波が岸辺に叩き付けられ、ザパン、と大きく上がる水音を聞いた。  
 
港へ到着した真っ白な巨大な船は乗せた客人を降ろしている真っ最中であり、  
甲板から続く金属製の階段を人々が下る音を聞きつつも、私の視線はそれと真逆の方向にあった。  
「まだかなー…あの子はまだかなぁー……」  
私の隣で、旦那様がそわそわと身体を揺らして出てくる人々と甲板を交互に眺めていた。  
「飼い主落ち着けって…見ているこっちが恥ずかしいぜ」  
「でも、半年振りだもの。興奮しちゃうのは分かるかなぁ」  
呆れ気味に呟くクチートに対し、旦那様と同感の意を見せるブーバー。  
「僕も楽しみだなぁ。ルネがどんなになっているか、気になるし」  
「あのガキアブソルねぇ。そりゃ確かに気になるな。  
なんせリングマとアブソルの息子だし、どんな育て方されたのやら」  
「…僕が言っているのは性格じゃなくってぇ……はぁ…」  
ククク、と大顎を揺らしながらクチートが笑うと、ブーバーはため息を吐いていた。  
「……あ!」  
その時、旦那様の声が上がり、私はピクリと肩を揺らして反応した。  
……その声を上げた理由など、すぐに理解できたのだから。  
「みんな!来たよ!!」  
旦那様の嬉しそうな声が、私たちに向こうを見ろと指示するが私はあえてそれに逆らった。  
私は背を向けて視線を遠い空の先へ向け、船の方向とは逆を眺めていた。  
…出来るだけ、あの女を見ていたくないから。  
あの女を見る時間を、瞳に映させる時間を、なるべく減らしていたかった。  
……何て、私は愚かな女なのかしら。  
 
人々が流れるタラップには、その分だけ足音も響く。  
しかし、1つの足音がゆっくりと、だが確実に私たちへと向ってきているのを、私は聞いていた。  
1歩、2歩、3歩、4歩……歩数が増えるたびに足音は大きくなってくる。耳を塞いでしまいたいと思ったが  
生憎、私の腕は身体を伏せさせない限り耳に届く事は出来ないのよ。  
やがて、足音は私の後ろで止まり、その主が私たちへ言葉をかけた。  
「……今日は。お久しぶりです!」  
──半年振りに聞く人間の女の声。それは紛れも無く、ホウエン地方で出会った、あの女の声だった。  
「う、うわ、うわわわわ!お、お久しぶりです!!」  
旦那様の喜ぶ声が聞こえ、それに続いて女の声も上がる。  
「本当!半年振りですね。ほぼ毎日メールしているので、お久しぶりと言うのも何かおかしいですかね」  
クスクスと笑う声は、私の耳に入り弥が上にも心を逆撫でる。  
「……あ、その子が、あの時生まれたアブソルですか?ほら、レントラーご挨拶しないと」  
今まで後ろを向いていた私の頭を旦那様が撫で、しゃがんで私の肩を抱いてあの女の方向へ顔を向けさせた。  
 
緑色の服に身を包み、それと同じ色の帽子をかぶった女は、半年前と変わらない姿をしていた。  
クチートが、あの帽子はまるでキノガッサの頭部みたいだと言っていたけれど、  
それに関しては同意を覚えたわ。  
「今日はー。久しぶりね、レントラーさん」  
女は背を屈めて右腕を伸ばし、私の頭を軽く撫でた。  
……本当ならば、この女に私の身体を触れさせる事を許そうとは思わないが  
旦那様の手前だから、噛み付いてしまいたい衝動を抑えて私はただなすがままにされた。  
視線を女の背後へと移すと、彼女の背に隠れるように身を置いている白い誰かの姿を私は見た。  
その横には、図体の巨大なポケモン──リングマと、さらにその隣には彼の妻であるアブソルの姿があった。  
……あぁ、そう。女の後ろに隠れているのが、あの時孵化したアブソルだと言うのね……。  
 
「ほぅら、ルネ。ご挨拶しなさい」  
女は私から手を離すと、足元で身を屈めるアブソルにそう急かすが  
アブソルは嫌々と言うかのように鎌の尾を横に振って出てこようとしない。  
そこへ、クチートがテクテクと歩いてアブソルの後ろへと回り、大顎で彼の腰を突いて見せると  
「わっひゃぁ!!」  
と、アブソルは素っ頓狂な叫びを上げてその姿を女の後ろから現した。  
 
