「かれん……?」
呆然と、その名を呟いた。
直視したその目は、息を呑むほどの敵意に燃えている。
気圧されて私は思わず視線を外す。
手首を縛める金属の感触が、痛いほど冷たく感じられた。
「どうしてこんな──」
「憎いの。あんたが。」
言うが早いが、噛み付くようなキスをされた。
かれんの歯が当たって唇が切れる。がつん、と乱暴な衝撃。
鼻の奥までつんとした。鉄錆の味にむせかえりそうなキス。
相手の気が済むまで好きにさせるしかない。
最近ずっと、諦めることが増えた。流されやすくなった、と言うべきか?
だから、私は視界を閉ざす。
それに、目を閉じていれば──似ている。彼女に。
「目、開けなさいよ」
思考を見透かされたようで、びくりとする。
「あたしを見なさい」
言葉につられるように、かれんの瞳を覗いてしまう。
正面から激しい敵意をぶつけられて、怯んだ。
敵意?敵意には理由がある。────私は知っているはずだ。理由。
知らない。解らない。
表層をなぞる思考が出す答えはそう言っているけれど、私は知っている。
知っていることを認めたくない。『理由』は誰にも知られてはならないはずだったから。
「……逃がさないわよ。あんたは今、あたしに犯されてるの。」
かれんの声に、ぼんやりとした思考は止まる。
『あたしに』と強調して発音したかれんの言い方。
最悪のパターンだということが解った。
理由なんて、それこそ一つしか────
『の、え、る、わ、たしは、も……っ、あっ、あ……やめぇっく……れえっ!』
『嘘。本当は、もっと欲しいんでしょう?』
ひぃ、と悲鳴。がくがくと痙攣。身体が熔けてしまいそうな
「姉さんじゃなく、ね。」
ぱきん、と脳が音を立てた気がした。
嘆息。かれんにとってのノエルが、姉以上の存在だということには気付いていた。
こんな状況になるのは、意志の弱さ故か、と自虐的に思う。
事実、私はノエルに抱かれ続けているのだから。
負い目があるから、言い返せない。腕を強く掴む手も振り解けない。
「ねぇ、教えてくれない?あんたがどんな風にノエルを誑かしてるのか。」
私の服を乱暴に緩める手。裏腹に、かれんの囁きは甘ったるい。
毒入りの、甘さ。耳元から脳を冒す毒。
きーん、と、耳鳴りがしていた。
私は────抵抗できない。
再び唇を奪われる。今度は外側だけでなく、口腔内も犯される。
乱暴でぎこちない動き、それでも感触だけはノエルにそっくりなキス。
耳鳴りが治まってくる。遠くの方から現実の音が甦ってくる。
(ぴちゃっ、ちゅくっ。ん、はぁ、ふ、ぅん。」
水音。吐息。甘い声。
この、鼻にかかった甘い声は誰のものだ?
かれんの声ではない。
ここにはかれんと私しかいない。
それならば、これは────私のものか。
まだ血の味が残ったままの唇。
乱暴な口付けに、私は、ひどく官能をかき立てられていることに気付いた。
そして思い出す。
さらけ出した痴態。口にした淫猥な言葉の数々。そして、与えられた強烈な快楽。
思い出して、そして。
太腿をつたう一筋の雫の感触に、身震いした。
その途端、苛立たしげに胸を掴まれる。苦痛に小さな悲鳴を上げる。
「うあッ……!!」
「なに一人で感じてんのよ!」
かれんは怒気を孕んだ声で吐き捨てる。
「このマゾ変態!」
「そんな……私は……っ!」
予想もしていなかったような言葉の打撃力に動揺する。
いや、自覚があるから動揺するのか?
マゾ変態。
これほどお似合いな言葉はないな、お笑いだ、マーメイドプリンセスがマゾ変態だとさ。
やけに客観的な自分の声が自分自身を嘲るのが分かる。
どちらにしても容赦ない言葉だった。
露骨だけれどその露骨故に真実を貫いている。痛かった。
私はまるで自分自身に反論するかのように、声を上げる。
「違う!」
「マゾ変態でないなら何?好きでもないのにノエルに抱かれて悦んでるくせに!」
「違う……違っ────ッ!?」
反論の言葉は途切れて消える。
下着の中にかれんの指が入り込んで、蜜を掬い取ったのだ。
キスの時より更に増えて、腿がべたべたになるほど溢れているそれを、突き付けられる。
「論より証拠……って、言うじゃない?」
返す言葉がない。かれんは追求を止めない。
答えるな。
頭が言っている。ここで屈服したらおまえは流されるだけだろう?
