「う〜〜む。…検査結果は全部異状なし、か」  
いつものポケモンセンターとは違う、人間用の治療施設。  
病院のベッドの上で横たわるマスターは、いまだに目を覚まさず熱にうなされている。  
マスターが倒れた朝にボールから出ていたヒコザルとリオルの前で、  
白衣を着たドクターがその顔を険しくしかめていた。  
「発熱の原因も、意識障害の原因も不明だ」  
どうやら、この人間がいろいろしていた検査では、マスターの病気の原因は分からなかったようだ。  
(そんなぁ…)  
落胆するヒコザルの前で、ドクターはおもむろに長白衣の下に手を差し込むと、  
驚いたことにモンスターボールを取り出した。  
「少々非科学的だが。これは…こいつの出番かもしれないな」  
 
いつも見慣れた、モンスターボールからポケモンが出てくる光景。  
しかし、白を基調に統一された病室の中、白衣を着た人間の手でそれが行われると  
とてつもない違和感を感じるものだとヒコザルは思った。  
白光が収まり、徐々にその姿があらわになる。  
幾何学的にも見える模様の入った羽を折りたたみ、どこか遠くを見ているような瞳で佇んでいるそのポケモンは…  
ネイティオだ。  
つ――と首だけ動かしてドクターの方を向き、無言のまま今度はマスターの方へと向き直る。  
「ネイティオ、どうやらこの患者、お前の領域みたいなんだ。スキャンしてみてくれるか?」  
(一体何をするつもりなんだろう…)  
心配そうにリオルの方を見ると、リオルもヒコザルと同じように緊張した面持ちでじっと状況を見つめていた。  
 
「了解した」  
ふわ…  
羽ばたくというよりは、宙に浮かぶようにしてネイティオは飛び上がると、  
音もなくマスターの枕元へと降り立つ。  
そしてそのままじぃっと体を凝視し始めた。  
「……」  
一点を見つめ、ネイティオの体は固まってしまったかのように身じろぎひとつしない。  
じれったい時が過ぎていく。  
しん…とした部屋の中、壁にかかった時計の秒針の音がやけにうるさく耳に響いた。  
たっぷり3分はそうしていただろうか、  
突然ネイティオがその口を開き、語り始める。  
「この男…。心が2つある。不完全に分離したその心が…お前と、お前にそれぞれ結びつき裂けそうになっている」  
そのクチバシが、ヒコザルとリオルを順に指し示していった。  
(おいらたちの…せい…?)  
その事実は、想像以上の強さでヒコザルの胸を打ちつけた。  
 
「ふむぅ。心が2つ…か。解離性障害というやつかもしれないな。心が結びついているというのはよく分からないが」  
「いろいろな不確定要素が介入しているようだ。ワタシにも心の結びつきの理由は不明だ。  
しかし、心が裂けそうになっていることがこの男が苦しんでいる原因とみてまず間違いないだろう」  
予想だにしていなかった結果に、ドクターも困惑気味にネイティオと会話を続けている。  
情報が決定的に足りずに首をかしげているドクターとネイティオ。  
難しいことは分からないけれど、自分のせいでマスターが病気になってしまった事実に衝撃を受けるヒコザル。  
ただリオルだけが冷静に今のマスターの状態を把握できていた。  
「そっか…。聞いたことがある。幼いころに心にとてつもなく強い衝撃を受けたり、苦しみを与えられたことで、  
その心を守ろうとして人格が割れてしまうことがあるって」  
「その通りだ。ひどくなると多重人格と言われる状態になってしまったりする。  
ネイティオが言うには、この患者はそこまでは至っていないようだ。  
だが、人間だれしも少々の二面性は持ち合わせているものだ。  
それがあるからと言ってこんな…意識不明の状態にまでなるとは考えにくいのだがね」  
生徒に意外に優秀な質問をぶつけられた教師のように、  
半ば得意げに、半ばむきになったような口調でドクターが解説する。  
「心が…2つにかいり…?」  
その頃になってやっと、ヒコザルの心に事実が染み込みはじめていた。  
言われてみれば、思い当たることだらけだった。  
昼と夜のマスターの二面性、リオルの言う突然の波紋の色の変化…。  
そういうことだったんだ。  
 
