「ゴウカザル、インファイトだ!!」
少年の声が、炎を纏い、唸り声を上げて拳を握り締めるゴウカザルに戦う意志を与える。
しかし、それよりも先に、もう一人の少年の声が、別のポケモンを繰り出した。
「戻れビーダル―――そして来い、ユキメノコッ!!」
最初の少年とは違う少年の声に、冷気を撒き散らしモンスターボールから『それ』は飛び
出した。
繰り出されたゴウカザルの無数に繰り出された剛拳は、飛び出た彼女の肉体を貫き、虚し
く虚空を振るわせた。
「うぇ!?くそっ、ゴウカザル、フレアドライブ―――」
「ユキメノコ、サイコキネシス!!」
攻撃が通じなかったことに一瞬焦りを覚えるものの、少年は追撃の指示を述べた。
しかし、同時にもう一人の少年の、迷いのない声が響き、それを聞いた少女の如き―――
そして、妖しい香りを纏う容姿のポケモン、ユキメノコが先に動く。
ユキメノコの、仮面の奥の瞳が輝くと、翳した手から念力の波動が迸った。
念波をまともに全身で受けたゴウカザルが苦しげな声を上げながらよろめき、そのまま膝
をついてしまう。
そして―――ダウン。動かなくなる。戦闘力を失い、意識を失ったのだ。悔しそうに歯噛
みし、最初の少年が首を振った。
手持ちのポケモンが全てなくなり、負けを認めたのだ。
「くっそー!なんだってんだよ、また負けたのかよ!?」
「っしゃあぁっ!!」
ゴウカザルを倒された少年の悲鳴と、ユキメノコを繰り出して勝利を手にした少年の歓声
が重なった。
ここは、シンオウ地方北東部、キッサキからの連絡線で訪れる事の出来る島に存在する港
湾部でもある、ファイトエリア。
シンオウ地方のトレーナーにとっての、ポケモンリーグ本拠地と並ぶ聖地ともいうべきバ
トルタワーのある場所だ。
そのバトルタワーの入り口前のメインストリートで行なわれたポケモンバトルが、冒頭の
ことであった。
やりあっていたのは、一人はコウキという少年、もう一人はジュンという少年である。
共にシンオウ南西部のフタバタウンの出身であり、幼馴染だ。
そしてコウキは先日、シンオウリーグの頂点に立った若き才媛である。
もう一人のジュンもまた、シンオウリーグの8つのバッジを所有し、その才覚はコウキに
も匹敵していると言われる存在だ。
今も、彼らはリーグ挑戦中も何度もそうしていたように、互いの実力を確かめ合う為のバ
トルをしていたのだ。それが今のバトルだった。
コウキが勝利に終わり、トレードマークのちょっと大き目の帽子を外して額の汗を拭うと、
ジュンが溜息をついて地面にへたり込んだ。
「あーあ、畜生……勝ちを急いで焦っちまったよ……フレアドライブだったら絶対にお前
の裏をかけたんだけどな……あー!」
「そう言うなって……前は僕が読み間違えて負けちゃったしさ。これで、僕の28勝21
敗だね」
「うー……ちょっとメンバーを考えるかな……」
苦笑しながら手を振るコウキに、悔しそうに呟くジュン。
そこに、げんきのかけらで力を取り戻したゴウカザルが、彼の肩に手をやって反省のポー
ズになる。が、ジュンはゴウカザルに向きなおる
と、ぶんぶん首を振った。
「いや、お前が悪いんじゃない!まだ俺が甘いだけだぜ……ええい、今度は負けないぜ!」
「へっ、もうちょっと落ち着きを養わないと、お前の黒星が増えるだけだって」
が、ゴウカザルに声を掛けつつ、コウキに次の勝負に於いての必勝を宣言するジュンの背
中から、観客を割って近づいてきた少年が肩を竦める。
赤い髪に一部黄色い髪が混じり、炎を喚起させる少年―――バクという名前の少年で、ジ
ュンとも、勿論コウキとも面識があり、彼らの共通の友人でもある。
コウキとジュンがファイトエリアに初上陸した日、意気盛んな彼らをからかうような口調
で諌めたという、あまりよろしくはない出会い方ではあった。
しかし今は、彼らの実力や精神力、そして何よりもポケモンへの並大抵ではない愛情を知
