「朝飯も泥水か……」
ナツメの運んできた食器に目を落としつつ、しばし沈黙。まぁ、分かってはいたのだが。
「腹減ったぁ……」
鳴り続ける腹の虫と、外から聞こえるオニスズメの鳴き声をBGMに、
ベッドの上で仰向けになるオレ。窓から差し込む朝の日差しが眩しい。
「オレ、死ぬのかなぁ……」
縁起でもない事をポツリと呟いてみる。この脱力感は諦めから来るものだろうか……。
「あのぉ……、すみません」
オレがベッドの上で後ろ向きな考えを巡らせていると、
突然、自室の扉がノックされ、気の抜けたトロそうな女の声が聞こえてきた。
「入りますねぇ」
そう言いながら部屋に足を踏み入れて来たのは、ナツメより少し年下といった感じの、
あどけない少女。見たところ、この洋館のメイドだろう。
アクアマリンの様な青い瞳と、ポニーテールにした美しい銀髪が印象的だ。
「なにか用か……」
もはや起き上がる気力すら無いオレは、だらしなくベッドに寝そべったまま尋ねる。
「あのぉ、これなんですけど」
そう言いながら少女は、今まで後ろ手に隠していた物を胸の前に持ってくる。
――程よく熟した真っ赤な丸い果実。
それを見た瞬間、オレの脳ミソはサイコウェーブの直撃を喰らったかのごとく覚醒する。
オレの目に狂いが無ければ、それはまさしく真っ赤なリンゴ!
「めし!?」
神速の速さでベッドから跳ね起きたオレは、開口1番、そう尋ねる。
「はい。お腹が空いてると思いましてぇ――」
「めしいぃいぃいぃぃぃ!!」
「きゃっ!?」
空腹の為、いてもたっても居られなくなったオレは、ベッドのバネの力を利用し、
勢いよく少女に向かって突っ込む。
そのままリンゴを引ったくり、続けざま、激しく本棚に突っ込んだ。
宙を舞った本が次々とオレの頭に落下してくるが、
それを気にも留めず、リンゴにかぶりつく。
たかがリンゴ1つで、ここまで幸せを感じる日がこようとは夢にも思わなかった。
「わぁ……。よっぽどお腹が空いてたんですねぇ」
「ぼう! きぼうばばばびぼぶってばいばばば!」
「食べながら喋るのはよくないですよぉ」
必死でリンゴを貪るオレを、少女は少々引き気味に観察しているが、
今のオレには大して気にならない。むしろ突き刺さる視線が心地いい。
「うめー! 生き返るぜぇ! ところでおまえ、なんでオレに飯を持ってきたんだ?
ここのヤツらは全員、オレを嫌ってるんじゃねーのかよ?」
「――あ! 説明が必要ですよね!」
そう言うと少女は手早く身なりを整え、オレの前にひざまずく。
「申し遅れました。わたしはロケット団の非正規戦部隊、闇梟所属の者です!」
その瞬間、リンゴを持つオレの手がピタリと止まる。
――ロケット団……? こんなガキが……?
驚きを隠せずに硬直しているオレを尻目に、少女は笑顔で話しを進める。
「闇梟は暗殺や諜報活動などを主としていまして……、
わたしがここへ来たのはサカキ様からの伝言を貴方に伝えるためなんですよ!」
「――なんだとッ!?」
サカキの名前を出された瞬間――、オレは条件反射とも思える勢いで少女に掴みかかった。
「きゃっ!?」
「サカキ様がッ! サカキ様がオレに伝言を下さったのか!?」
オレは乱暴に少女の体を揺すりながら、激しく詰め寄る。
まさか……、信じられない!
サカキ様がオレのような下っ端を忘れずにいて下さったなんて!
荒んだオレの心に希望が芽生え、今を生きるための活力がみなぎってくる。
生きていて良かった……。今なら胸を張ってそう言える。
それほどまでに、オレの心には喜びが満ち溢れているのだ。
「そ、それで!? それでサカキ様はなんと!?」
「――えぇと……ですね……。それが、そのぉ……、とても言いにくいのですが……」
「な、なんだ。あんまり脅かすなよ……」
活気を取り戻しつつあったオレの心は、もごもごと口ごもる少女の姿を見て、
再び不安に包まれる。言いにくい……? なんだこの不穏な空気は……。
少女はしばらくの間、オレから顔を逸らしながら作り笑いを浮かべていたが、
やがて、何かを覚悟したかのような表情でこちらに向き直る。
「では、サカキ様からの伝言の内容ですが――」
オレの喉がゴクリと鳴る。緊張の一瞬だ。
「『おまえはもういらない』……だ、そうです」
「へ?」
――自分が何を言われたのか理解出来なかった。いや、聞き間違いか?
