かすかに差し込む、太陽の光。
ゆっくりと、朝が来る。
意識が覚醒し、どこか気だるい体を意識しながらも目を覚ます。
ふと、何か違和感を覚え、体を起こして周囲を見渡す。
いつもと違う、布団の感触。
いつもと違う、部屋の風景。
何も着ていない、自分。
徐々に、昨日の出来事が脳に蘇っていく。
(そっか‥‥‥俺‥‥‥)
思わず赤面しながら、それでも何だか満ち足りた感情に頬を緩める。
そういえば、朋美さんは…
ベッドの横に脱いであった衣服を簡単に羽織り、居間へと移動する。
そこには、キッチンでトースターを起動させつつ、コーヒーを二人分淹れようとする、彼女の姿があった。
ふと、朋美が振り向き、高坂の姿を認める。
「…あ‥‥‥」
「…おはよう‥‥‥ございます。」
照れたような表情になる彼女に、高坂がどこかぎこちなく、朝の挨拶を告げる。
「‥‥‥おはよう‥‥‥ございます。
もうすぐ、朝ごはん…できますから。ちょっとだけ待っていて下さいねぇ。」
冷蔵庫に入っていた野菜を簡単に皿に盛り合わせ、トースターから程よく焼けたパンを取り出し、包丁で4等分。
コーヒーを最後にテーブルに置き、いわゆる一般的な朝食が完成。
その間に高坂の方は、トイレを済ませて顔を洗い、口を濯いでおく。
「いただきます。」「どうぞー。」
席に着き、食前の挨拶をしてから、目の前の朝食に手を付ける。
どれも朝の食事としては、十分な量と味。
…まあ、これらのメニューをきちんと作れない人間の方が希少であることも確かだが。
ふと、食べながら視線を感じ、顔を上げる。
何だか嬉しそうな表情の彼女がこちらを見ていた。
「…どうしました?」
「…あ、いえいえ。お構いなく〜。」
少々怪訝そうな様子の高坂が、食事を再開するのを見て、再び朋美が、さも嬉しそうな表情になる。
―――何だか、高坂さんを見ているだけでお腹が一杯になっちゃいますねぇ〜。
今の私達、『恋人同士みたい』じゃなくて、本当に『恋人同士』なんですよね〜。
‥‥‥あはは、私ってば、本当にどうしちゃったんでしょうね〜。
とまあ、彼女の頭の中ではひっきりなしに妄想が渦巻いていた。
それこそ、針でも刺したならば『パーンッ!』と盛大な音を立てて割れてしまうほどパンパンに。
彼女が再び我に返ったとき、そこには朝食とコーヒーを平らげた高坂が、不思議そうな表情でこちらを見ていた。
「ご馳走様でした。‥‥‥大丈夫ですか?本当に。」
「…あ!は、はいぃ!こちらこそ、どうもご馳走様でしたぁ!」
「‥‥‥?」
朋美の前で全く手の付けられていない食事を見て、高坂は首を傾げた。
窓の外では、日差しが街を元気良く照らす。
その景色とは対照的に、まだ目が覚め切っていないかのように、カラスがやる気のない鳴き声を発していた。
○
異性の親友同士から、恋人同士へ。
その変化によって、より親密になる男女もいれば、逆に何だか関係がギクシャクしだす二人もいる。
『それまで見えなかったものが、見えてくる』という事が大きな要因だ。
…この場合は、『見えてしまうようになってしまった』というべきか。
高坂の方は、その変化を『待ってました』という具合に歓迎し、又それによる心身の充実も著しかった。
あの日の屈辱や彼女の気持ち、そして周囲の期待や愛の鞭を自分の中で受け入れ、又自分を見失うような事が無くなった。
それでも、入団当初から抱いていたひたむきな気持ちは忘れることなく。
気付いた時、彼はチームにおいて常に欠かせない戦力になっていた。
対照的に、朋美はそんな高坂を、あるいは彼との関係の変化を、最初こそ何の問題も無く受け入れたが‥‥‥
最初に違和感を覚えたのは、彼が決勝点を上げてヒーローインタビューを受けた試合を見ていて。
人気スポーツキャスターである『山寺 令子』のインタビューを、親しげに、又嬉しそうに受ける高坂。
ブラウン管を通してそれを見たとき、朋美は自分の中に、今まで感じたことのないような、憤りのようなものを覚えていることに気付いた。
―――高坂さんが、自分以外の女性と、親しそうに話している―――
選手とインタビュアーが話している。
二人とも、自分の仕事を当たり前のようにこなしているだけ。
それなのに‥‥‥
『嫉妬』。
『独占欲』。
自分の中に、そんな感情が存在するなんて夢にも思っていなかった。
私だけの高坂さん。
他の女性と仲良くしちゃ駄目。
…でも、あれだけひたむきな彼が、こんな感情を持つような女をずっと見続けてくれるだろうか。
ひょっとしたら、私なんかよりもずっと綺麗な誰かが現れて、彼をどこかから取っていってしまうんじゃないだろうか…
初めて彼女の家で泊まった日から、高坂は朋美の様子が徐々におかしくなっていることに気付いた。
…正午前、名残惜しそうに別れたあの日以降も、定期的に彼らは会うようにしていた。
