昭和30年代 春 マサラビレッジ郊外  
 
繚乱と咲き散る桜の花。  
そよ風が梢を揺らすたび、淡い桃色の花弁が飛翔を散らすかのごとく宙を舞う。  
まるで満ちに満ちた木の生気が、溢れ出るかのように――。  
 
「ユキナリ、覚悟!」  
僕の頭上にある梢から突如として降り注いだのは、  
少女のものと思われる威勢のいい高い声。  
その直後、僕の背後に人の気配。続けざまポケモンが繰り出される音。  
 
「行きなさい! ゴース!」  
「やれやれ、今日もか……」  
僕は学生帽をいじりながらカバンを地面に降ろし、懐からモンスターボールを取り出した。  
 
「頼んだぞ、ポッポ」  
僕は舞い散る花びらの中にモンスターボールを放り投げつつ、おもむろに振り向いた。  
すでに辺り一帯にはゴースの体から放たれたドス黒いガスが充満しており、  
多少の息苦しさを感じる。もう少し野生ポケモンたちへの配慮をしてほしいものだ。  
 
「あそこか……」  
そのガスに紛れ、こちらへと飛来してくる1つの球体。それをいち早く発見した僕は、  
モンスターボールから飛び出し、肩にとまったポッポに目配せをする。  
次の瞬間、僕の肩から勢いよくポッポが舞い上がり、  
球体のほうへ狙いを定めたのち、激しく羽を動かし始めた。  
 
「きゃっ!」  
ポッポから放たれた突風が、ガスと、その中を移動する球体に襲い掛かり、  
それと同時に少女の小さな悲鳴が耳に飛び込んできた。  
ガスのせいで姿は見えないものの、やはり『あいつ』もこの場に留まっているらしい。  
 
「いいぞ、ポッポ。そのまま終わらせるんだ!」  
僕が大声で指示を飛ばすと、ポッポは先ほど以上に力強く羽ばたき始めた。  
渦巻く気流が周辺の物を空へと巻き上げてゆく。  
そのおかげで辺りを覆っていた黒いガスが、桜の花びらとともに一気に吹き飛ばされる。  
刹那、僕の視界に再び春の日差しが飛び込んできた。  
ガスを吹き飛ばされ、球状の本体が剥き出しになったゴースの姿もだ。  
ここまでくれば僕が指示を出すまでも無い。  
ポッポは空中で大きく旋回したあと、慌てふためくゴースに向かって一直線に突進する。  
鋭いくちばしが黒色の本体を捉え、あえなくゴースは地面に落下した。  
それを確認した僕は、帰ってきたポッポの頭を撫でてやり、  
礼を言ってからモンスターボールに戻す。  
――しかし、毎度毎度よく飽きないよなぁ……。  
 
「――あー、キクコ。大丈夫か?」  
散開する大量の花びらに埋め尽くされた地面。  
その中にひときわ目立つ花びらの塊を見つけ、僕はゆっくりと近づいた。  
 
「ゴースの体は95%がガスで構成されている。強風に弱いことは頭に入れておけ。  
だいたい毒ガスは密室でこそ真価を発揮するのであって、屋外での使用は――  
おい。聞いてるのか?」  
こんもりと積もった花びらに向かって問いかけてみる。だが返事は無い。  
 
「仕方ないな……」  
僕は、花びらに埋もれ気絶しているであろうキクコを引っ張り出すため、  
ゆっくりとその場に腰を下ろす。そのまま両手を前に突き出した次の瞬間――  
 
「――がはっ!?」  
突然、僕のまぶたの裏で大量の星がまたたいた。  
闇の中で核を輝かせるヒトデマンのような美しさに思わずほれぼれする。  
しかし、それも束の間の出来事。  
その幻想的な光景は、すぐさま鋭い痛みによってかき消された。  
 
「あらあら〜。油断してたらダメじゃない、ユキナリ。  
今のが実戦だったら死んでたわよ〜?」  
咄嗟に鼻を押さえ、痛みをこらえる僕の頭上から、  
人を小馬鹿にしたような忍び笑いが聞こえてくる。  
その、反省の色無き彼女の態度に怒りを覚えた僕は、眉間にシワを寄せながら顔を上げた。  
 
