「なぁ、おまえ好きな子でもできたのか?」
またバトルを終え、自宅に帰ってきた。
いつもどおりの胸の動機をそのままに自室に入ろうとドアノブに手をかけたとき、
珍しく自分より先に家にいた、
広間のソファーの上でだらしなく寝転がっている自慢の兄貴の発した言葉に、スイッチが切れたように動きがとまる。
「な、なんだよ兄ちゃん。藪から棒に……」
力のこもっていない言葉をぎこちない動作とともに返すと、ドアノブをまわす。
顔に妙な熱がこもってきたから、尊敬する兄に顔を見せることが恥ずかしく思えた。
でも、逆にそんな弟の状態の不審に、なにやら心当たりを得たのか、確信を得たように兄はニヤリと笑う。
「バトルタワーだろ?」
不意に放たれた言葉に、バクの背がびくりとはねた。
それから確かめるようにそーっとそーっと首を回して横目でこちらを見てくるバク。
頬が髪の毛に巻けず劣らず赤くなり、驚きのためか、目は見開かれていた。
わかりやすいくらいに動揺している。わが弟ながら、可愛いやつだ。
「何でわかった? って顔してんな。くく、兄をなめんなよ」
相変わらずニヤニヤした口で言葉をつむぐ。非常に楽しそうにする兄に対し、
バクはもういろいろと限界に近いかもしれない。
これ以上にないってくらい目を見開いてるようだし、遠目でありながらも額から流れ出る汗が
逐一確認できるほどだ。相当にあせっている。
「お前最近前にもましてあそこに行くようになっただろ? 最初はただバトル楽しんでるだけ……って思ってたんだが、
コウキに聞いてみたらお前、シングルじゃなくてマルチに入り浸ってんだってな。
しかもいっつもパートナー組むのは可愛い女の子だって話じゃねぇか。なんて名前だったか、ミル? モミ?」
「マ、マイだ……ハッ!!」
言い終わる前に慌てて口をふさぐが、もう無駄だった。顔に熱が集まり、沸騰したように脳がくつくつと鳴る。
ソファーから起き上がった兄貴は、口元どころか目までニヤニヤ笑っている。
「ほーぅ、マイちゃんて言うのか……」と呟かれた瞬間、耐熱の臨界点をやすやすと飛び越えた顔が大噴火した。
「いやー、兄はうれしく、同時に寂しいぜ。まだガキだと思っていた弟が、立派な男になってるとはなぁ」
いやいや全く、と付け加え、わざとらしく出てもない涙をぬぐう兄を前に、
何とか言語理解できるくらいにまで鎮火したバクは怒ったような顔で聞く。
「ど、どー言う意味だよ?」
兄は立ち上がり、バクの肩に手を回した。
そして回した手をもう一方の手と組み、バクを逃げられないように拘束する。
「照れんでもいい! 兄弟として、いや、男同士として本音でぶつかろうぜ、バク!! ……ヤったんだろ」
「なっ!!?」
耳元でささやかれた言葉に、またしてもバクは噴火しそうになった。
もう耳まで真っ赤に染まったバクの顔の赤さと熱は、ゆでだこなどの比ではない。
自身がマグマックにでもなった錯覚に、バクは陥りそうになる。
「にげんな、にげんな。いいんだよ。兄ちゃんだってな、初の後はやべぇと思ったさ。
なかなか二回目に踏み切ることができねぇんだ。それで毎日疲れて、ため息ばっか吐いて――グハッ!!」
「いい加減にしてくれよ兄ちゃん。さすがの俺も怒るぜ!」
さっきバトルで使ったパルシェンで兄ちゃんを押しつぶす。
ああ、つかれてるのにこんなことしてごめんな、パルシェン。
心の中でいたわりながらボールに戻す。
自転車に轢かれたかえるみたいにうつぶせの大の字になってぴくぴくうごめく兄貴を無視し、
バクはようやく部屋へと入れたのだった。(当然鍵を閉める)
扉の向こうから兄貴のうなるような声で「て、照れんな……よ」と言っているのが最後に聞こえた気がする。
―――――――――――――――――――――――――
部屋に入ったその瞬間、たまっていた疲れがどっと噴出し落ちるようにしてベッドに倒れこんだ。
