監督の用事とかで、今日の練習は早めに切り上げられた。  
まあ、これくらいで喜んで帰るような先輩たちじゃあないのだけど。  
 
「じゃあ僕は外周を軽く周ってくるね」  
 
そう言ってランニングに出かけたのは六本木先輩だ。  
同じポジションのオレは、この人に物凄く憧れている。  
こんな風に華麗な守備をこなすことができたら、遊撃手としてどれだけ幸せか。  
 
出発し先輩を見送り、部室でうだうだしたりして、家路についたのは大分後のことだった。  
 
居残り練習と言っても、各々が長所を伸ばす練習をこなしている。  
七井くんたちは筋力トレーニング、八嶋くんは五十嵐くんと一緒にインターバル走を繰り返している。  
 
僕はランニングをしている。  
監督でもいれば、スペシャルノックと題していい守備の練習を施してくれるのだけど…。  
 
体育館裏に差しかかった辺りで、急に酸素が薄くなるような気がした。  
もうこんなことは慣れてしまったと言ってもいいくらいだが…やはり毎度キツいものだ。  
 
仕方がない、少しここで腰掛けて行こう…。  
 
 
体育館の昇降口でぐったりと座りこんでいる先輩を見つけた。  
今なら練習の邪魔にもならないだろうし、オレは憧れの先輩に近づいた。  
 
「先輩、こんなところで何やってるんですか?」  
 
不意打ち気味に声をかけると、先輩は予想以上に驚いた反応を示し、  
何故か急に立ちあがった。  
 
「いや、ランニングをしていてね…ちょっと苦しくなったから休んでいたんだ」  
「大会近いんですから。あまり無茶しないでくださいよ」  
「心配には及ばないよ。それじゃ、もう戻るから。キミも早く帰るんだよ」  
 
――そそくさと先輩は再び走り始めた。  
 
今日も病院に寄って行かなければ。  
正直、あまり気は進まない。いつも言われることは同じだからだ。  
野球をやめないと持たない身体だ、と。  
 
そう言えば僕は何故野球をやっているのだろう。  
そりゃあ、好きだからと言ってしまえばそれまでなんだけど、  
他の連中と違ってプロ入りしたいわけでもないし、大学やその他進路で  
野球を続けるつもりもない。だいいち、それこそ医者に怒られてしまう。  
 
このチームで甲子園に出場する?  
当面の目標はみんなそうだろう。いや、もっと高みを目指しているはずだ。  
でも、そういうのって興味ないな…  
 
ぼんやりとした考えを頭で巡らせながら、今日の診察が終わる。  
病気のことももちろん あるが…それ以上に、今日は気分が重く感じる。  
 
今日も練習は濃密で、とにかくハードだ。  
大会も近づき、最後の追い込みといったところ。  
 
とは言っても、オレは控えの選手だけど。  
何せ、あの六本木先輩のいる遊撃手。誰もが信頼する守備。  
 
今日はそんな先輩の後ろで、監督とのスペシャルノックを見学している。  
球拾いという名目でここにいるのだが、その必要がないことは言うまでもない。  
 
――30分ほど続いたハードな練習だったが、先輩は疲れた表情さえ見せない。  
 
「先輩、おつかれさまです」  
「ああ、どうも。いつも後ろでカバーしてくれてありがとう」  
「いえいえ、そんな…。(全然後ろに逸らさないくせに…)」  
「今度、一緒にノックをしてもらえるように頼んでみようか?」  
「・・・え? スペシャルノックをですか?」  
 
予想外の言葉に思わず声が上ずるオレ。  
普通はこんな特別メニューを他に邪魔されるのは嫌なのだろうけど、  
先輩は妙に嬉しそうで、いきいきとした表情だった。  
 
「う、嬉しいんですけど…それじゃあ先輩の邪魔になるんじゃ…」  
 
後輩は恐縮しきりといった態度で僕の提案に答えた。  
 
「ううん、そんなことないよ。誰かと一緒のほうが勉強にもなるし」  
 
この言葉は決して取り繕われた理由でもなく、本心からだ。  
 
「はぁ…。そういえば先輩って、いつもひとりですよね」  
 
いつもひとり…か。痛いところを突いてくれる。  
僕は意識的に怪訝な顔を作って見せ、後輩にアピールした。  
彼も何かを感じたのか、すぐに矢部くんと合流し、一緒にダッシュなどを始めた。  
 