ただ、それぞれの家に相手を招くようなことはなくなったが。
…その辺は奥手同士の二人、意味を改めて知ってしまった以上は…ということであるわけで。
一方で、彼らはデートの最中に手を繋いで歩いたり、別れ際の抱擁やキスといった行為を頻繁にするようにはなった。
…ほとんど一緒じゃんか、などと突っ込んではいけない。
むしろ突っ込んでいないということで、明らかに別…
話を戻そう。
元々人見知りで、自分に自信を持てない性格の朋美。
そんな彼女の、人生初めての恋。
それも、相手の男に対して『この人無しでは生きられない』という程に惚れ込んでしまったレベルのもの。
それだけに、『もしこの人が、私から離れていってしまったら…』という不安を常に抱くようになってしまう。
それは、先述の『嫉妬』『独占欲』によるもの。
故に、何回会って、デートを楽しんで、キスや抱擁で気持ちを確認しても、その不安は消えることがなかった。
それは、デート中に『私のこと、好きですか?』『私なんかといて…楽しいですか?』などの言葉が生じるようになったことで、高坂の方もそれを理解することになる。
彼女からすれば、卑怯であるとは分かっていても、問わずにはいられない言葉。
高坂は始めの内こそそれに戸惑ったが、すぐに、それに答えることが彼女の心をこの上なく安心させる、一種の『確認行為』ことであることに気付く。
…彼からすれば、そんな質問、何度、何十度聞かれても答えは一緒だったから。
…そういった感じのデートをしばらく続け、次第に夏の蒸し暑さが気にならなくなってきたある日のこと。
『彼女の不安を取り除き、幸せにしたい』と考え続けた高坂が思い付いた、最終にして最高の手段。
―――朋美を生涯の伴侶として、一生を共に過ごすことを誓うこと。
その為に彼は、あらかじめこの日の為に彼女に送る婚約指輪を用意。
この日のデーゲームの後で彼女を呼び出し、彼女のお気に入りのお店へと行って夕食を食べた後で、素晴らしい雰囲気の夜景をバックに指輪を渡す、というのが彼の計画だった。
…一方で。
朋美の方も、『今のままではいけない』とはずっと思っていた。
デートの度に高坂さんに心配をかけるのは、本意ではない。
せめて、彼に負担をかけるのではなく、自分が彼を安心させられるような一日を過ごせるように頑張ろう。
…出会った頃のように。
そして、それぞれの思惑が、ちょっとした互いの算段の狂いを生んだ。
朋美は、あらかじめこの日のフライトを有給で空け、球場に突然現れて驚かせる予定だった。
一方で、球場には来ないと思っていた高坂は、試合前にフェンスから声をかけてきた彼女に驚く。
…が、これによって算段が大きく狂ったのは、むしろ朋美の方。
…グラウンドで躍動し、ハツラツとプレイする高坂に対する大きな声援を聞いて、徐々に心が黒い感情に支配されていってしまっていた。
そして、試合終了後。
上機嫌で食事へと連れて行くことができた高坂に対し、朋美の方は普段以上に負の感情を持ったまま彼と行動。
それでも、食事中は普段のような『彼を困らせるようなこと』をしないように心がける彼女。
その彼女の様子に気を良くして、普段以上に明るく彼女に接する高坂。
…負の感情というのは、基本的にはある程度貯まると爆発するようにできている。
朋美の中に蓄積されていったそれが、この時には微妙にシュート回転して放たれた。
「あ、あの…これから、私の家に来てくださいっ!」
そのあまりにも突然で変則的な球筋を、呆然として見送る高坂。
…いや、俺、これからあなたと今話題の夜景を見に行こうと思ってるんですが…
そんな戸惑いは、眼鏡の奥の彼女らしからぬ強い眼差しと、思いつめたような表情によって押さえつけられた。
そのまま二人、言った当人である朋美でさえその状況が良く分からないままに、あまり言葉を交わすこともなく、高坂からすれば随分久しぶりとなる朋美の家へ。
居間へ通されると、風呂を勧められ、とりあえずそれに従った。
それなりに風呂を満喫し、部屋着を着て居間に戻ると、ウーロン茶を出されて寝室へと通される。
彼女が今度はシャワーを浴びに行き、その間ベッドに座ってぼんやりする。
…とりあえず、渡しそびれた指輪をどうしようか。
…っていうか、これってそういうことだよな?
そんなことを考えている内に、マグカップが空になる。
同じ頃、朋美も風呂を上がると、パジャマ姿で彼の横に無言で座った。
『この間に、徐々に我に返っていた彼女。
とりあえず、改めてお互いにどうしたものか分からないままに時間が過ぎていく。
いざ話そうとしては、「あの「あ、…」…っと…」という具合に、呼びかけが被っては再び両者共に無言になるということの繰り返し。』
―――そして、場面は話の冒頭へ。
○