心の結びつき、つまり“波紋の契り”に関してリオルがドクターとネイティオにかいつまんで説明をしていた。  
「――というわけで、ボクたち2体とマスターは心がつながった状態になっているわけです」  
「ふぅむ…不思議なこともあるもんだね」  
ポケモンのことは専門外と言いたげに、突然言葉少なになってしまうドクター。  
そっちに関しては、ネイティオの方が分かるようだった。  
「“波紋の契り”…か。確かに人間と精神的に結びつきを行うことができる種族がいるということは聞いたことがある。  
しかし、それは精神にかなり負担をかけるはずだ。同時に2体とそんなことができるのか?  
いや、そうか、心が2つ…。そういうことか――」  
そうだ。マスターも言っていた。  
『元々2体と同時に契りを結ぶなど不可能なはず』と。  
マスターはその原因をヒコザルとリオルとの間にすでに深い関係があったせいだと考えていたようだったが、  
そうではなかったのだ。  
マスターに、“波紋の契り”を行った人間の側に、不完全ではあるものの2つの心が存在したがゆえに、  
2体と同時に精神を結びつけるなんて離れ業ができてしまったんだ。  
しかし、その心の分離が不完全であったがために、  
今度は逆に、2体と別々に結びついた心が引き裂かれそうになって苦しんでいる。  
 
「このままだと…どうなっちゃうの?治す方法は、あるんだよね?」  
ドクターとネイティオ、眠ったままのマスター、そしてリオルを交互に見つめながら  
誰に問うとでもなしにヒコザルが呟く。  
その隣で冷静に事態を捉えていたリオルが、淡々と解答を導き出した。  
「普通に考えて…“波紋の契り”を解消すればいいってことだよね」  
ああ、そうだ。  
言われてみれば簡単なことだ。  
心が2体と繋がっていることで裂けかけているのならば、どちらかがつながりを解消すればいい。  
こんな時冷静なリオルがいてくれて助かる。  
解消方法なら、ヒコザルにはないけれどリオルにはある。  
他の“波紋の契り”を行っているトレーナーとの“波紋の契り”。  
普通であれば困難なその条件も、今回はあてがある。  
自分のトレーナーと“波紋の契り”をしているリオルの妹。  
あの女トレーナーに事情を話せば、協力も得られるだろう。  
育てやのあるあの町に戻って、探せば…  
急いでその事実をネイティオとドクターに説明する。  
しかし、帰ってきたのは冷酷な宣告だった。  
 
「無理だ。それでは、間に合わない」  
希望を見つけて喜ぶヒコザルの心に冷水を浴びせるように、ネイティオの声が病室に響く。  
「間に…合わないって?」  
「そうだ。ワタシには対象物の過去と、未来を見通す力がある。  
この人間の未来――数日後の未来が――見えない」  
(見え、ない?それって、どういうこと?)  
「そうか…。精神は身体に強い影響を及ぼしている。  
精神が原因とはいえ、この高熱と意識障害が持続すれば、数日のうちに脳に高度な障害が――」  
「そんな!そんなこと、あるわけない!」  
昨日まであんなに元気にしてたのに、突然こんなのって…。  
「ねえ、マスター。そんなこと、ないよね。  
おいら達のせいで死んじゃったり…しないよね」  
たまらなくなったヒコザルは、ついにマスターのベッドの上へと飛び乗り、  
その頬をそっと撫でてみるが、全く反応はない。  
いつもならすぐにでもその手でヒコザルの尻を撫でてきたというのに…。  
「方法が、無いわけではない」  
「ほんとっ?」  
悲しみが病室を包む中、おもむろにネイティオの口から出たその『方法』は驚くべきものだった。  
 
「この人間が心を割いてしまうことになった、原因が過去にあるはずだ。  
それを修正することで…心が修復される可能性がある」  
「過去を…修正?」  
現実味のない言葉だ。  
文字通り過ぎ去ってしまった過去を、変えることなど出来るはずもない。  
そう、伝説のポケモンと言われているセレビィでもなければ…。  
後ろでリオルも怪訝そうにしているのが分かる。  
しかしネイティオはかまわず、淡々と説明を続けた。  
「誰も過去を変えるとは言っていない。過去の記憶そのものを塗り替えるのだ。  
先ほど言ったように、ワタシには対象物の過去と未来を見通すことができる力がある。  
そして、このドクターの持つもう1体のポケモン、スリーパーと協力すれば、  
対象物の過去を夢として蘇らせ、そこに異物を送り込むことで修正することが可能なのだ」  
「それは修正っていうより、記憶の改ざんだね」  
「そうとも言う」  
瞬時にネイティオの言う方法を理解したリオルが、今度はヒコザルにも分かるように説明を始めた。  
「つまりねヒコザル。マスターの心が割れてしまうようなことがあったのは事実だし、  
過去に起こったその事実は変えようがないんだ。  
でもね、マスターの記憶の中でだけなら、その事実をなかったことにできる。  
そうしたら、割れてしまった心も少しよくなるかもしれないってことだよ」  
そうか。解説されてみれば、簡単なことだ。  
マスターが助かる手段がある。  
それだけでヒコザルは沈んでいた心が再び浮き上がってくるのを感じた。  
 
