強き者は生き延びてその遺志を次の世代に残す事が出来、  
弱き者は滅び朽ち落ちて土に返り他の者達の糧になる。  
それが自然の法則で自然の摂理。野生で生きる者達の運命。  
…そして私も、その自然の法則により土に返る─筈だった。  
 
青い皮膚で覆われた右の前脚は、赤く大きく腫れ上がり  
立ち上がろうにしても激しい痛みが脚から全身へと駆け巡って動く事ができなかった。  
どう言った理由で怪我を負ったのか、もう覚えていない。  
私は痛みに泣き、親を呼ぼうと必死で声を上げ続けた。  
首を上げ、背を逸らし、限界まで身体を上げ起こして空を仰いで。  
肺を縮めて、喉が裂けそうになる位まで震わせて。  
小さな鳥が空を飛びながら私に気が付いたけれど、下目で窺っただけで後は無視して飛んで行った。  
その瞬間、私は深い谷底に突き落とされたかのような衝撃を心に受けた。  
……それが絶望と言う感情である事を、初めて理解したわ。  
強き者である母は傷つき動けなくなった我が子を弱き者と見做し、…私を見捨てた。  
私は独り置いていかれた悲しみと、言いようの無い恐怖に苛まされ  
ただただ泣き叫び、助けを呼んだ。  
……深い草むらの中で倒れこんだ、小き弱者に手を差し伸べる者が存在するなど  
自然がそれを許す事など決して無い事くらい、  
生まれて日がたっていない幼き赤子である自分でも、本能として分かっていた…。  
 
サラサラと川の水が流れる音とサワサワと風が木々を揺らす自然が奏でる音と  
ガシャンガシャン、と鉄が崩れ落ちる人間が機械で奏でる音が交じり合い、  
それは私への鎮魂歌だろうかと思った……。  
自然と不自然の境界線で、私は短い命をここで終えるのだと悟り  
最後に大粒の涙を1つ落として、目を瞑り地に身を伏せた、その時  
 
「…れ?ねぇ、どうしたの?」  
 
自然が私を見捨て、不自然が私に救いの手を差し伸べた。  
 
 
暖かな風が私の頭上を通り過ぎるのを感じ、誰かが頭上で声をかけたのだと分かった。  
私は目を開き、残り少なくなった力を振り絞って顔を上へと動かすと  
そこには淡い炎を身体に纏った者が、丸い瞳で私を見ていた。  
「マスター、マースタあぁ〜〜。誰かが倒れているよー!」  
炎の者は私を見て丸い瞳を数回瞬いてから、後ろへと振り返り誰かを呼んだ。  
そうして、その次にガサガサと草を掻き分ける音と共に、一人の人間が姿を現した。  
「んー?ブビィ、どうし……あっ!コリンク!?」  
少し膨らんだ身体を揺らしながら人間は私へと近づき、  
ブビィと呼んだポケモンの頭を撫でてから、私の前へとしゃがみ込み私の右脚を軽く掴みあげた。  
「あー…怪我しているんだ。骨…折れてはいない…か。擦り傷と捻挫だね。  
見たところ孵化して数日って感じだけど…親はいないの?」  
キョロキョロと周りを見ながら人間はそう言い、親の姿が無い事を理解したらしく  
肩からさげている袋を草むらに落として紐で縛られた口を両手で開き、  
その中へと腕を入れて何かを探っていた。  
「えぇっと…あ、あったあった」  
細長い筒状の物を取り出し、それを私の右脚へと近づけ  
「しみるかな。ちょっと我慢してね〜」  
噴射口から液体を噴射させ、それを私の傷へと吹きかけた。  
一瞬、鋭い痛みが走って私は思わず呻いてしまい、人間は「あぁ、ごめんね」と謝った。  
そして次に白く細長い布を取り出し、傷を覆うように右脚にそれを巻きつけた。  
…人間が私の右腕に布を巻きついけている最中、私はひたすら人間を眺め  
軽く跳ねた青い前髪の形が、何となく私の頭の体毛と同じだと思った…。  
 
「んー…よしっ。これでいいかな」  
ポンポン、と布を巻きつけた右脚を軽く叩き、人間は私の頭を撫でて立ち上がった。  
「じゃぁね、もう怪我するんじゃないよ〜。  
さ、ブビィ、お父さんにお弁当届けに行くよ!」  
そう言って踵を返し、人間はブビィを連れて目前の工場へと向った。  
人間は、ただ私を助けただけであり  
私を自分のモノにしようなどとは考えなかったのだろう。  
…だが、私はそうでは無かった。  
親に見捨てられ、自然の中で生きる術を無くした私は、ただただ生き延びたかった。  
……だから、私は人間へ助けを求めたのよ。  
 
