私のつくったご飯も食べてもらえるかも』  
 『犬神君を家にご招待…』   
 
「どうしたんだ…おーい、南条?なん」  
「それなら!!」  
バン!と思わず力いっぱい机をたたいてしまった。唐突な南条の復活に、特に犬  
神は心底驚いた。  
しまった。  
恐る恐る教室を見渡すと自分以外のほぼ全員が自分と犬神をびっくりしたような  
目で見ている。こういう時、即座に上手くごまかせるほど頭がよくない南条はとりあえず  
「…な、なんでもありませんのよ。おほほほほ…」  
笑ってごまかした。しばらく教室は静寂に包まれていたが、しばらくするとまた各々の  
おしゃべりに夢中になった。   
ひとまず安心。何か詮索されたら絶対からかわれるところでしたわ。  
「…で、なんなんだ?」  
犬神がいまだに驚いたような顔で自分を見つめているのに気づく。そんなに注視されると  
顔が赤くなってしまうのでやめてほしい…いや、やめてほしくないけど…うう。  
「い、いえ…その、ね。私の家に来てくださるなら色々アドバイスをしてあげられるかと思って」  
「お前の家?」  
「ええ。知ってると思うけど私、色々な動物さんを家で飼ってますの。私、動物さんの  
ことなら詳しいし、本物のネコさんを見ながらならきっと考えもまとまりますわ」  
「そうか…それはいいかもしれないな。それじゃあ、早速明日。お前の家に行きたい  
んだが大丈夫か?」  
「へ!?あ、明日!?」  
「あ、ああ。誕生日が近いんでな。ペットショップ見て回ろうと思ってバイト休みを入れ  
たんだが…ダメか?」  
「い、いいえ!!大丈夫ですわ!!明日、ですわね?それじゃ、あとで連絡しますわ!」  
言うや否や、南条は全力ダッシュで教室を出て行った。陸上部もホレボレするほどの  
スピードだった。やたら謎のやる気を見せる南条の後姿をみた犬神は、よくわからん、  
という顔をして一言だけぽつりと言った。  
「…お前、再テストだろ」  
 
 
日曜日、午後一時。結構ないい天気だ。南条からメールを受け取った犬神は南条家に  
向かっていた。  
…正直、遠い。自分の家からは桃月駅をはさんでほぼ反対側だ。まあ、普通に買えば  
数万円はするであろう、ミスが許されない状況で的確なはずなアドバイスがもらえるの  
だろうし、それに南条の家に招待されたことに何故かかなりなうれしさを感じていた。  
このくらいの労力はまったく苦にならない。  
「…まったく、この気持ちはなんなんだ…よくわからん」  
頭をぽりぽり、自問自答しながら商店街を歩いていく。異性を意識したことがなかった  
彼にとって、南条操という女性ははじめての彼の『特別』になりかかっていた。  
同じクラスになって最初の頃こそ、やたら自分に絡んでくる迷惑な女と思っていたが、  
最近は彼女とのやりとりがイヤではない。お嬢様のプライドか、なんでもできそうに  
振舞っていながら、実はあまり得意といえることが多くないところ。だからこそ、それを  
努力で補おうとするところ。表向きはあまり努力を感じさせなかったが、いつからか  
彼女を意識することが多くなった彼は彼女のそれをよく感じていた。  
…そして、犬神つるぎという人間は、南条操のそういうところが嫌いじゃなかった。  
…もしかして…  
「…… ……まさか、な」  
頭に一瞬だけ浮かんだ仮定を頭を振って否定する。南条はただのクラスメイトだ。  
それに、私は女性には興味がない…はずだ。そう考えて自分を納得させた。  
しかし、「そんな」仮定が浮かぶ時点で彼女を強く意識していることを証明している  
のだが、意外とニブいところがある彼はそれに気づかなかった。  
 
