モモンの実をガブリと噛むと、ジュワァって甘いジュースが口の中に広がった。
果肉を奥歯で噛みこんで、ゴクリと喉を鳴らしてそれを飲み込んだ。
ふと空を見上げると、真っ白な家々に囲まれた青い空。
そして視線を下に戻すと、真っ青な海が目前に広がっていた。
ここはホウエン地方のルネって言う町らしい。
ボクのご主人様は今、ニンゲンの男性と一緒に旅をしている。
今までずぅっとボクはご主人様と、もう一匹のポケモンととしか旅をした事が無かったから
ちょっとだけの間だけど、友達が出来るのが凄く凄く嬉しかった。
…でも、ご主人様が彼らと旅をするには、ある1つの理由があったんだ。
……ボクはその理由が、凄く凄く不安だった……。
はぁ…と、ため息を吐いていたら、後ろからボクを呼ぶ声がした。
「あ、こんな所にいたんだ」
腕にまぁるい…たまごを抱きかかえながら、近づいてきたから
ボクはうん、と頷いて見せたら彼…ブーバーは隣に座った。
「そろそろ…孵化する気配が出てくるとおもうんだけどなぁ」
ブーバーはたまごを炎の手で優しく撫でながら、ボクに言った。
孵化…ねぇ…。
ボクはモモンの実をもう一度齧って、ポツリと呟いてみた。
するとボクの反応の不自然さにブーバーが気がついたらしく、「?」って首を捻った。
「…なぁんかさぁー。お前、たまごが生まれた日からヘンじゃね?」
ボクとブーバーの背後の上からそんな声が降りかかってきた。
思わず振り返ると、そこには大きな顎を頭から生やした─クチートが立っていた。
「…って言うかさ、そのたまごマジでお前のなん?」
「えっ?どう言う事!?」
ブーバーと挟む構図でボクの隣にクチートは座り、地面にボクが置いておいたマトマの実を手にとって
それを本物の方の口でバクリと食べながら今のように言うと
ブーバーは口から炎をポッと吹き出して驚いた。
「…ん、いやさぁ…育て屋の庭でアブソルと会った時、アイツとんでもねー事言っていたんだよ」
マトマの実を飲み込んで、指をチロチロと舐めながらクチートが言うと
ブーバーは実を乗り出して彼に顔を近づける。
「え……ど、どう言う事?」
「お前も分かるだろー、あのアブソルの性格。
自分をオスだと思い込んでいて、メスである事を頑なに否定していてさー。
そんなメスがオスとたまご作ると思う?」
「うぅ〜〜……ん……」
ブーバーは自分が抱くたまごを見つめ、軽く唸る。
「で、さー。オレ、アブソルに尋ねたんだよ。
このままたまごを作らないのなら、どーすんの?って。
…ったらさー、アイツ、他のペアからたまごを強奪してしまえばいいって言ったんだぜ!」
「えっ…えええぇええ!!?」
クチートの今のセリフに、ブーバーはたいそう驚いたらしく
思わず炎を細く噴出してしまい、それがクチートの顔に直撃したのをボクは見た。
そうしたら、クチートは「あっちぃ!!」って叫んでブーバーの頭を大顎で殴った。
「うわ!ご、ゴメン!ゴメンって!」
「だぁっからいつもオレに炎はかけるなって言ってんだろーがッ!!」
腕を組んで、フンッと荒っぽく息を吐くクチート。ブーバーは涙目になりながら頭を手で擦っていた。
「…で、でさぁ……まさか、コレってそれじゃないよね……?」
恐る恐る、ブーバーは両手でたまごを持ち直してボクの前にそっと持ち上げる。
……ボクは何も言えずにただ黙っていた。そうしたらクチートがキョロキョロと辺りを見回し
次にボクの胸をポフッと叩いてそっと耳打ちをした。
「…飼い主に戻される日にさ、お前話そうとしてくれたけどアブソルが邪魔したじゃん?