り、何だかんだ言いながら認めている仲だ。
ついでに言えば、彼もまた普通のトレーナーではない。シンオウリーグ四天王、炎ポケモ
ンと炎技の使い手、オーバの弟である。彼も高い実力を持っており、将来はジムリーダー
や四天王入りを期待されている存在だ。
そのバクに、ジュンは急に立ち上がり、凄むように顔を近づける。
「なにぃ!?」
「真実じゃねーかよ。俺だったら絶対に今の勝負は勝ってるぜ?ゴウカザルは読みにくい
相手だけど、お前の傾向じゃ格闘技で一気に決めてくるなんてお前を知ってりゃ誰でもわ
かるぜ」
ふふん、と鼻で笑うバク。しかし、ジュンも言われっぱなしは我慢できず言い返す。
「てめー、前にコウキにパーフェクトに近い負け方してたじゃねーか!ネンドールをあっ
さり沈められて!」
「そ、それとこれとは関係ねー!第一な、お前―――って、コウキ、お前何してるんだよ」
口げんかが始まりかけたその時、バクがコウキの背中に声を掛けた。何時もは彼らがもめ
ようとすると仲裁の役目に回るはずのコウキが、彼らの様子など気にも留めぬ様子で、そ
わそわと港のほうを見ている。
視線の先には、船から降り立ってくる大勢のトレーナー達。そして、バクの声にも全く気
付いていないコウキに、ジュンとバクは口論を止めて目配せし、こっそり背中に近づき―――
『コウキ!!』
「ぅわぁっ!?な、何だよ!」
「何だよ、じゃねーよ!ったく、人が呼んでるのに何やってるんだお前」
「船がそんなに珍しいのかよ、お前。俺たちも最初に此処に来た時に乗ってきただろうが」
大声にしりもちをつくコウキ。地面に座り込んだまま、大声を上げた二人に非難の視線を
向けるが、不審そうに彼の様子を見つめる二人に、思わずコウキが表情を強張らせ、ぶん
ぶんと首を振った。
「え!?い、いや、別に大したことじゃ……」
「コウキくん!」
立ち上がりつつ、しどろもどろで二人に弁明を始めるコウキ。が―――その彼の背中に、
少女の声が響いた。
白いニットの帽子に、コウキと同様の赤マフラーをたなびかせた、黒髪長髪の少女。
コウキの住むフタバタウンの隣、マサゴタウンに住む少女、ヒカリである。
彼女はコウキとジュンにシンオウのポケモン調査を頼んだ、ポケモン進化研究分野の第一
人者、ナナカマド博士に師事しており、いわばコウキとジュンの先輩に当たる。
と言っても、年齢は彼らと同じではある。ヒカリの姿を認めたコウキが顔を僅かに赤らめ
る。
「ヒカリちゃん!」
「ごめんね、遅くなっちゃった。それに―――ジュンくんも居るんだったら丁度いいわ。
二人とも、博士から頼まれたもの、持って来たよ」
「なんだ?お前ら二人ともヒカリを待ってたのか」
「バクくんも一緒だったんだ。そうよ、二人には昨日、博士から連絡が行ってるはずだよ」
ヒカリはごそごそと自分のバッグから、ディスクケースを取り出した。そして、コウキと
ジュンへ、そのディスクを手渡した。
バクはヒカリの事は一応顔見知り程度には知っているらしく、挨拶もそこそこに何を渡し
たのかを聞きたがる。
「お、そう言えばこれの為に此処に居たんだっけ。つか、今の今まで連絡の事忘れてたぜ!」
「もー、ジュンくん相変わらず……うん、図鑑アップデートデータだよ。昨日ホウエンの
オダマキ博士から送られたんだって」
「そういえば、俺最近やっと図鑑もらったばっかりだしな……全く気にしてなかったぜ」
「……本当にもう、最悪コウキくんにジュンくんには渡せって頼まれてたんだから」
あっけらかんと、どうやらヒカリがナナカマドからの荷物を持ってくることを忘れていた
らしい事を話すジュンに、疲れたように首を傾げる仕草を見せるヒカリ。
が、すぐに気を取り直すと、今度はコウキに荷物を渡す。
「はい、コウキくん。頑張ってね」
「あ……う、うん、ありがとう」
