彼の名はダイゴといった。  
 
 純粋で、優しくて、器用に見えて実は不器用。  
 バトルもかなり強くて、でも自らの夢の為にチャンピオンを降りたとんでもない男。  
   
 そんな彼とのファーストコンタクト。  
 実は私は最初、彼のことはあんまり好きになれないと思っていたわ。  
 
 そう、……あれはまだ、私がシンオウのチャンピオンになって間もない頃、   
 ポケモン協会の計らいで地方のチャンピオンや各界の著名人たちが集まってパーティーが開かれたときだった。   
 
 私にとっては初めてのお呼び出し、  
 流石に緊張して、わざわざカントー地方に来たのは良いけど…………  
 
 
「ふぅ、相変わらず長いわね。会長のスピーチは……」   
「まぁ落ち着け。いつもの事さ、すぐになれる」  
 
 会場に集まって開会式が始まったはいいけど、最初は協会の運営やらまじめな話だったのが、  
 いつの間にやら自分の家族についてとか――どこどこの野球チームの話だとか――本当のほんとに  
 どーでもいいことばかりに摩り替わっていて真面目に聞くがなくなっていた。   
 
 いつまでたっても終わらない会長の開会の言葉に私はいい加減に飽きを通り越してイライラし、  
 いっそのこと、ガブリアス(のギガインパクト)で会長をふっ飛ばしてやろうなどと少々危ない考えに浸っていた。  
 すぐ隣に座る――――チャンピオン代理――――のワタルは、流石に年長者だけあって慣れているのか、  
 長ったらしいスピーチ(もはや自慢話)には耳を貸さず、目の前に用意された形のいいグラスを手にとり、  
 慣れた手つきでブドウ色のワインをさりげなく口に運んでいる。  
 
「ワタルは良いわよ、実家にしろリーグにしろカントージョウトにあるから。けど私はシンオウなのよ」    
 
 もともと日帰りになるわけが無いと思い、それなりの準備はしてきたのだが、  
 会長のこの話しっぷり(あ、今度はまたカントーでのリーグの話。……レッド……だったかしら?   
 最年少リーグ制覇にして、行方知らずとなった伝説のトレーナー)、  
 時間から言うとこのままではホテルの予約すら出来ないから、野宿へGO! の道筋だ。  
   
 さすがに、ワタルの部屋に押しかけるわけにはいかないし――――というか昔頼んだことあるけど、  
 頼んだ直後にワタルは真っ青な顔して「ま、待て……俺は何にもしてないって。信じてくれ! む、ムチはもういやだ―――!!」って    
 幻聴にうなされてたし(理由は聞かないでくれと強く言われた)  
 
 ――――……無理ね。  
 
 あっという間に希望は伏せられ、私は聞こえないようにため息をついた。  
 そして、椅子の背もたれに体を預けたとき、――ふと、著名人たちの座る、いわゆるVIP席に一つ、  
 ポツリと取り残されたように席が空いているのに恥ずかしながら、やっと気づいた。  
 
「ねぇ、ワタル。あの席――なんで空いてるのかしら?」   
「ん? ふごっい。はは、はれふ」   
 
「…………とりあえず、それ飲み込んでから話してくれない?」  
   
 会長の話を完全に無視して豪勢な料理を頬張っているワタル。  
 この人、普段かっこいよくて何でもできるんだけど、  
 基本的にそれを恨まれること無く誰からも愛されるのは、こういう天然な所があるせいなのかしら?  
 
 などと料理を必死にワインで流し込むワタルを見ながら考えていた。  
 
「ああ、あの席か。あの席はな――「……口の周りにソースついてるわよ」――あ! ありがと」  
 
 備え付けのお手拭で口周りを拭うワタル。ほんと、これで一時は世界最強のトレーナーだったなんて。  
 このことを知らない人が、もしくは噂でしか知らない人が今の姿を見てどう信じてくれようものか……  
   
 クスリと笑いがこみ上げてきた。  
 それを見て、ワタルは少しムッとした様だったが、すぐさま体勢を立て直すと、  
 私の問いに答えるべく、遠くにある空席をこっそりと指差した。   
 
「あれはな、ホウエンチャンピオンの椅子だ」  
「ホウエン? ……え? ちょっと待って。何で同じチャンピオンなのにこんなに待遇が違うのよ?」  
 
 ご尤もな質問だと我ながらに思う。  
 チャンピオンといっても所詮はやはりトレーナー。  
 各界のトップのような人間と比べればその地位はどちらかといえば低いのは事実。  
 しかし、ならばなぜそのホウエンチャンピオンさんは、その各界のトップたちと同じ場所に席が用意されているのだろうか?   
 正式なチャンピオンでは無いといえ、『あの』ワタルでさえやはりこうして“こっち側”の席に居るというのに。  
 ……別に自分も豪華な席に座りたい、というわけではない。  
 むしろあんな装飾品で無駄に飾られた椅子やテーブルなど、どこに美しさがあるというのだろう? はっきり言って、ゴメンだ。  
 ただ、そのチャンピオンが一体何者なのかは、無性に気になった。  
 
