「ご両親の件。本当に残念だったね……」  
ワカバタウンにある、ポケモン研究所の一室。  
その部屋のソファーでうなだれるオレに向かって、  
研究所の雑用であるウツギが、そっと声を掛けてくる。  
 
「素人である僕が、こんなことを言うのは、おこがましいことかもしれないけれど、  
君のご両親は、とても優れたポケモン研究家だったよ」  
――だから……、なんだというんだ……?  
机を挟んで向かい側に座るウツギが、必死で元気付けようとしてくる。  
オレにはそれが、手に取るように分かった。  
――数日前、オレの親父とお袋は、フィールドワークへと出掛けた。  
ポケモン研究を生業とする2人が、いつものように出掛けていく。ただそれだけの事……。  
しかし、その日はいつもと違っていた。  
――帰ってこなかったのだ……。2人が。  
 
「君はこれから、トキワシティの孤児院で暮らすことになった。  
院長のキクコさんは、次期四天王の1人とまで言われるポケモントレーナーで――」  
「オレは……捨てられたんだな……」  
ポツリと呟く。  
 
「な、何を言っているんだ! 君のご両親が、そんなことをするハズがない!  
それは、あの2人の手伝いをさせてもらっていた僕が保証する!  
今回、あの2人が行方不明になったのは、きっと、何かの事故に巻き込まれたからで――」  
「気休めなんか、いらねぇよ……」  
オレはゆっくりと席を立ち、出口へと向かう。  
背後から、ウツギの声が聞こえてくるものの、  
絶望の淵に立たされたオレにとっては、本当にどうでもいいことだった……。  
 
◆  
 
「――ん……」  
――なんだか、懐かしい夢を見ていたような気がする――。  
霞む視界の中に、オレンジ色の優しい光が差し込んできた。  
あれ……? オレはたしか――。  
 
「そうだ! ダークライ!!」  
自分の置かれていた状況を思い出したオレは、その場から勢い良く上体を起こした。  
その瞬間、左肩に鋭い痛みを覚えため、顔を歪める。  
 
「つ……!」  
「大人しくしていないと、傷が開くわよ」  
「あ……」  
声のほうへ顔を向けると、そこには、腕を組みながら壁にもたれかかる、ダークライの姿。  
自分の体に目をやると、半裸の状態で、左肩には包帯が巻かれていた。  
恐らく、ゲンガーに負わされた怪我だろう。  
 
「こ、ここは……?」  
現在の状況を把握すべく、オレはキョロキョロと辺りを見回す。  
――どうやら、どこかの一室らしいな。  
部屋の雰囲気は、自治体が使用していた洋館に近いが、  
所々にある装飾品は、一回りほどランクが高い。  
オレが身を預けているベッドには天蓋まである。  
なんだ? この、ヨーロッパ貴族のプライベートルームのような場所は。  
 
「ここは私の城――。怪我を負ったあなたを、私の配下のムウマージが手当てしたのよ」  
「そ、そうなのか。そいつは感謝しないとな――って……、おまえの城……?」  
その瞬間、オレの脳ミソは、考えたくもない事柄について、思考を巡らせる。  
それを必死に押さえようと試みるものの、考えずにはいられない。  
 
「――こ、ここがおまえの城ってことは、もしかして……」  
「ええ――。ここは魔界――。あなたが、先程までいた場所とは、別の世界よ」  
――刹那、『シーン』という効果音が聞こえてきそうなほどの静寂に包まれる。  
何故に? 何故オレは、そんな状況に陥っているんだ?  
頭の中で、幾度と無く自問自答を繰り返す。  
しかし、どんなに考えようと同じ事。ダークライがこうして説明していることが全て。  
ダークライに嘘をつく理由などない。ならば、答えは1つだ。オレは――。  
 
「な……、なんで魔界になんて飛ばされちまったんだぁぁぁぁッ!!」  
オレはベッドの上で、激しく頭を掻き毟りながら身悶えた。  
冷静でいようにも、感情の昂りが、それを許してはくれない。  
 