「で、誰を送り込むの?」  
「それは…もちろん、お前か、お前だ。この人間と心が結びついているものの方がいいだろう。  
1体しか送り込めないから、どちらか決めてくれ」  
再びクチバシで指されるヒコザルとリオル。  
先に結論を出したのは、リオルだった。  
「ボクは、行かないよ」  
あっさりと、まるで切り捨てるように言い放つ。  
「えっ!?リオル…」  
マスターを助けたい。  
その気持ちはリオルも一緒だと思っていたのに。  
リオルの口から出たのは、ヒコザルには思いもよらない言葉だった。  
 
「その過去に入り込む方法。簡単なものじゃないんでしょ?それだけためらうほどだ。  
もしかして、過去から戻ってこれなくなっちゃうことがあったりとか、  
余計に悪くなる可能性だってあるんでしょ?」  
「……」  
無言のまま、ネイティオはリオルの言葉を肯定していた。  
 
「ボクはね、このニンゲンのことが…大嫌いだ。無理矢理ゲットされて、騙されて契りを結ばされて…!  
確かに今では“波紋の契り”を結んだ主人ではあるけど、なんで、なんで、命の危険を冒してまで、  
こんなニンゲン助けなくちゃならないんだ!」  
「そんな…」  
「ねえ、ヒコザル。ヒコザルだってそうでしょ?このニンゲンにされたこと、思い出してみなよ。  
どうやってゲットされた?本当に…好きだと思ってる?」  
リオルの言葉が胸に突き刺さった。  
その心情も痛いほどに理解できる。  
(マスターのこと好きだと思ってるかって…それが分かんないから、苦しいんじゃないか…)  
押し黙ってしまったヒコザルに、なおもリオルは言い募った。  
「ねえ、ヒコザル…。こんなこと言いたくないけどさ、  
このニンゲンに心が割れるような出来事があったのは可哀想だと思う。  
でもね、無理やりボクらと“波紋の契り”をして、病気の原因を作ったのは全部このニンゲンなんだよ?  
自業自得じゃないか!  
そんなニンゲンを無理して、危険を冒して助けなくても…いいじゃない。  
それに…。このニンゲンがいなくなれば…ボクも、ヒコザルも自由なんだよ?  
ボクと一緒に、生きていこうよ…一緒に暮らそうよ…」  
ベットの上に登ってきて、ぽんっとヒコザルの肩に手を置いて語り続けるリオル。  
その温もりを感じながら、ヒコザルの頬をつぅっ…と温かい雫が流れた。  
 
「ダメだよ。リオル。おいら、マスターを助けに行く」  
ゆるゆると首を横に振るヒコザル。  
無理矢理捕えられてやりたい放題にされたとはいえ、契りを結んだ自分のマスターを見捨てようとするリオルへの失望。  
マスターを捨ててでも自分と一緒になりたいという、その一途な愛情への喜び。  
そして、それ程までに相手を好きになれることへの羨望。  
いろんな感情が渦巻き、涙が止まらなかった。  
「なんでだよ…。だって、ダメかもしれないじゃん!  
帰ってこれなかったらどうするんだよ!ヒコザルがいなくなったら…ボク…」  
リオルの瞳にも涙が浮かんでいた。  
「おいら、難しいことはよく分かんないし、マスターのこと好きかなんてもっと分かんない。  
ひどいことされながら、『ヘンタイ、死んじゃえ!』って思ったことだって、何度もあるよ。  
でも、マスターは…やっぱりおいらのマスターなんだ。  
助ける方法がちょっとでもあるのに。見捨てるなんて、おいらにはできないよ…」  
ヒコザルの迷いも、苦しみも、波紋を使えるリオルにはその手を通じて伝わっているはずだ。  
「わかったよ…。ボク、ここでヒコザルが帰ってくるのを…待ってる」  
覚悟を決めたヒコザルの濡れた頬をすっとその手で拭って、リオルは退いた。  
 