家を出てから小一時間、町外れの大きな丘陵のてっぺんに、南条家はあった。  
「……まちがってないよな?」  
思わずそんな言葉が漏れる。デカい。非常識にデカい。自分の知っている言葉の  
うち、もっとも適切な単語を使うとすれば『大豪邸』というのが一番しっくりくる。いや、  
南条がお嬢様というのは知っていたがまさかここまでとは…。  
…これ、家のまわり一周するのに一時間とかかかるんじゃないか?  
とりあえず表札を確認する。『南条』。どうやらまちがってはいないようだ。  
「…黒服でサングラスのこわもてが出てくるんじゃなかろうな…」  
一抹の不安を感じながらもとりあえずインターホンを押す。ピンポーン、というごく  
一般的な家庭で聴ける音が響き、しばらくするとマイクから女性の声がした。  
『はーい、どちら様?』  
「桃月学園1年D組の犬神と申します。操さんはご在宅ですか?」  
『い、犬神君!?ちょ、ちょっと待っててくださいな!今あけますわ!』  
プツッとマイクが切れると、今度は大仰な音をさせて黒い格子の扉が開いた。玄関と  
思われるドアが開き、南条が走ってくる。  
「ご、ごきげんよう、犬神君。 ご機嫌いかが?」  
「あ、ああ。そんなに悪くはないな。…何をそんなに急いでいるんだ?」  
「…な、なんでもありませんのよ。おほほほほ……さ、お上がりになって」  
「ああ、お邪魔する」  
家に上がると漫画でよく見る大豪邸そのままな光景が広がっていた。廊下の脇に  
やたらピカピカ光るツボとか置いてある。壁にはトナカイ(だと思う)の頭部の剥製。  
床には延々と赤い絨毯だ。  
ここまでストレートにやってくれるとすがすがしくもあるな、と犬神は唖然としながらも思った。  
「? どうしましたの?」  
「い、いや。なんでもないぞ」  
「そう?まあ、いいですわ。それじゃあ、早速ネコさん見る?それともお昼御飯にする?」  
南条としては『昼御飯』といって欲しかった。…わざわざ昨日、二人っきりになるために  
家中のお手伝いさんやらメイドやら執事やらに今日一日の休みを与えたのだ。全員が  
いなくなったのを確認すると、屋敷中を大急ぎで掃除した。それはもう、人間業とは  
思えないスピード&クオリティで。『犬神君が来る!』というのは彼女にとっては  
一大事件だ。絶対無理だと思っていた矢先のチャンス。逃したくなかった。  
さらに思いっきり自分のことをアピールできるチャンスでもある。料理が得意な自分の  
腕の見せ所だ、と思っていた。  
「いや、昼食は済ませてきたんだ。ネコをみせてもらいたいな」  
「…あ、あら、そう。それじゃ、こちらに来てくださる?」  
がっくり。でもまあ、まだチャンスはある。あとでおやつにクッキーでも焼こう、と思った。  
 
屋敷の中の一角に、『みさおとどーぶつさんのおへや』というロゴが書かれたドアがあった。  
「ここですわ。世界中から、みなしごの動物さんを集めていますの」  
「世界…」  
「? どうかなさって?」  
「あー、いや、動物好きなのはいいことだと思うぞ」  
「? 褒め言葉かしら?ええ、動物さんは大好きですわ。さ、どうぞお入りになって」  
がちゃ、とドアを開ける。犬神が中をのぞくと…ワンダーワールドが広がっていた。  
天井がなく、とても広い空間には、太陽の光がさんさんと照っていた。床の芝生と  
太陽のにおいが心地いい。大きな噴水が涼しさを感じさせる。そんな中にたくさんの  
動物がいた。ハブだろうがゴリラだろうがライオンだろうが、ウサギだろうがタヌキだろうが  
イヌだろうが。みんながみんな一緒の空間で遊んでいた。  
「…これは…なんというか…スゴイな」  
「そうでしょう?うふふ、さ、ネコさんは…たぶん、こちらですわ」  
南条に促され、中に入る。ものめずらしいものを見るように、犬神はまわりを  
きょろきょろしていた。  
「…なあ、南条。こんなにたくさんの動物がいると…その、共食いとかしないのか?」  
「大丈夫ですわ。教育がしっかり行き届いてますの。そういったことは一度もありま  
せんのよ」  
犬神がふと思った疑問を口走ると、南条はまってましたといわんばかりに、自信  
満々で誇らしげな笑顔で答えた。  
「そうか…それはすごいな」  
「うふふ、私、動物のお世話なら一級の調教師にも勝てる自身がありましてよ」   
「お前が教育してるのか!?」  
「? 動物さんは大事な家族ですわ。お互いに理解を深めるのは当然ではなくて?」  
キョトンとした顔でさも当然のように答える。 こいつは…思ったよりずっとすごいヤツ  
なのかもしれない。  
お嬢様なら調教師にまかせることもできるだろうに。でも、動物をはっきり『家族』と  
いえる彼女の目はとてもきれいだと思った。  
 
