「おまえ、あのときの……?」
左右に割れた群集により作り出された通路――
その奥から現れた人物を目にしたオレは思わず息を呑んだ。
「あら? 貴方たちはイーブイの……」
相手側も目を見開き、驚きの表情でオレたちを眺めている。
コイツ……、ヤマブキシティで出会った路上ライブの赤マント!
やはりコイツも魔方陣の力でこの世界に飛ばされていたか……。
ということは、他の3人とキクコのゲンガーもこの世界に来ている可能性があるのか。
――オレは恐る恐る自分の影を足で擦ってみる。
「ゲンガーはいないよな?」
さすがに魔界へ転送された時点でダークライが念入りに調べているとは思うが……。
「うおぉぉッ! 勇者さまぁぁ!」
「必ずや魔王を討ち果たして下されー!」
村人たちが赤マントの女に向かって賛美の声をかける。
「あ、あの方が勇者さんなんでしょうか……」
「なんか、そうみたいだな。どういう経緯かは謎だが」
「なになに? おにーさんとモノマネちゃんの知り合い?」
とりあえず、化け物みたいな大男が出てこなかっただけでもありがたい。
オレは内心、胸を撫で下ろした。
あとは、この赤マントの実力が気になるところだな。
「まさかこのような形で貴方たちに出会うとは予想もしていませんでしたわ」
赤マントがオレたちを見据えつつ、自信の見え隠れする口調で話し出す。
「ここがいったいどこなのか……。
わたくしも最初は戸惑い、お兄さまたちと会えないことを心底嘆きました」
赤マントは目を閉じ、胸に手を添えつつ無駄に感情を込めながら語り続ける。
「なんか始まったぞ」
「しーっ! きっと勇者さんとしての名乗り上げですよ。
こういうときは黙って耳を傾けるのが大人のマナーです!」
そんなマナー聞いたことねぇよ。
「――ですが、いつまでも悲しんでいてはいけないと悟りましたの。
――見知らぬ地でたった1人。
怖くないと言えば嘘になりますが、臆していては進展などありえませんわ。
――わたくし、決めましたの。自らの力でお兄さまたちを捜し出してみせると……。
――4人で必ずお父さまの元へ戻ってみせるとッ!」
そう言って赤マントは勇ましくバイオリンの弓を頭上へと掲げた。
次の瞬間、群集たちから大歓声が沸きあがる。
「オオォォッ! 勇者さまぁぁ!」
「その不屈の心! それでこそ勇者に相応しいお方じゃー!」
マズイな……。ここまで士気が高まっていたら、話し合いで解決なんてまず不可能。
戦うにしても慎重を要する。
たしか、マサキの情報ではバイオリンの音色でポケモンを操るとか――
「モ、モノマネちゃん……?」
目を瞑り、この場を打開する方法に考えを巡らせていたオレの耳に、
ムウマージの呟くような声が飛び込んできた。オレは再び視界を確保する。
「モノマネ?」
気がつけばそこには、赤マントのほうへと歩み寄っていくモノマネ娘の姿。
まさか、戦うつもりか?
「そ、そうか! 闇梟は暗殺とかもやってたんだよな! それなら不意打ちで――」
「残念ですけど、わたしには暗殺の経験はありません」
モノマネ娘はオレたちに背を向けたまま静かに告げた。
――は? 暗殺の経験は無い?
それじゃあコイツ、戦闘能力が皆無であるにも関わらず戦うつもりなのか?