白い体毛は潮風に靡き、手入れもされているらしく太陽の強い日差しを受けて銀色に輝いて見えた。  
皮膚と同色の青い鎌はまだ頼り無さそうに柔らかさを持っているようにも見えたが  
それは年齢的に考えても仕方が無い事かと思った。  
体格的には、母親のアブソルよりも二回りは小さいと言った所かしら。  
皆の視線は一気にアブソルの子供へと向けられ、彼はその突き刺さるような錯覚に身を強張らせていた。  
「……あ、あのっ…そのぉ……こ、今日は!!」  
アブソルの子供は頭を下げて挨拶の言葉を叫ぶと、そそくさと飼い主の女の後ろへと隠れてしまった。  
「…おい、リングマ……」  
一連の流れを眺め、クチートが顔を見上げてリングマへと呼びかけると、  
彼は軽く腕を上げてその爪と掌を彼に見せた。  
「クチート、久しぶりだね!」  
「まぁーなぁー。……で、よぉ。オマエの息子さぁ……随分な性格に育ったよーだな?」  
腕を組みんでニヤニヤと笑うクチートに、リングマは大きくため息を吐いて「うん…」と弱々しく返した。  
「すごーーーーく臆病な子でね…ボク以上なんだよ。御主人様が過保護に育てたのもあるんだけど…」  
「っかー!!相変わらずだな、オマエの飼い主は」  
大顎の付け根をポリポリと掻きながらクチートが呆れ気味に吐き捨てると、  
リングマは黄色い円の模様が書かれた胸を手で押さえてコクリと頷いていた。  
そんな父親同士の会話の横から、もう1匹のアブソルが身を滑らせて、私へと歩み寄ってきた。  
「…よぉ、久しぶりだな」  
赤い瞳で私を眺め、男口調のアブソルはそう言いながら鎌の緒を揺らしていた。  
そうね、久しぶりね、と返すと、彼女──そう、彼女。己を男だと思い込んでいる不思議な女のアブソルは  
私の顔にまで近づいて、上から下へと眺め始めた。  
「相変わらず美しいな。非常に好みだ」  
「あらー、じゃーアタシはダメなのぉー?」  
横から、フローゼルが茶々を入れるとアブソルはそんな事は無い、と返した。  
「オマエも俺の好みだぞ?どうだ、後で一緒に遊ぼうじゃないか」  
「まっ、お上手ねぇ〜きゃはは!」  
「お久しぶりです、アブソルさん…」  
チェリムがチェリンボを胸に抱き歩み寄ると、彼女は「ん?」と首をかしげていた。  
…あぁ、チェリムのこの姿を見たことが無かったらしく、アブソルはチェリムであると言う事を  
結びつかなかったようなので、私は彼女がチェリムである事を教えると、  
アブソルは感心したかのような息を吐いた。  
「ほう、そうなのか。それにしてもその姿も中々可愛いじゃないか」  
アブソルはそう言いながら背を屈めてチェリムの花びらの一枚を鼻先までに近づけて香りを嗅いでいた。  
 
「ねぇねぇ、僕の事覚えているかなぁ?僕の腕の中で君は孵化したんだよ」  
ブーバーが穏やか気にアブソルの子供へ近寄り、炎の腕を伸ばして聞いて見るが  
アブソルの子供は怯えた様子で飼い主の女の足元から出てこようとしない。  
「ブーバー、ほっとけよ」  
呆れた様子のクチートがブーバーへ呼びかけると、彼は炎を小さく吐き出して悲しそうな表情を見せた後に  
「…じゃぁね」と、アブソルの子供に呼びかけてからクチートとリングマの方へと向っていた。  
そんな彼らを私が眺めていたら、不意にアブソルが彼らの方へと首を向けて舌を打った。  
「ちっ……今回、ここに来たのは俺の息子とオマエを掛け合わせるためだと、飼い主は言った。  
しかしなぁ…解せん。オマエと掛け合わせるなら、俺でも良いと思わないか?なぁ」  
──さっきも言ったけれど、このアブソルは自分を男だと思い込んでいる。  
しかし、どうしてかあのリングマとの間に子供を作ったのだから、  
身体は女と分かっている筈なのにこんな事を言うから私はやや混乱してしまう。  
「えーーー。でも、レントラーとくっ付いたら、それは浮気よ浮気ぃー。浮気はダメよぉー」  
わざとなのか天然なのか。やや的を外した意見をフローゼルが言うと  
アブソルは鎌の尾を大きく振り上げ、うむ、と考え込んだ。  
「うー……む。まぁ、確かにそうか……」  
しかしながらアブソルが納得した素振りを見せたので、それはそれで良い意見だったのかしら…?  
 
「久しぶりだねぇ〜。覚えているかなぁ?」  
旦那様がしゃがんでは女の後ろにいるアブソルの子供に手を伸ばすが  
先ほどのブーバーと同じように身を隠されてしまい、旦那様は軽く笑った。  
「ははは。覚えていないかぁ〜」  
「こぅら、ルネ。あなたの名付けをした方よ」  
飼い主の女はアブソルの子供の肩を両手で押さえ、彼に跨るように身体を動かして彼を拘束させた。  
「…!」  
ビクリと身体を強張らせながらもアブソルの子供は、伸ばされた旦那様の掌を受け入れていた。  
「ははは、可愛いなぁ。レントラーも、ほら」  
アブソルの頭を撫でた掌で、私のたてがみを抑えるように首筋を掴んで  
旦那様は私をアブソルの子供と視線を合わせさせた。  
「……」  
アブソルの子供の赤い瞳は、私のとは違い丸く大きい。  
その瞳の中心に、私の姿が映りこんでいるのは確かだったでしょう。  
だから、私も自分の瞳に彼の姿を映したのよ。  
「あ……の、そのっ……こ、今日は…」  
アブソルの子供は改めて挨拶を私へ向けたので、私もそれに軽く返しておいた。  
 
潮を含んだ風が吹き、私のたてがみとアブソルの子供の白い体毛を靡かせる。  
いつの間にか、あれほどいた人々の姿はまばらになり、  
白い巨大な船はしばしの休息を取り、その身体を労わるように船員が甲板をデッキブラシで磨いていた。  
「それじゃぁ、行きましょうか」  
立ち上がり、旦那様がそう言いながら腰を巻くベルトからボールを取り出したので  
私は何処へ行くのかを即座に理解した。  
この港町を観光するのならば、私たちをボールに入れる必要性は無いのだから。  
旦那様の提案に、女も同意してウェストポーチからモンスターボールを取り出して、  
赤い光線を手持ちのポケモンたちへと放出させて、彼らをボールの中へと入れ、  
旦那様も同じく、赤い光線を仲間たちへ放出させて、最後に私も同じようにボールへと入れられた。  
──ボールの中にいても、外の音は聞こえる仕組みになっている。  
旦那様と女の会話が外から私の耳へと入ってくるが、今の私は身を屈めている状態にあった。  
だから、私は顔を胸に押し付けるように下げて、耳を覆うように腕を頭部へと寄せた。  
 
 
 