「…本当に偉いな、南条は」  
「え…」  
突然ほめられ、顔が真っ赤に染まる。  
「…そ、そんなことありませんわよ…そ、その…  あう」  
そのまま、顔を伏せってしまった。ちょっともじもじなんかしちゃったりして。  
(う…か、かわいい…かも…)  
普段は超クールな犬神だが、思わずそんなことを考えてしまう。普段見せない女の  
子のしぐさには男は弱いものだった。  
「も、もう!突然ヘンなこといわないで下さいな!」  
「あ、いや、その…すまん」  
ばっと真っ赤な顔を上げて抗議する操にまたかわいい、と思ってしまった犬神だった  
がいわないでおいた。言ったら何されるか…。  
「まったくもう…あ。ほら。ネコさんたち、あそこで固まってますわ」  
ネコゾーンについたらしい。南条の肩越しに見てみると。ネコ。ネコ。ネコネコネコ。  
すばらしいくらいネコばっかりだ。  
「ごきげんよう、トンカツ。クシヤキも。アサヅケ、タマゴヤキ、ヤキジャケ、喧嘩はしてない?」  
にゃーにゃーにゃーにゃー。にゃーにゃーにゃーにゃー。  
視界一面のネコに犬神は呆然としている。生まれてこの方、こんな大量のネコを  
一度に見たことはなかった。いや普通はないだろうけど。   
「ほら、犬神君。みんなが犬神君にご挨拶したいって」  
「え。あ、ああ」  
床に腰掛け、手近なネコを一匹抱いてみる。やわらかな毛と肉の感触が気持ちいい。  
ネコのほうも気持ちよさそうにゴロゴロいっている。  
「あら、犬神君たら。さっそく気に入られちゃったみたいですわね。ふふっ」  
「…そうなのか。…しかし、ネコというのもなかなかかわいいな」  
「そうでしょ?ほらほら、みんな犬神君に相手してもらいたいみたいですわよ」  
そう言われ、ふとみると大量のネコのほとんどが自分に目を向けている。何匹かは  
すでに頭にのったり、肩にのったり。やれやれだな、と思いながらもまんざらでもない犬神だった。  
 
 
その後、南条と犬神はネコや他の動物たちと数時間も戯れていた。実際、ネコ  
をはじめ、動物と遊ぶことは犬神が思っていたよりもずっと楽しく、自分の新たな  
側面を見つけることができたような気分だった。…こんなところ、橘や修には絶対  
見せられないな。  
…どさくさにまぎれて何回か犬神に抱きつくことができた南条は幸せの絶頂だったそうな。  
 
 ポッ。  
 
「…ん?」  
「…あら?」  
顔に冷たい感触を感じて空を見上げると。さっきの太陽はどこへやら、雨雲が空を  
埋め尽くしている。夢中で遊んでいるうちに、天気が急変したらしい。  
「これはマズいかもしれないな」  
「そうですわね…みんな、屋敷に入って!」  
南条が指示すると、動物たちはササっと列をつくり、器用にドアをあけて屋敷の中へ  
入っていく。一種シュールな光景だったが、数時間のうちにこの場に適応した犬神は  
もはや何の疑問ももたなかった。恐るべし、南条家クオリティ。  
「ほら、犬神君。私たちも入りましょう」  
「ああ、そうだな。ぬれたらかなわん…っと。ちょっとまて、南条」  
「何?どうかしたの?」  
「あそこ…ネコが一匹まだいるな。入り損ねたのか?…ちょっとつれてくる」  
言うや否や、全力で駆ける。南条が何か言っているようだったが、あいにく聞こえ  
なかった。  
 