「…ん?」  
足元に違和感を覚えた人間は足を止めて足元へと視線を向けた。  
「……んー……どうしたのさ、お前」  
人間の足を覆う布に噛み付いている私を見て、  
人間はしゃがんで私と視線を合わせながら今のように言って、私の頭を撫でた。  
大きな手で頭を撫でられ、私はうっとりと目を細めて喉の奥を鳴らし、人間へと甘えた。  
「…もしかして…一緒に行きたいの?」  
期待、していたのよ。この人間がこの言葉を言う事を。  
だから、私はまた喉を鳴らして人間の手に頭を擦りつけて、そうだと身体全体で表現した。  
「そうー…かぁ。じゃ、一緒に行こうか?  
あ、でも空のモンスターボール持ってないんだよなぁ…ま、いいや。後でお父さんに貰うか」  
そう言って、人間は私を両手で抱きかかえて立ち上がった。  
膨らんだ胸と腹に頬と身体を埋めると、フワリと柔らな感触が私を包んだ。  
…親に見捨てられた私にとって、この人間の温もりがとても心地良く感じた。  
 
私を自分のポケモンにした人間は、ソノオと言う花畑に囲まれた町に住んでいた。  
そのすぐ付近に存在するタタラと言う製鉄所には、彼の父親が勤めに出ていて  
彼はたまたまその日、父親に食事を届けるために製鉄所に立ち寄り  
そこで私を偶然見つけたのだと言う。  
何と言う事かしら。何と言う、奇跡なのかしら?  
自然は私を見捨てた。不自然は私を救った。  
自然の中で生きる事の出来なくなった私は、  
人間に飼われると言う不自然の環境の中で生きる事になった。  
私は私を見捨てた親に未練など何も無かった。むしろ、二度と会いたくないとも思えたわ。  
 
私は、そうでもなければ、この人間に出会う事など無かったのだもの。  
私は、この事に自然に親に見捨てられた事を後に感謝する事になったのだもの。  
私は、この人間のそばに、いられるだけで幸せになったのだもの。  
私は、私…は……  
 
私は…この人間に…その感情の言葉すらも知らない子供のこの時から、本気で恋をしたのだもの。  
 
人間とポケモンが結ばれる事などは決して無い、と聞いていた。  
それは自然ではないからだと皆は言うけれど  
人間に飼われるポケモンは、既に不自然な存在ではないのかしら?  
不自然が、自然にしたがって何になると言うの。  
 
私がコリンクからルクシオへと進化した頃、  
旦那様は皆を連れてミオと言う港町へ旅行に出て、  
そこに存在する図書館に訪れた事があった。  
本を読みながら、私たちが暮らすこの土地の昔の話を旦那様は話してくれた。  
…それは、人間とポケモンは恋をし、結ばれていたと言う、遥か昔の話…。  
「ポケモンと結婚かぁー…今もそうだったら、  
自分も結婚出来るチャンスがありそうなものなのになぁ」  
本を掴んだまま天井を見上げて、あはは、と  
旦那様はつまらない冗談を聞いたかのように笑っていたけど  
私はそうとは思えなかった。…いいえ、思いたくなかった。  
もし、今も人間とポケモンが結婚出来る事ならば…………。  
…しかし、昔話を聞き続けて私はとある事に気が付いた。  
 
むかしは ひとも ポケモンも  
おなじだったから ふつうのことだった  
 
普通……つまりはそれは自然な事。  
…しかし、今の私はどうなのかしら?  
自然に見捨てられて不自然の中で生きるポケモンは──普通なんかじゃないわ。  
だから、そこで私は理解したの。  
不自然と自然は相見舞える事など出来る術を持たないのだと。  
私のこの恋が実る事など、絶対に有る訳が無いのだと……。  
 