空気が揺さぶり、その振動が耳奥の鼓膜を揺らす事を拒否していた私はいつの間にか眠っていた。  
しかし、その眠りは無情にも打ち破られ、私はボールの外へと投げ出された。  
潮を含んだ風はもう鼻には感じず、代わりに土の香りと草木の香りが私の鼻を撫でた。  
四肢を突っ張って身体を持ち上げ、何処であろうかと私はたてがみを揺らしながら辺りを確認すると  
立ち並んだ素朴な家々が最初に目に入り、その奥に巨大な洞窟のような何かが見えた。  
そして後ろへと振り返ると、策に囲まれた広い庭と、そこで寛ぐ姿を見せているポケモンたちの姿があった。  
──そう、ここがそうなのね。  
この場所が何を目的に作られたのかは、私は知っていた。  
何故ならば、仲間が同じ立場になった事があったから。何故ならば、私がそうなると言われていたから……。  
「ほぉ〜、その子たちを預けるのかね」  
「はい、そうです」  
旦那様と、年老いた口調の人間の男の声が耳に届き、私はその方向へ顔を向けると  
旦那様の後ろに立つようにあの女も並び、そしてその横にはあのアブソルの子供が居た。  
彼は初めて見るこの場所が何なのか分かっていないらしく、  
キョロキョロと上を見たり横を見たりと忙しそう。  
しかし、人間の老人が彼へ近づいて首根っこを掴むと、アブソルの子供は「ひゃ!」と悲鳴を上げた。  
「それでは、預かるよ。ポケッチに連絡はいるかね?」  
「えぇ、お願いします。さて、行きましょうか」  
「はい。ルネ、いい子にしていてね」  
飼い主の女がアブソルの子供の頭を撫でて、手を振りながら旦那様と共に歩き出した。  
「え、ご、ごしゅじんさまぁー!?」  
アブソルの子供は涙目になりながら、飼い主を呼び止めようとしているけれど、  
彼女は全く気に留めずに旦那様と談笑していた。  
 
「この丘の向こうにですね、カフェ山小屋って店があるんですよ。まずはそこに行きましょうか」  
「わぁ、楽しみです!」  
私は何も言わず、ただ目で旦那様の背を追いかけていたけれど、  
老人が私の前に立ちふさがってそれを遮った。  
「さぁ、お前さんもじゃ。こっちに来なさい」  
促され、私はそれに従って老人の指し示す小屋へと足を踏み入れて、そのの中を通り過ぎて、庭へと入った。  
アブソルの子供は最初は足を踏ん張って抵抗を続けていたけれど、  
最後には負けて、その身を私の隣へと落とされた。  
「ではのぉ。仲良くするんじゃぞ」  
老人はそう言って小屋と庭を繋ぐ扉を閉めたものだから、アブソルの子供は「えっ!」と小さく叫び  
扉へ前脚を引っ掛けるように立ち上がり、ガリガリと扉を爪で引っ掻き始めた。  
「や、やだよー!ごしゅじんさま!ごしゅじんさまー!!」  
……あの女は、この子に今日の目的を教えていなかったのかしら……?  
私は呆れ気味に大きく息を吐き、次にアブソルの子供の鎌の尾に噛み付いて彼を引きずって扉から離させた。  
すると彼は小さく声を上げて、コロンと後ろにひっくり返って仰向けになった。  
私はそんな彼の顔を覗きこみ、落ち着きなさい、と一言呟いた。  
 
「あ……は、はい……」  
丸い瞳で私を見つめ、アブソルの子供はそう言うと身体を捻って体勢を整えた。  
「えっと………その、あの…レントラー…さん、ですよね」  
おどおどとアブソルの子供は私を尋ねるから、私はそうよ、と答えた。  
「あの、何でごしゅじんさまは、ぼくを置いていったんでしょうか……」  
……やっぱりね。あの女は何も教えていなかったらしい。  
仕方なく、私はこの場所と彼と私を置いていった理由をアブソルの子供に教える事にした。  
小屋の前で突っ立っていても始まりやしないから、まず私は彼を庭の中へと誘った。  
しばし歩くと土交じりの草むらが足元をくすぐり、私はそこで足を止めて周りを見てみなさい、と促した。  
「は、はぁ……んー…なんか、ポケモンの姿がいっぱい…」  
草むらだけでなく、花畑に小川が庭を縦断し、それを跨ぐように小さな橋とトンネルが付けられ  
そこで数々のポケモンたちが遊んでいたり、眠っていたりと好き好きに過ごしているのが見えた。  
 
そう、ここが育て屋。ポケモンたちをトレーナーから預かり、育て上げると言う人間が作った施設の一つ。  
しかし目的は育てるだけでなく、もう一つ存在するの。  
それは、預けたポケモン同士で──たまごを作らせると言う目的よ。  
「え?たまご!?」  
アブソルの子供は私の説明に驚き、白い体毛を靡かせながら振り向いた。  
どうやら、たまごの作り方くらいは知っているようで、私は少し安心した。  
……交配の仕方まで教える破目になったら、どうしようかと思っていたもの。  
「た、たまご……って、ぼ、ぼくはその……」  
頭を鎌ごと草むらに垂らして、彼は伏せ目がちに私をチラチラと見始めた。  
多分、気持ちの整理がついていないのだと思うが、私はどうでもいい。  
好き合っているか、そうでないかでたまごを作らないなんて言っていられない立場なのよ、と私が言うと  
彼は頭を上げて「そ、そんな事ないです!」といきなり叫んだ。  
……そんな事って、どんな事?と、私が聞くと彼は青い皮膚の顔を真っ赤に染めた。  
……あら、もしかして、これって悪い返事じゃなさそうだわと思うと、その通りの答えが返って来た。  
「い、いえ……そのぉ……レントラーさんって……き、キレイだなって思います……けど」  
……けど?  
「けど、その……レントラーさんは、どうなのかな…って…」  
 