「キクコ……」  
見上げた先にあったのは、  
腰に手を当て、満足げな笑みを浮かべながら僕を見下ろす少女の姿。  
艶のある長い頭髪を左右の中央より高い位置でまとめ、  
両肩に掛かる長さまで垂らした珍しい髪型。  
数年前、『時渡り』を体験したときに小耳に挟んだ情報だが、  
この髪型はのちにツインテールと呼ばれることになるらしい。  
小豆色の釣り目がちな瞳や、モモンの実のように柔らかそうなその唇からは、  
正直なところ小悪魔的な魅力を感じてしまう。  
淡い水色をした丈の短い着物に黒いスパッツ。  
農作業の途中だったのか、気合の入った腕まくりをしている。  
ここで僕に不意打ちを仕掛けてきたということは農作業を怠けているのか……。  
 
「それでどうだったのよ? 大学受験のほうは」  
「……合格したよ。第一志望のタマムシ大学」  
僕はいまだにズキズキと痛む鼻っ柱をさすりながら、降ろしていたカバンを手に取り、  
ぶっきらぼうに言い放った。  
 
「それはそれは……。  
マサラビレッジの天才児、オーキド・ユキナリくんは優秀でいらっしゃいますこと」  
キクコが慇懃無礼な口調で喋りながら、僕の顔を流し目で見る。  
 
「もう呼び捨てにできないわよねぇ……。  
――オーキドハカセ……と、お呼びしたほうがよろしいのかしら〜?」  
意地の悪いニヤニヤ笑いを浮かべながら、こちらの顔を覗きこんでくるキクコ。  
それに耐えられなくなった僕は学生帽を深く被り直し、クルリと背を向けた。  
 
「僕はもう帰るぞ。これから忙しくなるんだ。  
ポケモンたちの膨大なデータを1つにまとめたポケモン図鑑。  
それを人生の終わりまでに開発してみせる……」  
僕は決意も新たに家路への道を歩き出す。しかし――  
 
「あたしは認めない!」  
キクコの怒りを孕んだ大声が僕の歩みをとめた。  
 
「なにがポケモン図鑑よ! バカバカしい! ポケモンなんてのはね、戦いの道具なの!  
あたしたちの手足となって動く都合のいい道具! それ以上でも、それ以下でもないわ!」  
先ほどとは打って変わり、真剣さを宿したその声色。  
それが僕の心に響いたのか、少しばかりまじめに答えようという気持ちになってきた。  
 
「キクコ……。たしかに僕たち人間はポケモンを自分たちの都合のいいように使っている。  
とくにポケモンバトルなどは代理戦争と呼べるものだ。  
だから、おまえのような考え方の持ち主を否定したりはしない。  
だけど忘れないでくれ。ポケモンたちに対する感謝の気持ちと愛情を……」  
肩越しにキクコの姿を視界に捉えながら、言葉に気持ちを込めて告げる。  
 
「フン……。反吐が出るわね。――感謝の気持ちなんてのは、ただの自己満足。  
愛情は言葉で飾り立てただけの独占欲に過ぎないわ。  
だいたいポケモンの生態を調べるには、そうとうな体力が必要なのよ?  
今は良くても、いずれ体がついていかなくなるわ」  
「そのときは僕の子孫が受け継いでくれるさ」  
僕の返答にキクコは呆れたように手を広げ、首を横に振る。  
 
「なにが子孫よ。子供の作り方も知らないクセに。  
どうせペリッパーが運んできてくれるとか思ってるんでしょ?」  
「そんなワケないだろ!」  
あざけるようなキクコの言葉に、僕は思わず声を荒げる。  
 
「――ま、いいわ。いずれ痛い目を見るのはあんたなんだし」  
そう言ってキクコはクルリときびすを返す。そのままおもむろに歩き出した。  
――なぜだろう――。キクコの背中がどことなく寂しげに感じられる。  
 
「キクコ……」  
キクコに向かって歩みを進めようと、片手を突き出し、前に1歩踏み出したその刹那――  
 
「のわぁぁっ!?」  
僕は状況も把握できないうちに地面へと吸い込まれていった。  
続けざま、体を駆け巡る強い衝撃。  
 
「――いってぇ……」  
「ばーか! 油断するなって言ったでしょ!」  
さすが、村1番のおてんば娘――。僕は土にまみれながら、強打した腰をさすり、  
遠ざかっていくキクコの笑い声に、やるせなさを感じていた。  
 
