「6-0で恋恋の勝ち!礼!」
ホームベースの前に整列したチームメンバーは一斉に帽子を脱いで挨拶すると、
バタバタとベンチの方に帰ってくる。その表情はどれもが弾んでいて、
とても一試合戦い終わった後とは思えない。
「お疲れ様!」
「「お疲れ〜!」」
笑ってねぎらいの言葉をかけると、ナインの面々は勝利の余韻を残したまま
私に笑い返して、足取りも軽くグラウンド整地用のトンボを取りに行く。ウチは
部員が少ないから、試合後のレギュラーメンバーでもこういった雑用を
こなさなければならない。
「ちょっと、ダメです羽和くん!」
ボクもスコアブックを確認してから、グラウンド整備の手伝いをしようと
立ち上がりかけたところで、隣に座っていた子が大きな声を上げた。
「ん?」
きょとんとした様子で振り向いたのは、我がチームのエースにしてキャプテン、
本校野球部の創設メンバーである羽和くん。
今日の練習試合でも被安打6の完封勝利をもたらした名選手……のわりには、
どこか暢気そうな顔をした男の子。
「ちゃんとアイシングつけてください。ホントはトンボ引きも
休んで欲しいくらいなんですから…」
「え〜?別に、グラウンド慣らし終わってからでも…」
「ダ・メ・で・す!9回で134球。すぐに冷やさないと疲労が溜まっちゃいます」
「はいはい。こういう時だけ厳しいんだから、はるかちゃんは…」
そのエースに声をかけたマネージャーでボクの親友、七瀬はるかは、
いつのまにか用意していたアイシングパックを持って、羽和くんに駆け寄っていく。
「えっと…じゃあ、ボクが代わりにトンボかけとくよ」
元ピッチャーなのにそこまで気が回らなかったことにちょっと引け目を感じたボクは、
取り繕うように羽和くんからトンボを受け取る。
「ありがと、あおい。ホラ、羽和くん。上着脱いでください」
「え……それはちょっと、恥ずかしいかも……」
「早く片づけ手伝いたかったら、大人しく従ってくさいね♪」
「はい……」
はるか、ちょっと前まで男の人が苦手と言っても良かったのに、羽和くんには
随分と気安いんだな…。多分、ボクだったら、真面目な理由があっても
男の子に『上着脱いで』なんて言えない。
羽和くんはしぶしぶといった感じでベンチに座ってユニフォームの上着を脱ぐと、
後ろに立ったはるかに肩にアイシングをつける作業を任せた。
「うーん…やっぱりアンダーシャツ湿ってるなぁ…汗くさくない?」
「そんなことないですよ。スポーツ選手のにおいです」
「それって、汗くさいっていうことなんじゃ…」
軽口をたたき合いながら、はるかは手際よく羽和くんにアイシングをつける。
羽和くんのシャツがはだけて、首から肩、胸にかけての逞しい筋肉が目に入って、
やっぱりボクとは体の作りからして違うな…と思うのと同時に何だかドキッと
させられてしまう。
「……あおいちゃん、なにぼーっとしてるの?」
「え?あ、ううん、何でもない何でもない!すぐグラウンド整備行くね!」
視線に気付いた羽和くんの言葉に、やましいことでも指摘されたみたいに慌てる。
ボクはそこから逃げるようにチームメイトのトンボかけに加わった。
今日は遠征の練習試合だったから、電車をいくつか乗り継いで部員達と別れ、
自宅の最寄り駅へ向かう車中で、ほっと一息。
暗くなるのも早くなった初冬の空を窓から見上げながら、
ボクは何だかモヤモヤした心を持て余していた。
今日の練習試合は、完勝だった。打線も繋がったし、羽和くんのピッチングも、
バックを守る守備のリズムも良かった。
しかも、毎年地区大会のベスト8は確実なくらいの強豪校を相手に。
そして、この恋恋高校の野球部は、数週間前の秋期大会で決勝まで進み、
あの超名門、あかつき大付属高校を接戦の末破っている。つまり、次の春の
選抜甲子園に出場確実のチームなのだ。