今、アブソルはチェリム達メス集団でチェリンボのお守りしてっから、
今のうちに話してくれよ。リングマよぉ」
クチートは幼い姿をしているけれど、これでも立派な一児のお父さんなんだ。
2日前、クチートとチェリムが一緒に作ったたまごから、可愛いチェリンボの女の子が孵化した。
その時のクチートの喜びようったら、もう可笑しくて可笑しくて。
…そして、クチートのご主人様の喜びようもまた凄くて……羨ましかった。
あの笑顔をしたご主人様を、ボクは見たい。…でも、不安だったんだ……。
たまごは、本当にボクとアブソルのたまごなのか、分からないから。
「ん?おい、ちょっと待て。『分からない』って何?
もし、これがマジで別のペアの物なら、そんな言い方はねーよなぁ?」
ポンポンとたまごを軽く叩きながらクチートが首を捻りつつボクに尋ねる。
さすがクチートだ。鋭いね。
……今なら言える。いや、今しか言えないや。
だから、あの時言えなかった出来事を、全部話そうとボクは決めた。
…うん……話すよ、全てを。
…アブソルが、ご主人様が始めてたまごから孵したポケモンだって言う事は前に言ったよね。
うん、初めてのたまごからの孵化だし、あの風貌だったからね…オスだって勘違いしちゃったんだ…。
ボクは必死にこの子はメスですって言ったんだけど…
まぁ、ポケモンの言葉はニンゲンに分からないもんね…もちろん、気がついてくれる事無く
アブソルは立派なオスとして育てられちゃって…
大きくなってから、ご主人様はようやく彼女がメスだって気が付いてね。
…あ、馬鹿なトレーナーって言わないでクチート!…い、いや…否定出来ないけど…。
……でね、ボクとアブソルの間でたまごを作って欲しいって考えて
ボクらはあの育て屋に一時預けられる事になったんだ……。
「じゃぁ、二匹を預かるよ」
「はいっ!よろしくお願いします!!」
キノガッサみたいな帽子をペコリとさげて、ご主人様は預け屋の主にそう言った。
ご主人様が小屋から出て行くと、「さて…」と育て屋の主は呟いて
ボクらが入ったモンスターボールを手にとって庭に出ると、それを開けてボクらを外に出した。
「そうら、遊んでおいで」
背を押され、ボクは一歩庭に足を踏み入れてそこに広がる光景を目の当たりにした。
さわさわと風が吹き、青々とした草木一杯が広がる、とても綺麗な庭─……
「何だ?ここは」
ボクの隣でアブソルがぶっきらぼうに呟いたから、ボクはここは育て屋だよって教えてあげたら
彼女は「育て屋って何だ?」と聞いてきたから、育て屋の仕事と預けられるポケモンの意を話したら
そりゃぁもう、すっごく顔を歪めてね…
「なっ…じゃ、じゃぁ俺がキサマとたまごを作れと飼い主は言うのか!」
ってもう吼える吼える吼える吼える吼える。うん…本当、この時怖かった……。
「俺はオスだぞ!オス同士でどうやってたまごを作れと言うんだ!じょ、冗談じゃない!」
いいや違う。アブソルはメスなんだよ。それは思い込みなんだよって言う前に
彼女は白い体毛をなびかせて身を翻し、ボクの前に立って
「…まぁ、飼い主の勘違いなら仕方ないな。迎えが来るまで俺はここのメスと遊んで来る」
ふぅ、とため息を吐いてさっさと庭の方へと駆け出して行っちゃったんだ。
……で、2週間くらいたってからかなー…。
クチート達と出会ってさ。…うん、あの時はクチートにガツンと言われちゃって
正直、ボク感謝しているよ。だって、そうじゃないと多分ボクはいつまでもあのままだったと思うから。
ボクらがご主人様に返される前日、一欠けらの勇気を持って、ボクはアブソルを追いかけた。
…もちろん、近づこうとすると頭の鎌を振り回してボクを拒絶するんだけど
もう後が無いボクは何とかして、彼女を誘おうと振舞った。
「本当しつこいぞ。いい加減にしろ」
で、でも。ど、どうせ明日にはご主人様の元に帰るんだから
そ、そうしたらもうここに来る事はないんだし……
……そ、そう!あの木にね。美味しい蜜があるんだよ。い、一緒に食べようよ?