ヒカリにディスクを手渡されると、コウキは顔を更に赤くしてぎこちない笑顔で微笑み、
笑顔を向けられたヒカリも、僅かに気恥ずかしげに視線を逸らして頬を染める。
その仕草に、コウキは暫し見蕩れるが―――意を決して、コウキが口を開く。
「そ、そうだ、ヒカリちゃん……そのさ、この後良かったら―――」
が、勇気を出したコウキの言葉を遮り、慌てた様子でヒカリが不自然な大声で叫ぶ。
「あ、ご、ごめん、私博士に頼まれて、225番道路に用事があるの!じゃ、じゃあね、
コウキくん、あとジュンくんとバクくん!」
一方的にそう叫ぶと、その場から逃げるように踵を返して駆け出すヒカリ。慌ててつまず
きそうになるが、それでもお構いなしに一目散に225番道路へ通じるゲートへと大通り
を駆け抜けていく。
呆然としたようすでヒカリの後ろ姿を見送るコウキ。しばし放心していたが、右の肩をジ
ュンに、左の肩をバクに叩かれる。
「まあ、なんだ」
「女の子は星の数ほど居ると思うし、元気出せよ」
「しかしなんだ、コウキ、最近随分とこまめに博士に連絡取ってると思ったらなあ」
「でも振られちゃったんじゃ、ご愁傷様だな」
「ちょ―――ま、待てよ、そういうことじゃ―――」
何とはなしにニヤニヤしている二人の表情と、その言葉に、コウキが耳まで真っ赤にして
叫びかけるが―――ジュンとのバトルを見ていたギャラリーの好奇の視線を感じ、顔を赤
くしたまま二人の手首を掴むと、逃げるようにバトルタワーの敷地内へと駆け出した。
で……ジュンとバクを引っ張っていった先は、バトルタワー敷地内のレストランの一つ。
全国、いや全世界からトレーナーが集う場所である故に、こういった施設は敷地内にも沢
山存在する。特に休日ともなれば、泊り込みでバトルタワーに挑む者達も少なくない。
トレーナーやその随伴者に対する宿泊や飲食の施設は、そのためかなり充実させていた。
広々としたつくりのレストラン内には、少なくない客が食事を楽しんでいた。加えて、相
当の大型であったり、悪臭を放ったり、常に全身に炎や氷を纏っていたりするようなポケ
モンでなければ、共に食事を取る事も許可されており、トレーナーと共に食事をするポケ
モンの姿も多い。
コウキ、ジュン、バクも、それぞれの手持ちのポケモンのうち、レストラン内に出しても
平気なポケモンたちはボールから出し、彼らの食事も頼んだ上で、自分達の食事を楽しん
でいた。
もっとも、コウキだけはヒカリが逃げるように去って行ってしまったことに結構凹んでい
るらしく、食事が全く進んでいない。
「まー、コウキさー、そんなに沈むなよ」
「そうそう」
「あのね……まあ別に、この頃なんだかヒカリちゃんがよそよそしくはあったし、そんな
予感はしてたんだけどね……」
気楽に食事を頬張りながら喋るジュンとバクそれぞれを半目で睨み、しかしすぐに沈んだ
表情になるコウキ。手にしたフォークの先で、既に冷めてしまったステーキをつつきなが
ら、諦めの入り混じった声で呟く。
「よそよそしい……ねえ」
「うん。そのさ……なんだろ、シロナさんに勝ってチャンピオンになってからかな、なん
だか、避けられてるような感じなんだよ。前だったら、そんなことはなかったんだけどな
あ……」
「なんだ、コウキ、もしかして天狗になってそれで幻滅……っつーのはねえな。少なくと
も俺らはお前が天狗になってるところは見たことないしなあ……兄貴も、チャンピオンに
なってからも姿勢を変えず鍛錬を怠らない、いい意味で貪欲だって、いつもお前の事褒め
てるぜ?何がいけないんだろうな」
コウキは全くわからないと言った様子で、嘆くように頭を抱えて呻く。それに対し、ジュ
ンもバクも困ったような顔になる。
彼らも言うように、コウキはシンオウポケモンリーグのチャンピオン、シロナに勝利した
後も、常に高みを求め、鍛錬と探求を続けている。
