懐かしい草笛の音だけが、耳の奥に残っている。
「きれいな曲だね。それ、どこで聞いたの?」
無事に遠征を終えた数日後。プクリンのギルドはいつも通りに依頼を集め、
新人探検家のチコリータとミズゴロウもいつも通りに仕事をしていた。
今二人が受けている依頼先は緑の草原。遭難者を助け、お尋ね者を捕まえ…
今回受けた依頼を全て済ませた後に、せっかくだから宝物部屋まで行こうと探検を続けた。
ここにはそれほど強い相手はいない。少し休んでリンゴを食べて。
戯れに、ミズゴロウが手近にあった草の葉を拾って草笛を吹いた。
技としての効果があるわけではない、ただの草笛。
「…憶えてないの。あの日わたしが思い出せたのは…自分の名前とこのメロディだけだったから」
「…そっか…そうだよね。ゴメン」
記憶のない彼女は、ときどきひどく寂しそうな顔をすることがある。
その理由を尋ねても、本人にも分からない、と言う。
きっと、自分に過去がないのが辛いんじゃないか。チコリータは常々そう思っていた。
ミズゴロウは「気にしないで」と言うように、ただ黙ってチコリータの頭を撫でた。
――寂しがり屋のわたしに、この曲を聞かせてくれた誰かがいた。
わたしが落ち込んだ時に、こんな風に頭に手を置いて。
メロディの中にかすかに残る淡い記憶のかけら。
その誰かの顔は――どんな人だったのかは――まったく思い出せない。
何かを思い出したいと思って、もう一度草笛を吹いてみた。
何も、思い出せなかった。
「ねえ、その曲を教えてくれる?」
目を上げると、そこにはチコリータの笑顔。
「うん。もちろんだよ」
大丈夫、寂しくない。
ミズゴロウは、記憶の中の「誰か」に話しかけた。
いつかわたしの記憶が戻って、貴方に会えたら。
わたしは大丈夫だと伝えたい。そして、貴方にも紹介したい。
目の前にいる、とても大切な友達を。