「朝だよー、起きてー!」  
「ぐえ!」  
突然、腹部に強烈な圧迫感を感じたオレは、慌ててベッドから上体を起こす。  
視界に飛び込んできたのは、満面の笑みを浮かべるムウマージの顔。  
 
「お、おまえ、オレの上で何してんだ!」  
見ると、ムウマージはオレの膝の上に、ちょこんと女座りをしていた。  
 
「何って……、おにーさんのこと、起こしに来たんだよ〜」  
「だったら普通に起こせ! だいたいムウマージって夜行性じゃないのかよ!」  
「ん〜……。人間と体を共有する前は夜型だったんだけどね〜。  
この体の持ち主の寿命が尽きた後も、朝に目が覚めるクセが抜けなくて……」  
「ああ、そうかよ。――早くオレの上から降りろ。このままじゃ――」  
そこまで言いかけたところで、ベッドの下に尻尾を揺らす生き物を発見し、口をつぐむ。  
 
「ん?」  
ベッドの下からオレたちのことを見上げているのはブイ太郎。  
 
「ムウマージ。おまえ、勝手にオレのモンスターボールに触ったな?」  
「うん! 一緒にご飯食べようと思って」  
「それは構わないけどな。せめてオレに断りを入れてからにしろ」  
「でも、早く出してあげないと可哀相だよぅ。  
ボールの中って、保健室のベッドみたいな心細さがあるんだもん!」  
「保健室……。オレは好きだけどな。授業サボれるし」  
――無駄話はともかく、飯と聞いて、オレの心は少しばかり弾んでいる。  
最近はロクなものを食ってなかったからな。  
 
「とにかく、そこをどけっての! いい加減――」  
「あれれ〜? お尻に何か硬いものが当たって――」  
「どけっつってんだろ、クソガキャーッ!」  
オレがベッド掛けを勢いよく引っ張ると、  
足元をすくわれたムウマージが後方に向かって転倒する。  
 
「にゃっ!?」  
そのまま後頭部を壁に打ち付け気絶した。  
 
「はぁ、はぁ……。手こずらせやがって」  
大の字になり、目を回しているムウマージを見下ろしながら、オレは荒い息をつく。  
とりあえず、とっとと着替えて食堂へ向かわないとな。  
こんな立派な城であれば、食事もさぞや豪華なものだろう。楽しみだ。  
 
「あ」  
そこでオレは、ある問題に気がついた。  
 
「食堂までの道のりが分からない……」  
ということは、コイツを起こさなきゃいけないのか。めんどくせぇ……。  
 
「オイ、起きろ」  
オレはその場に屈み込み、ムウマージの両肩を揺らす。だが、一向に目覚める気配はない。  
 
「起きろっての!」  
こんどは、頬をぺちぺちと叩いてみる。しかし結果は先程と同じだ。  
 
「目ェ覚まさねぇなコイツ……。いっそのこと鈍器か何かで――うおっ!?」  
「うう……ん……。おねえひゃまぁ……。そんなにはげしくしちゃらめれすぅ……むにゃ」  
室内を見回していたオレは、突然抱きつかれたため、バランスを崩し、  
ムウマージと共にベッドへと倒れ込む。  
 
「お、おい! オレはダークライじゃねーぞ! 頭打って、おかしくなったか!?」  
ムウマージの頭が、丁度オレの顔の高さにきているため、  
呼吸をしただけで、かぐわしいシャンプーの香りが鼻の奥に広がる。  
おまけに、オレが密着しているのは、中身がポケモンとはいえ、10代の少女の体。  
その温もりが服を通して伝わってくる。これは、とても平静を保てる状況ではない。  
 
「う……。ちょ、ちょっとくらいならバレないよな?」  
ゴクリと喉を鳴らしながら、オレはそっとムウマージの下半身に手を伸ばす。  
現在、この部屋にいるのは、オレとムウマージとブイ太郎のみ。  
絶対にバレやしない――。それに、抱きついてきたのはコイツのほうだ。オレに非は無い。  
そう何度も自分に言い聞かせ、良心の呵責を振り払おうとする。  
 
「胸はダークライだが、ケツはムウマージのほうが……。へへへ……」  
オレはムウマージの頭越しに品定めをしながら、ゆっくりと手を近づけてゆく。  
その手が、念願のゴールへと辿り着こうとした刹那――。  
 