ザーッと強い雨が降り始めた。参ったな、とは思うがすみっこで縮こまっているネコを  
一匹だけ残しておくのも気が引ける。さっさと助けて中に入れてもらおう。そう思い、  
手早くネコを胸にえ、雨にぬれないようポケットに入れておいたハンドタオルをかぶ  
せると、南条があけて待っていてくれたドアにかけこんだ。  
「……ふう。すまないな、南条」  
「ううん、こっちこそ。ネコさん助けてくれてありがとう。…よかったわね、カニカマ」   
「にゃー」  
カニカマと呼ばれた茶色のネコが返事を返す。心なしか犬神の胸に顔をすりよせ  
ているように見えなくもない。感謝しているのだろうか。  
「にゃー」  
すりすりすりすり。  
「お、おい…」  
「あらあら。カニカマったら、すっかり犬神君にフォーリンラヴみたいですわね」  
くすくす、と南条が笑う。と、ふと思いついたように南条が提案した。  
「犬神君、このコ、もって帰らない?」  
「え?」  
 
「ほら、ネコさん、買わなきゃいけないって言ってたでしょう?このコ、犬神君が大好きに  
なっちゃったみたいだし、ちょうどいいんじゃないかしら?」  
「…そうか?…うーん、しかしだな」  
「ん?何かしら?」  
「こんなみんなが仲良くしているのに、一匹だけ突然いなくなったらみんな悲しむん  
じゃないか?ほら、もうみんな、家族みたいなものなんだろう?」  
「んー…」  
犬神の指摘に、南条は少しだけ考えるしぐさをしてみせる。しばらく何かを考えてい  
たが、ようやく口を開いた。  
「…本人に聞きましょう。本人のしたいようにするのが一番大事ですわ」  
「…きけるのか?」  
「メソウサちゃんだって意思疎通できてるでしょう?ねえ、カニカマ。あなた、犬神君と  
一緒にいたいと思う?ここより、犬神君の家にいたいと思う?」  
「にゃ…」  
カニカマはしばらく迷ったような顔をしていたが。  
「にゃー」  
コクコクとうなずいた。気がした。  
「うん、これならいいわね。…私からもお願いしますわ、犬神君。カニカマを、もらって  
くださる?」  
「…本当か?…まあ、そういうなら…」  
犬神がカニカマと目をあわせる。ふっと目だけでわらって、一言だけ言った。  
「よろしくな、カニカマ」  
 
やたら明るいリビング(大食堂といったほうがいいんじゃないか、とは犬神の弁)の  
テレビをつけ、南条と犬神は二人で天気予報を見ていた。  
『えー、桃月市は接近中の大型台風により今夜から朝にかけて大雨。場所によっては  
停電もあるかもしれません。外出はひかえましょう』  
「…運がないな」  
「…ですわね」  
二人そろって大きくため息をついた。ヘタをすると、大雨の中ビショ濡れで帰ることに  
なるな。…ビショ濡れでも帰れるだけマシか?そんなことを考えていると、テレビカ  
メラが見慣れた場を映した。  
「…あら、桃月学園ですわね」  
「ああ、本当だ。…この大雨の中に生中継?テレビ局も大変だな…」  
そんなことを話していると妙にノリノリなお姉さんが登場した。キャスターなのだろうが、  
やたらニコニコしている。…が、すでに両手足が強風でガクガク震えており、傘も  
バタバタいってい。正直、見ていて危なっかしい。  
「は、はーい!ウ、ウクレレ桜子でぇ〜っす!きょ、今日は、…きゃ…! あ、あの、  
こ、この台風の強さを…い、いやーーーーー!!」  
「あー!桜子さーーーん!!」  
 
そこまでいうとウクレレ桜子と名乗った女性は傘に引っ張られてどこかに飛んでいって  
しまった。と。  
「しばらくお待ちください…」  
その画面でとまってしまった。しばらく無言で画面を見詰めていた二人だが、しばらく  
して南条がゆっくりとテレビの電源を切った。  
「…これじゃ、帰れませんわね」  
「…だな」  
最悪だ。明日は学校だっていうのに(台風で休校の可能性も十分あるが)。教科書  
類は全部自宅においておく主義の犬神にとってはまさに悲劇といえた。…それに。  
「…あー、その、だな。南条。非常に言いにくいことではあるんだが」  
「ん?なんですの?」  
「…このままだと、この家に泊まらせてもらわざるを得ない…と思うんだが…」  
「…… …あ」  
考えてもみなかったひとつの可能性が、今まさに目の前で実現しようとしている。  
そのことに南条はいまさらながらに気づいた。犬神君が私の家にお泊り。お泊り。  
……そ、その。私の部で。私のベッドで… …その。一緒に…寝ちゃったり…とか。  
…そ、それで…そのまま…  
 