僕は…。  
 
ノックを受けるのもいつもひとりだけど、もうひとつ気になることがある。  
先輩といえば、部室で着替えるのはもちろん、  
校内で他の先輩たちと一緒に雑談したりしているところも見たことがない。  
 
もともと大人しい性格だから、と個人的には勝手に解釈して片付けていた。  
 
――  
 
ある日、練習が遅くなって、数人の先輩たちと部室で喋っていたときの話だ。  
 
「なぁ、お前六本木とよく話すみたいだけど」  
「そうですけど、何ですか? 」  
 
え、えーと…この先輩、誰だっけ。  
あかつきの野球部は部員が多すぎて、補欠格の選手までは  
なかなか覚えきれないのが実情なのだ。  
 
「いや、よく話ができるな、って」  
「どういう意味です?」  
 
――微妙に部室の空気がヘンだ。  
 
 
今日も病院通いだ。  
毎度のことながら、気が進まない。  
 
「―――六本木さん?」  
 
珍しい苗字だから、呼ばれればすぐにわかる。  
重々しい気持ちで医者の元へ向かう。  
 
「まったくあなたは…本当に無茶をする」  
「何度もいいますけど、今度の大会が最後なので…」  
 
いつもと同じやりとり。そんな折だった。  
 
ガチャ、とドアが開き、聞き覚えのある声が後ろから呼ぶ。  
 
「六本木先輩!」  
 
「ど、どうしてキミがここへ…!?」  
 
先輩が驚いてみせる。いや、それ以上に慌てふためいている。  
何だかうつろな表情で病院に入ったから、思わずついてきた。  
そのことを告げると、先輩や看護婦さんたちから集中砲火を浴びた。  
 
「でも、ただの風邪なんだよ。心配することないから」  
 
先輩は穏やかな表情でそう答えた。  
最近練習中に休む場面も多く見ているし、やはりどこか悪かったのか。  
しかし、ただの風邪だと聞いて安心した。  
 
ひとまず謝り、病院を後にした。  
身体のことはいい。  
ただ、さっき部室で聞いた別の先輩の話がどうしても頭から離れなかった。  
だからこうして、六本木先輩を追いかけてきたというのに…。  
 
 
「いいの? あんなウソついちゃって…」  
 
看護婦さんの表情が緊張から不安へと変わり、僕を見つめる。  
 
「睨んだりしてすいませんでした…。でも、このことは絶対に…」  
「わ、わかってるわよ、優希ちゃん」  
「その呼び方はやめてくださいって…もう」  
 
帰り支度を始める。  
 
「・・・・とてもいい後輩なんです。あいつには心配かけたくなくて」  
 
我ながら何てことを言うんだと赤面したが、医者どもはくすくすと笑うだけで  
見送ってくれた。  
 
病院から出てきた先輩を待っていた。  
何だか今は先輩のそばにいてあげなきゃいけない、そんな気がしている。  
 
「やあ。心配かけてすまないね」  
 
にこっと、さわやかな笑顔で苦笑する。  
 
先輩は優しい。こうしていつもこっちの心配を心配してくれていたりする。  
 
――なのに、どうしてこの先輩がそんな風に解釈されちゃうのだろうか。  
いや、逆か。どうして先輩は僕にこうまで親密にしてくれるのだろう。  
 
――  
 
部室で聞いた他の先輩からの六本木先輩評。  
それは、野球では信頼できるショート・ストップであるけれども、  
私生活においては何とも無愛想だそうで、いい印象を持たれていなかった。  
 
たしかに大人しい人ではあるけれど…。  
 
その後、先輩の提案でファーストフード店に立ち寄り、  
他愛のない話などをしながら帰宅した。  
 
こうして見ると、他と何ら変わりのない、ただの高校生なのに。  
 
胸が、どきどきする。  
 
これが持病によるものなのか、あるいは別の原因からくるものなのか。  
今の僕には判断ができなかった。  
ただ、確かにいえることは、確実に病気は進行しているということだ。  
 
