「たしか、3年くらい前のことだったよな。
ミュウツーの研究中に爆発事故で死んだって聞かされてたから、
まさか、アンタが生きてるとは夢にも思わなかったぜ」
大切な話しがあると言われ、連れてこられたのはこの村に存在するフジの自宅。
リビングへと招きいれられたオレたち3人と1匹は、
フジの淹れてくれた紅茶を飲みながら(ブイ太郎は飲んでいないが)昔話に花を咲かせる。
――といっても、フジのことを知っているのはオレだけか。
「私自身も正直おどろいているよ。生きているうちに君と再会できるなんてね」
自分の紅茶を淹れ終わったフジがテーブルを挟んだ向こう側のイスに腰を下ろす。
その動きはやけに緩慢で、初老にしては体力の落ち具合が激しいと感じた。
以前会ったときと比べて、心なしか頬もこけているし、頭髪も薄くなったような気がする。
口調からも弱気な印象を受けた。
「お2人は以前、ロケット団で一緒にお仕事をされていたんですよね?」
「ほんの少しの間だったけどな」
ダークライは焼き菓子を食べ終わったあと、モノマネ娘の意識と交代した。
そのため、現在オレの隣に座っているのはモノマネ娘だ。
「どんなお仕事だったのかなぁ? ムウマージ、興味あるな〜」
ムウマージがググっと身を乗り出した。おまえは少し大人しくしてろ。
先ほど、浮かれすぎてダークライの逆鱗に触れそうになったことを忘れたのだろうか。
「9年前に南アメリカのギアナで行われた、新種のポケモン、ミュウの捜索だ。
そのミュウ捜しのために結成された調査団で、フジ博士と知り合ってな」
今となっては、ガキだったオレが、よくあの調査団に配属されたと思う。
当時は『サカキ様はオレのことを高く評価して下さってるんだ!』などと浮かれていたが、
なにか別の理由がありそうな気がしてならない。
「しかし、なんでまた、あの赤マントの女が勇者なんだ?」
調査団配属の件も気になるところだが、
今は現在の状況を理解すべく、魔界の情報収集に徹することにした。
オレの質問に対し、フジは一呼吸置いたのち、ゆっくりと口を開く。
「――人はね。現状に満足できなくて、今の状況を打開したいと思ったとき、
それがたとえ、どんなに小さな希望であるとしても必死にすがり付こうとするものなんだ」
――現状……。それは恐らく魔界での暮らしのことを指しているのだろう。
そして小さな希望。これは先ほどの赤マントを指していると思われる。
つまり、すがり付こうとしているのが、このマッサラ村の村人たちという訳か。
しかし、そうなると1つ、素朴な疑問が浮かんでくる。
「だけどよフジ博士。アンタはその……
小さな希望に……すがり付こうとしていないように見えるんだが……」
他の村人たちは、この魔界での暮らしに大きな不満を感じている。
当然といえば当然だ。なにせ自分たちが暮らしていた世界とは文化も自然も大きく異なる。
外国へ旅行するだけでも右往左往するものなのに、
魔界などという未知の世界で暮らすとなれば、かなりのストレスを伴うハズだ。
現にオレがその1人だし。
「私は……ここでの生活に満足しているからね……」
フジは、うつむき加減のままボソリと呟いた。
ここでの生活に満足している? だったらもっと明るい表情を見せるものでは?