いつもよりかなり過激な妄想が頭の中を縦横無尽にかけめぐる。もう、しっちゃか  
めっちゃかな妄想だ。  
「…… …はう」  
「な、南条?どうした!?」  
ぷしゅー、と頭から煙をふいてぶっ倒れた。顔を真っ赤にして目をぐるぐるに回している。  
…が。  
「な、なんでもありませんわ!!」  
「うお!?」  
即座に復活した。犬神の前でだらしのないところは見せられないというすばらしい  
までの意地だった。  
「お、おほん!ま、まあ、しょうがないですわ。今日は私の家に泊まっておいきなさい。  
あとで着替えと部屋は用意しますわ」  
「…そ、そうか。すまないな。」  
「いいですわよ。…そ・の・か・わ・り」  
人差し指をたて、犬神の顔の前で振って見せる。イタズラっ子のような顔がまた  
かわいいと思ってしまう犬神だった。  
「今日はカニカマのお別れパーティーをしますわ。お料理、手伝ってもらいますわよ」  
「…パーティー?いるのは私とお前だけだが…」  
「もう、何いってますの?…ほら、みんな、お別れパーティーしたいみたいですわよ」  
犬神の後ろをぴっと指差す。後ろを見るとさっきまで中庭で遊んでいたみんなが  
さまざまな鳴き声をあげて盛り上がっていた。…ように見えた。でも、南条でなくても  
わかる。みんな、『カニカマのために立派なお祝いをしてあげたい!』という強いオーラを  
にじませていた。  
 
ふむ、と肩をすくめ。  
「いいぞ。料理は嫌いではない」  
「決まり♪それじゃ、さっそく用意しましょうか」  
「ああ」  
二人ならんで、キッチンに向かう。犬神君と一緒にお料理。考えただけで、ウキウキ  
する。思いっきり、満喫してやるんだから。  
そして犬神も。南条と一緒に料理。……悪い気はしない…いや、いい気分だ。  
すごく。…満喫しよう。  
なんだかんだで似たり寄ったりな二人。二人の顔は誰がみてもわかるほどうれしそうだった  
 
「犬神君、ジャガイモを…そうね、4つほど皮むいてくださいな」  
「わかった」  
しゃりしゃり、と器用な手先でジャガイモの皮をむく。…目線だけで周りを見渡してみる。  
「エリックはコゲないようにこれを見ていて頂戴。マイケル、これ全部輪切りにして。  
エミリー、みんなと協力して人数分の食器をテーブルに並べてね」  
キッチン(一流ホテルの厨房並みだ)の中では南条と犬神のほかにライオンやら  
ゴリラやらヘビやらオオサンショウウオやらが南条の指示にすばやく従い、お手  
伝いをしていた。…なるほど、『みんなの』お別れパーティー、か。みんなで協力して  
イベントを成功させるというのはとても楽しいことだ。クールな犬神ではあったが、  
こういったことは人一倍に好きだった。  
「ジャック、これを円状に盛り付けて。ビリー、これ全部にサクランボをひとつずつ  
乗っけていって。テオドルはー…」  
指示を出しながらも泡だて器をぐるぐるまわす南条。器用すぎる。  
そんなせわしなさが2時間と少し続いた。  
 
