「…んっ」  
 
赤く空が色づく時刻のこと  
放課後の、誰もいないはずの教室の中から艶めいた声が漏れる  
こっそりと中を覗いて見れば、見覚えのある女生徒がいた  
見覚えはあるが、その女生徒はこのクラスの者ではない  
にもかかわらず、彼女は教室に入り、ちゃっかり椅子に座っている  
…いや、椅子に座っているだけならまだ良い  
その息は荒く、何やらもぞもぞと身体を小刻みに動かしている  
「ぁ……う…ぅん…」  
何をしているのかは遠目でも理解出来た  
制服姿のまま、自慰行為をしているのだ  
おそらく、普段あの席に座っている男子生徒が想像上のお相手だろう  
くちゅくちゅと淫らな水音がし始め、漏れてくる声もますます高くなってきた  
もう誰も校内に残っていないと、そう思っているからだろう  
でなければ、彼女がこんな大胆なことを学校内でするはずがない  
懐からカメラ付きポケギアを取り出し、カシャカシャと数枚メモリに収めた  
その行為に、あまりに集中している所為か、向こうはシャッター音に気づいた様子は無い  
音を立てぬようにポケギアをしまうと同時に、女生徒の背筋がピンと伸びきった  
どうやら果てたらしい  
その余韻にひたっているのか、ぐったりと椅子の背もたれに身体を預けている  
ぽたりぽたりと椅子から愛液が床にしたたり落ちる  
その女生徒に気づかれる前に、教室から離れた  
「(……確かあの席は……)」  
陽が落ち、薄暗くなった廊下を小走りする  
なかなか面白いことになりそうだ、とうっすらと微笑んだ  
 
 
…  
 
 
私は今、後悔している  
あんなこと、しなければ良かったと  
「……」  
ポケギアに送信されてきた、謎の添付メールを再び開く  
何度見たって同じなのに、何度見ても消えてなくなってはくれないのに  
私はそれを繰り返した、悪魔からのメールとしか思えなかったけれど  
そこには、私の…あの日、あの時の自慰行為の写真があった  
薄暗かった教室だというのに、残酷なまでに鮮明に撮れている  
行為に酔いしれ、上気している私の顔がズームでばっちりと……  
しかも、どこに座ってやっていたのかがわかるよう、教室全体を写したものまであった  
こんな写真が送られてきただけでも死にたくなったのに、添付メールにはメッセージも書かれていた  
『今日の放課後、B棟の屋上に来るように』  
簡潔ではあるが、明らかに写真をネタにした脅迫だった  
「…どうしよう…」  
こんなこと、誰にも相談出来ない  
出来っこない  
そう、それが相手の狙いだということも理解しているのに、どうしようもない  
ここまで顔がはっきり写っているのだから、向こうは多分こちらの名前も知っている  
いや、メールアドレスまで知っているのだ  
この添付メールとその送信者からは逃げられないことだけは明白だった  
もし逃げたりしたら、この写真は……きっとネットや何かにばらまかれるのだろう  
「(……自業自得よね)」  
私だって、本当はあの席であんなことなんかするつもりはなかった  
でも、誰もいなくなった教室に入って、あの席に近づいたら身体が熱くなって…  
「(馬鹿だ、私は……)」  
本当に、大馬鹿だ  
いっそ泣き崩れてしまいたかった  
それでも、私はそれを必死に堪えた  
…どう考えても、このまま送信者の言うことに従うのは危険すぎる  
放課後の屋上でなんて、何をされるかわかったものじゃない  
「……」  
それでも、私は放課後に行くことに決めた  
うまくいけば、写真のメモリをどうにかすることが出来るかもしれない  
それに向こうがもし手を出してくるなら、それこそ脅迫や暴行罪で訴え出よう  
被害者のままで終わる気はないし、その為の証拠や相手の顔を知る為にもここは退くことは出来ない  
 
だけど、せめて祈るだけしよう  
今はそれ以外、何もすることが出来ないから  
 
 
…  
 
 
添付メールを貰ったその日の放課後  
私は、屋上へ続く階段を一歩一歩上がっていった  
足はがくがく震え、何度も引き返そうと思った  
それでも、その気持ちを押さえつけ、確実に屋上へ向かって行った  
 