甘い物は、嫌いじゃぁないでしょ?って誘ったんだ。
広い庭の一郭で、白い体毛を風に靡かせていたアブソルが
ボクの今の言葉に反応して、ジロリ、とボクの方へと向いた。
綺麗な赤い瞳が見えないくらいに鋭く睨ませる彼女の顔は怖かった…。
「…それは本当か?」
あ、いい反応。もちろん、蜜の話は本当だよ。
向こうのアレだよって爪で後方に生えた大きな木を指し示すと
彼女はテクテクと歩き出し、ボクの横を通り過ぎたところで振り返って
「…なら行くか」って言ったから、ボクは凄く嬉しく思ってねー…
うんっ!って頷いて彼女の隣に立って、その木を目指したんだ。…まぁ、一定の距離はとられたけどね…。
で、ね。
木にたどり着いて上を見上げると、木の幹の一部に蜜がペッタリと塗られていてね。
ボクは木に抱きつくようにしがみ付いて、手と足の爪を引っ掛けながら蜜の元へと登った。
手に蜜を絡みつけ、掬い取って指を舐めてみると喉が焼けるくらい甘い味がして
ボクは木に登ったままアブソルへと視線を向けて、今戻るから待っててね…って言ったら
なぁんか、彼女の様子がおかしかった。
眉をひそめて、身を屈めて二三歩、後ずさりしてね…。
その視線が、ボクじゃなくてボクの頭上に向けられていたのに気がついて
何かな?って上を見上げたんだよ。そしたらさぁ……。
真っ赤な宝石みたいな大きな瞳が4つ、ボクを見ていた。
木の枝と葉っぱに隠れていて、それが何なのか一瞬分からなかったよ。
……え、クチート、それってスピアーだろって?何で知ってるの?
…え、スピアーに追いかけられていたのを見たって?うわぁ、恥ずかしい……。
う、うん、その通り。蜜はスピアーのペアが集めたものだったらしくってね。
それを勝手に食べられちゃったから、もぅもぅ凄く怒っちゃってさぁ…うん、後はその通りだよ。
ボクとアブソルは怒り狂ったスピアーのペアに追い掛け回されるハメになっちゃったんだ。
逃げている間、アブソルからはそりゃぁもうガンガン罵られたよ…うぅぅ……。
そしてボクらは森の中へと逃げ込んで、そこでなんとかスピアーを撒く事に成功したんだ。
どこまで進んだか分からなかったけど、
スピアーの気配が消えたところでボクらは足を止め、ゼェゼェと息を整えた。
「キ、キサマなぁ〜……いい加減にしろッ!!」
アブソルは肩を大きく跳ね上げて、ボクに怒りをぶつけた。
怒るのは無理がないと思う。そこは本当、悪かったと反省したよ…。
ご、ごめん!って謝って、なんとか許してもらおうとしたけれど
彼女はプイッてそっぽを向いて長い鎌の尻尾を不機嫌そうに揺らしていた。
だから、どうすれば彼女が機嫌を治してくれるのか、ちょっと考えて…
ボクは手に付いた蜜を見て、これだ!って思って。
おそるおそる、…舐めてみる?って手をアブソルに差し向けたんだ。
もちろん、彼女はすぐにそれを舐めようなんてしないで
身体を支える四肢を伸ばして背を上げて、ボクの手の爪先をじぃっと睨んだ。
そして顔を近付けて、くん、と鼻を動かして香りを嗅いで、そしてペロッとちっちゃい舌で爪を舐めたんだ。
…爪先だからね、感覚なんて無いはずなのに、何故かその時、くすぐったく思えた。
…どう?
「……甘いな…」
…美味しい?
