シーズン開幕を数日後に控えた、3月のまだ肌寒い昼下がり。  
各球団の練習も開幕ダッシュに向けて、だんだんと熱を帯びてきた。  
 
――またたびスタジアム。ニコニコキャットハンズのホーム球場だ。  
一見ふざけたネーミングの球場だが、新設されてまださほど間もなく、  
設備は真新しく、同年に設立された同じパ・リーグのどこぞの球団の本拠地と違い、  
何もかもが華やかな輝きを放っている。  
 
華やかさと言えば、一昨年には千葉ロッテマリーンズの早川あおいを獲得し、  
新鮮なグラウンドで躍動する姿は、この弱小球団での唯一の「華」だった。  
 
「本当に私なんかが一軍で…大丈夫なのかなぁ…」  
 
ここに華がもうひとつ。今年のキャットハンズは、昨年のあおいフィーバー以上に  
大勢の報道陣と春季キャンプを供にしてきた。  
その華は今、一軍の練習場で捕手を相手に熱心に投げ込んでいる。  
よほどの実力がないと無理とされる、高卒ルーキーの開幕一軍入り。  
 
まして、左腕は女だった。  
 
まだ18歳。傍から見ればそこらの女子高生と大差ない彼女は、  
どういうからくりなのやら、開幕時点での登録は一軍ということになった。  
この采配はチーム内はおろか、マスコミでも大きな反響を呼んだ。  
明らかに2軍にはもっとまともな投手がいるというのに、何故―――。  
 
まだ少女と呼ぶに相応しい彼女も、この事実を重く受け止めた。  
というか、この采配が意図するものはわかっていた、  
誰の目にも明らかなことであったがゆえに、自ずと不信感や悔しさが募った。  
 
「みずき、そろそろ上がろうよ。張り切る気持ちもわかるけど…」  
「お先にどうぞ。私は先輩と違って、まだまだ実力が足りないので…」  
 
先輩の提案を振り切り、またしなやかなサイドスローで投げ込みを続けていく。  
この動力源は何か、と問われれば、これもまた簡単に想像がつくことだ。  
反骨心――自らの実力で、一軍に相応しい活躍を収めるために。  
 
みずきと呼ばれた少女は、あおいがベンチ裏へ消えていくのを目で確認してから、  
再びキャッチャーミットめがけ、へなへなとした直球、変化球を織り交ぜる。  
 
「おい、もう無理すんなよ。全然球がきてねぇ。これ以上やったって…」  
「じゃあ先輩はお先に戻ってください。私はまだ、やるべきことが多いので」  
「だいたいお前は本来なら基礎体力をだな…」  
「一軍に選ばれたんだから、そんなことを言ってる場合じゃないんです」  
 
捕手との問答。口調からは焦燥が見え隠れする。  
まだグラウンドには熱心に居残り練習を続ける選手がたくさんいる。  
捕手も仕方がねえな、といった表情で再びマスクをかぶった。  
 
――既に息を荒くしていながら、30分ほど投げ続けた。  
 
「はぁ…はぁ…ありがとうございましたっ!」  
 
よろよろになりながらも、深深とお辞儀で例を言う。  
捕手は無言で立ちあがると、ブルペンのマウンド上の投手に目も合わさず  
立ち去った。彼女の投球にはどんな感想を持ったのだろうか…。  
 
「さぁて、帰ってシャワーでも浴びよっと…」  
 
歩き出したとき、何だか妙な感じがした。  
 
「うーん、さすがにちょっと無理しちゃったかな」  
 
気にしながら1歩、2歩とまた歩き出すと、やがて違和感は  
ずきずきとのしかかるような痛みへと変わった。  
これは、まずい―――  
 
慌てて進路変更し、医務室を訪ねることにした。  
一度紹介されただけだが、よく覚えている。  
 
加藤京子。球団医務では珍しい、女性の医師だ。  
それだけに印象に強く、どこか似たような境遇にある京子を、  
同じ女性として頼もしいと思っていたのかもしれない。  
 