──何て、可哀相な子なのかしら。  
私は憐れみから失笑し、顔に穏やかな笑みを浮かべた。  
そんな私を見て、アブソルの子供はパァッと顔を明らめた。…あら嫌だ。勘違いさせてしまったかしら。  
しかし、勘違いさせたならそれはそれで都合が良いわ。だから私は、否定しないでおいた。  
 
「おい、そこの黒いのと白いの!」  
風が吹き、草花を空へと小さく飛ばした時、不意に私たちの横から何者かが声をかけた。  
何?と、首を傾げながらその方へと目を向けると、  
そこには黒い体毛を纏ったオスのポケモンが2匹、ゲヘゲヘと下品な笑いを上げながら私たちを見ていた。  
1匹はグラエナで、もう1匹はヘルガーと……嫌ぁね。私、犬は嫌いなのよ。  
だって、私は猫の属性が強いんだもの。  
私が嫌悪の表情を浮かべて彼らを睨んでいると、アブソルの子供はそそくさと私の身体に隠れた。  
そんな私たちを眺めて、ヘルガーとグラエナは草花を踏みながら私らへと近づいてきた。  
「よぉー、ねぇちゃんもここに預けられたのかぁ?」  
グラエナが私の顔を下から覗き込み、舌で自分の鼻をベロリと舐めながら私へと聞くから  
私はそうよと一言返すと、ヘルガーが細長い尻尾を揺らして  
私の後ろに隠れているアブソルの子供へちょっかいを出し始めた。  
「へへへ。ガキんちょといても面白くねぇだろ?俺たちと遊ばないか?」  
そう言って、ヘルガーは長めのマズルから炎を細く吐き出して  
それをアブソルの子供へ吹きかける仕草を見た。  
「ひっ!ひゃ!!」  
アブソルの子供は炎の熱に悲鳴をあげ、ヘルガーから逃げるように私の身体に隠れようと必死になっていた。  
……とてもじゃないけれど、この子は弱すぎる。…まぁ、父親があのリングマならば仕方が無い事かしら?  
せめてアブソルの方に似ていたならば、まだマシとも言えたでしょうね……。  
「よぉ、黒いねぇちゃんよぉ。こんな弱いガキよりも、俺らの方がイイぜぇ?」  
グラエナが喉を鳴らしながら私のたてがみに鼻先を入れようとしたから、  
私は無言でたてがみに溜め込んだ電気を弾けさせた。  
「ぎゃっ!」  
バチッと電気が弾け飛び、小さな電撃を弱点の鼻に受けたグラエナは呻きを上げてその身を後ろに飛ばした。  
「アニキ!大丈夫かよ!」  
ヘルガーが身を飛ばしてグラエナへと寄り、喉を低く鳴らして私に威嚇を見せた。  
「あ、あぁ……くそっ中々なじゃじゃ馬じゃねーか」  
……私、馬じゃないわよ。と、無粋な突っ込みを入れると、  
グラエナとヘルガーが揃って『ちげぇーよ!』と吼えた。  
私は呆れながらため息を吐いて、貴方たち誰?と聞いてみる事にした。  
「おっ…おぉ、俺たちは母親違いの兄弟だ。俺が兄のグラエナで、コイツは弟のヘルガーだ。  
飼い主が他に新しい仲間を手に入れて、そいつを育てるまでしばらく俺たちをここに置いてってんだよ」  
グラエナは太い尻尾を左右に振り、フン、と胸を張って自己紹介をしてくれたけれど  
正直、私には何の興味を抱かせる物ではなかったから、ただ、そう、と返しておいた。  
「ねぇちゃんと、そのガキはどうしてなんだ?」  
ヘルガーが身を伏せてギロリと私とアブソルの子供を睨みながら聞くと  
睨まれたアブソルの子供はさっと顔を彼から逸らした。……本当、頼りないわね…。  
彼らの事を聞いたからには、返さないわけにもいかないから、私は正直に答えた。  
私と彼は、たまごを作る目的で預けられた事、と言う事だけをだけれども。  
 
「へぇ。交配目的かぁ」  
グラエナが呟き、そしてニヤリと笑って私たちをマジマジと眺めた後、こんな事を言い出した。  
「……なぁ、そのガキなんだけどよ、随分弱っちぃようじゃね?」  
私の後ろで怯えているアブソルの子供を指すと、彼はビクリと身体を跳ねた。  
 
睨み返しもしない否定もしない彼を下目で眺めて  
えぇそうね、と私はグラエナとヘルガーの兄弟へ返した。  
「ねぇちゃんがたまごを産んでも、孵化するのはコリンクだろ?  
だったらオヤジがそのガキじゃなくっても、相手が違うってバレたりしねぇよなぁ?  
俺たちが相手なら、強いガキが産めるぜぇ?」  
 
その言葉で、彼らが何を考えているのかを私は理解した。  
……やっぱり、私、犬って嫌い。全ての犬がそうとは限らないけど、  
この兄弟は私が嫌悪を抱く犬の印象に当てはまっているのだから、反吐が出そうになるわ…。  
ため息を吐き、私は兄弟たちへ視線を向けた。  
何も言わず、ただ赤い瞳で彼らを見つめていると、彼らは私の様子のおかしさに少々怖気つき始めていた。  
 
