あまりの息苦しさで目を覚ました時には、まだ森の景色は薄暗く、そこら中を白いもやが泳いでいる時間帯だった。
汗まみれの火照った体に、荒い息遣い。それに――下半身の膨張した巨体と白濁色の己の遺伝子から漂う雄の臭い。
最近、毎日がこういった調子だ。寝る前に雌を犯す妄想などしながら抜くことはあっても、寝ている時に射精したことなど今まで一度もなかったのに。ここ数日、寝る度に夢精をしてしまう。
だからと言って、夢精をしてしまうほど僕は疲労しているわけでもないし、ストレスが溜まっているわけでもない。ましてやこだわる程そこまで性に対しての願望もない。
だが、結果があるからには何かしら原因があるのは確かなこと。
なのに、今に至るまで日常に変わったことが起きてなかったか否か、記憶を辿っても何も進展に繋がる出来事には遭遇することはなかった。
どうにかしたい。起きた時に下半身の逸物が聳え立っていることや、その物体からネバネバした液体が垂れ、自分のフリルとその下の地面を汚しているのを目にすると、この上なく恥ずかしいのだ。
もしこの光景を他のポケモンに見られでもしたら、もう僕は生きていけないと思う。一生変態として笑い者にされるに決まっている。
それが嫌だから、何とかしてこの困難から脱出をしたいのだ。
カモフラージュ代わりに垂れ落ちている液には土を被せ、適当に草むらから葉っぱをちぎってフリルや体に付着している精液を拭き取るも、膨張した肉棒はある程度時間が経たないと治まってはくれない。
フリルの前の部分が出っ張っているのが治まっていないという、何とも分かりやすい印。このときだけ、僕は雌の体でありたかったと悔しく思うのであった。
「やあ、キレイハナ。調子はどうだい」
もじもじしていると、背後からどこか聞き覚えのある声が聞こえた。肉棒がまだ治まっていないため、ゾッと背筋が凍った。
こんな朝早くに、なんでお前がここにいるんだ。内心焦りと疑問で混乱しつつも、下半身が勃起していることがばれないよう、首だけ後ろを振り向くと、思ったとおり、紫色の丸っこい体がそこにあった。
鋭利な紅い目に、ニヤリと笑っているかのようなつりあがった口のゴーストポケモン――ゲンガーだった。
彼とはいつも気が合い、そのせいもあってか友としてのつき合いは長い。共に将来の夢を語り合うこともあれば、イヤらしいことを語ることもありきの仲だった。
ここでゲンガーを無視するとかえって怪しまれる。僕は平常心を装い、ゲンガーに返事を返した
「なんだゲンガーか」
「なんだとはないだろう、お前の友達に向かって」
「友達じゃなくて親友だろ」
「……お前、良いこと言うな」
そう言ってゲンガーはにやけた口を更につり上げ、キシシ、と笑った。
僕も笑ったけれど、ひきつった笑いをしていることだろう。下半身が、笑ってる場合ではない、と僕に告げているのだ。
「ところでキレイハナ。どうして体だけそっちを向いてるんだ?」
穏やかな雰囲気が、一気に氷結した。唐突に真面目な顔をして、ゲンガーが僕にとって一番訊いて欲しくなかったことを訊いてきたのだから。まだ勃起が納まっていないのに……。
いくら親友だからといって、自分の淫らな姿を見せるのは正直恥ずかしい。
「なん、何でもないよう」
普通こういう場合は隠し事がバレないよう、台詞は噛んでしまってはいけないのに。心って自分までも騙して驚かすのだから酷なものだ。
「何だよ水くさい。親友に隠し事はなしだぜ?」
と言って、彼はサッと僕の前に回り込もうとした。
「本当に何でもないようっ!」
どうしても見られたくないため、フリルの一部分を両手で押さえ、見られないように違う方向を向いて彼に背を見せる。
しかし、彼の素早さには劣るため、すぐに前に回り込まれてしまった。そして押さえていた手を掴まれ、バンザイするように上げられる。