「……はぁ…」
ため息がひとつ漏れる。
頭の中で繰り返されるのは兄の言葉――――
『ヤったんだろ』
ニヤついた兄の顔が目に浮かび、それを消すように首を振る。
――マイは、そんな奴じゃない。
知らず知らずのうちに熱を持っている自分を冷ますべく、自身に言い聞かせる。
「そうだ、マイは不思議で、神秘的って感じで、悪く言えば人を寄せ付けないオーラを常に出してるようで、
無口で無表情で、小っちゃくて、でもそこがなんか可愛くて、なんか守っちまいたくな――っていうか、何を言ってんだ俺はァァ!!」
神速も真っ青な速さで上半身を起こし、枕を壁に向かって力いっぱいぶつけた。
バクはがむしゃらに投げた体勢のまま、息を切らして肩を上下させる。おかげで折角冷めかけていた熱が
バックドラフトよろしく、むしろさっきより激しく再点火してしまう。
今バクの目に映っているのはそっけない部屋の壁でなく、脳裏にハッキリと見える、マイの姿だった。
思えば思うほど熱が増す。必死で別のことを考えようと画策するも、こびりついたイメージは頭から離れない。
「く、くっそーっ!! 兄ちゃんのせいだ」
いつもは尊敬の的として自分の中に存在する兄だが、今日この時だけは、どうしようもなく恨めしかった。
しばらくし、バクは観念したように目を閉じた。脳裏にいるマイを見つめ続けているのだ。
足を、腰を、腹を、胸を、肩を、腕を、手を、指を、顔を、口を、鼻を、目を、ただじっと、惚けたように。
マイはバクに気づき、傍に寄り添う。
そして細くて芸術品のような美しい手で、バクの熱持った頬に触れる。
鼻同士がぶつかるほどの至近距離で見るマイは、より神秘的で、そこにいない様にさえ思えるほど儚かった。
「マ……」
名を呼ぶ声は、彼女が何の合図も無しに触れ合わせた唇によって遮られ、
慌てて身を引こうとしたバクを、のしかかるようにして押し倒した。
唇を離すと甘い息が交差した。お互いに見つめあい、その味をしっかりと味わう。
バクはマイの顔に手を回し、今度は自分から唇を奪った。
咥内に舌を這わせ、めちゃくちゃに絡める。歯の一本一本を丁寧になぞり、己の唾液をこすりつけた。
止められない。
押さえつけたばねが手を離した瞬間反動で暴れまわるように、彼は彼女の咥内を犯し続けた。
「んっ……んん!」
どちらの声かわからない声が聞こえた気がした。快楽に身を任せる声、誘惑の声。
その瞬間バクの『モノ』に、例えられない刺激が襲い掛かり――――
「はぁ……また、やっちまった……」
体の力を抜き、完全にベットに身を任せた状態ではき捨てるようにバクは言った。
バクの目の前には、今しがた出すものを出してヘタレこんでいる分身と、
その分身に覆いかぶさる、数枚の濡れたティッシュがあった。
「(もう、これで何度目なんだよ、はぁ)」
バクはその光景に、心中でため息をついた。
本当に、もう何度目だろう? あいつでこうやって、欲を満たすのは。
初めて会ったときから可愛い子だと思った。間違いなく惹かれていたとは思うが、
その彼女を“こういうこと”に使い始めたのは何時からだっただろうか?
それすら思い出せない、それほどにしているのだ。
事の最中に現れるマイは、所詮は妄想だ。俺の思ったとおりに動く、真っ赤な偽者。
そんなことはわかってる、行為中も、頭のどこかで「こいつはマイじゃない!」と言ってくる
かっこいい自分がいるが、それでも行為は止められない、止まらない。
結局、終わったあとに残るのは虚しさと、マイを汚したいと思っている自分に対する気だるげな罪悪感だけ。
「ちくしょう……これも兄ちゃんの……せいだ」
重いまぶたに逆らうことなく瞳は閉じていった。最中、言い訳とわかっていながら、バクはぽつりとつぶやく。
本当はあやまりたい。マイにあやまりたい。
バクの本心からの願いも、薄れ行く意識の中に溶けるようにして消えていった。