「おまたせいたしましたぁ」
茶の用意をする為、厨房へ足を運んでいたモノマネ娘が部屋に戻ってきた。
「どうぞ! 冷めないうちに飲んで下さいね」
「おう」
机を挟み、椅子に座りながら対面しているオレとキクコの前に、
安らぎの香りを放つカップが置かれた。
「なんだい。紅茶じゃないか」
カップを覗き込んだキクコは、不満げな表情を露にし、
オレの予想通り、出された飲み物に対して文句を言う。
「気の利かない小娘だね! あたしゃ緑茶しか飲まないんだよ!」
「――す……、すみません……。お婆様の好みが分からなかったもので……」
謝罪の言葉を述べる少女を前にして尚、不快感を隠そうともしないキクコ。
それはまさしく、10年前から変わらぬ、意地の悪い院長の姿だった。
「オレが孤児院に居た頃から変わんねェなぁ」
そう言ってオレは紅茶の入ったカップに口を付ける。心を落ち着かせる、ほのかな甘味。
なかなか質の良い茶葉のようだ。などと適当な評価をつけるオレ。
「なに言ってんだい。あんたがサカキに引き取られてから、もう10年も経ってるんだ。
色々と変わったさね。それに気付かないようじゃ、まだまだだよ」
「――ん、まぁ、どうでもいいけどよ……。
それにしても急に冷えてきたな。この部屋、暖房とか無いのか?」
あるワケが無いと分かっていても、
わざわざモノマネ娘に尋ねてしまうのが、少しばかり悲しい。
「さ、さすがに捕虜の方のお部屋にはありませんよ」
予想通りの答えだ。悪い意味でオレの期待を裏切らないな。
オレは暖房の件を諦めて、再びカップの中身を喉に通らせる。
今度は、そのまま一気に飲み干した。
「――ふぅ……。――で、アンタがオレに会いに来たのは、どういう風の吹き回しだ?
まさか、オレのことが心配になって、とかじゃないんだろ?」
「ほう。よく分かってるじゃないかい」
「当たり前だろーが。
子供に身売りをさせて私服を肥やしてるようなババァが、人の身を気遣うかっつぅの」
その瞬間、キクコの額に僅かながら青筋が立ったのを、オレは見逃さなかった。
どうやら必死で怒りを堪えているらしい。だが、それはこちらも同じ事。
孤児院暮らしのときに、このババァから受けた仕打ちを考えれば、
今すぐにでも、首の骨をへし折って、息の根を止めてやりたいところだ。
しかし、今のオレは捕らわれの身。ジッと我慢するしか手段はない。
「ま、まぁ、あたしだって本当は、子供たちに、あんな辛い仕事はさせたくないんだよ」
嘘をつけ。
「でも仕方ないだろう? こうでもしなきゃ、満足に食事も取れやしないんだからさ」
キクコは、悪びれる様子もなく言い放つ。たしかに、孤児院が貧しいのは紛れも無い事実。
しかし、自身の欲深さが、
その貧しさに拍車をかけている事を認めるそぶりは、まったく見せようとしない。
このババァは、なにがなんでも自分の意見を正当化させたいらしいな。
「――昔話はこれくらいにしとこうかね。そろそろ本題に入ろうじゃないか。
――実はね、あんたに、ウマい話しを持ってきてやったんだ」
「ウマい話し……?」
ニヤニヤと嫌らしい笑いを浮かべるキクコを前に、オレは不信感を募らせる。
この女がこういう切り出し方をするときは、決まって良くない事が起きる前触れだからだ。
「おっと、忘れるところだった。本題の前に情報を1つ。
ついさっきの事だけどね、サカキがタマムシシティの市長に立候補したらしいんだ」
「それは……、今回の計画が、次の段階に進んだって事だな……」