……私の種族は、眼光を持つ種族だと言われている。  
その瞳に睨まれると、相手は怯えて攻撃する気力を削られるのだとも教えられた。  
同時に私の瞳は透視の力も持っており、見据えられた相手の心情までを察する事だって出来るのよ。  
…邪(よこしま)な心を持つ相手には、絶大な効果を発するのだから面白いと思う。  
そして邪な考えで心を染めているこの兄弟もまた、私の眼光にそわそわと落ち着かない様子だった。  
「お……おい、アニキぃ…コイツちょっとヤバくねぇ?」  
ヘルガーが、悪魔の尻尾に似た尾を垂れ下げて兄へと呟くと  
兄のグラエナも大きく頷いて、腰を上げるように身体を伏せてジリジリと後ろへ下がって行った。  
「う、うぅ……」  
グラエナは完全に怯えて、弟に返事を言えずにいた。  
私はそんな彼らを一頻見つめた後、一言彼らに向って呟いた。  
………殺すわよ…と。  
 
「ち、ちぃっ…へ、ヘルガー、別のメス探そうぜ!」  
グラエナはそう吐き捨て、クルリと身体を回して草むらを駆け出した。  
「え、あ、アニキー!待てよぉー!!」  
草むらを跳ねながら逃げるグラエナを弟のヘルガーが追いかけ、  
やがて彼らの姿は私たちの視界から見えなくなった。  
 
土を含んだ風が舞い、たてがみを揺らすのが心地良い。彼らの姿が見えなくなった所で  
私の後ろに未だに隠れているアブソルの子供へ、もう行ったわよ、と教えると  
彼はのそのそと身体を現して辺りを見回し、確認が終ると草むらの上へ身体を落とした。  
「うぅ…怖かった……」  
フルフルと震えるその子を眺め、本当弱い子、と私は思った。  
せめてもう少し頼りがいがありそうな子だったなら……いいえ、でもどうせ私の考えは変わりやしない。  
あの兄弟たちに構っていたおかげで時間を潰してしまった事に気がつき、  
同時に私はあの兄弟たちを激しく憎んだ。  
 
ねぇ、とアブソルの子供に呼びかけると、彼はビクリと身体を震わせて私を見上げた。  
丸い大きな瞳は、まだまだ子供であると言う証拠であったが、そんな事もう私には関係ない。  
「あ…あの……ご、ごめんなさい……」  
──気にしなくていいのよ。  
「で、でも……」  
──いいんだってば。  
「……は、はい……」  
アブソルの子供がそう言って、伏せていた身体を持ち上げようとし────  
私は、その身体に覆いかぶさるように、彼に飛び掛った。  
 
 
草が潰れ、花びらが千切れ、残骸が散った。  
仰向けに倒れたアブソルの子供は、一瞬何が起こったのか分からない様子で自分を押し倒した私を見上げていた。  
彼が口を開いて私に問いをかけようとする前に、  
私は彼の首筋に顔を埋めて、白い体毛を生やす皮膚を舐め上げた。  
「ひゃっ…!」  
ビクン、と肩を揺らしてアブソルの子供は驚きの声を上げるが、私はそれに構わないで皮膚を舐め続け  
次に額の宝石を舐めてみせると、またもや彼は声を上げる。  
「あ、あのっ!な、何……ひゃぁ!」  
何を行うのかなんて、とっくに分かりきっている無粋な質問に私は答える気を持たない。  
額から口を鎌へと移し、前歯で軽く噛み締めるとアブソルの子供はひゃんひゃん鳴いた。  
彼に圧し掛かる形で覆いかぶさる私は。下腹部に何かが押し当てられているのを感じ  
何かしらと鎌から口を離してその場所を見てみると、その答えが瞳に映った。  
アブソルの子供の股間から、ちょこんとピンク色の小さなモノが飛び出していたのよ。  
私が何を見つめているのかを、アブソルの子供は知ったようで、顔を明らめて嫌々と言い始めた。  
「や…やだ!見ないでよぉ!!」  
見ないでくれ、と言うのなら隠してあげようかしら……。  
私は思いついた考えにクスリと笑い、アブソルの身体に覆いかぶさるのを止めて、身体を上げた。  
 
解放されたと思った彼はほっと息を吐いたが、次に訪れた感覚に悲鳴に近い声を上げた。  
「あ、ひゃぁあ!!」  
私は彼の股間へと顔を移して、彼の飛び出た陰茎を口に咥えた。  
これなら見ているわけでもないから、彼も抵抗しないでしょう。と、思ったけれどもそうも行かず  
アブソルの子供は脚をばたつかせて止めてと私に懇願する。  
しかしそれを受け入れる私じゃぁないもの。  
口に陰茎を咥えたまま、舌で舐めるように弄って見せると、彼はいきなり大人しくなって抵抗を止めた。  
「ひゃ……ぁ…っ」  
ピクン、と身体を揺らしてアブソルの子供はなすがままの状態になっていた。  
大人しくなった事で行いやすくなり、私は一度陰茎を口から引き抜き、  
根元から先端へ舌先を滑らせて見ると、トロリと先端から透明な液が流れ出た。  
小さかった陰茎は私が弄った影響か徐々に大きさと硬さを増させ、  
刺激を欲するかのように時折ピクピクと動いていた。  
「あっ、ぁ……レ、レントラー……さぁん…」  
あれほど嫌がっていた態度は何処へ消えたのか、アブソルの子供は火照った瞳で空を眺めて  
ハァハァと息を荒げて私の名を呼んでいた。  
「あ、ん!あ、のっ!な、何か……何か、来る!来ますぅ!!」  
多分、夢精すら経験が無いのだと思う。  
射精の経験が無い彼は、競り上がる感覚が何なのか分からない様子だった。  
「も…ぁ、あぁ…!」  
アブソルの子供が大きく身を跳ね上げたところで、私は陰茎から舌を離して顔を上げた。  
「んっ、は、はぁっ……」  
私が彼の陰茎を解放した事により、彼の競り上がった感覚は暴発を免れたようだけれど  
彼は解放された事を逆に物惜しげに感じていたらしく、涙目で私をチラリと見た。  
だから、私はどうして欲しい?と聞いてみたのよ。答えなんか分かりきっているけれど、ね…。  
するとアブソルの子供はぐっ、と息を詰まらせたけれど真っ赤な顔を白い腕で覆いながら  
ごにょごにょと答えを素直に口で教えてくれた。  
「……そ、その……し、したい……です……」  
 