 
落ち着いた…というか、事務的にすら感じられる口調でネイティオが記憶の修正の説明をしてくれる。  
「――というわけで、ワタシがこの人間の心の分裂の原因になっていると思われる記憶を探し当てる。  
そこで、お前に中に入り込んでもらうわけだ。  
お前はそこで自由に動いて構わない。  
お前が動いたことで記憶に変化が生じ――その結果だけが残ることになる。お前の記憶は残らない」  
「結果だけ?」  
「そうだ。例えばこの人間の記憶で、事故に遭う記憶があったとする。  
そこでお前がこの人間を事故から助けることに成功した時、  
この人間の修正された記憶に残るのは、『事故にあったが奇跡的に助かった』という結果だけで、  
お前に助けられたという経過は残らない。  
現在出会うはずのお前に過去に会っていると、それがまた心を混乱させる原因になってしまうからな」  
「ふーん」  
「そして、万が一だが、この人間の記憶の中の出来事とはいえ、  
お前が無理をして命の危険を招くようなことになると…ワタシには救いようがない」  
「え?救いようがないって…」  
「この人間の記憶の中で、お前がいくら重症をおったとしても、  
自力でその記憶から脱出してこなければ助けられないし、死ぬ場合もある」  
「……。死ぬって…」  
さっきリオルが警告してくれてたおかげで少しは覚悟してたけど、やはりその言葉はショックだった。  
(でも…、おいらがやらないと!マスターの命が危ないんだ)  
「おいら、やるよ。マスターを助ける!」  
ネイティオの瞳を見つめ返して決意を伝えると、  
ずっと無表情なままだったその瞳に、少しだけ優しい光が浮かんだように見えた。  
 
ドクターが新たにスリーパーをモンスターボールから出す。  
事情を説明すると、慣れているのか2体はすぐに協力体制を整えた。  
「準備はいいな」  
「うん」  
「ドクター、いいですね?」  
「ああ」  
ヒコザルがネイティオに、ドクターがスリーパーに向かって頷く。  
「では、いくぞ…」  
同時にそう言って妖しい輝きを放ち始めたネイティオと、スリーパーの瞳にのまれ、  
ゆっくりとヒコザルの精神はマスターの記憶の奥底へと導かれていった…。  
 
覚醒状態から急に眠りに落とされる意識。  
ぐるぐると目の前が回り、瞬き、まるで全身の臓器が逆向きに動きだしてしまったかのような錯覚に陥る。  
次にふっと目を覚ました時ヒコザルが立っていたのは、見たこともないような世界だった。  
ヒコザルが立っている場所。その前から後ろに無数の流れ星がゆっくりと通り過ぎていく。  
体はゆるやかに宙に浮き、いったいどこが天井なのか分からない。  
(きれいな…星だなぁ)  
近くを流れる1つに意識を寄せると、その中にマスターの姿と、意識が込められているのがわかった。  
(この小さな星が全部、マスターの記憶なんだ)  
1つ1つの記憶が逆向きに再生され、後ろに向かって流れていく。  
マスターの記憶の中の世界は、意外なことにヒコザルにとって不快なものではなかった。  
記憶には常に、感情が伴う。  
何と言っても、あのマスターの心の中だ。  
ヒコザルは正直、かなりドロドロしたものを想像していたのに、その内部は驚くほどに澄んでいる。  
リオルがマスターの心の色を『綺麗に澄んだ紫色』と表現していたのをふと思い出した。  
そしてもう1つ意外なことに、最近の記憶の中には、ヒコザルとのやりとりがかなり色濃く刻まれている。  
すぐ近くにあるキラキラと煌くフレームに縁取られた記憶の断片の片隅にも、無邪気にはしゃぐヒコザルが映っていた。  
 