「…あー、疲れましたわ」  
「…だな。これだけの人数分がこんな短時間でできたこと自体が奇跡といっていい  
かもしれないな」  
テーブルにはびっしりと料理が並んでいる。時間の関係で簡単なものが多かったが、  
味は二人揃って太鼓判を押せると思っていた。  
…それにしても多い。量が。正直、何人分かわからない。皆の協力がなければとても  
できる芸当ではなかっただろう。  
それに、忙しかったけど楽しかった。とにかく楽しかった。こんなに楽しいと思えた  
のは南条も犬神も久しぶりだった。何が楽しかったのかって言われると困るけど、  
すべてが楽しかった。  
今は8時45分。せっかくのパーティーなのだから、キリのいい時間にはじめようと  
開始は9時ということになっていた。リビングの床で、動物たちはみんな疲れたのか  
ぐでー、と大の字になって休憩中だ。そんなところをみると、思わず笑いがこみあげて  
きてしまう。  
「…はは。みんな、がんばったな」  
「あら、笑うなんて珍しいですわね」  
「ん?そうか?」  
「そうですわよ。犬神君はもっと笑ったほうがいいですわ。せっかく先生もクラスの  
皆も面白い方が多いんだから」  
「そうか。お前がそう言うならそうしたほうがいいのかもしれないな。気をつけよう」  
「ん。よろしい」  
 
そこまで言って、二人は声をあげて笑った。思えば、こんな風に友達同士が普通に  
するような話って、あまりしたことなかったな。…なんだか、ひとつ屋根の下で男女が  
寝泊りするっていう考えようによってはとんでもない状況なのに、二人ともすごく  
自然体な感じだった。  
しばらく座って談笑していた二人だったが、犬神があることに気づいた。  
「…そういえば南条、今日は親御さんはいないのか?ここに来てからそれらしい人  
に会っていないんだが」  
「ああ、両親は海外で仕事していてここにはほとんどいませんの。私にとっての家  
族は使用人の皆と動物さんですわ。」  
しまった。…気づくべきだった。  
「あ……す、すまん。本当に、悪かった」  
そう謝罪するが、南条は首を左右に振った。  
「ううん、いいの。…もう、慣れちゃったから」  
 
そうは言っているけど、そのしゃべり方は少しだけさびしそうだった。犬神は思う。  
多分、さっき南条がいった『家族は使用人たちと動物たち』という言葉は真実なの  
だと。実の両親と一緒にいることが少なかった南条にとって、特に動物たちは彼女を  
支える、とてもとても大事な部分なんだと。もちろん、これは彼の勝手な推測だ。  
でも、彼女は彼らを『家族』だという。  
家族は無条件で大事なものであると犬神は考えていた。少なくとも、彼女は『家族』  
を大事に思える心優しい子なのだと。  
そして彼女は『家族』の一員であるカニカマを『もらってくれ』と言ってくれた。  
大事な家族を自分に任せてくれた。  
その信頼にはこたえなくてはならないと思った。カニカマを大事にすることで、今の  
発言の謝罪にあてようと思った。  
「さ、もう時間ですわ。御飯にしましょう?」  
「あ、ああ。そうだな」  
そして、せめて少しだけ。  
「南条、手を出せ」  
「…え、な、何を…」  
「女性をエスコートするのは男性の役目…らしいぞ」  
「…あ、あう」  
その分を今、ほんの少しだけでも、彼女を支えてあげたいと思った。  
 
 
「…未成年なのにあんなに飲むやつがあるか…」  
「…ういー。…ひっく」  
パーティーは大盛況だった。最初こそ礼儀ただしく食べていたみんなだったが、しば  
らくしてそんな堅苦しい空気に耐えられなくなったのかいつの間にか大食い・飲み  
大会になっていた。  
南条もどちらかといえばそういった空気のほうが好ましいのか、動物たちと張り合って  
食べたり飲んだりしていた。…犬神は静かなほうが好きなので一人カヤの外だったが。  
肝心のカニカマは結構ハデに食べたりしていたみたいで途中から犬神の頭の上に  
乗って寝てしまったようだ。  
まあ何はともあれ、カニカマを含む全員が思いっきり楽しんでいたみたいなので  
パーティーは成功といえるだろう。  
…夜11時をまわったころ、ほぼ全員ダウンしてしまったので。  
「おんぶなんて、数年前に妹にしてやったっきりだったんだが…」  
「ういー」  
「…はあ」  
ため息なんてついているが、内心かなりドキドキしている。まだ好きかどうかはよく  
わからないとはいえ、意識している女の子をおんぶしているのだ。こう、背中の上  
のほうに感じる妙にやわらかい感触にどうしても意識がいってしまう。煩悩をふり  
はらうかのごとく、頭をぶんぶんと振った。カニカマがずり落ちそうになるが、なんとか  
体勢を立て直す。  
 