……そして、そのチームのメンバーに、ボクは入っていない。
今年の夏の大会、チームの人数が揃って初めて参加した甲子園予選。その途中で、
女性であるボクが高校野球大会に参加したということで、出場停止処分を受けて
しまったからだ。
「……ふぅ」
そこまで思い返して、溜息をひとつ。
多分、今のチームに、ボクは必要ない。仮に女性選手の出場制限が無かったとしても。
そのことに、改めて気付いてしまったから。
恋恋高校の野球部を創部から1年半でここまで強くしたのは、羽和くんの力に
よるところが大きい。
彼は、プロを目指してるなんて言ってるくせに、元女子校で野球部も無い
ウチの学校に入学してきた。はっきり言うと、初めはただの変な奴だと思ってた。
でも、彼はてんで揃ってない設備の中での練習でもどんどん上手くなって。
人数は少ないけど、野球の才能は決して悪くない人材が集まって。それをまとめて。
いつのまにやら、背番号が余るような人数しかいない恋恋高校野球部は、
甲子園に行くようなチームになってしまった。まるで、魔法みたいに。
天才っていうのは、あの人みたいな人のことを言うんだろうな。自分だけじゃなくて、
環境までを変えてしまうような人のことを。
また、溜息が出た。自分が降りる駅まで、あと15分ほど。
――ボク、彼に嫉妬してる。
男女差を抜きにしても、彼はボクより遙かにピッチャーとして完成してる……ううん、
これからもどんどん伸びるだろう。
それでいて、野球をやるのに、女であるボクと違って何の障害も無い。彼だったら、
本気でプロを目指すことができる。
ボクに無いもの。ボクが欲しいもの。ボクが奪われたもの。それを、彼は持ってる。
そういう、どうしようもない妬み。
マネージャーとして応援するって決めたはずなのに、自分が嫌になる。
それだけじゃない。それだけだったら、こんなにモヤモヤした気分にはならない。
彼に関して、もうひとつ、嫉妬してることがあるから。
……七瀬はるか。
ボクの中学校の時からの親友。彼女に、嫉妬してる。
はるかは、あんまり大っぴらには言わないけど、羽和くんと付き合ってる……らしい。
らしいっていうのは、二人とも野球部で忙しいし、部活中にいかにも恋人らしい態度を
とるわけにもいかないからだけど、お互い好き合ってるのは事実みたい。
はるかが羽和くんのことを好きになるのは、わかる気がする。はるかはボクの影響も
あってか野球が好きだ。お嬢様育ちなせいで男の人が苦手なところがあったけど、
同じ野球部で毎日接してる人にとは気軽に話せるようになってもおかしくない。
それに、何より。羽和くんはひたむきで、野球を愛してて、結果も出せて。それでいて
変に気取ることもなくて、どこか暢気でちょっと抜けたところもあって。
真面目だけどちょっと危なっかしいところもあるはるかとは
似たもの同士で相性も良いんだと思う。
……ううん、そんな理由つけなくても。羽和くんは、格好良いから。輝いてるから。
――――ボクも、好きだから。
きゅん、と胸の奥が痛くなった。ボクは、親友に対して嫉妬してる。
大事なチームメイトと大事な友達が幸せになってることを、喜べない。
羽和くんは、ボクよりずっと優れた野球選手で、輝いてて。
はるかは、男勝りなボクと違って、美人で、品があって、気配りもできて、優しくて、
女の子としてボクとは比較にならないほど魅力的で。
……その二人が、恋人同士で。
野球選手として、ボクは羽和くんにとても勝てない。
女の子として、ボクははるかにとても敵わない。
どっちつかず。中途半端。……負け犬、なんて言葉が思い浮かぶ。
「嫌だな、こんなボク……」
大きな駅での乗降中の喧噪に紛れて、ぽつりと呟く。
目を瞑った瞼の裏には、肌に張り付いたアンダーシャツ姿の羽和くんと、
その体に触れてアイシングをつけてあげているはるかの姿が浮かんで消えなかった。