もちろん押さえられる場所がない肉棒は突き出て、フリルの一部が再び突出する。最悪のシチュエーションである。
「お前……朝立ちか」
「……うん」
恥ずかしがりながらも頷き、返事をする。
そういえばそういう考え方もあったのだな、と勃起のことだけで頭がいっぱいいっぱいになっていた自分を責めつつも、心の中でゲンガーのフォローを称えた。
しかし――僕の逸物が立っているのを、一番の親友に見られてしまったのだ。彼はこんな僕の姿を見てどう思ったのだろう。
「別に恥ずかしがることはないじゃないか。雄は皆朝立ちはするものさ。この俺もな。それに、朝立ちは健康な証拠らしいんだぜ?」
ゲンガーはキシシと笑い、僕の背中をバシバシ叩いた。
すると何故か緊張がほぐれ、体の力が抜けたような気がした。ゲンガーはやはり、僕の知っている親友のゲンガーだった。今まで語らってきた友の励ましの声は、何よりも心強く聞こえる。
「あのさ、ゲンガー。相談があるんだ」
「どうした?」
彼ならこの悩みを解決してくれるかもしれない。そう思った僕は、周囲に誰もいないことを用心深く確認してから、ゲンガーに最近僕の身に起こる夢精について話し始めた。
ゲンガーはいつにもまして、真剣な顔つきで僕の話を聞いていた。
話を終えると、ゲンガーは目を瞑り、うーんと唸って何か考えているようだった。僕の悩みであるのに、彼も僕の立場になって悩みを共感し、考えてくれているのだろうか。
それとも、実は何か策はあるのだが、その策を決行するべきなのか判断に迷っているようにも見られた。
暫くして、瞑っていたゲンガーの目がゆっくり見開かれ、鋭いその紅い目が僕を捉える。
「考えてみたが確かな原因は分からないな。やはり疲労かストレスか、もしくはお前の深層心理に隠された性的願望の現れかもしれん」
ゲンガーも僕と同じような結論だった。
けれど、やはり何かがおかしい。思春期はとっくに過ぎているし、自慰を覚えてからこれまで何度もそれをしていたのに、今頃になって夢精するなど生理的矛盾が生じる。
また、一度寝る前に抜いてから寝たことがあるのに、それでも夢精を起こしたことがあった。
体内の精子の量を減らしてから就寝についたのに、夢精をするなど本当に矛盾極まりない。
結局、それから暫くゲンガーと話していたが、原因はわからず終いだった。礼を言ってゲンガーと別れた僕は、そのあとも考えに考えてみたが、何も進展がみられないまま就寝を迎えたのだった。
暗い。気がつくと、暗闇が四方八方を充たしている空間の中にいた。何も見えないし、聞こえない。何故こんな場所にいるのか理由さえもわからない。
出口を探そうと思い体を動かそうとするが、どういうわけか動きたくても動けない。何もすることができないのだ。
その刹那のことだ。下半身が、奇妙な感覚に襲われた。
何かが下半身、つまり僕の性器を何かが包んでいる感覚だ。それはヌメヌメして柔らかく、熱っぽい暖かさを感じる。
すると、突如性器を包んでいるモノがゆっくりと前後に動き始めた。
性器の八割が外気に触れたかと思うと、また暖かいモノが吸い込むように包み込む。
そして、次第にそれを繰り返す速さと性器を包む力が増していき、まるでピストン運動をするかのように動いていく。
気がつかぬうちに、いつのまにか僕の性器は肉棒へと成長し、熱を帯び始めていた。
そして、暖かいモノがピストン運動を繰り返すうちに、僕の肉棒がヒクヒクと小刻みに動き出し、遂にその暖かいモノの中に――
薄く目を開くと、どうやら空がじわじわと明るさを取り戻し始めている時間のようだった。薄青色の空に、左端はクリーム色の空。朝は今日の始まりの準備をしている真っ最中だ。
それにしても、何だか夢を見ていたような気がする。眠い目でどんどん明るくなっていく空をボーっと見つめていると、フリルの中、下半身に冷たい何かがついていることに気がついた。
