「おやおや、ヘルガーさん。国境警備の任務はどうなさったのですか?」
堅牢強固を誇る冥竜王の居城。髑髏をイメージした装飾品の数々。
うっすらと部屋を満たす生暖かい霧が玉座の間の不気味さを引き立たせる。
その玉座の間へと足を踏み入れたヘルガーに向かって、
30代前半といった風貌の男が、薄ら笑いを浮かべながら声をかけた。
ステッキを持ったその男はシルクハットに革靴、そして黒のスーツに身を包んでおり、
その気取るような喋り方も相まって、紳士のイメージを全身から滲み出していた。
だが幼い少女の姿をしたヘルガーを見る赤い瞳は、どこか見下したような色を湛えている。
「へへーん。聞いて驚け、ヨノワール!
アタイは今日、冥竜王さまから直々に別の任務を頂けることになったんだ!」
ヘルガーは得意満面で紳士風の男――ヨノワールに向かって言い放つ。
「別の任務?」
「そのとーり!
今までは冥府門の守備ばかりで、ロクに手柄を立てる機会の無かったアタイだけど、
今回の任務で実力が認められれば、
オマエたちの地位に昇格することだって夢じゃないんだからな!
ざまーみろ! はっはっはー!」
ヘルガーは両手を腰に当て、人を小馬鹿にしたような笑いをあげる。
「これはこれは――。
上官であるワタクシたちに対して、なんという無礼な振る舞い――。
獣の礼儀知らずなことときたら目に余りますな。
アナタもそうは思われませんか? ハクリューさん」
ヨノワールが同意を求めたのは、少し離れた場所で読書にふける、
10代もなかばを過ぎたと思われるメガネを掛けた少女。
水色と白を基調とした神秘性を感じさせるローブに身を包んでおり、
肩の辺りで切り揃えられた髪は、雲ひとつない青空を髣髴とさせるスカイブルー。
メガネの奥から覗く、すみれ色の瞳は、分厚い本のページに注がれている。
少女はヨノワールの呼びかけには応えず、感情の抜け落ちたような、けだるい表情のまま、
ただひたすらに手元の本を読みふけっていた。
「――ハクリューさん……?」
痺れを切らしたヨノワールが再び声をかける。
「読書の邪魔……」
ハクリューは眉根1つ動かさず、透き通るような声で、それだけを呟いた。
その無関心を絵に描いたような行動に、ヨノワールは一瞬だけ怪訝な表情を見せたが、
すぐに普段の、余裕を湛えた薄笑いへと戻る。
「ほっほっほ……。これは手厳しい。
竜であるアナタは、死霊であるワタクシに無関心というワケですか。いやはや――」
ハクリューが他者を邪険にするのは、種族に関係がある訳では無いと思われる。
恐らくヨノワールは嫌味のつもりで言ったのだろう。
だがハクリューは、それにすら関心を示そうとはしない。
「無視されてやんのー! ばーか、ばーか! オマエなんか――」
「弱い犬ほどよく吼えるとは、言ったものだな」
突然、玉座の間に響き渡る、怒気を孕んだ低い声。
その声を耳にした瞬間、その場に居た3人は反射的に玉座のほうへと視線を向けた。
続けざま、動揺を隠しながら、その場にひざまづく。
――玉座の手前で蠢く黒い影――。
やがてそれは人の形をなし、恐怖の象徴となって3人の前に姿を現す――。
「我への謁見の際にまで騒ぎ立てるとは……。
貴様らの頭の中には脳髄の代わりにカイスの実でも詰まっているのか? ん?」
完全に姿を現した恐怖の象徴――冥竜王ギラティナは蔑んだような目で一瞥すると、
ゆっくりと玉座に腰を下ろし、頬杖をついた。
「場をわきまえぬ愚劣な者どもの頭蓋を叩き割り、
中身を引きずり出して確認するというのも一興かもしれんな。ククク……」
口元を歪め、不気味な含み笑いを漏らすギラティナを前にして、
