「はい、次、セカンド!」
「お願いしまっス!」
細長いノックバットを振り切って、勢いのついたゴロを転がす。
二塁手の円谷くんは打球の方向が定まるか定まらないかの時点で駆け出し、危なげ
なくグラブに納め、一塁へ送球。いつみても、この子の守備は軽快で上手い。
「うん、今の良いよ!次、6-4-3でゲッツー…」
カゴから次のボールをとったところで、ブルペンで投球練習をしていたバッテリーが
グラウンドに入ってくるのが見えた。
「お疲れ、あおいちゃん。オレたちも入ろうか?」
投げ込みが終わったばかりで汗も乾いていないのに、羽和くんはグラブをはめ直して
そんなことを言ってくる。
「うーん……ちょっと休んでていいよ。あんまり無茶させるなって監督に言われてるし」
「そうだな。じゃ、俺はキャッチャー入るぜ」
保志くんはボクの言葉に賛成してから、ホームの後ろに座る。ピッチャーにはさっき
ブルペンの方から基礎トレを終えて戻ってきてくれた手塚君が入ってくれているので、
これで内野は全員揃ったことになる。
「えー、オレ、仲間はずれ?」
羽和くんは不満の声を上げると、きょろきょろ何かすることが無いか探している。彼の
こんなところは、本当に子供みたいだ。
「あ、そうだ。じゃ、ランナーやるよ」
良いことを思いついたと言わんばかりに、羽和くんはいそいそと一塁へ走っていく。
今から併殺プレイの練習をするところだったのでその提案はありがたい…けど、それじゃ
守備に入るのとあんまり変わらないと思う。
「ダメですよ。休むときは休む。軽い柔軟運動かランニングでもしてください」
止めようとしたところで、ボクが言おうと思ったことを先取りしたみたいに、泥臭い
グラウンドに不似合いな可愛らしい声が飛び込んでくる。部室で資料の整理をしていた
はずの、はるかだった。
「はい、ちゃんと汗拭いてください。冬場はすぐ冷えますから、風邪も心配です」
「ありがと、はるかちゃん」
はるかは真新しいタオルを羽和くんに渡して、念を押す。羽和くんも、素直に受け取る。
この前の練習試合の後といい、そのふたりの姿はどうにも自然に見えて――。
嫌な感情が、ボクの中に生まれるのがわかった。
「……別に、そこまで神経質にならなくてもいいでしょ。じゃあ羽和くん、本気で走ら
なくてもいいからファーストランナーやってくれる?」
そう、口に出してしまった。どうしてそんなこと言ってしまったのか、自分でもよく
わからない。ただ、はるかの忠告なら聞き入れそうな羽和くんを見るのが嫌だなんていう、
変な嫉妬から生まれた天の邪鬼。
「もう、あおいまでそんな……」
「別に平気だって。タオルありがと」
そんなボクのひねくれた気持ちには気付かずに、羽和くんはダイヤモンドに入って
試合中のランナーのようにリードをとる。はるかも、そこまでしてしまってから無理に
止めることはないと思ったのか、やや不満そうにしながらもそれ以上は口出ししなかった。
「……じゃあ中断しちゃったけど、6-4-3でゲッツーね!」
「お願いしまーす」
頭を切り換えて、練習に集中。ショート横に狙いを定めて、ノックバットを振るった。
「今の、ちょっと雑だよ。送球急ぐよりちゃんと一つずつアウトとるのが先だからね」
「はーい」
何度か羽和くんに走ってもらいつつ、併殺プレイの練習を続ける。やっぱり実践形式の
ノックはランナーがいてくれた方が練習になる。投げ込みで疲れているところを申し訳
ないとは思うけど、もう少し続けさせてもらおう。
「じゃ、次行くよ!」
今度は4-6-3でゲッツー。一二塁間をややセカンド寄りに、強いゴロを打って――。
……それは、その時に起こった。
ほんの少し、打つ方向と勢いを間違えた。セカンド真正面。それを捕ったら、二塁に
入ったショートに送球するよりランナーの羽和くんに直接タッチした方が早い位置。
「おっと……!」
羽和くんはタッチされるのを避けるために少し走るコースを変え、捕球した円谷くんの
グラブから逃げるようにして……。
ずるっ。
練習で乱れていた土に足をとられて、その場に転倒した。
「あっ……!」
「先輩!?大丈夫っスか!?」
「っと……悪い悪い、格好悪いことしちゃったな」
恥ずかしそうに笑いながらそう言った羽和くんの声は、平気そうに聞こえたけど…。
「――っっっ!!!」
立ち上がろうとして、顔を歪め、再びその場に尻餅をつく。
「羽和くん!?」
「キャプテン!?」
「羽和さんっ!!」
慌てて、その場にいた全員が羽和くんのところへ駆け寄った。その一瞬でボクは、
くだらない感情で羽和くんにランナーをやらせたことを後悔していた。
右の足首を捻ったことによる捻挫。普通に歩くだけなら数日もすれば大丈夫だけど、
全力疾走やピッチングは数週間は厳禁。
保健室へ連れて行って、加藤先生に羽和くんを診断してもらった結果は、それだった。
そこまで酷いケガじゃなかったことを不幸中の幸いと思うか、エースを故障させて
しまったことを重く受け止めるか。少なくとも、ボクにとっては明白だった。
「…それじゃあ、あなたが想定ノックで羽和くんがランナーをすることを許可したのね?」
「はい……」
ケガの原因を深くは聞かれなかったけど、羽和くん以外の部員が練習に戻ってから、
ボクは先生に事情を正直に話した。
「そんな、あおいちゃんは別に……」
「羽和くんは黙ってて」
足に湿布を貼って椅子に腰掛けたままボクをかばってくれた羽和くんに、監督は
ぴしゃりと言い放つ。
「……早川さん、別にあなたを責めるつもりはないわ。疲労していない状態であっても
起こりうる事故だもの」
「でも、ボクがノックをミスしたから……!」
「それも普段の練習の範囲内。どちらかというと、疲れてるのにランナーを申し出て
すっ転んだ羽和くんの不注意ね」
「面目ございません……」
羽和くんは大げさに頭を抱えて俯いてしまった。その仕草が、ボクの気をほんの少し
ラクにしてくれる。
「でも、誰か個人のせいってことは無いわ。いいえ、チームである以上、全員の責任ね。
羽和くんも早川さんも、野球部の一員だってことを自覚して頂戴」
監督はそう言うけど。羽和くんがランナーをするのを認めた理由は、完全な……本当に
くだらない、私情からだった。それまで言うわけにもいかないし、気分は重くなる一方。
「まぁ、この話はこれでおしまい。あと一時間もしたら私の用事が終わるから、車で病院
まで送るわ。ちゃんとした設備のあるところで検査してもらいなさい」
「いえ……それには及びません」
監督がまとめた所で、それまで黙って立っていたはるかが口を開いた。
「どういうこと?」
「さっき、私が家に電話して車を手配してもらいましたから…もう少しすれば迎えが
来ます」
いつものはるかより、心なしか抑揚が無い声。
「あら、助かるわ。病院の場所はわかる?私の妹が勤めてるから、簡単な紹介状書くわね」
「はい。私が責任持って連れて行って、ちゃんと診てもらいます」
「何か悪いなぁ……そんなことまでしてもらっちゃって」
「いえ、私はマネージャーですし、こんなことくらいしかできませんから」
照れくさそうに笑うはるか。その言葉通り、野球部のため……というより、羽和くんの
ために何かできるのが純粋に嬉しいっていう様子だ。
けど……。
はるかはさっきから、一度もボクの方に目を向けていなかった。