日が水平線に沈み始めて辺りはだんだんと暗くなっていた。潮が満ちてきたのだろうか。僕の足首に白波が打ちつけてくる。  
 
ミカンさんは僕の胸元にふわっと抱きついてきた。  
 
「……バカっ」  
「……?」  
 
胸元から生温かい涙が伝わり、服にじわっと染み付いてくるのが分かる。  
ミカンさんはきっと泣いているのだろう。これは…悲しいのか…それとも嬉し泣き?  
 
それからミカンさんはゆっくりと話し始めた。  
 
 
 
 
 
 ――あたしは、どちらかと言えば小さい時から大人しい性格だと思う。いまもそこはあまり変わっていないけど。  
この大人しさ故に、小さな頃から人にからかわれることが多かった。キキョウシティにあるトレーナーズスクールに通っていたときも、周りの目立つ男の子達にちょっかいをかけられるのが日常茶飯事だった。  
 
 今のあたしと違うところ。それは昔のあたしは感情をすぐに表に出すような子供だった。ひどいめに遭うとすぐに悲しくなって泣きわめくし、嬉しいことがあると素直に喜びを表に出す女の子だった。  
普通そんな目に遭ってたら学校を辞めたくなるかもしれない。でも、あたしは辞めようとはしなかった。何よりポケモンが好きだったの。トレーナーになりたかったの。もうこの時には灯台のアカリちゃんとも仲が良かったりもしたわ。  
 
 あたしの最初のパートナーは普通のよりも身体の小さい臆病な性格のイワークだった。  
そのイワークが彼等によってひどい仕打ちにあったことがある。今から10年前。あたしが8歳の時の出来事だった。  
 
彼等は私からモンスターボールを奪い取り、中からイワークをくり出した。  
……その光景は今でも思い出したくはない。彼等のマダツボミのつるのムチでひたすら痛め付け、何も罪のないイワークは悲しそうな声をあげていた。  
やめて、と必死に泣きながら懇願するあたしの目の前で、彼等はつるを使って瀕死になったイワークを深い池の中に放り投げさせたの。  
 
 まさに絶望だった。あたしは池の中に飛び込み小さなイワークを探して探して…見つけだした時には水の弱いイワークに水が染み込み、息も絶え絶えだった。  
急いでポケモンセンターに連れていった。ジョーイさんに最悪のことも考えたほうがいいと言われて、ロビーであたしは泣きじゃくっていた。そんな時、あの人が現れた…。  
 
「どないしたん? 泣いたらあかんよ?」  
「……ぐすっ。…あ、あなた隣のクラスの」  
「まあ、ハンカチでその涙拭きなや」  
「……ありがとう」  
 
コガネ弁バリバリのその人は隣のクラスの目立つ元気な女の子だった。あたしとは正反対の誰にでも絡んでいくような気さくな性格で、これから先全く話すような縁がないだろうともその時は思っていた。  
 
「自分、確かアサギシティのミカンちゃんやろ?」  
「……うん」  
「やっぱ! いや、いっつも見かけては可愛い娘やなぁなんて思ってたんよ」  
「……可愛い? そんなこと、全然ないです」  
「んまぁそれはよしとして、どないしたん? 綺麗な顔に涙は似合わんよ?」  
 
それからあたしはその子にこれまで経緯を説明した。話すのも辛くて嗚咽が止まらなかったけど、その子は嫌な顔一つせずにしっかりと聞いてくれた。  
涙を流して悲しむあたしをその子はそっと、抱きしめてくれた。  
 
「それは辛かったな…パートナー大切にしてたんやなミカンちゃんは」  
「……」  
「…イワークが心配なんやろ? きっと大丈夫やで」  
「……う、うわぁーんっ!!!!」  
 
あたしは思いっきり泣いて泣いて泣いた。涙が枯れ果てるまでひたすら泣いた。  
 
 大分時間が経ち泣き止んだ時に彼女はふと立ち上がり、あたしには顔を見せずにこう言った。  
 
「…でもなミカンちゃん。その罪の無いアンタのイワークが傷付いたのは、奴らだけがいけないわけじゃないんやで」  
「…えっ?」  
「自分のポケモン守れなかったトレーナーにも責任はあるんや。もしイワークが攻められた時に指示を出せて攻撃返せてたら? こんなことにはならへんかったかもしれないやろ?」  
「……」  
「トレーナーになるってことは、そういうことや。頭でっかちに知識ばっか詰め込めばいいってもんやない。冷静に状況判断してその知識を瞬時に応用できてこそトレーナーや、とウチは思うねん」  
「……」  
「そして何より、ポケモンを守るにはトレーナー自身が強くならないといけないんやないかな?」  
「……あたしが、強く、なる?」  
 