明日起きたら、まずは片付けしないとなあと思いながら、先ほど南条に使え、と  
いわれた客間になんとかたどり着き、彼女をベッドに寝かせた。  
電気をつけなくても、さっきより幾分か弱くなった雨の合間から月が顔を覗かせ、  
部屋を照らしている。  
「…思ったより軽いんだな、お前」  
「くかー」  
「…男女が同じ部屋で寝るのはまずいだろうし、私は廊下で…」  
と。部屋から出ようとした犬神の服のすそを南条の右手がつかむ。  
「くかー」  
「…勘弁してくれ…」  
「くかー」  
犬神は思う。これはマズイ。いや、この手をふりほどくのは簡単だ。が、意外とフェミ  
ニストなところがある彼にはたとえ寝ている女性が相手だろうとそんな邪険にする  
ようなことができるはずがなかった。だからってこのまま一緒に寝て…ああ、もう  
いっそのこと…私ももうだいぶ眠たいし…  
 
「にゃー」  
「!!」  
びっくりした。危ない危ない。ヨコシマな考えがカニカマの一言(寝言)でふっとんだ。  
やっぱり恋人同士でもないのに一緒に寝たりするのは  
 
 
「ん…いぬがみくぅん…」  
「…………」  
…なんでもう、こいつは。狙ったようなタイミングで。  
「…お前が望んだことだからな…多分」  
短く言って。カニカマは枕元に寝かせて。布団にもぐりこんだ。  
まあ、こう、ゴニョゴニョなことを相手に無断で「して」しまうほど犬神は悪いヤツ  
じゃない。とりあえず、南条がつかんで離さないすそはそのままで、極力からだに  
触れないようにして。  
「…コイツより先に起きないといけないな…」  
ちらっととなりで眠る女の子の顔を見る。心なしか顔は赤く、そしてこれ以上ない  
ほど幸せそうな寝顔だった。  
「…お休み、南条」  
隣で眠る少女にお休みを言うと、ドキドキする胸と格闘しながら目を閉じた。  
 
 
「ん…うぅん…」  
午前3時、南条は目をこすり、むくりと起き上がった。頭がかなりぼぉっとしている。  
結構飲んだからかしら。…慣れないことはするもんじゃありませんわね。…? このあったかいのは…  
「…犬神君!?」  
え      
なんで       
どうして?  
な  
なんで、一緒のベッドで…  
瞬間、顔がぼっと赤くなるのを感じた。当たり前だ。起きたと思ったら何故かベッド。  
しかも想い人が一緒に寝ているのだ。生まれてこの方、ここまで驚いたのは初めて  
といっていい。  
「……え、えっと…」  
お酒と眠たさでぐちゃぐちゃな頭で考える。必死で考える。  
「…… 夢?」  
…ごく一般的な結論にいきついた。まあ、今までのつきあいから、犬神が女の子  
と一緒のベッドにもぐりこむなんてことは考えられなかったし、当然といえば当然だった。  
 
『…… … 夢なら…何しても…いいわよね?」  
ぽつりと言って。左手を犬神の右の頬にすべらせる。ううん、と寝返りをうつ。おきた  
か、とびっくりしたがどうやらそうではないようだ。  
ほっと胸をなでおろし、まだぼぉっとする頭で言葉をつむぐ。  
「ね…犬神君… あなたは、私のことをどう思ってますの…?」  
「…もしかしたら、少しは私のことを気にしてくれてたりするのかしら」  
「ね、知ってる?あなたが芹沢さんや、ベホイミさんと話してるとき…私、すごく胸が  
痛みますの」  
「…あなたの声を、笑顔を…あなたを、独占したいって思ってるの…バカだと思う  
でしょ?…でもね…」  
ああ、何を言ってるんだろう。いつもだったら、夢の中でもこんなことは言わないのに。  
…うう、お酒のせいですわ、そう、お酒の…  
ぼぉっとする頭では、夢の中にまでお酒の力が及ぶことはないんじゃないか、と  
いうことは考えられないみたいだった。  
「私… 私ね…」  
 