その答えを聞き、私は笑った。声を出さず、ただ口の端を上げて穏やかに笑ったの。  
だって、そうじゃない?あの女の大切なアブソルの子供を。  
旦那様が唯一名を与えたこの子を。今、私は手中に収めているんだもの。  
私が憎くてたまらないあの女は、今の言葉を聞いて何を思うのかしら?  
今やこのアブソルの子供は、完全に私に夢中になっている。──ならばもっと、狂わせてあげるわ。  
 
私は後ろを振り返り、身体を草むらへ伏せると、アブソルの子供へ腰を突き上げて星の尾を揺らした。  
来なさいよ、と一言彼に向って呟くと、アブソルの子供は有無を言わずに  
仰向けになった身体を起こし上げて、私の腰にしがみつくように圧し掛かった。  
「っ…と、こ、ここです、か…?」  
アブソルの子供は腰を動かしながら、陰茎の先端で挿入すべき場所を探りながら私へ言う。  
濡れそぼった先端が私のある一部分を突いたから、そこだと教えると  
彼は大きく息を吐き、腰を前へと押し進めた。  
 
私の秘所は全く濡れておらず、男の自身を受け入れる準備など出来ていなかったが  
彼にその下準備をさせる時間をとらせるのも惜しいと考えた。  
普段から少しの湿り気を帯びている場所とは言え、下準備もなしに挿入されるのはかなり苦しい物があった。  
先端が私の秘所を貫き、その痛みに私は軽く呻いたけれど、それ以上にアブソルの子供が嬌声を上げた。  
「ふ……あぁ……何か…あったかい、です…」  
私の肩に両前脚を乗せ、頭上で息を荒げる彼の声が耳に入り、それが妙に心地良く思えた。  
陰茎は先端が私の膣内に入り込み、濡れてもいない私のそこは異物の衝撃を和らげようと、  
膣壁からジワジワと滑りの液を滲ませていくのを、私は感じていた。  
濡れ始めた事により、アブソルの子供に与える刺激も段違いの物となったらしく、  
彼はただひたすらに快楽を貪ろうと腰を動かし始めた。  
「んっんっ…!あ、ぁ…き、きもち……いい!」  
私の意志とは無関係に、私の膣内は咥え込むアブソルの子供の陰茎を包み込んで、  
本来の目的を求めるようにうねっては、締め付けを増して行った。  
 
彼は相当な快楽を感じているらしいけれど、私にはただ痛いだけの行為であった。  
初めての経験だから、と言うのもあるし、彼が女の扱いを知らないのもあるかもしれない。  
しかし、最大の原因は、私が彼の事をどうとも思っていないからでしょう。  
好きでも嫌いでもない……どちらかと言えば、嫌いの部分に入るかもしれない相手に抱かれても  
心も身体も満たされるものなんかじゃないわ。  
……私を満たす相手は、ただ一人しか存在しないのだから──  
 
ごめんなさい。  
ごめんなさいね、アブソルの子供。貴方の名前を口にしないでごめんなさいね。  
どうとも思っていないのに、そうと思わせる素振りを見せて期待をさせて。  
───ごめんなさい。  
 
「あ、あぁ…レントラー……さん!!」  
 
アブソルの子供が私の名前を再度呼んだ時、私の下腹部がドクドクと脈打ち  
その直後に熱い何かが私の膣内に注がれたのを、私は感じた。  
液体は私の膣内を満たし、やがてそれはさらに奥へと染み込んで行く。  
 
───ごめんなさいね、旦那様……貴方を愛してしまって、ごめんなさい………  
 
謝る対象ではないはずの旦那様に謝罪の言葉を心で呟き、  
私は注がれた液の熱さに身体を震わせて大きく息を吐き、瞳を閉じると  
その流れに沿い、一粒涙が零れた………。  
 
 
 
「えー!もう産まれた!!?」  
 
ズイタウンの育て屋の小屋にて、そんな驚愕の声が上がった。  
声の主は私の旦那様で、彼は育て屋の老人を前にして呆然とした表情で突っ立っていた。  
「そうじゃ。随分と仲が良い様子だったしのぉ。ほうれ、たまごじゃ受け取りなさい」  
老人はそう言いながら、両手で抱えた白いたまごを旦那様へと差し出して  
旦那様は戸惑った様子を見せつつ、そのたまごを受け取った。  
「はぁー……カフェから戻って来て、遺跡を観光して……  
それからちょっと様子を見に来ただけなのに、たったの3時間で産まれるなんて」  
「中には預けてから1時間もしないで産むペアもおるぞ。あぁ、預かり料金は2匹合わせて200円じゃ」  
「じゃ、私が払いますね」  
アブソルの子供の飼い主は、そう言いながら  
ウェストポーチからグレッグル模様の財布を取り出して金を老人に渡していた。  
「はい、ブーバー頼むよ」  
旦那様はそう言いながら、横で立っているブーバーへたまごを渡し、  
それを受け取った彼は両手で抱え込んで炎を纏った手でたまごを撫でていた。  
「やぁ、お帰り」  
ブーバーはたまごを抱えながら、小屋の出口の扉の前で腰を下ろす私の所までやってきた。  
お帰り、と言ってもそんなに時間はたってないんだけれどね…。  
「ボク、もうおじいさんかぁ……」  
ブーバーの隣にリングマが立ち、口元に爪を添えてたまごをじろじろと眺めては複雑そうな表情を浮かべ  
「いーぃなぁ〜〜。このメンバーの中で、ママになってないのってアタシだけなのよねぇー」  
ブーバーの肩に両手を置き、彼の背から顔を覗かせてフローゼルがたまごを眺めていた。  
「でも、チェリンボもそうじゃない」  
「アホか。まだガキなのに母親になれるかってーの」  
大顎を抱えるように頭部に腕を回してクチートがブーバーに突っ込み、  
「ま、男が出来てもオレより強いヤツじゃねーと認めねぇけどな!」  
と、大顎と本物の方の口でゲラゲラと笑っていた。  
「どんな子が、孵化するのかしら…?」  
「うーむ…俺の孫だからな。そりゃぁさぞかし強いのが孵化するだろ」  
「だろー」  
チェリンボを胸に抱いたチェリムがたまごを眺めて言うと、  
彼女の隣に立つように母親のアブソルがうんうん、と首を縦に振っていた。  
……彼女の息子があんなに頼りないのだから、どうかしら、と言いたかったけれど、  
あえてそれは言わないでおいた。  
私の隣では、アブソルの子供がそわそわとした様子でブーバーの抱えるたまごを眺めていた。  
……彼は父親の自覚を持ってくれるのか、そうならないのか、些か不安ではあったけどどうでもいい。  
 