苦汁の表情で入室する少女を見て、京子は慌てる素振りも見せずに訊いた。  
 
「どこが痛いの? 腰? そう―――。」  
「あなた、たしかドラフト1巡目の…」  
 
はい、橘みずきです、と掠れた声で答える。  
あまりにも辛そうな表情をし、命乞いでもするかのような声を絞り出すので、  
京子はすぐ診察台に横になるように指示した。  
みずきは倒れるように診察台に転がると、ふっと息をついた。  
 
これでとりあえずは面倒を見てもらえる…今は安堵でいっぱいだった。  
 
「―――見てたわよ」  
 
京子が至って冷静な口調で、診察台に越し掛けながら言う。  
別にみずきは見られて困るようなことをやった覚えはない。  
それなのに、全てを見透かされたような声に、思わずどきっと体をこわばらせた。  
 
「…え?」  
「いまどき、スポ根モノなんて流行らないわよ」  
 
京子が半ば呆れた表情で返す。はぁ、とため息などつきながら。  
これが何を指しているのか、みずきは瞬時に理解した。  
 
「で、でも…」  
「あなたの気持ちはわかるわ。私もこの仕事をやっていると、ね」  
「はぁ…」  
 
どれどれ、と京子はみずきにうつ伏せになるように促し、  
腰を丹念に親指で探りあてるように指圧していく。  
時折眉間にしわを寄せ、痛みに耐える表情を見せるみずき。  
京子はまったく無関心にぎゅっぎゅっと細い指を推しこんでいく。  
 
黙っていたらそのままモデルになれる。  
こんな京子の評判を他の選手から聞いたこともあるが、  
今のみずきはただ、京子に自分の痛めた腰を委ねるだけだった。  
 
「――どう? まだラクにならない?」  
 
みずきは力なく、首をだらんと振り下ろす。  
たかがマッサージ程度で治るのなら、こんなところに来るはずもない。  
京子はしょうがないわねと呟き、みずきをそのままにして  
辺りの引き出しを探り始めた。  
 
「だいたい高卒でしょう? まだプロでやるだけの体ができてないうちに…」  
「…はい。さっきキャッチャーの合田さんにも言われちゃって…へへ」  
「へへ、じゃないの。――それより、あなたも大変よねえ」  
 
京子は客寄せパンダ2号に仕立て上げられようとしているみずきに同情してみた。  
1号は既に実力的にも申し分なく、中継ぎでそこそこの成績をあげている。  
 
やがて、かちゃりと音を立て、京子は金属製の、円筒状の…  
リレーのバトンで使うような大きさの機械を取り出した。  
 
加藤先生の治療は奇抜だけど効果は抜群。  
これもチーム内に共通した意見だった。  
中には肌の色をまるで変えられてしまったり、一時的に記憶を消されたりと、  
ひどい目に遭った選手もいるそうだが…  
 
みずきは京子が取り出してきた機械を不審そうに見つめた。  
 
「大丈夫、ただのマッサージ器具よ」  
 
その割には金属製だし、コンセントまでついていたりして、疑わしい。  
しかしみずきは痛みを和らげるため、信じるしかなかった。  
そう、加藤先生の治療はいつも正しいのだ。  
 
「―――じゃ」  
 
ぺろんと、無防備なみずきのアンダーシャツの腰の部分をめくりあげる。  
少々予想外の展開と、いきなり腰が外気を直接受けることのひんやり感で  
思わずあっと声をあげてしまう。  
 
「ふふ…まだまだ普通のコね」  
 
京子は弾力性のある、みずきの女性的な丸みを持った腰を  
白い指でやさしくさすった。すりすり―――  
 
みずきは表情をしかめながら赤面した。同じ女性同士ながら、  
小さいころから野球漬けで、簡単なスキンシップでもやたらと照れくさく感じる。  
 

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