ベッドに横たわり、1日を回想してみる。  
今日はいつも通り練習して、病院へ通って、  
あいつに見つかって…。それからハンバーガーを食べたっけ。  
 
思い出してまた、急に苦しくなる。  
きゅう、と締めつけられるような痛みが胸を襲う。  
 
「本当に…世話焼きの後輩だよ…」  
 
もぞもぞと布団は深くに潜り込み、さらに自分の世界へと没頭する。  
 
「あっ…んぅ…」  
 
 
とうとう大会まであと…片手で数えられるほどになった。  
今日も練習の風景は変わらない。  
二宮先輩は猪狩と勝負しているし、九十九先輩はイメージトレーニングと称して木陰で居眠り、  
四条先輩は澄香ちゃんとデータの照合に余念がない。  
 
そして僕は、六本木先輩と一緒にノックを受けている。  
 
「よーし、いいぞ六本木! これで最後だ!」  
 
監督のノックバットから放たれた最後の一打。  
ボールは三遊間深めを破ろうとする低いライナー。  
先輩は常人より2、3歩早いスタートを決め、いつものように難なく…  
 
どさっ!  
 
鈍い音がした。いつもならどんなライナーにも華麗に飛びつき、  
すぐに立ちあがりファーストへ転送しているところ、なのに。  
いつまでたっても、先輩はうずくまったままだった。  
 
「おい、六本木!」  
 
 
気がつくと白い空間にいた。  
――ここは病院なのか…?  
 
倒れた衝撃からか、身体中がぎしぎしと痛むような気がする。  
 
「気がついたのね、よかった」  
 
声は似ている…が、看護婦さんではない。  
先生の顔を見るなり、ようやく現在の居場所を把握した。  
 
「あの子からはただの風邪だと聞いたけど…とてもそうは思えないわ」  
 
あの子…そうか、あいつがここまで運んでくれたのか。  
それを聞き、また何だか胸が熱くなるのを感じる。  
…が、それより、加藤先生の言葉だ。  
 
「私の妹ね、病院で働いているの」  
 
―-これ以上のウソは必要ないだろう。  
僕は咄嗟に、このことが他人に知られてはいないか、怖くなった。  
 
 
練習は早々に切り上げられた。  
それからはみんな、思い思いの行動。  
相変わらず居残り練習に精を出す先輩たちも多いが、  
オレは倒れた六本木先輩のことを気にしつつ、部室へ戻った。  
 
「なあ、六本木のやつ、大丈夫なの?」  
 
またあの補欠グループだ。ま、オレも人のことは言えないけど…。  
 
「さあ。まだ見に行ってないからわかりませんけど」  
「なんだ、早く行ってこいよ。きっと寂しがってるぜ」  
 
おどけたその口調。自分でも顔が少しずつ歪んでくるのがわかる。  
 
「知りませんよ。だいたい何でオレが…」  
 
――言ってしまった。  
まるで恋仲を冷やかすような先輩の口調に、思わずムキになって答えたのだ。  
 
「真っ先にかけつけて運んであげてたじゃん、優しいんだねぇ・・・」  
 
…ダメだ、話にならない。  
オレは無言で部室を出て、家路についた。  
保健室に見舞いに行こうとも考えていたが、ああ言った手前、  
引き返せないのが若さだ。  
 
 
「本当はこういうこと、他言しちゃいけないんだけど…」  
 
こうやって倒れたのだからしょうがない、と加藤先生は付け加えた。  
僕の心臓が悪いということはこれで、加藤先生と千石監督、  
少なくとも学校に2人は知ってる人がいるということになるらしい。  
 
「あ、あの…このことは…」  
「病院では無理を聞いてもらってるみたいだけど、学校ではなかなか、ね…」  
 
先生は残念そうに答えた。  
 
「知り合いにとても腕に利く医者もいるんだけど…助かる保証もないしね」  
 
できればどれだけ僅かな可能性でも、治療できるなら、  
それでチームに、みんなに、あいつに迷惑をかけずに済むのなら…  
そうは考えたものの、思い直した。  
 
「僕がダメになっても、控えにはとてもいい選手がいますから」  
 
力強く答えてみる。  
野球部の事情など知らない先生は、それが誰のことだかわからないだろうけど、  
そう、とだけ短い返事を発し、間を置いて、責任は持てないとも付け加えた。  
 