立ちあがり、すぐさまフリルの中に手を伸ばす。そして、僕は溜め息を吐き出さざるをえなかった。
また夢精をしていたのだ。
それも昨日よりも出量が多いので、僕の性器にはほどほど困ってしまう。
七日連続。ここまで続くと僕は夢精病という未知の病にかかってしまったのだろうか、と疑ってしまう。
もしこれが事実であるならば、これが他の雄ポケモンたちに感染する感染病であることを祈る。
なぜなら夢精をする雄のポケモンは僕だけではなくなるのだから。
そんな妄想を描きながら精液の証拠を隠滅すると、肉棒が治まるまで周囲への警戒を怠らなかった。
その日の昼のこと。僕はゲンガーといつもの大木の根本でくっちゃべっていた。
「なにっ。また夢精したって!?」
「しぃーっ!声が大きいってば」
ゲンガーに、また夢精してしまっていたことを告白した。驚く彼の声はいつになく大きい。周りに誰かいたらどう責任をとってくれる。
「しっかし、ひとつだけ気になるところがあったな」
「何が?」
「お前が言ってた、内容は覚えてないけど夢か何かを見ていたってとこさ」
「でも夢を見ていたのかさえ疑わしいんだけどね」
「そこが疑うべきところなのさ。いいかキレイハナ。夢というのはお前自身が強く望んでいることを幻想世界に表したもの。つまり、お前が心の中で常に隠しているもう一匹のお前が自由に支配している世界なんだ」
「もう一匹の僕が支配する世界……?」
「ポケモンの心には必ず表と裏がある。表は友好的で、誰が見ても好ましい発言と行動をする。だが、裏は表とは真逆だ。平気で悪口を言いたい放題、表でできないことを妄想という名の空間で好き放題やりたい放題に暴れ、うっぷんを爆発させている」
「じゃあ、その裏の存在であるもう一匹の僕が、現実の世界に欲求不満を感じてそれを夢の中で何かしらやらしいことをして欲求不満を補っている、っていうこと?」
「つまりはそうだな」
何となくだけれど、現状が分かってきたような気がする。
最近何故僕が夢精をするのか。それは僕の心に問題があったのだ。ゲンガーの言う、僕の心の中にいるもう一匹の僕が、最近の生活に飽きを感じて、それを夢精で済ませることで乾いた心の裏部分を潤していたのだ。
僕自身としては、今の生活には夢精以外なら十分満足しているというのに、未だに自分の心って分からないものである。
「何か解決策はないの?」
少なくとも、昨日より進展はあった。頼むゲンガー。ある、と言って頷いてくれ。
「すまないが……方法はないんだ」
役に立てなくてすまん、ゲンガーは申し訳なさそうに言った。
僕はゲンガーに何も言えなかった。これから毎回寝る度に、淫らな生理活動をいやでもしなければならないのかと思うと、気が遠くなった。一瞬、場所も名も知らぬ花畑で、爽やかな顔をしたフワンテがこっちを見ておいでおいでの動作をしている姿が見えた。
「大丈夫かキレイハナ。顔色悪いぞ」
ゲンガーに言われてはっと我にかえる。
「だ、大丈夫だよ。いつまで夢精が続くんだろうって考えたら気分が優れなくて……」
「全然大丈夫じゃないじゃないか。夢精のことは気にするな。そんなモン、いつかは治まるさ」
ゲンガーは僕の肩をポンポン叩き、キシシと笑って言った。僕の気持ちを和らげようとしているのは痛いほど伝わるのだが、和らぐどころか不安と絶望感が降り積もるばかりだった。
時の流れは早いようで、一日はもう終ろうとしていた。ゲンガーと別れたあと、夢精した姿を見られないよう、誰も僕が寝ているのに気づきそうにない叢を寝床とした。
夢精をしてしまうのは大方わかってはいるけれど、でも願わくば、今夜こそは夢精しないことを祈る。
未だに捨てきれない希望を願い続けていると、何だか瞼が重たくなってきたので目を瞑ると、僕の意識はすぐに闇の中に溶け込んでいった。