半年に及ぶ、2軍生活だった。
…と言っても、今年高校を卒業したばかりのペーペーのことだ。
予想をはるかに上回る早さの「お声」に有頂天になっている。
極亜久やんきーズは、パ・リーグでも最下位の常連球団である。
その怪しいチームカラーも、一部のおっさんファン以外には
全く受けない、不人気球団でもある。
そんなまともじゃないチームのことだ、戦力は当然のように整っていない。
「彼」はドラフト下位で指名された高卒内野手、19歳。
常識で考えれば、1年目のシーズンで1軍登録は難しいところだ。
これも苦しいチーム事情ゆえと言えよう、
それでも彼は、1軍の試合に出られることがたまらなく嬉しいらしく、
ファームでは見せることのない張り切りようで、試合前の練習へ急いだ。
そして、こうして顔を合わせるのも初めての1軍選手たちに
威勢良く挨拶をした。
「よろしくお願いしますっ!」
「おう、初めて見る顔やな。新人か?」
最初に反応してくれたのは、よく見覚えのある顔だった。
番堂長児―――弱小・不人気球団やんきーズにおいて、
唯一、全国区の知名度と実力を持つ選手だと言われている。
人気となると、また別なのだが…。
「は、はい! ドラフト5巡目で入団した上杉と言います!」
若者はやや緊張した面持ちで答える。
この番堂という男、時代錯誤の不良番長のような格好をしていて、
醸し出す雰囲気は周囲を圧倒しているのだ。
「えーと、そんじゃまずは…」
「はいっ!」
「何でもええわ、他のチームから借りてきてや」
「え?」
ようするに「パシリ」の宣告である。
若者は、夢見ていた1軍の実態をまず知り、少々面食らった。
そこへ、また見なれぬ選手が1軍選手と帯同してグラウンドへ入ってきた。
「みんな聞いてくれ、今日からオレらの一員になる、『柴原』だ」
『柴原』は困惑した表情で、ユニフォームもよれよれだ。
「こんなところに連れてきてどうするんだよ、こんなユニも着せて…」
「いいからいいから。ちょっとの間、一緒にがんばろうぜ?」
「…・…むー、わかったよー、しょうがないなー」
渋々要求を受け入れたようだ。
この様子を唖然と見ていた上杉に、番堂は笑みを浮かべながら言った。
「つまりこういうことや。他のチームで使えそうなやつを…な?」
「は、はぁ……」
よく理解できないまま、ただ頷く。
それから数十分後、彼は「にく球場」にいた。
ふざけた名前だが、一応れっきとしたフランチャイズ球場である。
「使えそうなやつを……」
言われたことを口で反復する。
念願の1軍に入ったばかりなのに、何故こんなことをしているのか。
……なーんてことは、微塵も思っちゃいなかった。
あの番堂に言われては、期待に応えないわけにはいかない。
そんなカリスマめいたものが、あの男には感じられたらしい。
現在オレンジ色のユニフォームの選手ばかりが目立つ中、
警備員にはこの真っ黒な格好が不審には思われたが、
一応プロ選手であることを証明すると、すんなり通してくれた。
「―――さて、と」
まだグラウンド上の選手たちはまばらだ。
多くはまだロッカーでくつろいでいるのだろう。
さて、「どちら」のロッカーへ行こうか。
もちろん答えは決まっている。
女性選手用ロッカールーム――。
現在、こんな部屋があるのはこの「にく球場」くらいのものだ。
監督が昨オフ、目玉として獲得した2投手のためだけに
設置されたものだ。
しかし、他の球場ではどうしているのだろう……
あらぬ妄想をかきたてながら、ドアの前に立つ。
「無防備なものだなぁ……」
事実をつぶやき、すっと深呼吸をする。
目的は、使える選手の拉致。
となると、本来の目的からは少々ズレている気がしないでもないが……。
「こんにちはっ!」
初々しく挨拶をしながらノブに手をかける上杉。
が、当然のように鍵はかかっていた。そこまで無防備ではない。
「きゃっ…誰!?」
大きな声に反応して、女の声がドアの向こうからあがった。
「あのー、やんきーズの上杉って言うんですけど」
――バカ正直だ。
「上…杉? 聞いたことないなぁ……」
「昨日、1軍に上がったばかりの高卒新人なんです」
「あら、そう。がんばるじゃない。あの子は落とされたけど……」
「同期の橘、ですか?」
ドア越しなのに会話が弾む。
「じゃあ、今ここを使ってるのは早川さんだけなんですね?」
「え…どうしてわかるの?」
「いえ」
「っていうか……何でやんきーズの選手がここにいるのよ!」
驚くのが遅すぎた。
「あなたを迎えにきました」
「はぁ? 何をワケのわかんないことを。いいから帰りなさいよ」
「早川さん…いえ、あおいちゃんの大ファンなんです」
「あっ…わ、ありがとう……で、でも、それはそれとして!」
「サインだけでも」
「もう…」
このどこか抜けているところが彼女の魅力でもあり、危うさでもある。
ファンを大切にする気持ちもあったのだろうか、ゆっくりとドアが開く。
「あ、すみません」
「アンダーシャツでしたー。ごめんね」
からかうようにポーズをとり、笑ってみせる。
だが、彼の表情は動かなかった。
「じゃ、一緒にきてください」
いきなり手首を強引に引っ張る。
「あっ……ね、ねえ、サインは?」
危険を察知したが、つとめて冷静に話しかけようとする女性投手。
手首を引かれ、前のめりになって。
「いきましょう」
――聞く耳もたず。