 
「あー……ルネ、だっけ?リングマとアブソルの息子」  
 
右手でポフィンを掴み、左手で自分の頬を支えて  
窓の枠に肘をつけて外を眺めながら、クチートがそんな事を言った。  
「そうそう、ルネシティで孵化したから、ルネ。マスターがつけたんだよねぇ」  
クチートの隣で、同じくポフィンを齧りながら外を眺めているのはブーバーだった。  
「安易な名前だよなぁ、どーよ?」  
「んー、でも僕らには名前ないし。ちょっと羨ましいと思うけどなぁ」  
本当ね。羨ましいわ。  
旦那様がポケモンに名前をつける事なんて、私たちにはしなかった事なのに  
あのアブソルの子供は旦那様より名を与えられた。  
…旦那様が一番最初に、名を与えたのがあの子だなんて。  
「しかも、生後半年でもう交配の相手が用意されるなんてよぉ。はー、飼いポケってスゲーなぁ」  
クチートは長い間野生のポケモンとして暮らしていたの。  
だから、飼われるポケモンの運命とその役目に対して、まだ抵抗感があるらしいわ。  
「…って言うか、それでイイのか?  
近いうちに、アイツらと飼い主のニンゲンのメスが、こっちに来るってゆーし…  
その目的がさぁ……オマエとルネを交配させるためじゃねぇか、レントラー」  
クルリと頭の大顎ごと首を回し、クチートは私の方へと振り返った。  
私は腰をカーペットに落としたまま、黒く豊富なたてがみを揺らしながら、  
…構わないわよ。旦那様がそう言うんだから、私はそれに従うだけよ。と答えたの。  
するとクチートはふぅーん、と口を尖らせて、窓の枠に寄りかかった。  
「…ま、チェリムも飼い主に言われてオレとたまご作ったワケだけどー」  
「でも結局は両想いだったんでしょ?」  
「るっせーな。ま、結果オーライってヤツだったけどよぉ…  
でも、オマエの気持ちはどうなん?あのガキの事、好きってわけじゃねーだろ?」  
 
──そうよ。好きでもなんでもないわ。  
でも、旦那様が望む事だから。私はそれでいいの。  
 
「…メスって良くわかんねぇなぁ…」  
ポリポリと頭を掻いて、クチートは呆れ気味に私へそう言ったけど、どうでもいいわ。  
「オスのオレらは、まぁまだイイけどさ。メスはそうでもねぇだろ」  
「んー。でもやっぱりマスターに命令されたら、従うしかないもんねぇ…」  
「ふぅん。んじゃぁよ、オマエ、もしルージュラとたまご作れなんて言われたらどーすんのさ?」  
「ルージュラ!?いいじゃない。僕、ルージュラはタイプだよ。むしろ喜んじゃうかも」  
「……やっぱ、オレはオマエと趣味合わねーわ……」  
 
「でも、生後半年で大人になれるなんて、無進化タイプって成長早いんだねぇ」  
ブーバーはそう言いながらポフィンをもう1つ齧った。  
「まーなぁ。個人差や種族差はあるけどよ、大抵は半年から1年くらいで大人になれるぜ」  
「僕みたいな3段階の進化タイプは、進化しないとずぅっと子供のままの種族もいるからね。  
まぁ、ニドランとかはそのまま大人になれるらしいけど」  
「何、じゃぁオマエはまだガキなん?」  
「ううん。それはブビィの頃。  
んー、けど今も人間で言えば、15歳くらいかなぁ。これでももう5歳超えているけど」  
「ぐぅえ!オレより年上かよ、オマエ…」  
「クチートって何歳?」  
「2年だよ、2年」  
クチートはポフィンの入った籠を掴んで、またその中の1つを手に取っていた。  
「あ、じゃぁクチートってチェリンボ抜かすと最年少なんだ」  
「えっ!?どう言う事だよ!?」  
「うん?僕らはみんな、マスターがトレーナーになった頃にゲットされたんだ。  
僕は最初のポケモンで、次がコリンクの時のレントラー。  
次にブイゼルの時のフローゼルでー…で、チェリンボの時のチェリム。  
時期にちょっとズレはあるけど、ほとんど同い年。みんな、同じ地域でゲットされたんだ。  
僕はマスターのお父さんが勤める工場のヒトからもらったたまごから孵ったの」  
ポフィンを掴んだままブーバーは要らない事をどんどんクチートへと喋っていく。  
…別に構わないんだけど、ちょっとお喋りなのよね、彼。  
「うはー…つーコトはチェリムは姉さん女房だったのか…」  
苦い顔をしながら、クチートはガジガジと前歯でポフィンを齧っていた。  
「…つぅか、飼い主遅ぇよ。ポフィンもイイけどさー。メシ食いてぇ」  
「マスターはトバリシティでお買い物。  
コンテスト近いからね。コンディションポフィン用の木の実を買い込んでくるって言ってたし」  
「…コンテスト、ねぇ……」  
窓の枠から身を落とし、床の上に座り込んでクチートは胡坐をかいて、今のように呟いた。  
「オレ、あのコンテストってーの苦手だなぁ…」  
「でも一次審査突破出来たじゃない」  
「けっどさぁ!!」  
握り締めたポフィンが潰れる勢いで、拳に力を入れながらクチートはブーバーへと振り返った。  
「大観衆の前で!誘惑しろって!!何だよ!どんな羞恥プレイだよ!ったく!!」  
 