モノマネ娘の不可解な行動に、オレの思考は混乱の様相を呈している。
「ど、どういうことなのモノマネちゃん!? 勝ち目が無いのに戦うなんて!」
ムウマージが声を荒げながらモノマネ娘に詰め寄る。当然だ。
ここでその答えを出してもらわなければ、モノマネ娘を1人で行かせるわけにはいかない。
静寂が周囲の騒がしさを消し去り、オレの耳はすべての雑音をシャットアウトした。
しばらくの間を置いたのち、モノマネ娘が軽やかな動きでこちらへ振り返る。
「レッドさんならばこんなとき、絶対に諦めないハズですから!」
両手を後ろに回したまま振り返ったモノマネ娘――
その動きに合わせて彼女の美しい銀髪がさざなみのように宙を流れる。
めいっぱいの笑顔と相まって、その光景は天使の降臨かと錯覚してしまうほどだ。
ダークライが暗闇を静かに照らす月光の微笑ならば、モノマネ娘はさながら太陽――
真昼の明るさの中でも陰ることなき陽光の笑顔だった。
「レッドならば……か……」
オレの口から自然と言葉が漏れ、それと同時にヤマブキシティでの記憶が脳裏をよぎる。
――サカキとの戦いでミュウツーの波動弾をまともに喰らったレッド――
今でも鮮明に覚えている。あのときのレッドは――
「最後まで目を瞑らなかったんです」
再びモノマネ娘が言葉を紡いだ。
――そうだ。波動弾を喰らい、光の中に消える直前、あいつは目を閉じていなかった。
最後の最後までミュウツーを見据えていた。口を一文字に結び、闘志の宿った瞳で――
それはつまり――
「あきらめなかったんだ……。誰が見ても絶望的なあの状況。
それにも関わらず、レッドは最後まであきらめなかった!」
オレの口調には無意識のうちに熱がこもる。
「ええ……。だからわたしもあきらめません。
――相手を倒すだけが戦いじゃないんです。自分の力で相手を諭すのも戦い方の1つ。
わたしが振るうのは拳ではなく言葉! 最後まであきらめずに自分の力を信じます!」
ハッキリと言い切ったモノマネ娘が、再び赤マントのほうへと向き直り、
そのままゆっくりと歩き出した。
ふと視線を下に落とすと、モノマネ娘の足が微かに震えていることに気付く。
やっぱりな……。たしかにコイツの信念を評価したいのは事実だ。
だが、この状況では返り討ちにあうことが目に見えている。
モノマネ娘がやられるサマを黙って見ているわけにもいかないだろう。
「ふぅ……」
オレは小さく深呼吸をしたのち、モノマネ娘の肩に手を伸ばす。
「もういい、モノマネ。ここはオレが――」
「ごめん、モノマネちゃん! やっぱり見てるだけはムリ!」
オレの呼びかけは、突然放たれたムウマージの大声によってかき消された。
次の瞬間、ムウマージの手から空に向かって何かが投げられる。
「なんだ? ワザ……?」
オレは照りつける太陽の眩しさに顔をしかめつつ、必死に目を凝らす。
空中に散らばるのは、いくつもの三日月形の物体。
あれは――
「目を覚まして、おねぇさま!」
ひときわ高く声をあげるムウマージ。
次の瞬間、オレの耳に地を蹴りつけるような音が飛び込んできた。
その音に違和感を感じたため、慌ててモノマネ娘の背中へ視線を戻す。
――戻したつもりだった……。
「き、消えた!?」
なんと、数秒前まで目の前にあったモノマネ娘の姿がこつぜんと消失していた。
――これはいったい……。
「まさかッ!」
オレはカッと目を見開き、急いで視線を空へと移す。
「な、なんですの!?」
赤マントや村人たちは次から次へと驚きの声をあげる。――ムリもない……。
空中には目にも止まらぬ速さで
三日月形の物体を回収するモノマネ娘の姿があったのだから!
オレがモノマネ娘の姿を捉えたときには、その華麗な舞いもクライマックス。
あれよあれよという間にモノマネ娘は地上へと舞い戻ってきた。
その手にはムウマージが先ほど空中に撒いた物体――焼き菓子が1つ残らず握られている。
しばらくの静寂の後、唖然とするオレや村人たちを尻目に、
モノマネ娘――。いや……。ダークライが口を開いた。
「このクッキーを投げたのは誰かしら……?」
体中に悪寒が走った。
ダークライの声はただならぬ怒気を含んでおり、
憎悪に満ちた語りがその場の全員を凍りつかせる。
「あの人です、おねぇさま! あの赤いマントのコがやりました!」
ムウマージが指差した赤マントの少女を、ダークライが鋭い眼差しで睨みつけた。
それに恐怖を感じたのか、赤マントはわずかに後ずさる。
「あなた……、女の風上にも置けないわね」
「え?」
「女はいつだって、
身も心も溶かすようなステキなスイーツとの出会いを求めているもの……。
それにも関わらずあなたときたら、愛すべきスイーツに対してムゴい仕打ちを……。
――その行為……、万死に値するわ!」
赤マントに向かって力強く突きつけられた指が空気を震わし、大地をかすかに揺らす。
――ダークライのヤツ……、なんという菓子に対する執着!
これだけ菓子に思い入れがあるのならば、この間のチョコパに釣られた件もうなずける。
「そこに直りなさい!」
憎しみのこもった表情でそう言い放つと、赤マントのほうへ向かって一直線に駆け出した。
風を切る鋭い音が耳に飛び込んでくる。
「ひいぃっ! ゆ、勇者さま! 魔王がこっちに――!」
「ご、ご安心なさいませ!