「うわぁぁッ!! なんなんだよいったい!  
どうして、こんなことになっちまったんだぁぁッ!!」  
オレは、神速の速さでベッドから立ち上がり、  
激しく取り乱しながら、ダークライの両肩を鷲づかみにした。  
そのまま、力任せに体を揺すり続ける。  
 
「た、たのむ! オレを元の世界へ戻し――ひでぶっ!?」  
突如、内臓にまで響く凄まじい衝撃がオレの腹部に走った。  
次の瞬間には、体が宙に舞っているような、フワフワとした感覚――。  
――というか、実際に舞っている!  
オレの体は、空中で弧を描きつつ、きりもみ回転しながら飾り棚へと突っ込んだ。  
 
「あべしっ!」  
頭を打ち付け、情けない悲鳴を発するオレ。  
その背中に、追い討ちを掛けるかのごとく数々の小物が降り注いだ。  
うつ伏せのまま、花瓶やカンテラの襲撃に耐え切ったオレは、  
咄嗟に身を起こし、ダークライに向かって抗議の声を上げる。  
 
「死ぬわっ!」  
「生きてるじゃない」  
オレは、殴られた腹部を押さえつつ、よろめきながら立ち上がった。  
 
「――まったく……。もう少し落ち着いて話せないのかしら……」  
無理! この状況で落ち着いていられるほうが不自然!  
 
「現段階では、人間が確実に人間界へ戻る方法は確立されていないのよ。  
たまに、時空の歪みに飲み込まれて、運よく戻れる者もいるみたいだけど」  
「そ……、そんな……」  
絶望に打ちひしがれたオレは、ガックリと床に崩れ落ちる。  
――もう2度と、元の世界には戻れないのか……。  
なかば、諦めかけたオレの脳裏に、人間界での出来事が走馬灯のように浮かんでくる。  
――オレを捨てて、行方をくらました親父とお袋――。  
オレのゲームボーイを借りたまま、引っ越していった近所のスミオ――。  
オレのことを散々いたぶってくれたキクコ――。  
オレのことを使い捨てにしたサカキ――……って――。  
 
「あんな世界、2度と戻りたくないわーっ!」  
両手を振り上げ、天を突くような勢いで激昂した。  
 
「――戻りたくないの?」  
「あ……、いや……。そういうわけでもないんだが……」  
お、落ち着くんだオレ!  
たしかにむこうの世界は嫌いだが、魔界が暮らしやすい場所とは限らない。  
犯罪者として追われる生活を選ぶか、恐ろしいポケモンに囲まれて暮らすか。  
ううむ……。迷うところだぜ……。  
 
「はぁ……。なんだかんだ言っても自己責任でしょう?  
あなたが、魔方陣の中に飛び込んできたりするから悪いのよ」  
その言葉を聞いた瞬間、少しばかり苛立ちを感じた。  
 
「お……、おいおい、随分と酷い言い草だな。  
オレがあのとき、おまえを助けなきゃ、きっと今頃――」  
「修復が不可能なほど負傷したら、代わりの体を探せばいいのよ」  
「な……!?」  
その瞬間、俯き加減のまま小さく呟いたダークライを前にして、オレの中で何かが切れる。  
気がついたときには、両腕がダークライの肩を乱暴に掴んでいた。  
 
「ふ、ふざけんなっ! その体は誰のモノだ! おまえのモノじゃねぇだろ!?  
飽きたら捨ててもいいオモチャとはワケが違う!  
モノマネ娘は、おまえが守ってくれると信じてたから、体を貸したんだぞ!  
それを自分の都合で、使えなくなったら、ポイか! ええ!?  
もしかして最初からそのつもりだったのかよ! この外道が!  
なんとか言ってみろ! おまえもサカキと同じ――」  
「じゃあ……、あなたはどうなのかしら……?」  
刹那、ダークライが顔を上げ、その鋭い眼差しがオレを射抜いた。  
 