そして、階段を上がりきった私は屋上の扉に手をかけた  
沈みかけた陽が目にまぶしかったけれど、私はその目をそらさなかった  
 
誰かいる  
呼び出された私より先に来ているこの人物こそ、添付メールの送信者であり脅迫者だ  
「……」  
「ようやく来たか」  
その相手の声を聞いて驚くと同時に、ふっと悟った  
『この男なら、こんなことをやってもおかしくない』と  
私はぐっと身構えた  
「…意外だったな」  
「何がよ」  
こうして、のこのこやって来たことにだろうか  
お生憎様、此方はあなたの悪事に立ち向かいに来たのだから…絶対に屈しない  
その人物はにやりと笑った  
「まさか、そういう趣味があったとはな。知らなかったぜ、真面目学級委員ギャル」  
「そうね。私もあなたがここまで最悪な人だとは知らなかったわ。ゴールド」  
同学年で一番の不良、問題児ことゴールド  
そのゴールドの、隣のクラスの学級委員を務めている私の名前はクリス  
面識はあった  
隣で馬鹿騒ぎをやっているゴールドを、いつも叱り怒鳴りつけていたから  
成る程、不良の交友関係のつてで私のメールアドレスを手に入れたのだろう  
「…んじゃあ、早速本題に入ろうか」  
素早くゴールドが動き、私の横をすり抜け、乱暴に屋上の扉を閉めた  
退路を絶たれ、その方を振り返ろうとした私を思い切り壁に押し付けた  
「どーいうつもりだ?」  
「……何の話よ」  
「ふざけんな。用があって呼びつけたのはそっちだろうが」  
ゴールドは自らのポケギアを取り出し、ぐいっと見せつけた  
「だから、何の話よ。私はただ、あなたに呼び出されて……」  
ここで2人がはっと気がついた  
「まさか……」  
「お前も呼び出されたのか?」  
 
私は添付されていた写真のことは言わなかったけれど、誰かに脅されてここに来たことを告げた  
話の口ぶりから、どうやらゴールドの方も同じ立場にあるらしかった  
「ワリぃな、てっきりお前が犯人だと思ってたぜ」  
「私もそう」  
しかし、何の目的があって、2人を同時に呼び出したのだろう  
このまま、悪戯目的のまま話がすめばいいのだが……  
「…それにしても、どうしてあなたがここに呼び出されたの?」  
ゴールドほどの不良を呼びつけるのだ、よほどの脅迫だったのだろう  
しかし、当の本人はあっけらかんとしている  
「ああ、メールが送られてきたんだよ」  
私はどきっとした、ゴールドはその問題のメールを開いて見せた  
「……っ!」  
私は声を失い、同時に顔を赤らめた  
やはりなのか、ゴールドも私と同じように写真をネタに呼び出されたのだ  
『今日の放課後、B棟の屋上に来るように。』と、文面は同じだったが此方は句読点が付いていた  
しかし、その添付写真がよりにもよって……  
「…こ、これ…」  
「誤解すんじゃねーぞ。そっちの趣味も無ぇ。そう見えるだけの言いがかりだ」  
その写真は、ゴールドが同クラスのシルバーという男子生徒にキスしているというものだった  
予期せぬものに、私はかなりの衝撃を受けた  
「言い訳は男の恥だけどよ、こいつぁ…」  
「い、いいっ! 説明してくれなくて!」  
私は精一杯拒絶し、その写真から目をそらした  
どんな状況でそうなったにせよ、それ以上の説明など聞きたくなかったのだ  
「俺ぁ、こんなもん撮った奴をぼこぼこにするつもりで、ここに来てやったんだ。奴の誘いに乗ってな…」  
それで後から来た私を犯人だと思ったのか…  
心外だ  
「にしても、肝心の奴が来ねぇんじゃ仕方ねぇな」  
そう、私とゴールドが合流してから30分は経つのに、屋上には誰も上がってこなかった  
拍子抜けというか、ほっとしたというか…何も起きないに越したことは無いけれど…  
ゴールドの方は不満そうだけど、私は心底助かった気持ちで一杯だ  
「もう遅くなってきたし、私、帰るね」  
「あ、おい、もうちっと待ってろよ」  
「来ない向こうが悪いのよ。質の悪い悪戯だったのよ、きっと」  
私がそう言うと、ゴールドは不満げに唇を尖らせた  
「あ、安心して。その写真のことは誰にも言わないから」  
そう言って、私は屋上から立ち去ろうとした  
屋上に上がってきたとは違って、足取りも軽かった  
ここを出たら、もう全てを忘れよう…そんな気持ちでドアノブに手をかけた  
 
その時だった  
更に予期せぬ事態が、私自身に降りかかってきたのだ  
 
「待てっつってんだろ。淫乱学級委員ギャル」  
私の動きがぴたりと止まった  
ドアノブに手をかけた手がすっと降りると同時に、頭から血の気が引いた  
その反応を見て、ゴールドはさらに言ってきた  
「やっぱな。こいつはお前で間違いねぇんだな」  
ゴールドがピッピとポケギアをいじり、画面を表示して、私に見せた  
 
