「性教育やってる!?」  
 一条望が、興味津々のまなざしでベッキーことレベッカ宮本の顔をのぞき込み、そう言った。  
「…………は?」  
 ベッキーは、あごが落ちるのを自覚する。  
 いきなり、この子は、なにを。  
 
 今日は日曜日。ベッキー、一条望、犬神雅の仲良し三人組は、遊びにいく約束をしていた。  
 朝こうして顔をあわせたとき、人間社会の慣習として、最初の一言は「おはよう」とか「わーい誰々ちゃーん」とか  
であろう。が、待ち合わせ場所へ雅といっしょに現れた望は、待っていたベッキーを見つけて駆けつけるなり開口  
一番、先の言葉を発したのである。  
 望はさらに顔を近づけ、うきうきわくわくを抑えられない声で続けた。  
「宮ちゃん、先生でしょ? やっぱりさ、ホームルームの時間に、生徒のみんなにオトコとオンナの、いろいろな  
コトをそれはもうキッチリバッチリミッチリ教えてあげるんでしょ? からだの違いとか。オトコのコのよっきゅーを  
オンナのコはどーするのかとか」  
「……の、望、ちゃん???」  
「ああん、もうッ、宮ちゃんオトナなんだから〜〜〜〜ッ!!」  
 ひとりで勝手にヒートアップして、望は肩をぎゅっと抱いてぐるんぐるん回り始めた。  
「どうしたの、コレ?」  
 ベッキーは、かたわらのもう一人の友人、犬神雅にきいた。  
 雅は、お気に入りのノートを両手でぎゅっと握りしめ、顔の下半分を隠していた。それでも、一目瞭然。熱でも  
あるんじゃないかと心配させられるくらい、真っ赤になっている。  
「あのね……昨日ね、麻生先生が……その……ほーむるーむのとき……あの……」  
 声が途切れた。かろうじて残っていた顔の上半分が力尽き、ノートの陰へと沈んでいく。  
「どーもね、ちかごろの小学生に増えてきた性の乱れを心配する、とかってゆーテレビ番組を観て影響された  
らしーんだわ麻生先生」  
 
 いつのまにかいつもの調子に戻っていた望が、ヤレヤレとばかりに首をふる。  
「で、昨日のホームルームのとき、に、ね、……あのね……そのね……ホームルームがね……Hルームに……  
ふ……ふふふ……ふは……ふは、ふははははっはははっははっはははっっはははははははっはははは!!」  
 すっげー怖え。  
 ちょっと後ずさりしながら、ベッキーはだいたいの見当をつけていた。麻生先生は性の乱れの低年齢化を憂え  
る社会派のテレビ番組を観てショックを受け、さっそく自分の教え子たちを清く正しく美しくあれかしと教え導く  
使命感にかられたのだろう。  
 が、どちらかといえば麻生先生こそ性教育を必要とする、カラダはオトナ、ココロはコドモ、の典型ではなかろう  
か。そしてこの情報社会ニッポンに住む耳年増なお子様たちが、ぎこちなくてしどろもどろで、イヤッもう恥ずかし  
いですッ、きゃるーんっ、とへにょんへにょんになった麻生先生の性の教えに、それはもうズコバコと情け容赦な  
く激しいツッコミを入れたのは、想像に難くない。  
 望の高笑いが、ぴたりとおさまった。  
「ね、宮ちゃん」  
 真剣さのあまり、目がすわっている。  
「宮ちゃんは……わかってるよね。オトコとオンナのこと」  
「……えーっと……」  
「教えてほしいなあ……」  
「……それはちょっと……まだはやくない?」  
「そうだよ望ちゃん。私たち、まだ十歳だよ?」  
 おずおずと雅が言った。が望は、  
「そお? でも雅ちゃんは、大好きなお兄ちゃんに手取り足取り教えてもらってるんじゃないの〜〜〜〜〜?」  
「望ちゃああああああああんっ!!」  
 溜め息をついて、ベッキーは思った。これは、適当にはぐらかすわけにはいかない、と。  
「わかった。教えてあげる」  
 覚悟を決めたベッキーの口調に、望と雅が、ぴたりと静かになる。  
「どんなことを知りたい?」  
 雅は、それはそれは真っ赤になってノートに隠れ、うつむいてしまった。もしかしてこの子、もう大抵のことは聞き  
及んでいるのかもしれない。  
 
 望が、言った。  
「赤ちゃんのつくりかた、教えて」  
 ベッキーは頷いた。  
「わかった。どうしてお母さんのおなかに、赤ちゃんができるのか」  
 望が、両手をグーにして身を乗り出す。雅が、ノートのはじっこから真っ赤っかの耳を出す。  
 ベッキーが、言った。  
「女は、好きな男にキスしてもらうと、赤ちゃんができるんだ」  
 