「でもさぁ。どうするのかな」  
唐突に、ブーバーが抱えたたまごを手で擦りながら皆に質問を投げかけた。  
主語の抜けた質問に、私を含めたブーバー以外の皆が首を捻った。  
「どうする……って?」  
チェリムが開かせた花びらを揺らして聞くと、ブーバーは「あ」と、呟いた。  
「いや、この子の行方」  
「行方ぇ?」  
「うん。ポケモントレーナーはね、通常6匹までしか飼う事が許されないんだ。  
7匹以上持つ場合は誰かに預けたりしないと行けないんだけど…  
マスターは僕たちで手持ちがもう埋まっちゃってるからさ、この子が孵化してもどうするのかなって…」  
「そりゃぁ、リングマの飼い主が持つんじゃねぇーの?」  
「あ、そっか……でも、元々の目的は、電光石火を覚えたコリンクが欲しいって言ってなかったっけ」  
「そうよぉ〜。確かにそう言ってた言ってた!!  
じゃぁ、アタシたちの誰かが預けられてしまうのかしらぁ?」  
 
「もし、預かられる事になったら、誰がそうなるのかしら……?」  
「かしらぁー?」  
皆が首を傾げ、この問題の答えを各々考えていたが、私には何となく想像がついていた。  
「そうなったら、誰がこのメンバーから出て行く事になるのかなぁ?」  
ブーバーが、やや不安そうな表情を浮かべてたまごを撫でていると  
彼の後ろから顔を覗かせているフローゼルが、思いついた答えを口に出した。  
「それはクチートでしょぉ?」  
「は、はぁッ!!?」  
後頭部を抱える腕を解き、クチートは大顎を開けてフローゼルへ威嚇を見せて何故だと吼えた。  
「おい!何でオレなんだよッ!」  
「だぁって」  
フローゼルはクチートの威嚇を物ともせず、鰭の生えた腕を軽く振りながら答えた。  
「クチートはちーっともご主人様に懐かないしぃー。  
持っている技だって、娘のチェリンボに遺伝してあるんだしぃー。お荷物になってると、思うのよねぇー」  
「な……ッ!!」  
クチートが旦那様に懐いていないのは事実であり、彼もそれを認めているので  
フローゼルの今の言葉が相当効いたようで、  
言い返そうとしても声が詰まってしまってそう行かない様子だわ。  
そしてクチートは頭を抱え、大顎をブルンブルン振り回しながら  
「い…い…嫌だあぁあああああー!!!!」  
と、叫び、そんな彼を眺めながら、皆が笑っていた。  
……大丈夫よクチート。旦那様は貴方を手放したりはしないから。  
確証は無いけれど私の予想が正しければ私たちの仲間は全員旦那様の手持ちでいられる筈よ、と私は笑った。  
 
 
 
「では、お世話になりました〜」  
旦那様がそう言いながら、育て屋の小屋に続く扉を閉じた。  
私たちは外へと出され、これからヨスガと言う町へ向かう事になっていた。  
そんなに離れた町ではないので、ボールに入らずに済むと聞いて私は密かに嬉しく思っていた。  
「あの」  
女が、旦那様へと声をかけているのを見て、私はそちらへと視線を向けた。  
「はい?」  
「あのー……いいんですか?あのたまご、私が頂いてしまっても」  
「あぁ、いいんですよ。自分の手持ちはもう6匹埋まっていますしあの子たちを手放す気は無いんで」  
…やっぱりね。良かったわね、クチート。  
「は?」  
旦那様、私たちを全員手放す予定は無いんですって。  
「マジか!……な、んだよぉー脅かしやがって、フローゼルのヤツ!」  
キィキィと大顎から怒りの歯軋りを響かせて、クチートは私の後ろでフローゼルを睨みつけていた。  
その様子が結構面白かったものだけど、私はすぐに視線を旦那様へと戻した。  
「その代わり、育て方の指導はさせて下さいね。  
折角、電光石火を覚えて孵化するんですから、それをコンテストに活かさない手は無いですし」  
「えぇ、メールでお聞きする事が多くなるとは思いますけど、お願いしますね」  
「もちろん、任せてくださいよ!あ、あは、あははははは。じゃ、じゃぁ行きましょうか!」  
「えぇ、そうですね。アブソル、リングマ、ルネ!ほらほら、行くわよ」  
女はそう言いながら、手持ちの彼らへと声をかけて、旦那様も同じく私たちを呼び寄せる。  
「みんな〜。ヨスガに行くよ。コンテスト見て行こうねぇ」  
 