首都機能が麻痺した混乱に乗じて、ロケット団が政府を乗っ取るという壮大な計画。
その第1段階がヤマブキシティでのテロ活動だった。
オレたちの企み通り、この国は現在、混迷を極めている。
その隙をついたサカキが、ついに動き出したという訳か。
「――で? その情報が『ウマい話し』とやらと関係あるのか?」
「もちろん、大ありさ。ヒヒヒ……」
キクコは不快な含み笑いを漏らしながら、両手を正面で組み、杖の上に乗せる。
「あんた……、不死の力に興味はないかい……?」
「――は?」
聞き間違い……、ではないだろう。
今、たしかにキクコは『不死の力に興味はないか』と尋ねてきた。
予想も出来ないような、謎の質問をされたオレは、その意味を汲み取れず、
キクコの顔をまじまじと見詰める。
「やだねェ、そんなに見詰められたら照れるじゃないか」
「ころすぞ」
頬を朱色に染めるキクコに向かって、マッスグマの如き速さで、そう返した。
「それで……、不死の力?」
「そうさね。せっかく、こうして成り上がるチャンスが訪れたんだ。
このままサカキが、権力者にのし上がってゆくのを、指をくわえて見ているだけなんて
勿体無い話しだとは思わないかい?」
その言葉にオレの心が僅かに揺れる。キクコの人を引き付ける話術は巧みという他ない。
「しかし現実問題、ロケット団の力は強力だ。それはあんたが、よく分かっているだろう?」
そこでキクコは1呼吸、間を置く。
「――だけどね。あたしゃついに、それに対抗しうる力を手に入れた」
「対抗しうる力? もしかしてそれが――」
「不死の力……。文字通り死を超越する力のことさ。あたしゃその力を手に入れたんだ」
得意げに話すキクコの顔からは、ふざけているような印象はまったく受けない。
――ということは……。
「はぁ……。アンタも歳だからなぁ。ついにもうろくしたか」
オレは哀れみのあまり、ゆっくりと首を横に振る。
まぁ、10代で頭の中がお花畑なモノマネ娘に比べれば、幾分マシかもしれないが。
「ま、突然こんなことを言われても信じられないのが普通だよ。
――話しを切り替えようかね。ひとまず不死の件は忘れておくれ」
「ああ、懸命な判断だ。アンタ自身が隔離されないためにもな」
こういうところの物分りはいいんだよな、このババァ。
「単刀直入に言うよ。――あたしたちの仲間になるんだ。共にサカキを倒そう」
「――サカキを……倒す? 本気で言ってるのか?」
「もちろんさ。あたしゃ、そのために長い年月を掛けて、同士を募ってきた。
戦力は順調に集まった。強力なポケモンもね。
――例えば……、その1つが、フスベシティに住む、ドラゴン使いの者たちさ」
「ええ!? あの竜騎士の末裔と呼ばれている、フスベシティの!?」
今までほとんど会話に加わらなかったモノマネ娘が、驚愕の表情で身を乗り出す。
「おまえ、知ってるのか?」
「は、はい!
その昔、ドラゴンタイプのポケモンがまだ伝説と呼ばれていた時代、
フスベシティのトレーナーだけは、ドラゴンとの親交を深め、
その力を駆使することが出来たと伝えられています。
キクコお婆様は、その誇り高きドラゴン使いの末裔たちを味方に付けたと仰るんですか?」
「ほう、小娘のわりには物を知っているね。
そうさ。あたしが直接、フスベシティに赴いて、話しをつけて来たんだ。
あの里のジムリーダー、イブキは、
ポケモンリーグ本部の現チャンピオン、ドラゴンマスター、ワタルと
浅からぬ因縁があるようでね。そこを巧いことついてやった」
「――す、すごいです!