その姿勢は他のどのトレーナーよりも熱心で真摯であることは、ジュンもバクも認めてい
る所である。その彼がヒカリに避けられる理由は何かとなると思い浮かばぬらしく、困っ
てしまった顔になる。
考え込んでいたジュンとバクだが、不意にジュンが手を叩く。
「……アレだ、ほら、彼氏ができたとか」
「え、ええええっ!?……そ、その、そう、なの?」
ジュンの言葉に、サンダーのかみなりを脳天の受けたようなショックが全身に走ったらし
く、コウキは傍からは不審なほどに動揺し、ジュンとバクを交互に、救いを求めるような
視線を向けた。
コウキの挙動に周囲のテーブルのポケモン達がじっと見ていることに気付き、バクが宥め
るように肩を掴む。
「落ち着け落ち着け。あくまで可能性だよ、あ・く・ま・で・さ」
「う、うん……そ、そりゃまあさ、ヒカリちゃんあれだけ可愛いんだったらそりゃ好きに
なる人はたくさん居るだろうけど……」
「……まあ、確かにそりゃな。それは同意するぜ。俺の友達もファンは多いし。第一、ナ
ナカマド博士の助手だし、知名度も高いしさ……。ヨスガのコンテストとかにも出て結果
残してるみたいだし」
「ううう……そ、そうだよね……」
バクの言葉に結果としてさらに凹んだコウキは、完全に沈み、テーブルに突っ伏す。
その様子に、折角のステーキが要らないようだと考え、彼の連れているポケモンの一匹の
マニューラが、器用にコウキの脇の下からツメを伸ばしてステーキを掻っ攫う。
「あ、こら!」
ジュンが止めようとするが、肝心のコウキが無反応であるため、悠々とマニューラはステ
ーキを掠め取り、一口であっという間に食べて満足そうな表情になる。
「ったく……お前ら、主が凹んでるんだから慰めてやれよ」
バクも呆れた様子で、外に出ているマニューラ・ユキメノコ・ビーダル・ムクホーク・ム
ウマージを睨むが、そろって肩を竦めるようなポーズで首を振る。
その達観しているのか面白がっているのからはわからないが、ともかくこの仕草でポケモ
ンたちはあてにならんとばかりにバクは溜息を吐いた。
ちなみに、もう一匹はシンジこで出会ったドダイトスだが、大きさと重量ゆえにボールの
中に入っている。
「……まあでも、恋の病なんて首突っ込むのも野暮ではあるから、こいつらも傍観決め込
んでることではあるんだろうなあ。
ったく、ポケモン以外の事になるとなんで弱いんだよお前はよー……」
「しょ、しょうがないじゃないか……ふう。とりあえず、ちょっと疲れたし、今日はセン
ターに寄って、そのまま一泊するよ……」
「あ、ああ……ま、まあ、コウキ、元気出せ、な。俺らの言った事はあくまで憶測だしよ」
「うん、ありがとう、ジュン、バク……」
そう言うと、しょんぼりとした様子で席を立ち、自分の食事代を支払ってレストランを後
にするコウキ。
先ほどまで肩を竦めていたポケモンたちも、流石に重症と感じたか、慌てて後を追ってい
く。
そんなおかしな集団を、ジュンとバク、そしてそれぞれがこの場に出しているポケモン達
が不安そうに見つめていた。
「……大丈夫かね」
「さてなー、こればっかりは俺らがどうこう言えないしなー……」
二人ともそう呟きあいながら、バトルタワーから広がる景色を見て―――黒雲が空を覆っ
ているのが視界に入る。
「あー、降りそうだな、思い切り」
「だな……涙雨かねえ、コウキの」
その夜。
何をする気にもなれず、ぼんやりとしているコウキ。センター備え付けのトレーナーやブ
リーダー等のための宿泊施設の一室で、力なく土砂降りの外を見つめている。
ベッドの上にモンスターボールとバッグを投げ出したままになっているあたり、重症であ
りそうだ。
「うー……ホント、我ながら情けないなあ……まあ、そりゃ一度もそんな事言われたこと
無かったし、相手は僕の恋人でもないし、まあ当然と言えば当然だけどさ……」