◆  
 
4ヶ月後 タマムシ大学男子寮  
 
「そういやぁ、オメーはキクコちゃんとはドコまでいったんだよ?」  
「ぶほぁっ!」  
ナナカマド先輩の意表を突いた質問に、僕は飲んでいた緑茶を豪快に噴き出す。  
蒸し暑い真夏の四畳半。そこはこの世の地獄だった。  
無造作に散らばった、異臭を放つ洗濯物の数々。たまりにたまったゴミ袋。  
台所には水に浸したまま放置してある大量の食器。  
半分は僕のせいだが、もう半分はナナカマド先輩のせいである。  
 
「なぁ、教えてくれよオーキド。それとも本当にただの幼なじみなのか?  
それなら、おれがもらっちまうぜ? 好みなんだよなぁ、あのコ……」  
扇風機のそよ風を体に感じながら研究資料に目を通す僕に向かって、  
ナナカマド先輩がしきりに話しかけてくる。  
1ヵ月ほど前から、ヒマがあるたびに僕の部屋を訪ねてくるようになったナナカマド先輩。  
別に誰かが訪ねてくることが嫌なワケじゃない。  
上との繋がりは社会人になってからも役に立つだろうし。  
問題はナナカマド先輩の態度だ。ガタイのいい体育会系みたいなこの先輩は、  
僕の部屋におかしな食べ物や飲み物を持ち込んでは、後片付けもせずに帰って行く。  
おかげで僕の部屋は2倍の速度で汚れてゆく有り様だ。  
 
「あーあ……。どうしてくれるんすか。僕のお茶」  
「ガハハハハ! 細かいこと気にすんなって!  
これやるから元気出せよ。欧米人が飲んでるコーラってヤツだ」  
「いらないっすよ。そんな醤油みたいなモン」  
僕は黒い液体で満たされた開封済みのビンを片手で突き返す。  
先輩に構っていたら研究がはかどらない。  
 
「まぁ、飲みたくねぇなら別にいいけどよ。  
――そんなことよりキクコちゃんだよ。また、この寮に来たりしねーのか?」  
以前、僕が自宅に忘れ物をしたとき、  
ウチの母さんに頼まれたらしく、キクコがこの寮まで届けにきてくれた。  
そのときにナナカマド先輩は、キクコをひと目で気に入ってしまったらしい。  
それは他の寮生も同じだったようで、みな一様にキクコの姿を見つめながらほうけていた。  
キクコは性格が悪いけど容姿だけは優れてるからなぁ……。  
 
「本当に先輩は変わってるっすねぇ。あんなヤツのどこがいいんすか?」  
「なに言ってんだオメーは!  
忘れ物をしたとき、ワザワザ届けにきてくれる女に魅力を感じないワケねーだろうが!」  
ナナカマド先輩がコーラのビンを、ドンッとちゃぶだいに叩きつける。  
 
「や、やめてくださいよ! 研究資料にかかるじゃないすか!」  
「研究資料よりキクコちゃんだろ!」  
キクコより研究資料だよ。  
 
「あんな可愛いコにメシを作ってもらいてぇよなぁ……」  
恍惚の表情で天井を見上げるナナカマド先輩。  
どうやら別の世界で妄想を繰り広げているようだ。――これで少しは大人しく――  
 
「――まてよ……。――オーキド! メシでいいこと思いついた!」  
……大人しく……ならないな……。  
 
◆  
 
ナナカマドの妄想  
 
「フンフンフン、いえるかな〜? き・み・は・いえるかな〜?」  
休日の昼前。台所では割烹着に身を包んだキクコちゃんが、  
鼻歌を歌いながら料理にいそしんでいた。  
キクコちゃんの奏でる包丁とまな板の小気味よい音が耳に響いてくる。  
鍋の中でグツグツと煮立つ食材たちの香しさも堪らない。  
きっと今まで生きてきた中で最高の料理を味わえることだろう。  
しかし、それ以上におれの欲望を刺激するものがあった。  
 
「ポケモンのなまえ〜」  
背中で結ばれた割烹着の紐。そのまま視線を下に落としてゆくと、  
ピッタリと張り付いたスパッツのおかげでクッキリと形の浮き出た、  
見事なヒップラインが視界に飛び込んできた。  
おまけに包丁を持った右手が動くたび、  
こちらを誘うかのように柔らかな曲線の腰が揺れる。  
そのため、キクコちゃんの後姿を見ているだけで、  
沸き立つ劣情を抑えられなくなってしまうのだ。  
もっとも、抑えるつもりなどハナから無いが――。  
おれはゴクリと唾を飲み込み、音をたてぬよう、ゆっくりと畳の上から立ち上がった。  
 
 

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