「3年前のあの日……。
暴れ出したミュウツーによって研究所を破壊された後のことなんだけどね。
私はドクトルと名乗ることをやめ、ロケット団を抜けてシオンタウンへと引っ越したんだ」
――シオンタウン……。風の噂で聞いたことがある。
あの街に、身寄りの無いポケモンを世話している1人の男が住んでいるという話しを。
その男の名前が、たしかフジ……。
「シオンに移り住んだ後も、いつ自分の素性がバレるかと気が気でなかったよ。
街の人たちはよそ者の私でも、心よく受け入れてくれた。――だけどね、思うんだよ。
私がロケット団に所属していた人間だと……知っていたら……きっと……きっと……」
フジ博士の両手はいつの間にかテーブルの上で握り拳になっており、小刻みに震えていた。
「フ……フジさん……?」
完全に顔をうつむけ、体を震わすフジのことが心配になったのか、
モノマネ娘がフジの肩にそっと手を伸ばした。
次の瞬間――
「私がどれだけの苦悩の末、ロケット団に入ることを決めたかなど、
あいつらに判るものかァッ!!」
「きゃっ!」
突然、本人のものかと疑ってしまうような怒声を上げたフジが、
何の前触れもなく両の拳を振り上げ、勢いよくテーブルに叩きつけた。
その衝撃で紅茶の入ったカップが引っくり返る。
「フジ博士!?」
先ほどまでの態度からは考えつかないようなフジの剣幕に、
オレたちは思わず腰を上げ、そのまま立ち尽くす。
「私はただ自分の娘を! アイをロケット団の技術力で取り戻したかっただけなんだ!
別にミュウツーを作り出して世界をどうこうしようなどと思ったわけではない!
仕方がなかった! ロケット団に協力しなければアイは戻って来なかったんだ!
アイの存在が私にとってどれほどの生きる希望であったかなど、あいつらに判るものか!
判ってたまるかァッ!!」
フジが息を切らしながら、血走った目でオレたちを睨みつける。
「私は平穏を手に入れた! 魔界ならば私の素性を知るものはほとんどいない!
向こうの世界と違って、他人との接触を恐れる必要はないんだ!」
早口でまくし立てるフジは先ほどとは別人のよう。ハッキリ言って恐怖すら感じる。
「フ……フジ博士。たのむから少し落ち着いて――」
「触るなッ!」
差し伸べた手をはたき返されたオレは、フジにただならぬ狂気を感じ、たじろぐ。
これはもう正気の沙汰とは思えない。
今だ興奮状態にあるフジが、オレに向かって指を突きつけてきた。
「き、君は私の過去を知っている! 君に私の素性をバラされたら私は破滅だ!
ここで君を消さなければ、きっと私のことを村人たちに――ぐっ!?」
フジが話しの途中で苦悶の呻きを漏らした――。
オレが無言のままフジの胸ぐらを掴み、壁に叩きつけたからだ。
だがキクコのときとは違い、憎しみからの行動では無い。
「――落ち着け。オレだって元ロケット団員。モノマネ娘は現ロケット団員だ。
アンタの過去を言いふらしたりするワケないだろ?」
モノマネ娘たちが緊張の面持ちで見守るなか、
オレはフジを落ち着かせるために、ゆっくりとした口調で諭す。
「し、しかし、そっちの帽子のコは――」
「ムウマージは魔王の手下。村人たちが魔王一行の話しを信じると思うか?」
「う……」
フジの問いに対し、ひとつひとつ丁寧に答えてゆく。
その甲斐あってか、フジの表情に少しづつ冷静さが戻ってきた。
オレは頃合を見計らい、フジの胸ぐらから手を放す。
先ほどまで狂気の色を放っていたフジの瞳は、すでに気弱な男のものへと戻っていた。
「――す、すまなかった……。つい興奮してしまって……」
「いや、オレのほうこそ……」
しばしの沈黙。
やがて、その場にへたり込んでいたフジが、よろめきながら立ち上がる。
そのままゆっくりとリビングの出入り口へ向かって行った。
「少し外の空気を吸ってくる。さっき言った大切な話しも戻ってきてからにするよ……」
そう言ってフジは、おぼつかない足取りで部屋をあとにした。
室内には再び静寂が訪れ、重苦しい空気が流れる。
フジの、あのような取り乱し方を見た直後では当然かもしれない……。
「――オレもいつか、フジ博士みたいになるのか……?」
誰に言うでもなく――いや、モノマネ娘に向けた言葉だろう。
オレは他のメンツに背を向けたまま、独り言のように呟いた。
心を疑心に満たされ、周囲の人間を信用できなくなり、
見当違いの相手に、ところ構わず食ってかかる……。
現在のフジは、規律に背いたものの末路なのだろうか。
――ゆっくりと自分の両手に目を落とす。――小刻みに震えていた。
「オレやモノマネ娘も……いつか……」
恐怖が全身を駆け巡った。寒気がする。先ほどの出来事を否定したい。
――嫌だ……。あんなふうになりたくない……。嫌だ……。嫌だ――
「あの……」
立ち尽くすオレの背後から響いたモノマネ娘の声。
その声を耳にした瞬間、現実に引き戻される。
「後ろ向きな考え方は疑心の種を大きく育ててしまうんですよ?」
その一言で、オレの心の中のわだかまりが僅かにではあるが消えてゆく。
モノマネ娘が常に前向きな態度でことに臨むのは、
疑うことの怖さを知っているためだろうか?