「……悪くは、ない」
そう、それは良かったよ。
「にしても、走り回ったから疲れた」
アブソルはそう言って、前足を折り曲げてお腹をペタン、と地べたにつけた。
なのでボクも隣に座って、手に付いた蜜をペロペロと舐めていたんだ。
「………」
アブソルはそれっきり黙っちゃってねぇ…かと言ってボクからも何かを言える空気じゃぁなかった。
サワサワと風が奏でる草木の揺れの音だけが、森に沈黙が訪れるのを阻止していた。
蜜を全部舐め終えたところで、ボクはなんとか話さないと、と思って…
……明日、ご主人様が迎えに来るねって話しかけてみたんだ。
「そうだな」
アブソルはぶっきらぼうに返してきたけど、無視されなかったからそれでもボクにはちょっと嬉しかった。
だから次に、たまご……どうするのって聞いたんだ。
ご主人様がボクらをここに預けた目的は、ボクらのたまごが欲しいから……。
「どうもなにも。たまごなんぞ作れるワケがないだろう。俺はオスだぞ?」
いつもの、聞きなれた彼女の主張。
アブソルが自分をオスだと思い込んでしまったご主人様の責任は、とっても重大だと思ったよ。
そうじゃなきゃ、ボクも彼女も、ここまで苦労する事はなかったと思うんだから。
だから。だから……ボクは、言った。
物凄く怖くて、物凄く……恥ずかしくて、1回言おうとして喉を詰まらせたけど
ちゃんと言った。……たまごを作ろうよ って。
「……はぁああぁぁぁあぁ?アホかキサマは。
言っただろう、俺はオスだ。オス同士でたまごを作れるか?
それとも何だ。キサマはそう言う趣味なのか?そう言う目で俺を見ていたと言うのか!?」
…違う。
「はぁ?じゃぁ何だと…」
違う、そうじゃない。ボクはそう言った趣味を持っていないし、持つ気だってこれから無い。
違うと言ったのは、それじゃない。違うのは……キミの性別だよ…。
「…は?俺はオスだ」
違う。
「違くない。飼い主がオスとして育てただろう」
それは本当。でも違う。
「何が違うんだ」
……キミは、キミはオスじゃない。その証拠に、身体は
「俺はオスだ!!身体はメスの物だが、俺はオスだ!!」
アブソルは立ち上がって、ボクに牙を剥き出して吼えた。
…凄く、必死だった。凄く、焦っていた。自分がオスである事を必死で主張していた。
分かっていたよ。アブソルがオスであると言う事は、間違いなく彼女の心を支える、柱の1つだもん。
それが崩されるのを……彼女は怖がっていた。
もしかしたら、アブソルは薄々気が付いていたんじゃないかと、今考えたらそう思える。
え?何がって?…自分がメスである事、だよ。
でもさ、今までずぅっと自分はオスだと思い込んでいてオスになり切っていたのに
いきなりメスに戻れって言われても、はいそうですねって簡単に戻れる訳ないよ。
ブーバーもクチートも、実はキミたちはメスでしたーって言われてメスに戻れる?
…だよねぇ。ムリだと思うよねぇ…。
アブソルはまさにそんな感じだったんだろうね。
オスとして育てられオスとして生きて、なのに身体はメスの物と気が付いて
そうして育て屋にメスの役割を果たすように預けられて、アブソルは混乱していたのかもしれない。
「お…俺はオスなんだっ!たまごなら、そこらへんのペアから奪ってしまえばいいじゃないか!」
本当、とんでもない考えだ。そして物凄く彼女らしい考えだよ。
でも、それは出来ないよって言ったら、彼女は「何でだ」って聞いてきたから
…だって、奪わなくてもたまごは作れるんだよ。ボクと、アブソルで。って返した。
「……だ、だから……お、俺はオス…」
アブソルがそう言うならもう構わないよ。それは否定しないから。
「…オ、オス同士で…たまごなんて……」
作れるよ。キミとなら。だってキミの身体はメスのものなんでしょう?
「……で、でもこれは間違い…で……」
なら、オスの身体が与えられる前に、メスの身体の役目を果たしてもいいんじゃないかな…?
アブソルはそれっきり黙っちゃって、上げた腰をまた地面につけて、顔を伏せた。
だからね、ボクは手を伸ばして彼女の頭の鎌にそっと触って…優しく撫でてみたら
アブソルは首を軽く横に振って、ボクの手を振り払ったから、今度は頭の後ろに手を当てて
そのままグイッとボクの胸の中に彼女の頭を引き寄せてみたんだ。
…今度は抵抗しなかった。アブソルとは長く一緒に居るけど、ここまで近づいた事なんかなかったよ。
……だから、だからもう今しか本当チャンスは無いって思って……
ボクは、最大の勇気を振り絞って、言ったんだ…
「…ボクね、キミが……生まれたときから、ずっと好きだったよ」
…って。