洗濯物を干してたら、飛行機雲が尾を引いてるのが見えたんだ。
キミももう、日本に帰ってくる空の上にいるのかな。
素質はあるって、最初から分かってたんだ。
身体とか技術とか、まだまだ未熟だったけど、それでもキミの瞳は物語ってたよ。
自分の持ち味を。自分に足りないところを。それを伸ばすために、補うために、どうすればいいかを。
野球が上手くなりたいっていう強い意志を。何よりも、野球が好きだっていう、いちばん大事な気持ちを。
キミの瞳は、雄弁に物語ってたよ。
プロ野球選手の「あおい」から、早川あおいに戻って、パワフル大学の監督をやることになって───
最初にキミのような選手に出会えたのは、幸せなことだと思う。
キミと矢部くんがチームの核になるって、当時のキャプテンの熊谷くんはボクより先に見抜いてたんだ。
そのために彼は厳しいことも言って憎まれ役に徹してた───なんて、きっとキミにも分かってたよね。
でも、ボクや熊谷くんの想像の遥か上まで、キミはスゴくなった。
連敗続きだった帝王大との試合で、相手の打線を完全に封じたピッチング。鳥肌が立ったよ。
そして全日本の監督から電話があったのは、それからすぐ後だった。
キミが全日本メンバーに選ばれた時は、ホントに嬉しかったよ。
プロの選手に混じって、大学生からも4人が選ばれて、そのうちのひとりがキミだった。
だけど、ね。
監督として何も教えてあげられてなかったし、投手としてもたぶん───ボクの全盛期よりも上だと思う。
監督と教え子のハズなのに、キミが手の届かないところに行った気がして、淋しくなっちゃった。
大会前の、合宿の時かな。
みずきが悩んでるから励ましてくれって、電話くれたよね。
自分のことで手一杯だと思ってたけど───って、ホントは手一杯だったんだよね。
そんな時でもチームメイトのことを考えられるっていうのは、キミのいちばんいいところ。
キミと矢部くんのコンビを見てるとね、高校時代を思い出すんだ。
悩んだり、壁にぶつかったり、いろいろあったけど、支えてくれるチームメイトがいたから、やってこれた。
ボクにとって彼らがいたように、みずきにはキミたちがいるから大丈夫だって、そう思ったよ。
そう思ったのは、監督としての、先輩としての、ボクの部分。
早川あおい個人としてのボクは、そうだな───
みずきに、嫉妬してたかもね。ほんのちょっと、だけど。
キミの強さは、意志の強さだと思う。
キミがここまでのピッチャーになったのも、チームがこんなに強くなったのも、すべてはキミの意志の強さなんだよ。
だから初めて、キミを叱ったよね。
キミがキミの強さを失ってたから。
プレッシャーに押しつぶされそうだ、って監督室に来たのは、日本を発つ前日だったね。
ボクは日の丸を背負ったことも、県の代表になったことさえないから、キミの気持ちを正確には分からないんだけどさ。
自惚れんなって、頬をぴしゃりと叩いたよね。
日本代表だろうが、大学で投げてようが、キミはキミじゃない?
それ以上でもそれ以下でもない。キミはキミのピッチングをすればいい。
そしたらキミは、自信なさげに言ったよね。俺なんかが通用するわけないって。
キミの口からそんな言葉が出るなんて───正直、ショックだった。
キミがそう思ってたことに、じゃないんだ。
キミの強さは、いつもギリギリのラインで、またキミの意志が支えてたってことに気付かなかった、ボク自身に。
どこからどこまで役立たずな監督なんだろう、って。
ボクにできるのは何だろうって、とっさに考えたけど思いつかなくて───
気がついたら、キミを抱きしめてた。
───キミは、ボクを信じてくれる?
囁いたボクに、キミは頷いたよね。
たとえキミがキミを信じられなくてもいいんだ。
ボクはキミを信じてる。キミはボクを信じてくれてる。それはつまり、キミがキミを信じてるのと同じことだよって。
屁理屈なのは分かってた。キミも何か言いたそうにしてたし───
だから何も言えないように、唇ごと、ふさいじゃったんだ。
キミが戸惑ってたのが、目を閉じてても分かったよ。
だけど、ボクがキミのことを信じてるっていうのは、ちゃんと伝わったみたいだった。
抱きしめ返してきたキミの腕が、そう言ってるように思えたんだ。
強くあろうとし続けることがキツかったら、弱さはボクにさらけ出してくれていいんだよ。
そんな想いを込めて、ボクは唇を何度も何度も、強く吸った。
キミは応えるように、舌を絡めてきたよね。
キミの感情が流れ込んできたんだ。いままで隠してせき止めてたぶんだけ、溢れるように。
やっと監督として、キミにしてあげられたことが、気持ちを受け止めることだった。
それとは別に、ひとりのキミを好きだってことに、今さらながら気付いたんだ。
ずっとそうしていたかったけど、キミは行かなきゃいけなかったから。
ゆっくり身体を離して、もう一度おでこに軽く、口づけをした。
キミの抱擁も、キスも、とっても、温かかったよ。
帰ってきたら続きをしようって、キミを送り出したよね。
キミは真っ赤になって───でも、確かな自信がこもった口調で、言ったんだ。
優勝したら、ご褒美としていただきますって。
キミの表情は、強さを取り戻してたよ。でも、弱さを隠してた頃のものでもなかった。
弱いところは弱いって認めたキミは、またひとつ強くなったんだね。
連戦だったし、乱打戦が続いたこともあって、決勝ではピッチャーが足りなかったんだよね。
それでも、猪狩守なら何とかしてくれるって、ボクを含めてみんな、思ってた。
なのに試合序盤で、打球が当たるアクシデントがあって、猪狩くんは続投できなかった。
もうダメだって、みんな思ったかもしれないね。
だけどボクは、勝つって信じてた。確信があったんだ。
───キミがまだ、残ってたから。
世界選手権の決勝っていう大舞台に立ったキミは、だけどもう、手の届かない存在じゃなかった。
キミの腕の中にボクがいて。
ボクの腕の中にキミがいて。
あの温もりを感じたそのままに、ボクも一緒にマウンドに上がってたんだ。
9回、ツーアウト、ツーストライク。
キミは進くんのサインに何度も、首を振ったよね。
サインは真っ直ぐだったと思うんだ。あの場面なら誰がキャッチャーでも、真っ直ぐを投げさせるはずだから。
でもキミが投げた最後の一球は───シンカーだった。
キミの見せたガッツポーズは、たぶん一生、忘れない。
キミが世界を相手に戦ってるあいだ、ボクはというと、料理の特訓をしてたんだ。
失敗ばっかりだけど、何度も練習してるうちに、ちょっとずつは美味しくできるようになった……かな?
キミが帰ってきたら、最初に「おかえり」って言うって決めてるんだ。
「おつかれさま」「おめでとう」「よく頑張ったね」───たくさんたくさん言うことはあるけど、「おかえり」って。
キミがボクのところに帰ってきてくれることが、何よりいちばん、嬉しいから。
それから、キミの好きなものいっぱい並べて、ふたりでお祝いしようよ。
あの日の続きも、ね?
(おわり)