「はいはいっと…なぁんだ、結局たまごはリングマの飼い主に行くのか?」  
クチートが腕を組んで旦那様へ返事をして、次に私へと視線を向けて聞いてきたから、  
そうみたいね、と私は答えた。  
「…でもよぉ、たまごの母親はオマエじゃん?やっぱり自分のガキは自分で育てたいって思わねぇ?」  
……思わないわよ。だって私は母親に捨てられた身だから、子供の育て方何か知らないもの。  
「………あ、あぁ、そう……」  
聞いてはいけない事を聞いてしまった、とクチートはそんな表情を浮かべて私から目を逸らした。  
 
「さー、みんな出発しようねぇ」  
仲間たちを足元へ集めながら、旦那様はにこやかに笑って指示すると  
彼らは好き勝手に談笑しながらぞろぞろとヨスガシティに続く道を歩み始めた。  
私もそれに続こうとした。……だけれども、私は旦那様に伝えたい事があって  
歩みを始めた足を止めて彼の前へと腰を下ろした。  
旦那様、と声を出すと、旦那様は「ん?」と私を見下ろしてしゃがみ込んで、視線の高さを合わせてくれた。  
「何だい、レントラー?」  
そう言いながら私の頭を大きな手で撫でてくれる。…あぁ、そうこの暖かさは初めて触れた時と全く同じ。  
私は、あの時からこの人に恋をしていたのだ。  
決して叶うはずの無い恋を抱き続けて、それでも私は幸せなのだとこの人は教えてくれた。  
だから、私はその思いを旦那様へと伝えた。  
 
 
「旦那様。……貴方を愛しています」  
 
 
「………んー?何、お腹でもすいたのかな?でも、ポフィンはヨスガについてからね〜」  
旦那様はそう言って笑いながら私の頭を撫で繰り回して立ち上がった。  
……ポケモンの言葉が人間に通じない事など分かりきった事なのに、私は何をしているのかしら。  
己の哀れな行動に失笑し、肩を揺らして立ち上がり、ふと後ろを振り返ってみると  
目を見開き、大顎をピン、と真上に上げているクチートの姿が目に映った。…あら嫌だ。聞かれていたのね。  
「……お、おぃ…い、今、なんっつって……」  
ブルブルと震える腕を抑えつつ私を指差し、クチートが聞いてくるので  
私はただ、旦那様に愛しているって言っただけよ?と、返した。  
「い、いや!で、でも、さぁ!」  
混乱しているクチートに、これ以上の説明は無用と思い、私は星の尾を振りながら他の皆を追いかけた。  
すると最後に残ったクチートも、待ってくれよと大声で私たちを引き止めようとしながら、  
大慌てで追いかけて来たのだった。  
 
 
「でもぉ〜。やっぱり、ママになるのって憧れるわよねぇ〜」  
ブーバーの隣で歩くフローゼルが、彼の抱くたまごを羨ましそうに眺めて今のように呟いた。  
「そぉ。じゃぁ、お母さんになればいいんじゃない?」  
たまごを撫でながらブーバーが返すと、フローゼルがうーん、と首を捻った。  
「でもぉ〜…そうなると、パパになる相手がねぇ〜」  
「フローゼルがお母さんになれそうな相手は、既に、だもんね」  
「そうなのよねぇー。仕方ないから、ブーバーがパパになってよ」  
「うん、そう…………えぇッ!!??」  
 
ブーバーの素っ頓狂な声に反応するかのように、彼の抱いたたまごが微かに揺れた。  
 
 
それから3日後、私の産んだたまごを胸に抱きながら、あの女は南の国へと戻っていった。  
3ヵ月後またこの北の国へ来るとの約束を旦那様と交わして──  
3ヵ月後も数日すごした後に、またあの女は自分の国へと戻ると思うが、  
また旦那様と再会する日が来ると思う。  
それは1ヵ月半の後になり、そして次に再会する時は2週間の後になり、  
旦那様とあの女が再会するまでの期間は回を重ねるごとに短くなるでしょう。  
そして、やがて旦那様とあの女は共に暮らすようになる事も、私には既に予想がついていた。  
そうなれば、私が産んだたまごより孵化したポケモンも、旦那様が育てる事が出来るようになるものね。  
 
自然と不自然の境界線で燃え尽きようとした私の命は、不自然で生きる者に救われた。  
不自然の中で生きていくと決意した私は、その中で生涯を終えるのだろうと思っていた。  
……しかし、私が暮らすこのソノオの町は、不自然が作り出した自然の町。  
まさに、私が拾われた場所と同等の町になっている事を私が知ったのは、相当後の事。  
不自然と自然は重なる事が決して無いと思っていたが、それは私の間違いなのだと。  
 
だから、私は自然と不自然の混ざったこの町で生きていける。  
この人に、旦那様に救われた私は本当幸せだと思う。  
決して叶わぬ恋を抱いた事に、私は苦しんでいたけれど  
今思えば、何てくだらない事に悩んでいたのかと笑ってしまえる。  
苦しむ必要も、悩む必要も、もう無いのだから。  
本気で愛する人のそばで暮らせていける事が、何て幸せなのかしら。  
結ばれる事は無いけれど、もう私にはそれが最大の幸福なのよ。  
 
旦那様とあの女が共に暮らし始めるのならば、いずれ彼らの間に子供が出来るだろう。  
それはいつになるかは分からないがそう遠くも無いと思う。  
旦那様の子供が成長し、彼と同じくポケモントレーナーとなった時、  
その子供は私が産んだたまごより孵化したポケモンを最初のパートナーとして与えられるのかもしれない。  
その時、私はまだ旦那様のそばに居ているのかしら……?  
年老いた私が眼光で見据えるものは、何になっているのかしら………。  
 
 
私はレントラー。人間に本気で恋をした、哀れな女。  
不自然と自然の混ざり合った町で、私は今日も生きて行く。  
 
 

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