胸をおさえながら。大きく、一度だけ深呼吸して。  
 
「…好きだから。あなたが好き。大好きだから」  
言ってしまった。猛烈に顔が赤くなるのを感じる。  
…でも、ここまできたらもう勢いだ。ここでやめたらお嬢様のプライドにかかわる。  
私は南条操。私の辞書には『後悔』の二文字はないの。  
「…犬神君…」  
   
その顔にそっと唇をよせて。そのまま  
 
 
「…参ったな…」  
隣で眠るお嬢様に目を向けて、犬神は一人ごちた。  
…自分が寝たふりをしていたとはいえ、女の子に直球ド真中ストレートな告白をされた。  
し、しかも…  
思わず顔が赤くなる。心臓の鼓動が激しくなる。  
「…まさか、女性に先を越されるとはな…」  
でも、どうやら南条自身は先ほどのできごとを夢だと思ってるみたいだったな。  
それがまだ幸運か。  
…それにしても。  
その…されたとき、胸に幸せな気持ちがいっぱいに広がった。  
南条が愛しくて仕方なかった。  
…どうやら。  
「…南条。どうやら、私もお前のことが『好き』らしい」  
自分でも信じられない気分だ。まさか自分に好きな女性ができるなんて。  
でも、ああ、こんなにもいい気分だ。  
だからもう遠慮するのはやめた。  
「明日、覚悟しておけよ」  
それだけ言って、正面から抱きしめる。なんだか、逆に落ち着いてきた。  
そのまま愛しい女性の暖かさを感じながら、今度こそ犬神も眠りに落ちていった。  
 
 
「つるぎさーん!」  
南条が満面の笑顔で手を振っている。  
廊下で修とテストの確認をしていた犬神は思わずピシッと固まってしまった。  
「な、南条…」  
「おーおー、若奥様の登場だな♪」  
「修!」  
「にゃー」  
修の一言に廊下を歩いていたほぼ全員が振り返り、またやってるよ、と苦笑い。  
   
『あの』出来事の翌日。結局授業はあった。  
放課後、南条を屋上に呼び出すと、自分には似合わないほどのストレートな言葉で  
自分の気持ちを伝えた。  
『好きだ。付き合ってくれ』と。  
そこからが大変だった。南条は膝から崩れてぽろぽろ嬉し泣きしつつ抱きついてくる  
し隅っこのほうで橘がカメラでなんかパシャパシャ撮ってるしその写真を見た学園中の  
ヤツらから散々冷やかされるし。  
その翌日から、南条は犬神を『つるぎさん』と呼ぶようになった。心臓が止まるかと思った。  
『将来のだんな様ですもの。当然ですわ』らしい。  
犬神にとっては正直、恥ずかしくてしょうがない。  
そんなこんなではや一ヶ月。  
そういえば、カニカマは犬神の頭の上が定位置になってしまったのか、もはや犬神と  
セットなイメージだ。  
雅も『お兄ちゃん、好かれてるね』と笑いながら言っただけだった。どうやら飼いたい、  
のではなくネコと一緒にいたかっただけらしい。  
…まあ、それを含めてようやく慣れてきたものの、どうにも南条にはベタベタされすぎてる気もする。  
…嬉しいけど。  
 
「はい、つるぎさん。お弁当ですわ。一緒に食べましょう?」  
「あ、あー…別にかまわないが」  
「よろしい♪それじゃ、屋上いきましょ♪」  
「あ、おい、ちょっと南条…お、おい!修!頼む!一緒に来てくれ!」  
「にゃー」  
「いやいや、夫婦水入らずを邪魔したりはしねぇよ」  
「裏切り者ー!」  
南条にずるずる引きずられて。  
それでも、全然イヤなわけじゃなくて。  
「…ああもう、自分で歩けるから離してくれ…操」  
「!! …なな…」  
してやったり。やられっぱなしは性分じゃないんだ。  
「ほら、屋上に行くんだろう?」  
「え、ええ…」  
「なんだ?自分は名前で呼ばれるのイヤだったか?」  
「そ、そんなこと!」  
ふふっと笑って。   
「…これからもよろしくな、操」  
「にゃー」  
「え…そ、その…こ、こちらこそ、お願いしますわ」  
   
これから、まだまだ沢山大変なこともあるけど…それはまた、別のおはなし。  
 
 

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