――わたしの中に闇が眠っているのを感じるのだ。
特に、こんな新月の夜は。
「やっぱりここにいたんだね」
大分前からその気配には気づいていたが、
わたしは敢えて無視する形でぼんやりと海を眺めていた。
「おなか、すいたでしょう?」
山ほどのグミを抱えて隣に座ったのはピカチュウ。
わたしが今、何の因果か所属している探検隊のリーダーだ。
「食べなよ」
「…そんなには要らん」
「うん。いただきます」
特に気にした様子もなく、
ピカチュウはガツガツとグミを食べ始めた。
よく食う奴だ。
わたしはピカチュウがグミの山を食べ尽くしてしまう前に
好みの味のグミだけをより分け、つまんだ。
「ダークライ、いただきますは?」
「…いただきます」
今頃は、向こうの岩場で
探検隊のメンバーが揃って
こうしてガツガツとグミを食っているのだろう。
皆に慕われているらしいピカチュウが
何故わざわざわたしの隣へやって来てグミを食うのか、
わたしには理解できない。
わたしには何も分からない。
わたしは何者なのか、
何故わたしはここにいるのか、
何故探検隊なんてものに所属しているのか。
ふと気がついた時には
もうわたしはこの探検隊の一員ということになっていて、
隣にいるピカチュウが
あれやこれやとわたしの世話を焼いていたのだ。
わたしに分かるのは、
ただわたしの内にあるこの深い闇だけ。
…いや、もう一つあるか。
わたしに向けられるポケモンたちの冷ややかな視線だ。
わたしには良くは分からないが、
きっとわたしは忌むべき存在なのだろう。
ピカチュウは、とりあえず食っている間は静かだ。
鮮やかな毛並みは新月の闇の中でも眩しい。
そのぼんやりと発光する身体を見ながら
わたしは妙な感覚に囚われる。
「…どうしたの?」
グミを食いつくしたピカチュウがわたしを見た。
わたしはわたしも気が付かぬうちに
闇の手をぞわりとその身体に延ばしていた。
ピリッと痺れるような感じがした。
それはピカチュウが発した微かな電流なのか
それともわたしの内から湧き出た何かなのか、
わたしには分からなかった。
…わたしには、何一つ、分からなかった。
わたしはピカチュウをどうしたいのか分からないまま
ただ闇の手を色濃く伸ばした。
ピカチュウはわたしをただじっと見つめていた。
その瞬間、
わたしはピカチュウをただ抱きしめたくも
そのまま絞め殺したいようにも思って
実体のない手を深く身体へ沈めた。
「くうっ…!」
ピカチュウの苦痛の呻きは
わたしに歓喜と不安を与えた。
闇そのものであるわたしの手は
ピカチュウの身体の全てに満ちて、
その鼓動も血潮も何もかもを掴んでいた。
文字通りピカチュウの命を握ってわたしは揺れた。
ピカチュウを殺してしまいたい、
わたしのどこかが確かにそう言っている。
だが、殺したくない、
そう言っているわたしも確かに、どこかにいる。
ピカチュウを殺して、わたしはどうしようというのか。
またあてもなくただダンジョンを彷徨うだけだろう。
もうピカチュウが隣でグミを食うことも、なくなる――。
「う…、ああっ…」
不意にピカチュウが苦痛とは少し違う声を上げたので
わたしは驚いた。
ピカチュウはとろりとした、
どこか陶然とした様子でわたしを見ていた。
わたしはようやく理解した。
わたしの戸惑いが実際の揺らぎとなって
ピカチュウの身体に沈む手に伝わっているのだろう。
その振動が身体の深い部分、
いわばメスそのものを揺らがせているのだ。
「はあっ…あぅ…ああっ」
わたしが意図的に闇を揺らがせれば、
ピカチュウはその揺らぎに従順に鳴いた。
わたしはわたしの内でざわめく、
相反する思いが折り合う地点をようやく見つけたような心地で
ただひたすらにその行為に没頭した。
わたしの手はピカチュウの内側をぞろりと舐める。
早くなる鼓動と苦しげに震える肺を感じながら
襞と襞の隙間を埋めつくすように闇、
つまりわたしで満たす。
少し指先を泳がせるように動かせば
襞はわたしを捕らえようとしているのか
あるいはもっと強い刺激を欲しているのか、
狭まり、より奥深くへとわたしを導くように蠢いた。
溢れ粘つく体液は滴り落ちて砂浜を濡らしている。
この深い闇の中、
より色濃く沈むその卑猥な跡を照らしているのは
皮肉にもピカチュウ自身が発している
薄らぼんやりとした光だった。
「うあああっ!」
凝り固まった闇で内側をごりごりと擦る。
ある一点を強く圧迫した途端
ピカチュウは悲鳴に似た声を上げ
パリパリと細かな電流を身体に纏わせた。
わたしが与える刺激に合わせ
強い緊張と弛緩を繰り返すピカチュウは
何ともいえない表情をしている。
「あっ、ああっ、ダークライっ…」
わたしを呼び、わたしを見て、
わたしの動きに従って鳴くピカチュウ。
ピカチュウのこんな様は他の誰も、
