「話って何だ、橘。オレはこれからバイトで忙しいんだよ」
練習後、ネット裏に呼び出された友沢は苛立ち気味に訊ねた。
相手は、彼が内心特別な感情を抱いている女性左腕。
悪い気はしなかったが、彼女の前では特にクールな態度を強調するのであった。
「ふーん、そういう態度をとるんだ。コレを見ても言えるかなぁ……?」
そう言って橘が取り出したのは何かのチケットのようなものだった。
「高級レストラン……4名様……?」
橘の思惑通り、友沢は食いついた。
食い入るように、橘がちらつかせているチケットを見つめている。
「小波くんと矢部くんも来るの。それと私で、あと1人なんだけどー……」
友沢は、橘が自分を食事に誘っているのだと気づくまで少々時間がかかった。
先に男2人と食事に行くと聞いて過剰反応してしまったのだ。
それを悟られまいと表情を押し殺しながら友沢が答える。
「バイトで忙しいって言ってるだろう。そんな暇はない」
「何よう。別にお金取ろうってわけじゃないんだから……」
「だから、そういう問題じゃ……」
「いいわよ。もう別の人を誘っちゃうから」
じゃあそうすれば、と友沢には言えなかった。
もちろん、本音は行きたくて仕方がない。
タダで豪華な食事にありつけるまたとない機会。それも橘と……。
「本当にいいのね?」
「〜っ……」
友沢は言葉を失って悔しそうな顔をした。
橘もそれを見て面白がるように、意地悪に訊いてくる。
「行きたい人は手を挙げてくださーい♪」
友沢の右腕が震えている。
橘は流し目で友沢を半ば挑発するような態度で誘っている。
「ほらほらー、あと1人ですよ〜?」
友沢はプライドをかなぐり捨てた。
他人に食事に連れて行ってもらうくらい、大したことじゃない……
そう自分に言い聞かせて、うつむいたまま右腕を掲げた。
「お?」
「これで気が済んだろ? オレが4人目だ」
声が震えている。
しかし、それでも橘の意地悪心は満たされないらしい。
「『お願いします、みずき様』は?」
「……は?」
「言えないのならいいよ、別に」
全身のわなわなとした震えに加え、友沢の顔が紅潮し始めた。
「な……き、汚いぞ、そんなこと!」
友沢の形相がいよいよマジになってきたのを見て、
橘は少し言い過ぎたかな、と思った。
「な、何よ……そんなに怒らなくても! ちゃんと連れてってあげるから……」
時既に遅し。
友沢は橘との距離を一歩ずつ縮め始めた。
「な、なになになに……券はあたしのだよ、みんなで一緒に行くんだから……」
橘は慌ててチケットを後ろ手に回した。
もちろん、友沢はそんなものを狙っていたわけではない。
いきなり橘の右肩をぎゅうっと鷲づかみにし、顔を覗き込むように見下ろした。
「痛っ……ごめ…ごめんってば!ちょっとからかっただけじゃない!」
「…………」
友沢は無言のまま表情を崩さない。
今度は逆に友沢が橘の表情を舐めるように眺め、時間だけが流れた。
橘が掴まれた右肩から腕、掌、指は次第に感覚がなくなるほど痺れ始めた。
「もう意地悪言わないから……ね? 離して……」
ふっ、と友沢は途端に表情を崩し、リラックスした笑みを浮かべた。
「こーいうじれったいやり方はお互い、ヤメにしようぜ」
「え……」
ぎゅ、と橘の自分より一回り小さい肩をしっかりと抱きしめる。
「ちょっ……何のまね……っ…んぅっ!」
次の瞬間には、上から友沢が橘の唇を塞いでいた。
さっきまでのジレンマを解き放つように無心に、
乱れた呼吸を押し殺しながら、荒々しく。
「ん……んふっ……ぅ」
最初は激しく抵抗していた橘も、諦めたのか、それとも……
すっかり大人しくなってしまった。
掴んでいたレストランの招待券が右手からこぼれ落ち、
はらりと舞い、ネット裏のアスファルトに落ちた。