「こいつは驚いた。まさか、あんたがダークライだったとはねェ」
月明かりの下で、ゆっくりと身を起こすキクコの姿を見て、オレは思わず目を見開く。
キクコが、破壊された屋敷を気にも留めず、意味不明な単語を連発していることも、
オレの気を動転させる一因ではあるが、それ以上に驚くべきことがあった。
「な、なんで、どてっ腹に風穴開けられてんのに動けるんだよ……」
驚愕せずにはいられなかった。
キクコの腹部にはポッカリと穴が開いており、
常識で考えれば、そんな状態の人間が自力で体を起こすことなど不可能だ。
それにも関わらず、
キクコは杖を突きつつ、自身の足で大地を踏みしめ、平然と喋り続けている。
そんなキクコの姿を前にして、オレは恐怖を覚えずにはいられない。
悪い夢でも見ているのだろうか? しかし悪夢はこれだけでは終わらない。
「あ、穴が塞がっていく!?」
オレの見ている前でゆっくりと、キクコの腹部に穿たれた風穴が閉じてゆく。
初めて目にするその光景は、まさに異様としか言えまい。
「まぁ、あたしの体が脆いのは事実だけどさ。あんただって同じだろう?
ギラティナから聞いてるよ。人間の体を使用している状態では、
身体能力を含め、その力は著しく低下するとね」
完全に傷の塞がったキクコが不敵に笑う。
「だって仕方がないじゃない? この世界の脆弱のポケモンならいざしらず、
魔界の――それも強大な力を備えた私のようなポケモンが、元の姿を晒し続けたりすれば、数年と持たずに体が崩壊してしまうわ」
明らかにモノマネ娘とは違った口調――、しかも話しの内容は意味不明ときたもんだ。
魔界だの冥界だの、普通なら異常者の発言としか思わないだろう。
しかし、現在オレが置かれているこの状況。これはどう考えても『普通』ではない。
――オレの心に、1つの仮説が首をもたげてきた。
――ポケモンと体を共有――、可能性としては有り得るのではないかと。
正直、馬鹿馬鹿しい説だとは思う。
しかし、このような非日常を目にしてしまっては、
その仮説にすがりつきたくもなるというものだ。
「ところであなた、いつまで、そうしているつもりかしら」
モノマネ娘が、肩越しに顔を覗かせているゲンガーを凍てつくような瞳で睨む。
なんとなくではあるが、オレは気付いた。ゲンガーが怯えていることに。
「あなたのような低級ポケモンが私に触れるなど、許されることではなくてよ?」
そのひと言で十分だった。
今のゲンガーに、先程までの余裕は微塵も感じられず、
顔を強張らせたまま、すごすごと壁の向こう側へと消えてゆく。
それと同時に、黒い触手も床へと沈んでゆき、
オレたちは久しぶりに体の自由を取り戻すことが出来た。
「ふぅ……。助かったぜ」
絶体絶命と思われていただけに、解放された喜びも、ひとしおだ。
安堵のため息を漏らすオレの横を、
モノマネ娘がキクコのほうへ向かって、ツカツカと歩いてゆく。
そのままハンガーに掛かっていたタオルを手に取り、
露出している胸に巻き付けながら、中庭へと足を踏み入れた。
「さてと……、あなたも逃げたほうが良いのではなくて?
たとえ人間の体でも、あなた程度であれば、簡単にあしらえるのだけれど……」
腕を組みながら、正面のキクコに向かって言い放つ姿は、凛々しいという他ない。
背も低く、顔も子供っぽいモノマネ娘ではあるが、
それを補って有り余る程の威厳が感じられる。
その時、瓦礫に身を隠しながら中庭を覗き見るオレの耳に、幾つもの足音が聞こえてきた。
「こ、これは……」
姿を現したのは予想通り、ナツメと他数名。皆、一様に驚きの表情をあらわにしている。
しかし、状況からキクコが危機に瀕していることを悟ったらしく、
懐からモンスターボールを取り出し、臨戦態勢に入る。
「キクコ殿! ここは我々に任せて――」
「邪魔するんじゃないよ!」
キクコが、自分たちのほうへ足を踏み出そうとしたナツメたちを一喝する。
「これはあたしの戦いだ。あんたたちは手を出すんじゃない!」
「しかし――」
「いいからそこで見てな!」
キクコに激を飛ばされたためか、ナツメたちはそれ以上、食い下がろうとはしなかった。
――しばしの静寂――。対峙する2人の間に緊張が走る。
夜風が草木を揺らし、存在を誇示しているかのように音をたて、それが焦燥感を煽る。
張り詰めた空気の中、雲が月に掛かり、中庭を深い闇へと彩った。
その刹那、ついにキクコが動いた!