自嘲気味にぼやきながら、テーブルに突っ伏し、溜息ばかりを漏らす。その時―――部屋
備え付けの連絡用の電話が鳴り響く。
面倒臭いとは思いつつも、しかたなく電話を取る。
「はい……」
『お休み中すいません、コウキさんですね?ナナカマド博士という方から連絡が入ってい
ますので、お繋ぎいたします』
「あ、は、はい」
やる気のない声で受け応えたコウキだが、ナナカマドの名前が出たことで、姿勢を正す。
暫らく待つと、ナナカマドの威厳のある声が受話器越しに響く。
『コウキか、すまないな、いきなり』
「博士、いえ、大丈夫です。データありがとうございました、ディスクはジュンも受け取
っていますよ。何か不具合でもありましたか?」
『い、いやその……そ、そうじゃないんだ。……その、ヒカリには、会ったのか?』
コウキはナナカマドが、昼にもらったディスクの話の為に連絡をしてきたと思い、先にそ
の話題を振る。
が、ナナカマドは困惑気味にその言葉を否定し、ヒカリの名前を出した。彼女の名前に胸
が苦しくなるものの、口調がいつもの声とは違い、不安に満ちていることを察知すると、
話の先を促した。
「え、ええ……何かあったんですか?」
『そ、その……な。実は、225番道路でエムリットの目撃情報があってな。そこにヒカ
リが調査に向かったんだが……お前達にディスクを届けて調査に向かうという連絡があっ
てから、連絡が途絶えてしまったんじゃ』
「え……!?れ、連絡は取れないんですか?僕の持っているタイプと同じ通信端末、ヒカ
リは―――」
『それが、反応しないのだ。225番道路は知っての通り入り組んだ地形だから、通信が
難しい場所が出てくるのだ。しかもこの雨だしな……もしかしたらコウキのところに何か
しら連絡はなかったかと思ったんだが……そうか』
ナナカマドの言葉に、コウキは外の様子を思わず見る。雨は激しさを増し、気温も下がっ
てきている。
部屋の中だからまだマシだが、シンオウ地方は北方に位置する為に、今の時期は雨が降る
とすぐに気温が一桁に落ちる。
ヒカリからの連絡がないことをナナカマドから知らされ、コウキは先ほどまでの無気力さ
は何処かへ吹き飛び、代わりに言い様の無い不安感が胸を満たす。
『まあ、なんだ―――もう少し様子を見て、連絡がなければこちらも対策を取る。夜分す
まなかったな』
コウキが沈黙していると、ナナカマドも焦っているのか、話もそこそこに連絡を途切れさ
せてしまう。
そして、コウキは受話器を置くと、考えるよりも先に荷物とモンスターボールを掴み、部
屋を飛び出す。
ロビーには雨が酷すぎて流石に出る気になれないトレーナー達が多く居たが、コウキは防
水カッパを身につけると土砂降りの外へと飛び出す。
風も強く雨粒も大きい、その上に建物から出ると驚くほど肌寒い。吐いた息が電灯に照ら
されて白くなる。温度は5度程度だ。
顔や袖口から雨粒が入り込み、服がすぐさま濡れていくが、お構いなしに225番道路へ
と駆け出す。
程なくしてゲートをくぐり、225番道路に入る。雨と寒さ、そして風―――そのため人
通りは殆んどない。
夜間にも活動しているはずのポケモンの姿すら殆んどない上に、月が隠れている為に真の
闇に限りなく近い。故に、携帯用の明かりでは探すどころではない。
「ムウマージ、フラッシュを頼む!」
持参していたわざマシンを起動させ、即興でムウマージにフラッシュを覚えさせると、光
を放つように指示する。
ムウマージはこくこくと頷くと、瞳を輝かせ、口から呪文の様な囁きを紡ぎながら、全身
を発光させた。
雨と風で視界はやはり悪いが、それでもかなりの光量を手に入れることができ、周囲10
m程を照らす。
視界の確保ができ、改めてコウキは捜索に入る。じっとりと雨に濡れた茂みに足を踏み入
れると、靴の中に水が入ってくる。
おまけに風は強さを増している為に、カッパもまるで役に立たず、全身がずぶぬれの状況