わたくしを介抱して下さった村長さんの恩に報いるため、全力で退けてみせますわ!」
赤マントが素早い動作でバイオリンを構え始めた。
すでにダークライとの距離は半分以上縮まっている。
「レンジャーユニオン技術最高顧問であるシンバラ教授が開発したスーパー・スタイラー。
それを組み込んだこのヴァイオリンの力を存分にご覧あ――れ?」
「遅すぎるわ」
赤マントが構え終わった頃、ダークライはすでに敵のフトコロに……。
終わったな。
「魔王……。いえ――」
ダークライの手のひらが赤マントの顔に突きつけられる。
「スイーツの前に……、ひざまづけェェッ!!」
刹那、ダークライの右手から凄まじい黒色の波動が放たれ、
赤マントの少女を吹き飛ばした。
少女は咄嗟に両手で顔を庇ったようだが、大して状況が変わるわけでもない。
赤マントの体は凄まじい轟音とともに家畜小屋へと突っ込んでいった。
数名の村人といっしょに……。
その惨劇を見ていた他の村人たちはしばらくの間、
ポカーンとした表情でその場に立ち尽くしていたが、
やがて、せきを切ったように喚き出す。
「きゃあぁッ! 勇者さまがー!」
「う、うちの母ちゃんまで!」
「さ、騒いでる場合じゃない! 早く助けに行くぞ!」
「魔王のバカヤロー! おまえの母ちゃん、でーべそー!」
取り乱しながら捨て台詞を吐き、家畜小屋のほうへと走り出す村人たち。
「残念……。私の母はデベソでは無かったわ!」
その情報はいらない。
「ちょっとやりすぎだったんじゃねーか?」
おもむろにこちらへと戻ってきたダークライに声をかける。
「死なない程度に手加減したわよ」
本当かよ。地面がえぐれてるし家畜小屋もバラバラなんだが……。
「やりましたね! おねぇさま!」
ムウマージが満面の笑みを浮かべ、ダークライに駆け寄る。
「これで勇者撃破99人目! あと1人で100人ですよ〜!」
「今のが……勇者?」
「はい! 昨日、マサキさんからもらった情報にあった勇者です!」
「そう……。随分と弱かったから、てっきりザコキャラかと思ったわ」
そう言ってダークライは握り締めていた焼き菓子を1つ口に含む。
目をトロンとさせ、頬を緩めるダークライの姿は、珍しく無防備な印象を感じさせた。
「――ん……。とても美味ね。口の中で少しづつ溶けてゆく感触が堪らないわ」
「ほ、ほんとですか!? ムウマージ、とっても嬉しいです!
おねぇさまのお口に合うように新しいレシピを作ったかいがありました!
いつかムウマージ自身がおねぇさまのスイーツになって溶かされてみたいなぁ……。
――なんて思っちゃったりして! きゃーっ!」
「あなたが……作った……?」
頬に両手をあてながら赤面するムウマージを尻目に、
2つ目の焼き菓子を口に運ぼうとしていたダークライが動きを止め、眉をひそめる。
「あなたが作ったクッキーを、どうしてあの勇者が持っていたのかしら?」
「ぎくっ……」
その瞬間、有頂天だったムウマージは擬音を口に出しながら身を固めた。
――口を滑らせたな。調子に乗りすぎだっての。
「もしかして、このスイーツを粗末にしたのは勇者じゃなくて――」
「お、おねぇさま。これには深いわけが――」
「村長! こっちです!」
突然耳に飛び込んできた大声。
オレたちは話しを中断し、声の聞こえたほうへ一斉に顔を向けた。
「さっきからここで、魔王が現れたと騒いでいる者たちがいたらしくて――
ん? なんだおまえたちは? 見慣れない顔だな」
現れたのは中年のオヤジと、遠くで息を切らす初老の男。
どうやら中年が村長を呼んできたらしいな。
中年はいぶかしげにオレたち3人の顔を眺めている。
まぁ、今さら普通の人間が現れたところで怖くもなんともないが。
「はぁ、はぁ……。さすがにこの歳になると体力が落ちて……。
しかし大丈夫だろうか。あんなに小さい女の子が魔王と戦うなんて……」
「え……?」
中年の後方から近づいてきたメガネをかけた初老の男。
その人物の顔を見たオレは思わず目を見開く。
遠目では分からなかったが、この男はもしかして……。
「み、見当たりませんね。ガキのイタズラか?
いや、ちょっと待てよ。おれは実際に見たことないが、
悪魔は人間の体を借りるものだと聞いたことが――」
「君たちは……?」
ブツブツと独り言を言い始めた中年の隣で、
初老の男がオレたちの顔を見回し疑問符を浮かべる。
しかし、それもわずかな間の出来事。
初老の男は何かに気付いたかのごとく、オレの顔に焦点を定めた。
――オレとこの初老の男は……、おそらくお互いの顔に見覚えがある……。
「――ドクトル……フジ博士……?」