「失礼しまーす。中々お戻りにならないので迎えに――」  
ドアが数回ノックされた後、満面の笑みを湛えたダークライが部屋に踏み込んできた。  
その瞬間、オレとダークライは目を合わせたまま硬直する。  
――や……、やべェッ! 殺される!  
ベッドの上でダークライの手下を抱き寄せるオレ。しかも手が下腹部の方へと伸びている。  
これはもう言い訳のしようがねーぞ!  
――しかし、そこでオレはあることに気が付いた。  
今のダークライの喋り方はもしかして……。  
 
「モ……モノマネ娘か……?」  
「――え? あ、はい。そうですけど……」  
オレが恐る恐る尋ねると、数秒ほどの間を置いて答えが返ってきた。  
どうやら現在はモノマネ娘の人格が出ているようだ。  
しかし、まだ助かったとは限らない! 昨日のモノマネ娘の台詞が脳裏をよぎる――。  
――『どちらの人格が出ているときでも、お互いに意識はあるんですよ。  
就寝時や気絶しているときを除いて』――。  
 
「と、ところで何をしているんですか? まさか――」  
「ダークライは! ダークライはどうしてる!?」  
「え? ダ、ダークライさんですか?  
彼女なら昨夜、チョコレートパフェを食べた後、お休みになって、  
まだ目を覚ましていませんけど……」  
――良かった……! オレはホッと胸を撫で下ろす。命拾いしたぜ。  
 
「それよりもです! なんですかこの状況は! まさかムウマージさんを無理やり――」  
「そ、そんなワケないだろ!  
コイツがいきなり倒れたから、オレは介抱しようと思ってだな――」  
疑わしいといった表情で、オレのことを見詰めるモノマネ娘に説明する。  
 
「――じゃあ、その手は……」  
「これはホラ。偶然だ。オレも動揺しちまってよ。  
熱を測ろうと思ったら、焦ってたモンだからつい、な……」  
「でも――」  
「さあ、それよりメシだメシ! 早くムウマージを起こして食堂に行こうぜ!」  
そう言ってオレは、そそくさと仕度を始める。  
モノマネ娘は、いまだに納得がいかないといった表情をしていたが、  
ムウマージの容態が気になったらしく、オレに対する追求は打ち切られた。  
準備が整ったのち、オレたちは食堂へ向かうために、この部屋を後にした。  
 
◆  
 
廊下に出ると、昨夜は見かけなかったスリープたちの姿がチラホラ見える。  
それもダークライやムウマージと違って原型のままだ。  
どうやらこいつらは、ダークライの手下どもらしいな。  
 
「そういやおまえ、ドレスなんか着てたんだな」  
オレは廊下を歩きながら、ムウマージのことを気遣うモノマネ娘の姿に目をとめる。  
先程はピンチを乗り切ることに気力を使っていたため、気付かなかったが、  
モノマネ娘は、いつの間にか服を着替えていた。  
赤と黒を基調とした気品のあるドレス。髪型もポニーテールに戻っている。  
 
「あ、はい。これはムウマージさんが用意して下さったんですよ」  
「魔王城付きの仕立て屋さんに頼んで、  
ダークライおねぇさまに相応しい、魔王のドレスを作っておいたんだよ〜。  
モノマネちゃんにも気に入ってもらえたみたいで嬉しいな!」  
モノマネちゃんか……。この2人、随分仲良くなったんだな。まだ1日も経ってないのに。  
 
◆  
 
食卓のある部屋へ入ると、1人のメイドの姿が目に入った。  
首の辺りで切り揃えられたショートヘアーが良く似合う、華奢な体つき。  
年齢は10代半ばくらいか。  
 
「お、おはようございます!」  
そのメイドが深々と頭を下げてきた。  
 
「お食事の用意は出来ています。魔王様。ムウマージさん。それから……、ええと……」  
メイドがオレの顔を見詰めながら口ごもる。それを見かねたムウマージが口を挟んできた。  
 
「こっちのおにーさんは、さっき話した、新しく入ってきたお友達だよ。お名前は――」  
「『アンタ』でも『オマエ』でも好きなように呼んでくれ」  
自分の子供を捨てるような親からもらった名前なんて名乗りたくもない。  
 