どちらにしろ何を言われたのか分からない。聞こえなかった? 聞き逃した?
頭の中に幾つもの考えが、浮かんでは消え、浮かんでは消え、それを幾度と無く繰り返す。
否定したかった……。伝言の内容を……。
オレは少女の両肩を掴んだまま、ガックリとうなだれた。
「悪ィ、もう1度言ってくんねぇか。聞こえなかった……」
少女を掴む両手が小刻みに震えているのが分かる。何故だ。何故オレの事をいらないと?
親を失い、孤児院に入れられ、
地獄のような日々を送っていたオレを連れ出してくれたサカキ様。
その恩に報いるため、オレはサカキ様のために全てを捧げ、全力を尽くしてきた。
――なのに! 何故だ!?
「あの、気を落とさずに――」
「サカキィイィイィィィイィィィィッ!!」
その瞬間、オレの中で何かが弾けた。
溜め込んでいたものの全てを吐き出すかの如く、腹の奥底から絶叫を上げる。
「サカキ! サカキサカキサカキィイィィイィィィッ!!」
少女を突き飛ばし、側にあった花瓶を手に取ると、全力で壁に向かって投げつけた。
粉々に砕け散った花瓶の破片が部屋に四散する。
「ちくしょォッ!! あのヤロォォォォォッ!!」
それでも怒りの収まらないオレは絵画を引き剥がし、思いっきりテーブルに叩き付ける。
「サカキ! サカキィィッ!!」
怒りに身を任せ、何度も何度も、絵画を振り下ろし続けた。
終わりが来ないのでは無いかと思える程の時間をだ。
信じていたものが、無残にも打ち砕かれた絶望。信頼していた者に裏切られた悲しみ。
それらが一体となり、オレを歯止めの利かない破壊衝動へと駆り立てる。
「ああぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁッ!! ――!?」
突然、背中に暖かな感触を感じたオレは、とっさに振り向く。
その瞬間、視界一杯に少女の顔が飛び込んできた。
すべてを見透かしてしまいそうな青く美しい瞳に、オレは思わず息を呑む。
しかし何故、こんな近くに?
冷静になって自分の体を観察してみると、背後から少女に抱きつかれている事が分かった。
部屋の物に当り散らすことに夢中で気がつかなかったのか。
「サカキ様が……憎いのですか?」
触れるか触れないかの、絶妙な指使いで体をまさぐりながら、
低く、それでいて妖艶な声を出し、耳元で囁いてくる少女の姿に、
オレは思わず鳥肌を立てる。何だ……? さっきとは様子が違うような……?
「な、なんだよ。変な声色使いやがって……」
口ではそう言いつつも、こちらの喋り方が素のものであると薄々は勘付いていた。
だが今は、そんな小さな事を議論している場合では無いことも承知している。
少女には、今の質問に答えなければ、話しを進める事は叶わないと思わせる何かがあった。
「ああ……、憎い……。
オレを使い捨ての駒としか見てなかったサカキが憎くて仕方ねぇぜ!」
握り拳を奮わせつつ、歯軋りをしながら、ハッキリと言い切った。
そうだ。オレはサカキが憎い! 絶対に許さねェ! 許すものか!
「憎んでも……イイと思いますよ」
再び耳元で囁かれた。あどけない容姿には似つかわしくない、甘く、誘うような声で……。
それはまるで、悪魔の甘言を連想させる、深い闇のような囁き方だった。
背中に押し付けられている、顔と身長に似合わぬ豊満なムネの感触も、
オレの平常心を削ぐ一因だ。
そのまま重苦しい沈黙が辺りを包む。何か喋らなくては……。
しかし、そう思えば思うほど言葉が出てこない。
オレはただ、沈黙に身を任せ続けるしか出来なかった……。
「――さてと……。それじゃあ、お部屋のお掃除でもしましょうかぁ!」
「――へ……?」
突然、オレから離れ、明るい声で清掃宣言をした少女に思わず目を丸くする。
「散らかしっぱなしじゃ、自治体の人たちに怒られちゃいますよぉ。
さっさと片付けて、お風呂に入りましょう! わたしがお背中、流しますよ〜!」
そう言って、笑顔で掃除を始める少女に、先程の面影はまったく無い。
今はもう、部屋に入ってきた時のような、あどけない少女の顔に戻っていた。
――さっきのは……気のせいか……?
呆然と立ち尽くし、掃除に勤しむ少女の姿を観察していても、
その答えは出てきそうに無かった。