 
あれから何だか、部活のことを考えると憂鬱になる。  
実力はないくせに、人をバカにするのだけは一流の先輩たちのことだ。  
 
それにしても、言われてみれば妙なものだ。  
相手は男、その仲を冷やかされても、冗談だと簡単に流せそうなものを。  
今冷静になっているだけで、あの時は心配からでもきていたのか。  
 
――六本木先輩の顔を思い浮かべる。  
 
いつもとても穏やかな顔をしている。でも、いざ守備につくと  
人が変わったような凛々しい顔になる。  
終わると、やはり女の子のような優しい顔に戻る。  
 
そういえば、野球部では文化祭で誰かがウェイトレスの格好をすることで  
盛りあがってたっけ。昨年は猪狩。一昨年は四条さん…だったかな?  
 
それぞれ女子からは声援が飛んでたそうだけど、  
六本木先輩なら男子からも…? 本当に女の子に見えそうだもんな。  
…いやいや。  
 
自己嫌悪に陥ると、なかなか寝つけない。  
 
 
「あ、はぅ…藤崎…くン…」  
 
――  
 
絶対安静と言われながら、そう簡単にぐっすりとはいかない。  
今藤崎と呼んだ男のことを考えて、いけない妄想をしていたのだ。  
野球部員のくせに…と何度も冷やかされた華奢なこの手、この指で  
性感帯を撫で、弄くりまわす。  
 
くちゅ、ぐちゅ…  
 
想いは募るばかりだった。  
数少ない話し相手から、確実にその地位は上がっている。  
病室まで駆け付けてきたこと、保健室まで運んでくれたこと…  
 
元から多少の好意がある人からの行為ならば、  
これが女子高生ならばじっとしていられない心境だろう。  
 
考えれば考えるほど体は熱くなり、ますます眠ることがままならなくなる…。  
 
 
偶然にも登校中、六本木先輩に遭遇した。  
この人は前日に倒れて、今日の朝はもうケロリとしている…  
純粋にそのことに驚いていた。  
 
だが、不自然なのはオレのほうだった。  
 
先輩もオレに気づいて挨拶してくれた。  
…が、どうもばつが悪い。気づかないふりをして、歩幅を広げる。  
どうやら昨日から、この人に対してよくない考えを持ちすぎたのだろう。  
くそ、あいつらのせいで…。  
 
――それにしても、制服姿の先輩は、いちだんと細く見える。  
ベージュのブレザー…ではなく、今は夏服なのでただの薄いシャツだ。  
袖からすらりと伸びた両腕も、そのへんの帰宅部のもやしっ子より  
細いんではないか?  
 
一瞬すれ違っただけで、これほど観察をしてしまうオレ。  
こんなんで一緒に練習して大丈夫なのか、と自己嫌悪。  
 
 
夏はイヤだ。この夏服がイヤだ。  
 
女子からは冷やかし半分、半ば本気で羨望の目で見られることはあるけど、  
男子から身体のことを言われるのは忍びない。  
それから、気安く触ろうとするやつも大嫌いだ。  
 
保健の加藤先生にもやはりそのことを冷やかされるが、  
事情が事情なので今日も話しに行く。  
 
責任は持てないとは言ったものの、  
実際学校で僕が昨日以上の症状を見せてしまえば、  
それなりに問題視されるのだろう。  
 
「だから、苦しくなったら監督に言いなさい」  
 
昨日の頼もしい加藤先生とは違ったが、それに僕は頷いた。  
最近の彼の守備は本当に上達している。  
僕なんかいなくても…。  
 
 
学校には来ていたものの、考え直したのか、  
今日は六本木先輩は見学をしている。  
スペシャルノックはそもそも六本木先輩用で、僕はオマケ。  
だから、先輩のいない今日は、全体ノックに終始していた。  
 
邪念があるからか、どことなく身体のキレがない。  
いつもは取れるボールを弾いてしまったり、スタートが遅かったりと、  
目に見えるミスは監督から容赦無く指摘された。それだけではない。  
 