「聞け、あいつはホウエンのチャンピオンでありながら、ホウエン地方で絶大な支配力を誇るデボンコーポレーションの一人息子……つまりは御曹司なのさ。  
 知ってるか、デボンコーポレーション?」  
「ええ、話に聞くぐらいで、名前くらいしか知らないけど……」  
 
 なるほど、と納得した。  
 一地方の経済を牛耳れるほどの会社の御曹司、しかもそれでありながらチャンピオンであるというなら  
 たしかに協会からしてみて、これほど“あちら側”からの興味や関心を惹けるものは無いだろう。  
   
「……ずるいわね、協会も」  
「仕方ないさ。ああやってスポンサーが入ればその料金は協会の懐に納まる。  
 大手が支持することでトレーナー人口が増えれば関連するグッツは売れ、お互いに一石二鳥。  
 利益を求める卑しい人の欲が、ほんの少し満たされるのからな」  
「最低ね、その裏でどれだけの人がお金のことで苦しんでいるのか……」  
「実際、彼らもわかってるさ。でも、止められないんだ」  
   
 ワタルは少し顔を俯け、寂しげに言った。  
 
「彼らももともとは人の喜ぶ顔が見たくて企業を立ち上げた筈なんだろう、それだけに……悲しいな」  
「…………」   
   
 私は言葉が出なかった。  
 ワタルの表情が無力な自分を嘲笑しているようで、とても声を掛けれる雰囲気ではない。  
 事実、心の奥底には何も出来ないもどかしさがあるのだろう。  
 正義感の人一倍強い彼だからこその悩みだ…………  
 
 私たちの間に沈黙が流れる間も、そんなことは露知らない会長の自慢話だけが  
 耳障りに延々と会場を流れていた。  
 
「ねぇワタル。そのホウエンのチャンピオンはどんな人なのかしら?」  
 
 とりあえず辛気臭いままだと、仮にもせっかくのパーティーが台無しになってしまう。  
 私はとにかく話題を転換するために、未だ影すらこの会場に姿を現さないおバカな人物に焦点を当てた。  
 
「ああ、あいつはかなり怱忙なヤツでな。おまけにそれでもって超がつく石マニアさ」  
「石マニア?」  
「そうさ。あいつの副業は石の収集人(ストーンゲッター)。でも、本人曰くそれが本業でチャンピオンが副業。  
 デボンの会社はマジで継ぎたくないって俺に泣き付いて言うような、かなりの変わり者だ」   
「へ、へぇ〜……」  
「そのくせ妙に社交的で、“あちら側”の人たちにも『うけ』が良いからその我侭もほとんど許されてる。  
 ほんとに何でも超人ってやつだね、あいつは……」  
 
 話を聞く限り、どうやらおバカさんは相当にお坊ちゃんらしい。  
   
 気に入らない。  
 
 大方、今まで周りに甘やかされて育ち、なまじ才能もあるから大した苦労なんてしてきてないエリート気取りだろう。  
   
 考えていると余計にむかついてきた。  
 かつて神話のことについて語り合った親友はお金も無くて人付き合いの嫌いな男だったけど、  
 それでも勤勉さ――――絶え間ない努力と地道な学習で一部の人間からカリスマ的な扱いをされるようになった。  
 その彼はある日消えるように私の前からいなくなったのだけれど、きっと今もどこかで努力を続けているに違いないと  
 私は思っている。  
   
「で、その彼は何で今日来てないの?」  
 
 出来るだけ怒りを押し殺してみたが、それでも後から後から言葉を突き上げる感情が止められない。  
 流石に老獪なワタルにはあっさりとばれているらしく、彼は肩を竦めると  
 相変わらず主人の居ない席を一瞥し、そのまま視線を泳がせた。  
 
「さぁな、何せあいつは石ある所にはどこにでも行く男だからな、見当がつかん。  
 普段からろくに連絡も取れんし、この前会った時はシロガネ山最深部だったからな。どこに居ても不思議では無いさ」  
「大切なパーティーを放って、よくそれでチャンピオンの権利剥奪されないわね……」  
「さっきも言ったろ、あいつはあちら側にも幅広く顔の聞く男なんだ。下手に手を下してあちら側の機嫌を損ねたら  
 協会の方だってただじゃすまないのさ。まぁ、例えそういった後ろ盾が無くても、あいつはお構いなしだろうけどな」   
「ふーん……」   
 
 聞けば聞くほど腹が立つ。  
 自分の好きなことをやるために義務もまっとうしない男なんて、ただの自己中じゃない。  
 しかもそれが許されているんだから、そのおバカさん何も感じてないんだわ、きっと。  
 
「おっ、やっとスピーチが終わったみたいだな。さあ、とりあえず今はこのささやかなパーティーを  
 楽しむことにしよう、お姫様」   
「……ぷっ、相変わらず、アナタには羞恥心ってものが無いのかしら?」  
 
 そう言いながらも心は少し軽くなっていた。  
 こうした軽い気配りが出来るのもワタルの良い所。  
 ワタルがかざしたワイングラスに私もグラスを近づけ、  
 
 
 ――――――カチン!  
 
 
 音を鳴らすと私たちは同時にワインを口に注いだのだった。  
 

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