「う……」  
青い瞳から放たれる眼光の前には、逆らおうという考えすら無に帰す。  
 
「あなただって殺したじゃない……。ヤマブキシティでのテロ……。  
あれで、いったい何人が死んだのかしら?」  
「――そ……、それは……。  
し、仕方ないだろ!! 腐った政府の連中を根絶やしにしなけりゃ、平和は来ない!  
別にオレは、私利私欲のために人を殺したわけじゃない!  
そりゃあ、無関係のヤツらだって、運悪く巻き込まれた!  
だけど、そいつらの死は、必要な死だったんだ!  
オレは……、オレは間違ってなんかいない! オレは――」  
「同じことよ」  
狼狽しながら、一気にまくし立てるオレを、ダークライの言葉が遮った。  
 
「殺しには、正義も悪も存在しない。合法的な方法だろうと、非合法な方法だろうと……。  
あるのは、『殺した』という事実のみ……。それを――」  
「違う!!」  
「同じことよ。  
――それを認めずに自分を正当化するような人間に、なんの存在価値があるのかしら」  
オレは再び床の上に崩れ落ち、両手を絨毯に着く。  
その瞬間――、ポツリと、一粒のシミができた……。  
 
「あなたも所詮は人間ね……。こんなとき人間は、どの個体も口を揃えて、こう言うわ。  
――『自分は悪くない』……と」  
「ううう……」  
痛いところを突かれたというレベルではない。  
人間のもっとも汚い部分――。『行いの正当化』を指摘されてしまい、  
それに反論出来ないという現実が、オレの心を締め付ける。  
――悔しさと、怒りと、悲しみが入り混じった涙――。  
それが、きらびやかな絨毯を、少しづつ濡らし続けていた……。  
 
◆  
 
「おねぇさまー! ダークライおねぇさまー!」  
突然、場の雰囲気に似つかわしくない、舌っ足らずな声が廊下から響き、  
部屋の扉が勢いよく開け放たれた。  
 
「おねぇさま。大変ですー!」  
部屋に飛び込んできたのは、ダークライより、少しばかり身長が高めの少女だった。  
頭のてっぺんから、つま先まで、紫で統一されたファッション。  
そして、かなり大き目のウィッチハット。  
快活さを感じさせる顔立ちには、見るものの心を沸き立たせる何かがある。  
深い茜色の瞳も魅力的だ。  
結わずに垂らした、鮮やかな紫色の髪は、背中にまで掛かっている。  
ミニスカートと黒いニーソックスの間に見える絶対領域も、大きなポイントだな。  
 
「おねぇさま。たった今――、あれ?」  
オレと目が合った瞬間、その少女はピタリと動きを止める。  
 
「――よかったぁ! 意識が戻ったんだ!」  
『ぱぁっ』という効果音とともに、嬉しそうな笑顔が向けられた。  
――誰だ、コイツは?  
 
「包帯を巻くのは大変だったけど、もう大丈夫そうだね!」  
包帯を巻くのは大変だった……?  
ということは、こいつがオレの手当てをしてくれたっていう、ムウマージか。  
ダークライのほうの原型は知らないが、ムウマージは見たことがあるので、ピンときた。  
なるほど。人間の体でありながら、元のポケモンの特徴がよく表れている。  
 
「そんなことより、なにか報告があるんじゃないのかしら?」  
「はっ! そうでした! あの方が……、冥竜王がお見えなんです!」  
その瞬間、ダークライが目を見開く。  
 
「ギラティナが……?」  
――ギラティナって……、キクコに変な力を与えたヤツか!  
 
「は、はい! ダークライおねぇさまに謁見を求めておられまして――」  
「ヤツは1人?」  
「いえ。ヘルガーちゃんも一緒でしたよ」  
「そう……」  
しばらくの間、ダークライは唇に手を当てながら、何かに思考を巡らせていた。  
やがて、諦めたかのような表情で顔を上げる。  
 
「あのオトコには会いたくなかったけれど、ヘルガーが一緒じゃ居留守は使えないわね」  
言いながらゆっくりと部屋の出入り口へと向かう。  
 
「仕方がない……。会いに行くわよ。ギラティナに」  
ため息混じりの口調で言い放つダークライ。  
流れる銀髪を湛えた、その背中は、この上なく緊張を帯びているように感じた。  
 
 

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