「どうした? 今日は六本木がいないから力が出せないのか?」  
 
…お決まりのヤジ。  
だが、もう相手にしないことを決めている。  
どうせこいつらはたいした出番もなく、補欠のまま引退する雑魚なんだ。  
そう自分に言い聞かせる。  
 
「ダメだなぁ、そんなんじゃ。後で穴掘ってもらって精力注入してもらうんだな」  
 
…ぽろっ。  
卑猥なヤジの瞬間、キャッチしたはずのボールまで落とす。  
雑魚どもは満足そうに笑い、それから練習が終わるまで、飽きもせず  
ヤジを繰り返した。  
 
 
今日の藤崎くんの動きはおかしい。  
何かに惑わされているようにさえ見える。  
できれば、ベンチからアドバイスでも送ってあげようと見学にきたのだが、  
この調子では…と、立ちあがった。  
 
「それでは監督、そろそろ病院に行くので失礼します」  
「ああ、わかった。大会には間に合わなくても気にするな」  
 
そう言った瞬間、また遊撃手が悪送球を投げる。  
 
「…と、言いたいところだが。今の藤崎じゃ使えないな。できるだけ頼む」  
「わかっています。でも、彼も信頼してあげてください。では…」  
 
語尾をフェードアウトさせながら言い残し、グラウンドを去った。  
 
何をやってるんだ、という苛立ちさえあった。  
 
 
練習が終わる。もうあんなに空気の悪い部室に用はない。  
どうせあと数日の辛抱だ。そうすれば、先輩たちはみんな引退だ。  
…だが、同時に六本木先輩も引退なんだ。そう思うと、とても複雑な気持ちになる。  
 
夏のまだ明るい夕方、家路を急ぐ。  
すると、自転車で通りかかった同じ学校の制服が前に出て、自転車を停める。  
 
――あいつらだ。まったく、こんな時もよく飽きずに…。  
 
「今日のノック、最高だったぞ」  
 
…最高の皮肉だ。  
 
「何でシカトしてたんだよ、お前ちょっと生意気じゃねえ?」  
「こいつ、六本木のことになるとマジになるからな。怖え怖ぇ」  
 
冗談じゃない。きっと無言で歩き出してもしつこくついてくるだろう。  
こいつらはそんな、女の腐ったような性格の持ち主だ。間違いない。  
 
今までのイライラを全て右足に集中させ、1人の自転車にぶつけた。  
 
ガシャンッ・・・!  
 
「わっ…痛ッ! 何すんだてめぇ!」  
 
無様に先輩は自転車とともに道路に倒れた。  
 
 
いつもよりいちだんと暗い表情で病院を後にする。  
 
「もう絶対に無理です。ドクターストップでしょう」  
「ごめんなさい、優希ちゃん。でもあなたのためなの…」  
 
病院で言われた言葉を何度も苦々しく回想する。  
あと1ヶ月、病状が遅れていたら…。悔やんでも悔やみきれない。  
 
こうなったら本当にもう、藤崎に託すしかないんだな…。  
そう思うと、さっきの守備を思い返して、やはり不安になる。  
 
ふと寄り道を思いついた。  
住宅街のはずれにある神社。  
ただの気休めかもしれないが、ここで祈れば、  
彼は試合で活躍してくれるかもしれない、そう思ったからだ。  
 
…ところが、階段の石段に座りこむ影を見つけるなり、  
今度は別の不安に駆られた。  
 
「藤崎くん…?」  
 
 
無惨にもやられた。  
顔をやられるとバレバレなので、腹や背中など、  
なかなかケガが確認できない場所を傷めつける陰湿な暴力。  
お陰で歩くのも辛くなって休んでいたというわけだが…  
 
「え…先輩?」  
「やっぱり藤崎くんじゃない。どうしたの、こんなところで」  
「え、まあ、ちょっと夕日でも見てカッコつけて…」  
 
何でこんなところに先輩が? という疑問はどうでもよくなっていて、  
今はケガを負ったことを悟られないようにするのでいっぱいだった。  
もしそれが分かると、先輩は背水の想いで無茶をするだろうから。  
 