 ちょっとまて。  
 
「ちょっとまて」  
 望は言った。  
「それ、なんの冗談?」  
「冗談なんかじゃないってば。女は好きな男にキスされると、体内の化学的平衡がくずれて女性ホルモンの  
分泌が過多になる。その状態が長く続くと、あー、子宮内にある卵子が着床してだな、妊娠にいたるわけだ。  
そうやってできた赤ちゃんがお母さんのおなかのなかで十月十日かけて成長していくわけ」  
「………………」と雅。  
「………………」と望。  
 胸をはって、しかしちょっと顔を赤くしてベッキーは言った。  
「だからキスっていうのはとっても大切なの。軽々しくやっちゃうもんじゃないんだよ。わかった?」  
 雅は、かたまっている。  
 望が声をあげるまで、たっぷり一分はかかった。  
「おしべとめしべは?」  
「そりゃ植物の話だよ」  
「せーしとらんしは?」  
「魚類の繁殖法」  
「交尾は?」  
「動物、主に哺乳類の、上下関係の確認を目的とするマウンティングのこと」  
 
「いや、だから、どーして生き物のオスとメスは、人間のオトコとオンナは、セックスするの!?」  
 あっけにとられて、ベッキーは聞き返した。  
「せっくすするって、なに? SEXって、性別って意味だけど」  
 
 ちょっとまて。  
 
「ちょっと待て」  
 望は言った。  
「宮ちゃんさ、……その、赤ちゃんのつくりかた、いったい誰に教わったの」  
「私のお姉ちゃん」  
 えっへん、と胸をはるベッキー。  
「……宮ちゃん、だまされてる……」  
 望が、うめく。  
「……え? え?」  
「宮本さんのお姉さん、ウソ教えてる」  
 雅が、ささやく。  
「え? ウソ?」  
 ベッキーはうろたえた。  
「え? だって、前に、お姉ちゃんに『私はどうやって生まれてきたの?』ってきいたら、パパとママが毎日キス  
して愛しあったからって言ったよ? それで赤ちゃんが、私が、ママのおなかに宿ったって」  
「いや、だからさー……」  
 と望は首をふり、  
「そうじゃなくて……」  
 と雅はまた顔を赤くして、  
「はあ〜…………」  
「ふあ〜…………」  
 肺を空にするような溜め息をついたふたりだった。  
 
「え? え? 違うの?」  
 ベッキーは不安の滲んだ声で続けた。  
「私がおなかにいたとき、お姉ちゃんはママにきいたんだって。赤ちゃんは、どこから来るのか。  
 神さまのいるところから来るんだ、って。  
 赤ちゃんはみんな神さまが魂を授けてくれるんだ、お姉ちゃんもそうだったし、レベッカもそう。パパもママも、  
この世に生まれてきた人はみんな神さまから命をもらったんだって。みんな大切な宝ものなんだって。  
                                                     …………違うの?」  
 
 ふたりが返事をするまでに、しばらくの間があった。  
「……………ううん。違わない」  
 望は、言った。  
 とてもやさしい笑顔をしていた。  
「そうだよね。違わないよね」  
 雅は、言った。  
 とても嬉しそうな笑顔をしていた。  
「???」  
 ベッキーは、なにがなんだかわからない顔をしていた。  
 さあっと、光がさした。  
 太陽が背の高い建物をようやく飛び越えて、朝の陽射しを三人に投げかけはじめた。  
 暖かい。今日は、もしかすると暑くなるかも。  
 そんななかで望は深刻そうな表情になり、うーむ、と腕組みをして言った。  
「でも宮ちゃんは、雅ちゃんのお兄ちゃんに手ほどきしてもらう必要があるよね。手遅れにならないうちに」  
「望ちゃああああああん!!」  
「プヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」  
 
「え? あの、なに? なんの話?」  
「あーもー、宮ちゃんたら可愛いんだから」  
 望がベッキーの片方の手を、ぎゅっと握りしめる。  
「私も」  
 雅がベッキーのもう片方の手を、ぎゅっと握りしめる。  
 ベッキーは、まだ、なにがなんだかまだわからない顔をしていた。  
 十歳の女の子の顔にもどって、望は言った。  
「さーってと。今日はどこへ遊びにいく? ホラー映画なんか、どお?」  
「のののの望ちゃんそれやだやだそれ」  
「雅ちゃんも、お子様なんだからもー」  
 すたすたと歩き始めるふたりに引っ張られ、とまどいながらベッキーはきいた。  
「ねえ……ふたりとも、なんか私に隠し事してない? 赤ちゃんのこと」  
 望は目を細めてプヒヒヒヒと笑い、雅は真っ赤になった顔をノートで隠した。  
 手をつないだまま、仲良し三人組は元気よく歩いていく。  
 
 今日は日曜日。子供たちの時間。  
 
                                                            おしまい  
 
 

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