「姉さんに虐められて、濡れたんでしょ?」
「…………っ」
「どうなの?」
困惑、羞恥、屈辱、思いつくままに頭の中で単語が渦巻く。
返事をいつまでも躊躇っていると、胸の先端をつねりあげられた。
「っあ!」
激痛が走る。生理的な涙が滲む。
気を取り直せ、私。痛みで目を覚ますんだ!
それでも、スイッチの入った身体は、新たな蜜を溢れさせた。
自分の身体が情けなくて涙が出そうになった。
泣くな、泣いたら負けだ。
鼻の奥が、つんとした。舌の先をかみしめ、必死で涙を堪える。
いや、泣いた方が楽かもしれない。
このまま、かれんの手中に堕ちてしまえば、楽だろうな。
マゾ変態のおまえなら、できるはずだろう?
思考回路が偏ってきている。
頭を振って、そんな考えを止める。それだけは駄目だ、と自分自身に言い聞かせた。
手錠の拘束を受けた手を振り回す。かれんの肩口に当たって、距離ができる。
逃げてしまおう。手錠は後で壊せばいい。
身体をねじって、
ベッドから飛び降りた。
その途端、冷静に、かれんの、声。
「るちあに。」
「え?」
駆け出そうという足が止まった。
────るちあが?なぜここでその名前が?『るちあに』何を?
嫌な予感は、たいてい当たる。
寒気がした。
かれんは足音をたてて、ゆっくりと近づいてくる。
そして、言う。
「るちあに、全部、話してあげましょうか?」
「あ……あいつには関係ない!」
自分でも驚くほど荒い調子の声が出た。
るちあにだけは。知られてはならない。
「ノエルに虐められて濡らすマゾだって事も全部ね。」
「関係……ないっ……!」
もしこんな自分をるちあに知られてしまったら。
『リナってそんな変態だったの?』
『気持ち悪い。わたしに近寄らないで。』
やめろ。
やめてくれ。
寒気がひどい。がたがたと、身体が震え始めた。
「あ……あ……」
「知ってるのよ。あんた、好きなんでしょう?るちあのことが。」
さっきあれほど堪えた涙が、堰を切ったように流れ出す。
ああ、もう駄目だ。自分を律していたものが壊れた。
「お願いだ、るちあに……るちあにだけは……言わないでくれ……」
涙声の懇願。
精神が、屈服するのを感じた。
「変なところで純情なのね。いいわ、るちあには言わないでおいてあげるから。」
かれんは薄い笑いを浮かべている。優しい笑みだ。
────ノエルに似ていた。
「それより、あんたの口から聞きたいの。ノエルに虐められて、濡れたんでしょう?」
従わなければ、いいのよ?全部ぶちまけても。そんな表情。玩具を品定めするような。
答えないわけにはいかなかった。
唇を噛んで、恥ずかしいのを堪える。
「……ぬ……濡れた……ッあぁ!?」
いつの間にか滑り込んだ指に、花芯を摘み上げられていた。
悲鳴が漏れる。いや、嬌声も混じっていただろうか?
かれんは楽しげな表情だった。
「声が小さくって、聞こえないんだけど?」
圧力がかけられて、呻いた。
「いぅ……濡れ、ましたぁ……ひゃんッ!!」
叫ぶように言うと同時に、ぎり、と最大の力でつねられた。
小規模な炸裂が身体の中で起こった。
床にずるりとへたり込む。
白い視界が元に戻るまでに数十秒はかかっただろうか。
「はあ……はあっ……どう、する気だ、これから……?」
失った酸素を取り戻そうと喘ぐ。
視線を上げて見たかれんの瞳は、相変わらず敵意に燃えていて。
けれど、その中には暗い愉悦の光が宿っているような気も、した。
「ノエルが必要なくなるくらい、染め上げてあげる。」
「そう……か……」
「大っ嫌い。めちゃくちゃにしてやりたい。」
そう囁くかれんの声は、ひたすら甘い。表情には笑みすら浮かんでいる。
頭がくらくらする。何か叫んだかも知れない。叫ばなかった気もする。
ともかく、その日────私は壊れた。