そこに表示されていたのは、私に送られてきた添付メールだった  
勿論、その写真も全て……  
 
「…どうして…」  
やっぱり、あなたが送信者だったのね  
「違ぇーよ。多分、向こうが手違いで俺の方にもお前のメールを送信しちまったんだ。ま、俺も正直目を疑ったけどよ。お前が犯人なのに、どうしてこんなもん見せ付ける真似すんのか…わかんなかったけどな」  
『まさか、そういう趣味があるとはな。知らなかったぜ』……そういう意味だったのか  
呆然と立ち尽くす私の手を、ぐいとゴールドが引っ張った  
「まさかあの真面目学級委員ギャル様が、俺の席で自慰行為をしてるなんてな」  
私は固まった  
「知らなかったぜ。マジで」  
私は何も喋られなかった  
「ふざけた奴はぼこぼこに出来なかったけど、まぁいいや」  
ゴールドが私の首筋に唇を、舌を這わせた  
その瞬間、思い切り私はゴールドを突き飛ばした  
そのまま逃げれば良かったのに、足がすくんで動けなかった  
「…ってぇな」  
しりもちをついたゴールドは立ち上がり、また私の方を見た  
恐怖からかわからなかったけれど、私はぺたりとその場にへたりこんでしまった  
「さて、どうすっかな…」  
「私に近づかないでっ」  
声を張り上げ、私はそう抗った  
それが効いたとは思えなかったが、ゴールドはそれ以上近づいてくるのをやめた  
「まぁ落ち着け」  
「出来るわけないでしょ!」  
「そりゃそうだ」  
あっさりとゴールドはそれを認めた  
私は先ほど舌が這った首筋を押さえつつ、身体を縮めた  
必死だった  
送信者は来なかったけれど、今も私は逃げられない  
どうしようもなく、私は身構えるだけだった  
ゴールドはぼりぼりと頭をかき、此方の様子をうかがっている  
その目線が何だかいやらしく思えて、私は更に身体を丸めた  
「……」  
「この写真、どうしてほしい?」  
「消して! 今すぐ!」  
私はそう懇願した  
「だよな」  
「お願いだから、消して!」  
私はすがった  
ゴールドは何だか考え込んでいるようで、私はそれでも頼み込んだ  
 
「わーった。消してやる」  
ゴールドの言葉から、そう出た時、実は私は耳を疑った  
聞き入れてくれるわけが無い、そう思っていたからだ  
でも、世の中そんなに都合のいい話があるわけが無いのも事実だ  
「条件付きでな」  
「……条件?」  
そうくると思った  
私が不利なのは明らか、そんな状況を見逃すわけが無い  
やはり、向こうが求めてくるのは……  
 
「明日から10日間。お前、放課後になったらここに来い」  
「…え」  
「10日の間、俺のお願いを1日1回聞いてくれたらこの写真は消してやるよ」  
「!」  
やはりそうきたか  
しかし、なんてことだ  
それはつまり、10日間…ゴールドの奴隷になれということだろうか  
「まー、お前の考えてることは読めてるつもりだ。目的は健全な青少年らしくお前の身体、だと思ってんだろ?」  
私は反射的に身体を両腕で隠すように、かばった  
この手のお願いは、それしか考えられないではないか  
だけど、ゴールドはまるでそんなことを考えている私の方がいやらしいという目つきでいる  
「別になぁ。それでも俺は構わねぇんだけど、それだとお前が不公平だろ?」  
何が不公平よ、心にも無いこと言っちゃってさ  
「だから、10日間、お前の上半身は俺のもんな」  
「は?」  
「安心しろ。下半身には手ェ出す気ないから。その代わり、お前の上半身に関する俺のお願いはきっちり守れよ」  
「は?」  
わけがわからない  
具体的に言うと、へそから上が上半身ということらしい  
だから、それより下には一切手を出さないと言う  
「それと10日の間に1回だけ、俺もお前のお願いを聞いてやる。お前も俺の写真のこと知ってるからな。それでチャラにしてくれ」  
「お、お願い……?」  
「そ。ただし、今すぐ写真を消せとかは無しな。あくまで、その日の俺のお願いを聞くのが嫌だったらみたいな時に限ってだぞ」  
「はぁ?」  
「んで、お前が俺のお願いを10日間聞き続けてくれたら、お前のこの写真を消してやる。勿論、口外もしねーよ。あ、約束の10日の期間を延ばす真似もしねーから。これでどうだ?」  
どうだと言われても、どうとも答えられないんだけど……  
 
要するに、明日から10日間、私はゴールドのお願いを聞かなきゃならない  
ゴールドのお願いは私の上半身で出来ることに限って、下半身の方には絶対に手を出さない  
その10日間の中で、私自身もゴールドに写真を消す以外のことなら何でもお願い出来る  
無事、ゴールドの言う10日間が過ぎたら、私のあの写真をゴールドのポケギアから消してくれるって……  
 
「聞けると思う? そんなの」  
「聞いてくれなきゃ、そっちが困るだけだと思うぜ?」  
ゴールドはホラと写真を見せた  
まるで黄門様の印籠だ  
「…あなたが送信者かその共犯者なのかどうか。10日後に写真を消してくれるなんて保証はどこにあるのよ」  
「信用出来ない、条件が飲めないって言うなら、こっちにも別の考えがあるけど?」  
ゴールドの言葉に、ぐっと私は詰まった  
確かにゴールドの脅迫写真の内容を、私は知っている  
でも、私のポケギアにはその証拠がない  
しかし、向こうは私の脅迫写真を手にしている事実は変わりない  
奇妙な条件だけど、ここは飲まなければまずい  
そして、明日までに挽回策を思いつけばいいのだ  
 
「……わかったわよ。その条件、飲めばいいんでしょ」  
「よーし、交渉成立。んじゃ、また明日な」  
それだけ言うと、ゴールドは私を置いてスタスタと歩き、屋上から出て行った  
 
陽は落ち、代わりに昇った半月が屋上と取り残された私を照らしていた  
 
…  
 

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