クチートは、2週間前のコンテストに初めて出場する事になって  
そこで一次審査に挑戦する事になったの。  
…もちろん、コンテストがどんな物なのかは私たちが教えていたし  
旦那様はコンテストの練習をクチートに教え込んでもいた。  
しかしね、野生ポケモンとして長く暮らしていた彼だから  
なかなか旦那様に懐くことができなくって、いざコンテストに出場したら…もう大変だったから。  
プライドの高い彼にとって、誘惑を使う事はとても恥ずかしくてたまらないみたい。  
…一応ね、誘惑を使ったことは使ったんだけど  
その後、恥ずかしさと怒りで…旦那様にね、噛み付いたのよ。大顎で。  
でも、その行動が逆に観衆に受けて、  
クチートの特長を生かした見事な演技だー…って審査員に褒められてね。  
満点で、一次審査を突破したのよ。信じられる?本当、おかしいったら。  
 
「もう!オレ、絶対コンテスト出ねぇからッ!!」  
涙目でブーバーに掴みかかってクチートは宣言していた。  
それを聞きながら、ブーバーはうんうんと首を縦に振って彼を宥めていた。  
「…でも、コンテストって言ったら…やっぱり、レントラーだよね」  
そうよ、私はコンテストが大好きなの。  
この自慢のたてがみと、身体を巡る電気の光は見た目も美しいもの。  
それに、何よりも………。  
「でもこの前のは残念だったね。二回戦で敗退しちゃったし」  
「しゃーねーだろ。相手が悪過ぎたぜ。…と、なんだっけ?あの青くてポワポワしたの」  
「トリトドン」  
「あぁ、そうそう鳥だか丼だかの。地面タイプ持っているだろー、アイツ。  
電気技はきかねーわ、大地の力で一撃されるわで、レントラーじゃキツイだろ、アレ」  
「ちょ…クチート、言い過ぎ…!!」  
ブーバーが慌ててクチートの口を塞ごうと、炎の腕で彼を押さえつけたけれど  
逆に熱いと怒られて頭を大顎で殴られていた。  
…でも、私はクチートに口答えする気なんか起きなかった。彼の言い分は最もなんだもの。  
私は、あのトリトドンに負けた。それは紛れもない事実だから。  
私は立ち上がり、2匹に背を向けた。  
「ん?何処に行くの?」  
……気分転換に海へ。それにそろそろ旦那様も戻ってくるでしょう。  
海で遊んでいるフローゼルたちも呼んでくるわ。と、私はブーバーに返事をし  
片手を軽く上に動かして、扉を押し開けた。  
 
茶色の扉を開けると、橙の景色が広がった。  
潮を含んだ風が私のたてがみを撫で、私は目を閉じて撫でられる感触に酔いしれた。  
…ここはリッシ湖近くの畔。  
旦那様はここのペンションを借り、私たちとともにしばしのリゾートを楽しんでいた。  
…もちろん、目当てはリゾートだけではない理由も存在するわ。  
足を一歩踏み入れると、シャリ、と砂を踏み鳴らす音が鳴った。  
真っ白だった砂浜は、海の中へ傾き始めた太陽の色に染まり、空と雲も同じ色に染まっていた。  
砂浜に足跡を残しながら前へと歩き、砂浜と海の境界線まで来た所で足を止めて  
西へと視線を向けてみると、民家が目に入った。  
…ポケモンと人間は、意思を通じ合うことは出来たとしても会話をすることなど、出来やしない。  
しかし、世界は広い物で人間の言葉を話すポケモンや、  
ポケモンの言葉を理解する人間が存在するのだと言う。  
そして、あの民家にはポケモンの考えを理解する人間が住んでいるの。  
…私たちの言葉を理解するわけではなく、私たちが残す足跡で考えを読み取ると言う  
妙に高度な能力を持っている人間よ。  
旦那様がこの畔に来た時、私たちの考えを知りたいと、その人間の元へと連れて行ったわ。  
 