「それではお席のほうへどうぞ」  
メイドに促され、食卓のほうへ歩み寄ると、豪勢な料理の数々が視界を覆い尽くした。  
トマトの赤が映えるミネストローネ風スープ。  
キノコや貝柱の香りが鼻をくすぐるリゾット。  
そして海老や夏野菜が盛り付けられたクリームソースのソテー。  
ダークライのヤツ、毎日こんないいモン食ってんのかよ。  
モノマネ娘の家で暮らしていたときは、  
あまりの食生活の違いに戸惑わなかったのだろうか?  
まぁ、モノマネ娘の家が、どの程度金持ちなのかは、オレの知るところではないが。  
 
「おお! うまそーだなこりゃ!」  
オレは喜び勇んで席に着こうとする。  
 
「あ、ちょっと待って!」  
しかしその直後、ムウマージの声がオレを引きとめた。  
 
「ん? なんだよ?」  
「それはモノマネちゃんの分。おにーさんのはあっちだよ〜」  
そう言われて、指し示されたほうを確認すると――。  
 
「は?――」  
開いた口が塞がらなかった。  
――そこに在ったのは、皿に盛られたひと切れのパン。なにかの冗談か?  
 
「え? これがオレのメシ?」  
「もっちろん!」  
「な、なんか明らかに、モノマネ娘と差があるんだが……」  
「それは仕方ないよ〜。モノマネちゃんは魔王でもあるわけだし。  
本当はご飯を食べる部屋もムウマージたちとは別の場所だったんだけど、  
モノマネちゃんが、どうしてもおにーさんと一緒に食べたいって言うからねー」  
「マ、マジかよ……」  
オレは愕然とうなだれる。  
よく考えてみりゃ、魔王と手下の食事メニューが同じってことは有り得ないよな。  
納得のいく展開ではあるが、やはりこの状況はへこむ。  
まさか、手下のメニューがここまで粗食だとは……。  
ムウマージの席を見やると、モノマネ娘ほどでは無いにしろ、  
人並みのメニューが出揃っている。やっぱりこいつは、それなりの地位にいるらしいな。  
 
「あのぉ……」  
虚ろな思いに身を任せ、立ち尽くしていると、モノマネ娘が声をかけてきた。  
その手には、自分の席から持ってきたと思われる料理の皿を携えている。  
 
「なんだよ。見せつけに来たのか?」  
「い、いえ。パンだけでは足りないのではと思いまして……」  
その瞬間、モノマネ娘に料理の皿を差し出されたオレの心が、一気に光を湛えた。  
 
「え……? い、いいのか?」  
「はい! わたし1人では食べきれないので、ぜひ召し上がって下さい!」  
目の前で天使のような微笑を浮かべるモノマネ娘の姿が、限りなく輝いて見える。  
昨夜も同じ事を思ったが、なんてあったけぇヤツ……。  
嬉しさのあまり、目頭が熱くなるのを抑えられそうにない。  
 
「うう……。ありがとうな。本当にありがとう……」  
「ちょ、やだ! こんなことで泣かないで下さいよぉ!」  
そう言われても、自然と涙が零れてしまう。  
泣くほどのことでは無いと、自分に言い聞かせては見るものの、涙は止まらない。  
 
「いいな、いいなー。ムウマージも、モノマネちゃんのが欲しいなー」  
「あ、どうぞどうぞ! 好きな物を食べて下さいね!」  
モノマネ娘はパタパタと自分の席へと戻って行った。  
 
「にひひ。モノマネちゃん、優しいなぁ。  
後でお仕事のために、2人を城下街へ案内するから、  
そのときに、おいしいスイーツのお店、教えてあげるね!」  
「それは楽しみです!」  
オレはモノマネ娘から受け取った皿に目を落としながら、  
ポケモンフードを食べ続けるブイ太郎の横で、しみじみと考える。  
こいつが一緒なら、魔界での暮らしも捨てたモンじゃないよなぁ……。  
――オレは神なんて信じちゃいないが、今だけは特別だ。  
 
「感謝するぜ。こいつと巡り合わせてくれたことをな……」  
 
 

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