この場にいる誰もが、一様に恐怖を感じていることは明白。
3人の額にはじっとりと脂汗が浮かんでいる。
「――顔を上げろ。無能な弱者ども。これより任務を言い渡す」
3人は素早く立ち上がり、ギラティナへと視線を移した。
「今回の任務は3つの輝石を手に入れることだ」
単刀直入なギラティナの言葉に、ヘルガーたちは一瞬、困惑の表情を見せたが、
しばらくすると、ヨノワールが何かに気付いたかのような素振りで顔を上げる。
「――3つの輝石……。
それはもしや、いにしえより魔界に伝わる、
水、雷、炎の力を宿す3つの石のことでしょうか?」
「その通りだ。
水の輝石を手にした者には清流の力。雷の輝石を手にした者には雷鳴の力。
炎の輝石を手にした者には獄炎の力を与えるという3つの輝石。
それを例の素材に使用すれば面白いことになりそうなのでな」
気味の悪い笑いを浮かべるギラティナの頭の中では、
『素材に輝石を組み込んだら、どのような化け物に変化するのだろう?』
という考えが巡っているに違いない。
だが、その興味本位の遊び心も、ギラティナの中では重きに置かれていないハズだ。
冥竜王ギラティナが真の意味で求めるもの。それはダークライのみ――。
3つの輝石を手に入れることは、
ダークライを手中に収めるための通過点にすぎないのだろう。
欲する全てを武力によって勝ち取り、望むもの全てを手に入れてきたギラティナ――。
故に自分の思い通りにならぬものの存在を許すことなど出来なかった。
それを知ってしまったからこそヘルガーの心は痛む。
主君であるギラティナに忠誠心以上の感情を抱いてしまった彼女にとって、
自分の存在が眼中に無いという事実は心に暗い影を落とすのだ。
「ヨノワールは炎の輝石が納められている天狐の里。
ハクリューは水の輝石が納められている水神の里。
ヘルガーは雷の輝石が納められている雷牙の里だ。
それぞれの部隊――死霊隊、幻竜隊、番犬隊を引き連れ、必ずや輝石を手に入れて来い。
それから――」
そこでギラティナは意味深な表情をあらわにし、1呼吸置く。
「ダークライたちに足元をすくわれる可能性も考慮しておけ。
魔界の連中は人間界の下僕までも監視しているのだろう? ヨノワール」
「はい――。
人間界でワタクシたちの下へついた、キクコという老婆。
ヨマワルたちの情報によりますと、
あの者は、魔界から派遣された斥候にマークされているようでして――」
「ほう……。そいつの名は?」
「スリーパー――『夢喰らい』の2つ名を持つ、あの男でございます」
「幼児性愛者……」
ハクリューが重要性の無い情報をコッソリと付け足す。
「スリーパーか。随分と偵察に向かない男を送ったものだ。
まぁ、人間界の偵察に、そこまで気を使う必要は無いがな。ククク……」
しばらくの間、ギラティナは目を瞑り、思索にふけっているような表情をしていたが、
やがてゆっくりとまぶたを開き、片手を目の前に掲げた。
「出撃の準備を始めろ。我の手駒ども。輝石を持ち帰ってこい」
ギラティナが拳を握り締め、威圧するように指示を出した。
「お任せ下さい。必ずやギラティナさまのご期待に添えて見せましょう」
ヨノワールがうやうやしく頭を下げる。
「陛下の……お望みのままに……」
ハクリューが静かに目を閉じ、そっと呟く。
「は、はい! 絶対に成し遂げて見せます!」
ヘルガーが胸の前で両の拳を握り締め、力強く言い放つ。
「それでいい……。
貴様らの存在など、我の渇望を潤す以外に価値は無いと心に刻むのだ。
真の理が正道を歩むことだとするならば、我に必要なのは外道の道――。
血を見せろ。もがき苦しめ。満たされぬ我欲は貴様らの死に様で埋めてくれる!」