チェリム、ブーバー、フローゼル、クチート……  
4匹の足跡を読み取って、人間は旦那様へとそれを伝えていた。  
チェリムは、いつもありがとう、と感謝を。  
ブーバーは、もっとバトルに出させてよ、とお願い事を。  
フローゼルは、一緒にたっくさん遊んでよ、とおねだりを。  
クチートは、アンタのコト嫌いじゃないぜ、と天邪鬼な感情を。  
そして…私の番となって…  
「さ、そのレントラーを歩かせて御覧なさい」  
「レントラー、ここを歩くんだよ」  
旦那様が指し示す、砂が撒かれた床の上。…ここを歩けば、私の考えが旦那様に伝わるのだと。  
……しかし、私はフン、と顔を逸らして星の尾で砂を払った。  
「あっ、ちょっとレントラー!」  
旦那様が私の尾を掴んで、止めさせようと声を上げた。  
「ははは、まぁいいですよ。時々、歩きたくないと思うポケモンもいますから」  
……そうなのだと言う。  
それは懐いていなかったり、反抗期に入っていたり……理由は様々なのだと言うのだけど  
私と同じ考えで歩く事を拒否したポケモンも、きっといたんじゃないのかしら?  
 
私は尾を振って旦那様の手を振り払い、小屋の扉を開けて海へと身を翻した。  
「あぁ!もうー…」  
旦那様が呆れる声が背後からしたけれど、私はそれを無視して砂浜を駆けた。  
「あのレントラーは…随分真面目な子じゃないですか?」  
「え?えぇ。そうですけど……  
…こう言うお遊び的な事は、あまり好きじゃないのかなぁ」  
そう、私は真面目な性格だから。  
……いいえ、違うのよ。  
旦那様に忠実で、頼りになれるポケモンになりたくて、私は真面目を装っているのよ。  
何て、愚かなことかしら。  
でも、私はそれでいいの。それで旦那様が喜んでくれるなら、それでいいの。  
「でも、何を考えてるか知りたかったのになぁ…」  
私は、この気持ちを旦那様に伝える気など持っていない。  
むしろ、知られたくない。本気で人間に恋をするポケモンだなんて。  
愚かで、哀れで、………寂しいポケモンだわ……。  
 
 
足跡を残さぬように、小波に足を入れて歩いていた時だった。  
「わ、ああぁぁあ!!入っちゃだめ!だめー!!!」  
私を制止する声が聞こえ、そちらへと視線を移すと  
沖からフローゼルが背にチェリムとチェリンボを乗せて、こちらへ泳ぎ向ってきていた。  
「海に入っちゃだめ!!か、感電しちゃう!!」  
私は小波から足を抜き、乾いた砂浜へと移動した。  
それと同時にフローゼルたちはこちらへたどり着き、ふぅ、と大きく息を吐いていた。  
「ん、もー!海は電気を通しやすいんだから。  
レントラーが入ったらみんな感電しちゃうんだから、気をつけてよ!」  
プンプン、とフローゼルは胴体に巻きつけた脂肪を揺り動かしながら私へ警告する。  
分かっているわよ。気をつけるわ。……でも、知っている?  
カントーでは、波に乗るピカチュウがいるんですって。変わっているわよねぇ。  
「それはソレで、これはコレ!…で、何しに来たのー?」  
…気分転換にね。ペンションの中じゃ、ブーバーとクチートに構うのがちょっと面倒になったし。  
「ふぅん。あぁお腹すいた〜…ご主人様、まだぁ?」  
そろそろ戻ってくるのじゃないかしら?  
「そぉ。じゃ、アタシたちは先に戻ってるね〜」  
チェリンボを胸に抱き、フローゼルはチェリムと共に私の前から立ち去って行った。  
…私は彼女らを見送り、ふと彼女らの足元を眺めてみた。  
ポツポツと砂の上に浮かぶ足跡。…私が海に向ってきた時の足跡は、風にかき消されてもう見えない。  
彼女たちの足跡は、旦那様への想いの証。  
…だけども、私はその証を見せなくなかった。  
 
改めて、私は海を見返した。  
夕焼けに染まる空と、その色を反射させて輝く海。そして空と海を隔てる水平線。  
…あの水平線を越えた遠くの町。半年前旦那様は私たちを連れて南の国へと向った。  
目的は、ホウエン地方のコンテストに出場するためで…そこで、旦那様は  
クチートを自分のポケモンにし、彼の持つ技を次の世代に遺伝させるために  
チェリムと一緒に育て屋へ預けて……そして、あの女と出会った。  
旦那様が、あの女に恋をした事は私にとって大きな機転になる筈だった。  
…なる筈、だった……。  
旦那様があの人間に惚れた事で、私はようやく彼への恋を捨てられると思った。  
…それなのにね。私って本当、諦めが悪いのよ。  
手に入らないものほど、欲しくなってしまうのよ。  
叶わぬ恋だと分かっているのに、想いがますます焦がれていってしまうのよ。  
……本当、本当に……愚かだわ………。  
 