フスベシティのドラゴン軍団って言ったら、精鋭中の精鋭じゃないですか!」
「まぁ……、精鋭といっても、所詮は人間という狭い枠の中での話しだけどね」
「え? それはどういう――」
キクコの意味深な発言が気になったらしく、モノマネ娘は、きょとんとした表情になる。
「そんなことより本題だよ!」
そう言ってキクコは、手に持った杖をオレに向かって突きつける。
「さあ、あたしたちの仲間になりな! そして共にサカキを倒すんだ!」
キクコの態度には、これでもかと言うほどの気迫がこもっていた。
その眼光は鋭く、並みの人間なら、恐ろしさのあまり逆らう気力すら失せる。
オレもかつては、その1人だった。
孤児院という閉鎖された空間。
そこで与えられる過剰な仕置きの恐ろしさを、体現するにあたって、
キクコ以上に適任の人物は存在しない。
その張本人が今、ダーテングの如き醜悪な表情でオレのことを睨みつけている。
10年前のオレだったら、
ここで恐怖に打ち震え、キクコの言葉に従う事しか出来なかっただろう。
――だが……、今のオレは違う。
「――そうやって……、脅迫まがいの方法で上から押さえつければどうにかなると、
今でも、そう思ってるのか?」
オレは怒りのあまり、わなわなと拳を震わせる。
「あの生活環境に置かれていたオレが……、いや、オレだけじゃない。
あの孤児院で暮らしていた全ての子供が、アンタに対して憎悪の炎を燃やしてる。
アンタに受けた傷がズキズキと痛むたび、何度、殺してやろうと思ったことか……。
でも、オレたちはそれをしなかった。なんでだか分かるか?」
オレは俯けていた顔を上げ、勢いよくキクコの胸ぐらを掴む。
「誰もアンタに勝てなかったからだ! あの孤児院での最強はアンタ!
その紛れも無い事実は、なんぴとたりとも逆らうことを許しはしなかった!
だが、今は違う!」
「オレはキクコの胸ぐらを掴んだまま、力任せに壁へと叩き付けた。
「うぅッ!」
苦悶の表情をあらわにするキクコ。しかし、この程度ではオレの怒りは収まらない。
「ぼ、暴力はいけませんよ!」
背後からモノマネ娘の制止を促す声が聞こえてくるが、オレは気にも留めない。
「おまえなんかに協力するつもりは微塵もねェッ! 今すぐ失せろ! 目障りだッ!」
そう言ってキクコを扉の方へと突き飛ばした。そのままオレはくるりと向きを変える。
「――そうやって、すぐに油断して背中を見せるところが、今も昔もあんたの命取りさね」
「なんだと?」
扉の方へ振り向くと、キクコは床に手をつき、俯き加減で口元を歪めている。
――スッと……、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「ひゃんっ!?」
突然、モノマネ娘が間の抜けた声を上げたので、オレは咄嗟にそちらへと顔を向ける。
「な、なんだよいきなり?」
「い、今、首筋をなにかヌルっとしたものが――きゃっ!?」
「な――!?」
刹那、モノマネ娘の足元から黒い影が立ち上る。
たちまち、それらの影が数多の触手と化し、体中にまとわりついてきた。
突然の出来事に、オレたちは成す術もなく触手に絡め取られる。
「な、なんだこりゃあ!?」
「昔から変わんないねェ。あんたには状況を正確に把握する能力が決定的に欠けてるよ。
――あんたはさっき、あたしが入って来てから、急に部屋が寒くなった事に気付いた。
そこまでは、よかったんだよ。
だけどね、そこで思考を止めてしまったのが、そもそもの間違いさ」
そう言ってキクコはモノマネ娘の足元を杖で指し示す。
「コ、コイツは……」
影の中からゆっくりと、何かが這い出てきた。それを見たオレはゴクリと息を呑む。
2本の大きな角をたずさえた漆黒の塊。闇の中で不気味に輝く瞳は血のように赤い。
「ゲ、ゲンガー!」
「そうさ。ずっと、その小娘の影に身を隠してたんだ。
ゲンガーが潜む部屋の温度は5度下がる。そのことに早く気付いてりゃあねェ」
意地の悪い笑みを浮かべるキクコ。久しぶりに見たぜ、このババァの本性を。
「残念だけど、あんたたちには消えてもらう。
ここの連中には、『男が暴れたので始末した』とでも伝えておくよ。
――でも、その前に……」
「ひゃっ!」
ゲンガーの、鮮血を思わせるかのような真っ赤な舌が、モノマネ娘の顔を舐め上げた。
「ゲンガーが、その小娘のことを気に入ったみたいだし、
少しばかり遊ばせてあげようかね。ヒヒヒ」
そう言ってキクコは不気味な含み笑いを漏らす。
その姿は間違いなく、私欲に溺れた卑劣な1人の老婆。
10年前、オレが目にしたキクコ院長そのものだった。