だ。手足が痺れるように冷たい。
だが、コウキはそれでも、とにかくヒカリに何かあったのではという不安感から、少し前
までの無気力感など完全に忘れて、声を張り上げながら225番道路を駆け回る。
雨風でポケモン達も身を潜めているらしく茂みから飛び出してくる気配は殆んどないが、
それでもスプレーを念のために撒きながら、水を苦にしないビーダルと、姿が大きい為に
こちらを発見する目印になるかもしれないドダイトスも出す。
ドダイトスの木の下には、夜も活発に活動する為に夜目が利くマニューラを出し、それら
しい影がないかを確認させる。ユキメノコとムクホークも、何かあれば即座に対応するよ
うに、マニューラの両隣で周囲をくまなく見張る。
それから二時間ほど捜索を続けたが―――サバイバルエリア傍まで来ても、痕跡も発見で
きない。
「参ったな……大体の所は探したのに……と、すると……」
コウキは息を荒くしながら―――丘陵部に目をやる。比較的大きな湖が丘陵部にはあり、
周囲を岩に囲まれているが、いくつか対岸に渡れる部分があることをコウキは見たことが
ある。
後探していないのは―――225番道路から外れる事になる、対岸だけだ。ただし、そち
らは崖や急斜面が多く、危険な場所であるとも聞いた。
「……エムリットが人の多く通るところに姿を見せるとは思えない……だったら、そう考
えて、ヒカリちゃんが対岸の危険な所に分け入った可能性もある……よし、ビーダル、波
乗りで向こうまで行くぞ!」
コウキはそう言うと、ドダイトスとマニューラ、ムクホークを収容し、ユキメノコとムウ
マージに周辺を見張らせつつ、ビーダルに乗って対岸を目指す。
対岸に辿り着くと、案の定、数歩先には急斜面が広がっており、先は木々が生い茂ってい
る為にフラッシュの光でも視界が極端に悪い。
「……後は、ここぐらいだからな……よし」
僅かに躊躇するコウキだったが、何かのっぴきならぬ事態が発生している可能性もあると
考えると、すぐに行動を起こす。
ロープをバッグから取り出すと、頑丈そうな木に片方を結び、もう片方を自分の胴に括り
つけ、ビーダルを収容し、斜面を降りていく。
降り初めてコウキは、斜面は雨水をたっぷりと吸って柔らかく崩れやすい土と、つるつる
のすべりやすい岩だらけであり、斜面もかなり下まで続いていることを知る。
命綱をつけていなければたちまち転げ落ちそうな斜面を、ゆっくりと降りていく。そして、少し降りては大声でヒカリの名前を叫び、ムウマージとユキメノコに反応がないかを探らせる。
だが、かなり降り、ロープの長さが限界に達した所まで来ても、ヒカリの反応はない。
「……ここじゃないのか……いや、もう少し下なのか……」
既にずぶぬれの身体は心底まで冷え切っており、手足の先の感覚がなくなっている。ムウ
マージとユキメノコがこれ以上はコウキが危険だとばかりに周囲を飛びまわるが、コウキ
は首を横に振る。
「わかってるけど―――もしヒカリちゃんがこの下で動けなくなってたりしたら、それこ
そ一刻を争う。ここで迷っているわけにもいかないよ」
二匹に言い聞かせるように呟くと、コウキは周囲の手近の木に片手でしがみつくと、命綱
を解く。そして、ロープを放して木にしがみつき―――
ミシ……
かすかに、木が軋みを上げる。だが、雨音と風音が、それをかき消してしまう。
コウキも、ユキメノコも、ムウマージもそうとは気付かない。コウキはバッグから違うロ
ープを出して、今掴まっている木に括りつけようとし―――
メキメキメキィッ!
その瞬間、木がコウキの重量に耐え切れず、根元からへし折れる。
コウキはまっさかさまに落下し、途中でモンスターボールなどを入れたバッグから離れ、
斜面を転げ落ちていく。
ムウマージとユキメノコが、コウキが転落したことに、悲鳴を上げながら闇の中を降りて
いった。