見えぬ水平線の向こうを見つめていた時、不意に私の目前をとあるポケモンが横切った。  
…青い色の身体を持った──カラナクシだわ。  
のんびりと海を泳ぐ青い身体は、茜色に染まる海に良く映えていた。  
…カラナクシを見つめていると、この前のコンテストでトリトドンに負けた悔しさが  
私の胸の中でモヤモヤと膨らんで来たのを感じた。  
カラナクシはトリトドンの進化前。しかも、あのカラナクシは種類まで同じ。  
…私は瞳を細め、四肢を曲げて身を低く伏せさせた。  
風が私のたてがみを撫で揺らし、体毛と体毛が一本一本擦れ合ってパチパチと電気を発生させて行く。  
 
…夕方は、まだ明るくとも闇が潜み始めて悪さを始める時間帯だと言う。所謂、逢魔時ね。  
そして今の私は、その闇に属する者になっていたでしょう。  
あのカラナクシは何も悪くない。…強いて言えば、私の前に現われてしまった事。  
日が傾き、空を覆う茜のケープは濃い群青へと色を変化しようとしていた。  
そのケープに身を隠している私ではあったけれど、  
纏った電気がバチバチと弾けて時折私の輪郭を浮かび上がらせていた。  
そして─私は身を起こし上げ、纏った電気を一筋の光へと変えてそれを空の雲へと解き放った。  
木々が縦に裂けるかのような耳を劈く音が響き渡り、私が電気を送った雲が一瞬、光った。  
その音に反応したのか、カラナクシは動きを止めてキョロキョロと辺りを見回していて─  
雲が鳴き声を轟かせ、雷を海の上へと──落とした。  
 
しかし、それはカラナクシの斜め横へと落ち、一瞬の内に電気は海の中へと拡散してしまった。  
カラナクシは晴れている今の天気で雷が落ちたことに驚き、首を捻りながら空を眺めていたけど  
やがてその身を水平線の向こうへと流していった。  
……外れてしまったのね。残念だわ。  
私はふぅ、と息を吐いてそろそろ戻ろうと後ろを振り返り─  
 
「あ、レントラー。ここにいるなんて」  
濃い群青と茜の色に照らされながら、旦那様が自転車を押しながら私の方へと向ってきていた。  
自転車の籠の中に、紙袋が山積になっている所を見ると  
買い物を終えてそのままこっちの砂浜へと来たんでしょう。  
「今日はデパートでバーゲンやっていてね!  
ポケモンフードも木の実も、たくさん買えたよ〜。戻ってごはんの時間にしようねぇ」  
自転車を右腕で押さえながら、左手で私の頭を撫でてくれた。  
大きく、ふわっとした掌に撫でられる事は、私の心を満ちさせる。  
私は、この人に飼われて本当に幸せだわ。  
「じゃ、戻ろっか」  
自電車を砂浜の上で回転させ、身も一緒に捻らせて旦那様は私の前を歩いた。  
…少し遅れて、私も旦那様の後を追うように砂浜を歩いた。  
 
首を少しだけ動かして、肩越しに後ろを見て私は足跡を確認した。  
自転車の線と、旦那様の足跡と、私の足跡が砂浜に浮かび上がっては  
時間差で風がそれを撫で消して行く。  
……もし、私が足跡で人間の考えが読み取ることが出来たならば  
旦那様の足跡から考えを読み取っていたでしょうね。  
…私の事を、どう想っているのか、知りたかった。  
そして、もし旦那様が私の足跡から考えを読み取ることが出来たならば  
きっと私の考えを読み取っていたのかもしれない。  
…本当、旦那様が足跡から考えを読み取る能力を持っていなくて良かったと、私は思った。  
足跡を通じて、旦那様へ想いを知られる事が無いんだもの。  
…でも、この足跡は今、間違いなく旦那様への想いを叫んでいたに違いない。  
……貴方を愛しています、と──  
 