しかし、先ほどの赤マントの件といい、勇気と無謀を混同しているフシがあるのも事実だ。
「ふぅ……」
オレは気持ちを落ち着かせるために深呼吸をし、
ゆっくりとモノマネ娘たちのほうへ向き直った。
「とりあえず、こぼれた紅茶を拭いてだな――」
「村長さん? 入りますわよ?」
タオルを取るために部屋の出入り口へと向かったオレの目の前に、突然人影が現れる。
「あ……」
オレとソイツは、ほぼ同時に間の抜けた声をあげ、顔を見合わせた。
「ミ……ミイラだッ!」
「ミライですわ!」
全身に包帯を巻いたミイラの姿を見て、思わずオレは後方に飛びすさる。
そのミイラが言葉を発したことも相まって驚きも倍増だ。
心臓が口から飛び出すかと思った。
「――あのぉ……。先ほどの勇者さんですよね?」
「ひっ! あ、あなたは……」
部屋の出入り口に立ち、オレのことを睨みつけるミイラに向かって、
モノマネ娘が恐る恐る声をかけた。――先ほどの勇者……?
オレは高鳴る胸を押さえながら、ゆっくりとミイラの顔に視線を戻す。
――赤いマントにエメラルドグリーンの瞳……。間違いない。
顔が包帯で隠れているので分かりにくいが、
どう考えてもダークライが吹っ飛ばした少女だ。
赤マントはモノマネ娘の姿を目にした途端、顔を引きつらせ後方に身を引いた。
そりゃそうだよな。自分を吹っ飛ばした相手が申し訳なさそうに歩み寄ってきたら、
なにか裏があるのではと勘ぐってしまうのが普通だ。
「すみませんでした。わたしのせいで、おケガをさせてしまったみたいで……」
モノマネ娘が赤マントの前に立ち、深々と頭を下げた。
ケガをさせたのはダークライだけどな。
――モノマネ娘が自分の懐をまさぐり、何かを探し始める。
「それで、お詫びと言ってはなんですけど、このクッキーを……え?」
モノマネ娘が焼き菓子を手にしながら顔を上げたころ、
すでに赤マントの姿はこつぜんと消えていた。
「あ、あれ?」
焼き菓子の入った袋を握り締めながらキョロキョロと周囲を見回すモノマネ娘。
もちろん、どんなに捜そうと赤マントの姿は見つからない。
――オレは隣にいるムウマージに、そっと声をかける。
「おまえ……見えたか?」
「ん〜ん。ぜーんぜん」
ムウマージがかぶりを振ったのを見て、いささか気持ちが晴れる。
良かった……。オレだけじゃないらしい。
「しかし今の速度が自在に出せたらオリンピックも夢じゃねーよなぁ……」
行き場をなくした焼き菓子を手に、困惑の表情で立ち尽くすモノマネ娘を前にして、
オレはのんきな空想に身をひたしていた。