ある平穏な放課後、高瀬和也が演劇部の部室で書類のチェックをしていると、部長の藤宮円が満面の笑顔
を浮かべて言った。
「おいバカキザ。今日の私はひと味違うぞ」
…どこが?
子供っぽい顔立ち、もう十八歳だというのになんかかわいいリボンで髪をまとめた、和也より頭ふたつ分も身長
の低い上級生。いつもとなにも、変わったところはない。姿かたちだけではなく、その暴虐きわまる言動も。
「わかんないのかバカキザーッ!?」
返答に窮している和也の前で、円が地団駄を踏み始めた。これじゃ本当に子供だ。
「あのー、部長。昨日と全然変わったところはありませんが」
「わかんないのかハゲーッ!!」
相手してらんない。
ぎゃいぎゃい騒ぐ先輩に見切りをつけ、机に向きなおる。はやくハルカ先輩が来てくれることを祈ろう。
ややあって、静かになった。
が、すぐに。
がた。ずる。ごっとん。と、椅子を引きずる音。
…またかよ。
「よいしょ。動くなバカキザ」
「…はいはい」
なんでこの人は、俺に肩車を強制するかなあ…。
円は椅子を踏み台にして和也によじ登り、有無を言わせず肩に乗ると、ふとももで後輩の頭をぎゅむと挟んだ。
「…落っこちないでくださいよ」
「黙れバカキザ」
和也は書類仕事を再開する。
時間が過ぎていった。ハルカ先輩は、まだ来ない。今日は欠席ではなかったはずだが。
文面に目を走らせる。支出と伝票を照らしあわせ、検算。OK。サインをして、次の書類をたぐりよせる。
もぞ。
円が、ふとももを少し揺らす。
「先輩。疲れませんか」
「うるさい」
円が、身を丸めた。おなかを和也の頭のうしろにぴったり押しつけ、ぎゅううと前のめりになった。和也は、がっくり
うなだれる姿勢になる。
「…先輩。これじゃ仕事できません」
「へへーんだ」
さらに押しつけられる、おなか。ぎゅっと締まる、ふともも。伝わってくる体温。
決めた。
「…先輩。しっかりつかまっててくださいよ」
「へ? …わ? わわわっ?」
和也は両手を机につき、両脚に全力を込めて一息に立ち上がった。がたんっと椅子が倒れる音。
「わわわわッ? わーっ!?」
肩の上で円が身をよじった。両腕で和也の頭を抱えるようにしてしがみつく。
「ななななにすんだバカキザハゲこのスカポンタンのスットコドッコイの、」
「先輩。大丈夫だから、背筋ぴっと伸ばして。ほら」
「なななにを言って……あ」
少女が、はっとする気配。すっと、身体を起こしたのを和也は感じる。
「わーあ!? 高ーい! すごーい!」
円の、はしゃぐ声が天から降ってきた。
「じゃあ、いいですか。しっかりつかまっててください」
「え? あ?」
和也は、すたすたと歩き始める。
「ちょ、ちょっと!? 高瀬!?」
そのまま演劇部の部室を出る。廊下を歩き始めて十歩も行かないうちに、あっけにとられて目を丸くした生徒に
出くわした。どーも、と会釈して和也はそのまま通り過ぎる。二人を見送るびっくり顔は歩みを進めるうちにさらに
増え、なんだなんだと野次馬が集まりはじめ、やがて教師のレベッカ宮本と鉢合わせした。
「…なにやってんだおまえら」
「え。あー、そのこれは…えっと…」
やけに気弱な円の声。
「あー、これはですね」和也はちょっと考え、言った。「演劇の練習です」
「へー…」
「じゃ、皆さん、これで失礼」
和也は野次馬の間をすたすたと歩いていく。ああ、演劇部の練習ね、今度はなにを始めるのかな、などと色々な
声が聞こえ、やがて背後に消えていった。
和也はそのまま、円を肩車して校内を歩いていった。教師に咎められればさっきとおなじ説明をして了解を得た。
だんだん円は普段の調子を取り戻してきて、和也に矢継ぎ早に命令した。どこそこへ行こう、もっと速く歩け、こらー
揺らすなバカキザー!
はいはいと言いながら和也は、円の命令をみんなかなえてやった。
「はい、終点」
演劇部の部室の前で、和也は言った。
円が、うん、と答えるまで、少しの間があった。
まだ肩車をしたままドアをくぐった和也に、円は笑って言った。
「さっきの言い訳だけど、『演劇の練習』ねえ。これ、いったいどういう演技になんのよ?」
「おや、先輩。わかりませんか?」
「へ?」
「『恋人同士じゃない俺たち』って演技ですよ」
「……え?」
円は、息を飲む。
和也が顔を横に向け、円のふともの内側に口づけしたから。
和也の唇が、なめらかな肌を吸ったから。和也の舌が、まだ誰も触れたことのないところを熱く這ったから。
和也が、ほんとうは……
「たしかに今日は、先輩はひと味違いましたね」
放心してふにゃりとだらしなく力をなくした円をそっと肩から降ろし、それでも疲れた様子もなく、和也は先輩を
お姫様だっこした。
「肩車してわかりましたよ。先輩、いつもと下着が違う。あんなにぐりぐり押しつけられたら、いやでもわかる」
円の顔が、紅潮する。
「すごく布地の薄いパンティですね。首筋に、先輩の下腹部のかたちがハッキリ感じ取れましたよ」
円が、うつむく。
「俺に見せたかったんでしょう? ほら、見せて下さい」
「……で、でも…」
「ほら、スカートをめくって」
「……」
円は恐る恐る手を伸ばし、スカートの裾をつまむと、思い切って引き上げた。
「だって私、子供っぽいもん」
拗ねたように、怒っているように、それでいてどこかさみしそうに、円は言った。
「ちびだし。童顔だし。リボンしないと落ち着かないし。ぬいぐるみと一緒でないと眠れないし」
それは子供そのものではないのか。
「せめてオトナっぽい服、着たかったんだよう」
ちょっと想像してみてほしい。円がオトナっぽく、キリリとした、まさに女じゃん! な装いをキめた姿を。
「笑っちゃいますね」
「うるさいバカキザーッ!!」
「それで、せめてランジェリーくらいは、と」
「うううううううううううううううううううううううう」
円は、左右を細ひもで結ぶ、素肌が透けて見えるほど薄い生地のパンティをはいていた。布の縁を飾るレース
模様は繊細で、男の目にも高級品とわかる。
「オトナっぽい服を着たりエッチな下着つけたりしたって、それが本当のオトナっぽさとは言えないでしょう?」
和也は言った。
「そんなお飾りで大人になれるんなら、俺たち演劇部は何やってるんです? 衣装さえ整えれば、名演技が約束
される? 違うでしょ。必要なのは、ありきたりな言い方だけど、その人の中身ですよ。人の外見は人の中身から
にじみ出す、演劇の役作りはそれを絶対忘れるなって、円さん言ったじゃないですか」
「……」
「さて。どうするんです?」
「うるさい。バカキザ」
円は真っ赤っかの顔をあげ、むすっとしたまま、
「大人って、こう?」
「ええ」
ちょっとぎこちない、でもお互いに舌をしっかり絡めるキスをした。
メソッドなんか忘れていい。心のなかにあるきれいななにかにきちんとした形を与えること。それが大切。
「でも先輩。こんなスケスケぱんつはいて人の後ろ頭にまたがるのは大人じゃなくてただの痴女です」
「うるさいバカキザーッ!!」