とある日の午後、宮本研究室にて  
 
「宮本先生、ちょっといいですか?」  
「ん? ああいいぞ、犬神。お前が来るのは珍しいな」  
「実は相談したいことがありまして…」  
 
「またか…ここは悩み相談室じゃないって言ってるのに…ハァ」  
 
生徒が相談に来るたびに同じ文句を言いつつも、むげに追い返したりはしない。  
だからこそ生徒たちは彼女を慕って毎日のように相談に訪れるのである。  
 
「で、相談したいことって何だ?」  
「実は…」  
 
そのまま黙ってしまう犬神。心なしか顔が赤い。  
 
「どうした、いつも冷静なお前らしくないぞ…もしかして雅ちゃんのことか?」  
「あ、いえ、関係ないこともないんですが…あっ」  
 
どうやらこれは失言だったらしい。そのまままた黙りこくってしまう犬神。  
 
こういうとき、いつもなら無理に問い詰めたりはしないのだが、今回はそういうわけ  
にはいかない。犬神の妹、雅はレベッカの元同級生であり、大切な友達なのだ。  
 
そんな心情を犬神も察したのであろう、しばしの逡巡の後、話を再開した。  
 
「実は…雅に『お兄ちゃんのって、「仮性」って言うんだよね』と言われまして」  
「はぁ?」  
 
いきなり異次元に迷い込んだような話をされて、レベッカは面食らった。  
「お兄ちゃんの」の後に何が省略されているのかも、「仮性」が何を意味するのかも  
聡明で知識豊富な彼女にはわかってしまったのだが、そんな言葉が雅から発せら  
れたということが理解できず、またそれがいったいどういう状況で発せられたのかも  
想像がつかない。いや、むしろ想像できてしまう…あらぬ方へと。  
 
「犬神…お前まさか…雅ちゃんに…いくら雅ちゃんが『お兄ちゃん大好き』だからって…」  
「ちがいます、先生、それは誤解です…」  
「じゃあどういう状況なんだ、言ってみろ!事と次第によっては…」  
「話します、話しますから、落ち着いてください…あまり大声を出すと、旧校舎とはいえ…」  
「やっぱり人に聞かれると困る話なのか!」  
「だって恥ずかしいでしょう、その…『包茎』なんて…」  
 
真っ赤になってうつむいてしまう、その恥ずかしがり方があまりにもいつもの冷徹さか  
らかけ離れていて、激昂していたレベッカも、毒気を抜かれてしまう。  
 
「…まあとにかく話してみろ…力になれるかどうかはわからんがな…」  
「はい…」  
 
 
数日前、犬神家は修羅場と化していた。  
 
 「望ちゃんのお姉さんとどういう関係だケロ!」  
 「一条さんは隣のクラスの学級委員…」  
 「そういうことを聞いてるんじゃないケロ!」  
 
このとき犬神は大きな間違いを犯していた。雅はヤキモチで激昂しているが、説得  
すれば暴走は未然に防げる、と思っていたのである。実際には暴走はとっくに始まっ  
ていたのだ。  
 
暴走は今回に始まったことではなく、そのときの扱いにもある程度慣れているはず  
だった。だがその「慣れた」という慢心こそがこの致命的なミスを招いたといえよう。  
 
 「一条さんはたまたま一緒になっただけで…」  
 「それだけであんなに親しげに腕を組む分けないケロ〜〜〜〜!!!!」  
   
犬神が間違いを悟ったのは、雅の強烈な頭突きが鳩尾に極まり、意識を失う直前  
であった。  
 
…  
 
 「…ちゃん」  
 (…ん…私はどうしたのだ…)  
 「お兄ちゃん、お兄ちゃん」  
 (…そうか…雅が暴走して…私は気絶していたのか…)  
 「…雅か…」  
 「お兄ちゃん、大丈夫?」  
 「ん…ああ、大丈夫みたいだ…」  
 「お兄ちゃん、ごめんなさい、こんなことするつもりじゃなかったの…」  
 (もう暴走はおさまったのか…あれから3時間たったのか…?)  
 「謝らなくていい、もう大丈夫だから…って、あれ…」  
 (体が動かない…まだダメージが残ってるのか…いや、拘束されている!)  
   
 「こんなことするつもりなかった…こんなことしたくなかったけど…  
  でもしかたないよね、お兄ちゃんが正直に話してくれないなら…  
  体に聞くしかないよね?」  
   
そういって兄を見つめた雅の目は、逝っていた。  
 

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