「喰らいな!」
モノマネ娘に向かって、山なり投げられたモンスターボールが、そのまま開かれる。
次の瞬間には白い閃光とともに中に入っていたポケモンが飛び出し、
モノマネ娘に向かって飛び掛っていた。
そのポケモンの姿を見たオレは、反射的に身をすくませる。
毒々しい紫の体色に、赤い下をチラつかせる大きな口、
なによりも、その腹部に描かれた奇怪な模様が、戦う者の恐怖を煽る。
「噛み殺しちまいな、アーボック!」
鋭い牙を携えたアーボックが、素早い動きでモノマネ娘に襲い掛かった。
そんな状況にも関わらず、モノマネ娘は身をかわす体勢にも入ろうとしない。
「な、なにやってんだよ!? 早くかわせ!!」
しかし、次の瞬間、モノマネ娘は直立不動のまま、自身の細腕で横なぎの一閃。
「な!?」
その直後、アーボックの体が真っ二つに分かれ、宙を舞った。
鋭い牙で噛み付かれているモノマネ娘の姿を想像していたため、
オレはその光景に唖然とする。
「う、嘘だろ?」
永遠の別れを迎えたアーボックの首と胴体は、鮮血を撒き散らしながら、
モノマネ娘の後方へと飛んでゆき、呆気ない音をたてて芝生に沈む。
当然の如く、モノマネ娘は、いくばくかの返り血を浴びることとなった。
その状況を呆気に取られながら傍観する、オレやナツメ。
しかし、キクコは違っていた。
「フン。今のアーボックは囮さ」
いつの間にか、モノマネ娘の懐に飛び込んでいたキクコが、
銀色の輝きを放つ刀身を抜き放った。
「仕込み杖か! あのババァ、手が込んでやがる!」
刃先がモノマネ娘の腹を目指して、一直線に突き進む。
「くたばりな!」
鋭い刃が、モノマネ娘の体を貫くかと思われた次の瞬間――。
「うっ!」
――モノマネ娘の右手がキクコの腕を捕らえ、ギリギリのところで攻撃をとめていた。
キクコは、その手を振りほどこうと必死にもがいているが、
モノマネ娘の手はピクリとも動く気配を見せない。
「やっぱり駄目ね……」
低く、それでいて良く通る声で呟くモノマネ娘からは、寒気がする程の恐怖を感じる。
その語り口調だけで、冷酷な一端が垣間見えるような気がしてくるのだ。
「だって、ほら――」
その瞬間、明らかに骨が砕けたと思われるような音が中庭に鳴り響いた。
「あァぁッ!」
キクコが右手を押さえつつ、苦悶の呻きを発しながらその場に座り込む。
同時に仕込み杖がキクコの手を離れ、芝生の上に零れ落ちた。
「こんなにも脆いじゃない。人間の体は……」
「キ、キクコ殿!」
「く、ああ……あ」
モノマネ娘は、うずくまるキクコの額を鷲掴みにし、ゆっくりと引き上げた。
そのまま苦悶の表情をあらわにしているキクコの顔を、薄笑いを浮かべながら覗きこむ。
「骨の1本くらい、すぐに再生するのでしょう? 本当に厄介な力ね。
まぁ、それはともかく、こんな所でいつまでも油を売っている訳にもいかないし、
そろそろ終わりにしましょうか?」
キクコの表情は恐怖に彩られており、これ以上は考えられないほど蒼白していた。
それでも必死に声を絞り出し、なんとか言葉を紡ぎ出そうとしている。
だが、それを待たずして、モノマネ娘の唇がゆっくりと開かれた。
「魔王の前に――」
「待っ――!」
キクコの目が大きく見開かれた。片手を前に差し出し、静止を求めようとしている。
しかし、腕に力を込め始めたモノマネ娘に思い直す余地などない。
キクコの顔面を掴んでいる腕が、無慈悲にも振り下ろされた。
「ひざまずけッ!!」
気合の入った一声とともに、モノマネ娘がキクコの後頭部を勢いよく地面に叩きつけた。
まるで爆音のような音を放ち、土煙が巻き上がる。
その影響で2人の姿を視認することが非常に困難だ。
まさか、あんな小柄な少女に、ここまでの力があろうとは誰が予想していただろうか?
もうもうと舞い上がる土煙を前にして、オレたちは呆然と立ち尽くす。
――やがて、少しづつ煙が晴れてゆき、2つの人影が見えてきた。
「キ……キクコ……殿……」
それはまさに悪夢のような光景。
モノマネ娘が見下ろしているのは、白目を剥き、仰向けに倒れているキクコの姿。
そのキクコを中心にして、地面の上を波動上に広がる、いくつもの亀裂。
それは、とても人間の成せる業とは思えなかった。
――いや……、このような衝撃的な出来事を目の前にして、断言しない訳にはいくまい。
――これは人間の仕業では無い。明らかに別の次元の産物――。
そう――、悪魔の仕業と呼ぶに相応しい!
「ウ、ウォォォォッ! キクコ殿をお助けしろォォォォッ!」
「ま、待て、空手大王! 迂闊に突っ込むな!」
ナツメの静止を無視して、道着に身を包んだ男たちと、格闘ポケモン数匹が、
束になって、モノマネ娘のほうへと押し寄せてきた。
「邪魔よ」
「なあッ!?」
モノマネ娘が軽く手を払っただけで、男たちの足元は崩落を起こした。
亀裂に足を挟む者や、茂みのほうへ突き飛ばされる者が続出し、
すっかり混乱の極みを見せている。
「さぁ、今の内に離脱するわよ」
「あ……、お、おう!」
唐突にモノマネ娘から声をかけられたオレは、動揺しつつもそれに応じる。
そうだ――。ここから逃げ出すチャンスは今しかない。
この機を逃せば、オレは永遠に自由を手にすることが出来なくなる。そんなのはゴメンだ。
――生きたい――。その思いがオレに、始めの1歩を踏み出させた。
生きたいと思う気持ちが、オレの足を動かし、先を行くモノマネ娘の後を追わせる。
背後からは、ナツメたちの足音や怒声が聞こえてくるが、
それを気にも留めず、オレは走り続けた。
――ただひたすらに、生を求めて――。