「これ、いつのだろう…?」  
少し興味を惹かれ、そっと顔を近づけて覗いてみると、  
マスターの視線に映っているのだろうそのヒコザルは、嬉しそうにこっちに走ってきて…  
ひしっとマスターに抱きついた後、突然どこを触られたのか、「くぅんっ!」と悩ましげな声をあげた。  
「なんだ、こんなので感じるのか?エロいやつだな」  
バカにしたようなマスターの声。  
(見なきゃよかった…)  
げんなりしてその記憶から離れようとしたヒコザルだったが、  
その時にマスターが抱いていた感情がふっと聞こえてきて、ヒコザルの動きを止めた。  
(え?これって…)  
『ヒコザル、お前は可愛いな。大好きだぞ』  
普段は決して聞くことのないマスターの心の声が、はっきりと聞こえた。  
それは紛うことない、純粋な好意の言葉。  
大好きだぞ……大好きだぞ……  
心の中で何度もこだまするその声。  
(そんな、そんな…)  
「今になっていきなりそんなこと言われても!知らないよ!いっつもそんなこと言ってくれなかったじゃん!  
いっつも…無理矢理エッチなことばっかりしてきたじゃないか!」  
混乱の余り、思わず叫んでいた。  
それほどまでに、衝撃だった。  
 
マスターが自分に好意を抱いている。  
ヒコザルは、そのことを少しは理解していた。  
そうでなければ、自分にあんなに優しくバトルを教えてくれたり、ごはんを作ってくれたりするはずもないだろうと思っていた。  
しかしその一方で、「マスターはおいらのこと嫌いなんじゃないのか」とも思っていた。  
一度も表立って好意を口にすることはないその態度。  
そして何より、ヒコザルの嫌がることをあえて強いながら、性的行為を強要され続けるのだから…。  
マスターにゲットされて以来数ヶ月もの間、その2つの心のはざまで  
ずっと、ずっと悩み続けていたのに。  
こんなになって、記憶に潜り込んで初めて、「大好きだ」と告白されるなんて。  
(遅すぎるよ!突然すぎるよ!ウソ…ウソばっかり!)  
しかし、記憶の中の心の声が嘘をつくはずもない。  
リオルが自分に寄せる好意とたがわない程の強さの想いをヒコザルに伝えてくるその記憶。  
必死でそこから身を翻して逃れると、  
はぁっ、はぁっとヒコザルは荒い息をついた。  
過度の愛情があるゆえに、相手を傷つけることに倒錯した歓びを覚えることもある。  
そして、それによってしか満足を得られない人間もいる。  
そのことを理解するには、ヒコザルはまだ幼すぎた。  
 
ヒコザルの混乱をよそに、マスターの記憶を遡る旅は続いて行く。  
やがてヒコザルをゲットした時の記憶が通り過ぎ、  
ついに、ヒコザルが知らないマスターの過去へと侵入が始まった。  
ザングースとの出会い、ピチューとの出会い…  
そして更に遡っていくと、次第に記憶が薄れていくのか、  
無数の流れ星のようだった記憶の断片はぐっとその数を減じ、  
強く心に残っている出来事だけ、ぽつぽつと残るようになっていった。  
その画面に浮かぶマスターの顔も次第に幼さを帯びていく。  
すると、これまでの数々の記憶の中でも一際光り輝く断片が到来した。  
歓声の中、屈強なポケモン達に囲まれ、トロフィーを掲げる姿。  
見たこともないような、巨大なポケモンばかりだ。  
これは…なんだろう?  
小さなオスポケモンばっかり連れている今のマスターからは、想像もできないような姿だ。  
 
歓喜の記憶。  
しかし、明るい記憶はそれが最後だった。  
そこを過ぎると、次第に流れくるその記憶が薄暗く、陰ったものになる。  
流れ出るマスターの感情も重苦しいものとなり、息苦しさすら感じられる。  
と、突然ぼんやりとネイティオの声があたりに響いた。  
「もうすぐだ。この人間の心に強く影を落とす出来事の記憶が現れる。そこに…お前を導くぞ」  
その声が終わるのと同時に、マスターの心の奥底から、  
今までとはまるで違う様子で、ぼうっと浮かび上がってくるようにして、記憶の断片が出現した。  
(なんだか…イヤな感じだ)  
夜の闇をありったけかき集めて纏ってるかのような、その欠片。  
その表面には、サムネイルのように少年時代のマスターの幼い顔が浮かんでいる。  
整った顔立ちを恐怖に歪ませて…。  
(マスター、今助けに行くからね)  
ヒコザルは心を奮い立たせ、その中へと侵入していった。  
 
 
続く  
 
 
 

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