探検隊のメンバーも知らない。
わたしは暗い指先で、
ピカチュウがこの行為をまだ誰にも許していない証に触れている。
優越感、征服感、
そういったものでわたしは満たされながら
初めての悦楽をくれてやろうと闇をうねらせた。
――けれど。
この一時はピカチュウの全てが
わたしのものであったとしても、
いつか他の誰かに全てを捧げるのだろう。
「えっ、あっ、やっ…!」
わたしはずるりと腕を引き抜いた。
頂点に達する寸前で放り出されたピカチュウは
苦しげにもがく。
わたしは衝動的に闇の裾を広げて
呑み込むようにピカチュウを包んだ。
いつか同族のオスにそうされるだろう振る舞い、
手でその光る身体を押さえつけ
絡めとるように足を開かせて
疑似的に作り上げた生殖器で小さな裂け目をぶち抜いた。
「あああああっ!!」
苦痛のような歓喜のような叫びとともに
電流がビリビリとわたしの身体を焼いた。
痙攣と放電を断続的に繰り返すピカチュウに構わず
わたしは壊れてしまえとばかりに抜き差しを繰り返す。
わたしはわたしが生み出す悪夢を見ていた。
ここはいつか誰かを迎え入れる場所、
誰かの子種を注がれる場所。
それら全てをわたしは必死で埋めつくす。
それでも、
わたしはピカチュウを孕ませることは叶わない。
その奥までわたしで満たしているというのに、
性交を知らない証の膜でさえ
わたしは傷つけることは出来ない。
わたしがピカチュウに刻み込めるのは
ただ感覚と記憶のみだ。
…曖昧なものばかりだった。
「ダークライ、ダークライっ、ダークライ…っ!」
喘ぐようにわたしを呼び、腰を揺らしながら
快楽の波に乗り、きらきら、時折無意識に放電する。
わたしが確かに残ると思えたものは、
それがわたしに与える痛みだけだ。
「ね、ダークライ…、」
悦楽の突起をわたしに押さえられ、
半ば苦しみながらピカチュウはわたしを見た。
「いっしょに、いる、から」
わたしはピカチュウが突如何を言い出したのか
理解できなかった。
だが身体が再び快楽の頂点を迎えつつあることは
把握できたので、
中と外をより強く荒く、抉るように圧迫した。
「ダークライっ…」
ピカチュウはわたしを見て、
わたしへ向けて手を伸ばした。
ピカチュウの手は小さく、
闇に沈むわたしの身体は曖昧だったが
その仕草はわたしに抱擁という言葉を連想させた。
わたしはどうしていいか分からない。
何となく闇を広げたり深めたりしてみたが、
わたしが何をどうしようとも
それは取り巻くとか取り憑くとか呑み込むとか
そういった感じにしかならなかった。
だがピカチュウは幸福そうに微笑んでいた。
そんなピカチュウを見て、
わたしの内でまた少し違う感情が生まれ、ざわめいた。
わたしはわたしの全てでピカチュウを包んだ。
どこまでもが闇であるわたしの中で
ただピカチュウだけが輝いていた。
わたしはピカチュウの中を滅茶苦茶にかき混ぜながら
ぞわぞわとわたしに沸き立つ何かを感じた。
そしてそれを解き放とうとしているかのように
鮮やかな雷がわたしを焦がしていた。
「あ、もう、…あぁっ、ダークライ!」
ヒクヒク身体を震わせて、
譫言のようにピカチュウが言った。
わたしは身体の波長に合わせてより闇を濃く厚くする。
「ダークライっ、…ダークライ、っ!!」
わたしを繰り返し呼びながら
ピカチュウは頂点よりさらに上へと上り詰めた。
果てたピカチュウからわたしをずるりと剥がしても、
濃い体液もうっすらとした汗も
何もまとわりついては来なかった。
わたしは相変わらずただひとつきりで、
誰かにタマゴを産ませることも
近しい存在と出会うこともない。
まだ少し痺れる痛みだけを抱えて
わたしはそろりと闇に溶けようとした。
「だめだよ」
気を失ったと思っていたピカチュウが顔を上げる。
ぐったりとしたその姿にわたしは既視感を覚えたが
今はそれはどうでも良かった。
「一緒に、いよう」
「…わたしの側に居ると、悪夢を見るぞ」
「いいよ」
特に気負った様子も無く、ピカチュウはそう言った。
「いいよ、それでも。一緒にいよう」
わたしは結局闇に溶けることはせず、
ただそこに漠然と漂っていた。
「黙っていなくなったりしないでね」
瞼をこすりながらピカチュウはそう言った。
わたしは特に返事をしなかった。
だが、ぼんやりと、
わたしはもうここを離れることは出来ないだろうと――
わたしは、ここを離れがたく思っているのだということに
気が付きつつあった。
かつてのわたしは何を欲していたのか、
未だに思い出すことは出来ない。
しかし今のわたしは何を欲しているのかを
わたしは知ることが出来た。
だから、きっと、多分、
無理に思い出さなくとも良いのだろう。
『一緒にいよう』
そう言われた。
わたしもそうしたい。
多分それで、良いのだろう。