 
「今日のごはんはトバリシティのデパート製!!  
バーゲンじゃないと買えない高級品!!  
…ん〜、バーゲン品で高級って、何かヘンだなぁあはは」  
旦那様はそう言いながら、ポケモンフードが入った缶詰めの蓋を開けて  
皿の中へと流し入れていた。  
「おまけに、フエン煎餅付きだよ〜ん。  
いかり饅頭は相変わらず売り切れなんだよねぇ。買い占めているのは誰なんだろ、ったく」  
皿を両手に乗せながら、旦那様はしゃがんでそれを床の上へと置いた。  
まずは、クチートとブーバーの分。  
そして次に、フローゼルとチェリムに、最後は私。  
「あ、レントラーとチェリムの今日のフードは甘目のね。  
これが一番安くてねぇ。買い込んじゃったんだ」  
そう言って、ポケモンフードとフエン煎餅が添えられた皿を私の前へと置いた。  
「レントラーとチェリムは好き嫌いないし、味のバリエーションが偏っても大丈夫だしねぇ」  
両手で頬を支え、旦那様はニコニコと笑って私を眺めていた。  
…私は皿のポケモンフードをしばし睨んでいたけれど、身を屈めてその一つを口の中へと入れ  
奥歯で噛み締めると甘ったるい味が口の中に広がった。  
……本当は、私は甘い物は好きじゃない。  
でも、好き嫌いせずに与えられた食べ物を全て食べると、旦那様は凄く喜んでくれるの。  
「美味しいかい?」  
………えぇ、美味しいです。と、伝えるように私はポケモンフードをひたすら食べていく。  
「チェリンボ、食べさせてあげるからおいで」  
旦那様はチェリンボを両手で抱え上げ、胡坐をかいた足の間に彼女を座らせて  
ミルクで溶いたフードをスプーンで掬って彼女の口へと入れ込んでいった。  
…かつての私も、旦那様に食事を与えられていたのを思い出し  
チェリンボを過去の私と重ね合わせて、私は過去の思い出に浸った。  
 
 
「んー、さすが高級品。いつもとちげぇや」  
膨らんだ腹をポンポンと撫でながら、フエン煎餅を齧ってクチートが満足げにそう言った。  
「でも、いつものフードも美味しいよ?」  
煎餅を手に持ちつつ、クチートの横でブーバーが言った。  
「でもよぉ…口に入れた瞬間は特に辛くも甘くもねぇ。…なのに、齧り、飲み込むと同時に  
舌と喉がカッと熱くなる、あの辛さ!!いやー、たまんねぇ」  
「僕もの美味しかったよー。あの苦さはドリの実と同じ…うぅん、それ以上かも!」  
「あーそう」  
煎餅を全て食べ終えたクチートは、まだ足りないと言うかのように  
ブーバーの持つ煎餅を奪い取り、それをバクリと口の中に放り込んだ。  
「あ!ちょ…!!」  
「んん?何だよ、持ったまま動かねぇから食わないのかと思ったんだけど?」  
「うわーん!僕のおせんべい!!!」  
ニヤニヤ笑うクチートの肩を両手で掴み、  
ガクガクと前後に揺らしながらブーバーは涙目で抗議していた。  
「レントラー。こっちおいで」  
クチートがブーバーの頬を大顎で引っ叩いているのを眺めていた私だけど  
呼ばれた声に反応し、私は首を動かして声の方へと顔を向けると  
旦那様がベッドに腰掛けて、私を手招きしていた。  
その両手には二の腕まで覆うゴム手袋を装着していて、右手にはラバーブラシが握られていた。  
私は旦那様の声に従い、身体を持ち上げて尾を揺らしてベッドまで歩き、  
その上へと身を跳ね飛ばせて、ギシリ、とベッドを軋ませた。  
 
旦那様は私の身体を左手で押さえ、ブラシを頭部へと触れさせて  
体毛の流れに沿うように、ブラシの歯でたてがみを撫でた。  
バチリ、と電気が弾けとんで旦那様は「うわ」と呟いた。  
「随分…電気が溜まってるねぇ。風に当たっていたから?」  
…雷を落すために、溜め込んでいたなんて教えられないし、教える術もないわ。  
ザッ、ザッと、私の体毛をブラッシングしながら、旦那様は私へと語りかけた。  
「この前のコンテストは、本当惜しかったねぇ。まさかトリトドンが来るなんて思わなかったよ」  
……。  
「どうしようかなぁ……技の構成を変えてみようか?  
お前は攻撃力が高いし……っと。特殊技の雷よりも、雷の牙の方がいいかなぁ。命中率も高いし」  
トリトドン、雷、命中率……もしかして、カラナクシに八つ当たろうとした所を見られていたのかしら…。  
「大地の力で沈むのもねぇ…電磁浮遊、覚えてみるかい?  
地面タイプや岩タイプ対策に、アイアンテールか馬鹿力もいいかなぁ……」  
私の尻尾を軽く握り上げ、ブラシで軽く撫で上げながら、旦那様は独り言のように言葉を続けている。  
星の尾にブラシの柄を擦り付けて磨き上げ、今度は私の口を開かせてヤスリで私の牙を磨き始めた。  
「噛み砕くは絶対に外せないし……うぅーん…  
あー、でもハートの鱗と、色の欠片がそんなに無いんだよなぁ。  
地下通路で掘って来ないと話しが始まらないや」  
…私はね、旦那様に身体を手入れされるのが凄く好きなの。  
何故なら、この時だけ私は旦那様に深く触れていることが出来るから。  
…この時だけ、旦那様を独り占め出来るから。  
本当は、もっと長く。もっと深く触れ合いたい。  
そう思っていても、終わりはすぐにやって来るものよ…。  
 