「キミはウソが下手だね」  
 
にっこりと笑い、ゆっくりと背後に先輩が近づく。  
何だか、こうしているだけでもどきどきする。  
 
するといきなり、ぎゅう!と背中から締めつけられた。  
 
「ちょっ…何するんですか、先輩! く、くるし…」  
 
 
あまりの意外な行動に目が回った。  
 
「ごめん、本当に…ごめん…」  
 
先輩は顔を背中にうずめ、頬をすり寄せた。  
その声は明らかに震えている。  
 
「あ、あの…ワケがわからないんですけど…」  
 
困惑した今の心境を素直に吐く。  
それと同時に、背中に当たる感触を受けて  
反応してしまう自分が情けなかった。  
背中を通して、六本木先輩の体熱が伝わっているのだ。  
 
「もう僕…野球…」  
 
短いフレーズだったが、それが何を意味するのか、  
詮索するまでもないことだった。  
 
「先輩…」  
 
呆気に取られたような顔をしていただろう。  
それでいて顔は、正面の夕日を見つめたままだった。  
正直、どう反応していいのか、わからなかった。  
 
しばらくこうしていて、先に沈黙を破ったのは先輩のほうだった。  
 
「キミの守備…きっと上手くなるから…」  
 
…ぐっと堪えた。  
そうだ、先輩がもう動けないのなら、自分が頑張るまでだ。  
 
「あつッ…!」  
 
決意の矢先、背中に激痛が走った。  
 
「ど、どうしたの? 痛かった? ご、ごめん…」  
「え…あ、いえ…」  
 
再び困惑した。しかしケガのことを知られたら…  
 
「…って、あれ? 先輩、さっきウソが下手だって…」  
「そ、そりゃあ、夕日を見るなんて理由は信じないけど」  
「っ…それって、どういう意味ですか…はは」  
 
あまりに苦しい受け答えはすぐに不審に思われたらしい。  
結局、先輩に辛い思いをさせることを承知で、  
ケガのことを話してみることにした。  
 
「なるほど、石段で転んで、ねえ」  
「はい、笑っちゃう話ですよね、はは」  
 
結局ケガの真相までは話さなかったけれど。  
いちいちあの腐れ先輩のことまで話していたら、どうなることかわからない。  
 
「でも、どうしてこんなところへ?」  
「…え? ああ、先輩の身体、よくなりますように、って」  
「またウソをつく…」  
 
考えてみれば、先輩の身体のどこが悪いとか、まだ聞いてもいない。  
でも、もうそんなことはどうでもよかった。  
 
「そういえば、先輩こそ何でここへ?」  
「あ、うん。チームと、キミの活躍を祈願に」  
「へえ。ありがとうございます」  
 
他人行儀っぽく、ふかぶかと頭を下げた。  
 
「そうだ。ケガ、診てあげるよ」  
「え…いいですよ、たいしたことないだろうし」  
「いいから!」  
 
先輩は乱暴にオレを後ろから羽交い締めにし、  
抵抗しなくなると、ゆっくりとシャツのボタンに手をかけた。  
――細く、白い指で。  
 
「ふふ…さすが野球選手。すごい胸板だね」  
 
いきなりドキッとすることを言われる。  
前々から、冷やかされた時にも思っていたのだが、  
先輩は案外こっちの気があるのかもしれない。  
 
「せ、先輩だって野球選手でしょ…」  
 
口に出すと、何だか妙に違和感があった。  
先輩の身体は正直、華奢だ。恐らく自覚もしているはずだ。  
だから、今の言葉が先輩にどう取られるか、不安だったのだ。  
 
「ん―――」  
 
何も纏わない左肩に、細身の身体をこすりつけるようにして、  
先輩は診察を始めた。  
 
細身のくせに、何だか妙にやわらかい…  
ふにゅふにゅとした感触。  
 
…え?  
 
「わー、こことか…ここにもアザができてる。ひどいなぁ…」  
 
いたずらにアザを指で押したりして、弄ばれる。  
先輩の指が背中を、わき腹を這い回るのが、やけにくすぐったい。  
そして肩の弾力性のある感触。  
 
既に何が何だかわからなくなって、頭は真っ白に溶け出した。  
 
「せ、先輩っ…!?」  

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