「はい、今日のお手入れはこれで完了。うーん、やっぱりキレイだよねぇ〜うふふふ」  
ブラッシングをされた体毛は艶を持ち、灯りが私の黒の体毛を銀色に光らせていた。  
ブラシをベッドの上に置き、手袋を脱いで旦那様は満足げに笑った。  
素手で私のたてがみを触り、ギュゥッ…と両手で私の首元に抱きつき  
頬をたてがみの中へと埋めて旦那様は言葉を続ける。  
「お前は自慢のポケモンだよ。一番、コンテストで活躍してくれるし」  
旦那様に褒められて、私は嬉しくなって尾を振って旦那様に甘えるの。  
 
一番。そう、私はコンテストでは旦那様にとって一番のポケモンよ。  
……コンテスト、では、ね……。  
旦那様にとって、一番、大切に思っているポケモンはブーバーでしょう。  
一番、愛おしいと思っているポケモンはチェリムでしょう。  
一番、役に立っていると思っているポケモンはフローゼルでしょう。  
一番、構ってやりたいと思っているポケモンはクチートでしょう。  
一番、可愛がってやりたいと思っているポケモンはチェリンボでしょう。  
沢山ある"一番"の種類の内の一つに過ぎないとは言え  
それでも、私は嬉しくてたまらない。  
いつか、全ての一番を手に入れたいと思うけれどそれは叶わぬ願いなのは良く分かる。  
……だって、全ての一番は……  
 
 
「明後日かぁー」  
私たちの身体の手入れを終えた後、旦那様はパソコンの前に座って  
しばらくしてから今の言葉を呟いた。  
旦那様が眼鏡越しに眺めるパソコンの画面には、開かれた一つのメール。  
……それが、あの女からのメールであると言う事はすぐに分かった。  
「みんな、明後日あの子が来るって!  
今日、船に乗ってね。明後日にミオシティに着くんだって!」  
椅子を回して身体を私たちに向けて、旦那様はニコニコと知らせてくれた。  
ミオシティ…ね…。  
旦那様が、あの昔話を語ってくれたあの町。  
あそこで、私はこの想いに期待と諦めを抱き続ける事になったと言うのに  
また、あの場所を訪れなければならないのかしら?  
「明日は朝早くにペンション引き払って…  
一度家に戻って、そして翌日にミオシティに迎えに行こうねぇ。  
あぁ、半年振りに会えるんだなぁ。楽しみだ〜むふ、うふふふ」  
そう、その笑顔。…私たちと触れ合っている時も、コンテストで優勝した時も  
たまごが孵化して新たな生命が生まれた時も…見せたことがないと言うのに  
あの女を想うだけで、とびっきりの笑みを浮かべるなんて。  
……妬ましい…なんて思う、私がとても妬ましい…。  
「家に戻るんなら、どうやって帰ろうかなぁ。  
どうせ後日にズイに行くから、ノモセ経由で帰ろうかなぁ。あ、だったら大湿原で遊んで行きたいなー。  
…ん、待てよ。それよりもジムでのプロレス試合が見たいなー。  
あぁ!木の実のタネ貰っておかないと!!」  
壁に貼られた地図を見て、旦那様はどんどんと予定を立てては崩し、立てては崩しを繰り返している。  
時計を見ると、長針は6を指し短針は10と11の間を指していた。  
そろそろ夜も深まる頃と分かり、私は床に伏せて身体を丸ませ目を閉じた。  
……また、明日は忙しくなりそうね……。  
「テンガン山を抜けたら…うーん、サイクリングロード登るか登らないで帰るか…  
あー、どっちにしよう!迷うなぁ〜」  
旦那様が続ける独り言を子守唄にし、私は眠りの波へと身を沈めた──  
 

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