その子はあたしの方に振り返り、しゃがんで、そっとあたしの頭を撫でながら聞かせるようにそっと穏やかな声で言った。  
 
「…そうやで。もしポケモンが好きで、パートナー守りたいと思うなら、ミカンちゃん。アンタも強くならなきゃあかんよ……」  
 
(自分が強くならなきゃいけない…)  
 
あたしの心の中で彼女の言葉が響いていた。続けて彼女は話しはじめた。  
 
「ウチな、みんなとは少し遅れて学校に入ったんよ。ちょっといろいろあってな…とにかく、強くなりたいんや。ポケモンも、そして自分自身も……」  
 
それからジョーイさんにイワークはもう大丈夫だと告げられ、あたしたちは安堵して心から喜んだ。日が徐々に傾き始めた頃、キキョウシティを出てあたしたちは36番道路を歩いていた。  
 
「とにかく良かったなぁ! ほな、ウチはそれそろ帰るで」  
「…ありがとう」  
「じゃな!」  
 
エンジュ、コガネ、そしてキキョウの三差路になっている所であたしたちは別れた。しばらく歩くと、後ろからあの子の声が聞こえてきた。  
 
「言い忘れとったわあ! ウチ、コガネシティのアカネや! これから仲良くしようやあ!」  
 
あたしは、彼女に大きく手を振っていた。  
 
これが、後に唯一無二の親友となるアカネとの出会いでした。  
 
 アカネと別れたあと、あたしはアサギシティが見渡せる高台まで帰ってきた。あたりはすっかり日が暮れており、街は煌めき、星空が頭上に輝いていた。  
 
そこでイワークをボールから出して、あたしはイワークを抱きしめた。  
 
「ごめんね、あたしが弱いから…ごめんね…」  
 
と何回もイワークに泣きついた。その度イワークは優しい声を返してくれた。  
 
「…イワーク。あたし、強くなる!! もう、あんな奴らには負けたくないよ…負けたくない!!」  
 
星空の下、あたしたちは誓った。  
 
 それからというもの彼等にからかわれても、あたしは表情を表には出さなかった。最初からびくびくしていては舐められると思ったからだ。  
勉強にも励んだ。学校が終わってからも、イワークとふたりで野生のポケモン相手に修業を積んでいった。  
一方でアカネも学校内で頭角を表すようになってきた。彼女の存在は、あたしにとっては励みになった。  
学校ではあまり一緒にいることはなかったけど、夜な夜なポケギアで語り合ったりした。たまにバトルしたりもしたっけな…。  
もちろん辛いことはいっぱいあった。泣きそうになることもたくさんあった。でも、あたしはもうポケモンたちを悲しませたくない。  
ポケモンが大好きだから…。  
 
 ついにあたしは6年前にアカネと共に学校を首席で卒業するまで一滴も涙を流さなかった。その頃までにはもう、からかわれるなんて事も無くなっていた。  
あたし自身もポケモンも少しだけ、大きくなれた気がした。  
この経験が後にあたしが『鉄壁ガード』と呼ばれる所以なんだと思う。  
 
そんなときだった。首席が二人も出たと噂を聞き付けたポケモンリーグからあたしとアカネにジムリーダーの就任の要請が来た。  
あたしたちは悩んだ末に受諾し、晴れて新米のジムリーダーとなったのだった。  
 
 ジムリーダーに就任してから1年経ったある日のことだった。  
 
いつものようにジムでの仕事を終えたあたしに一本の電話が入った。  
 
…♪〜…♪〜…♪〜、、、ピッ!  
 
「…もしもし」  
「あっミカン? アカネやけど…」  
「アカネ? どうしたの?」  
「いや今日めっちゃ強いチャレンジャーが来てな、ひっさしぶりの完敗やったわ!」  
「…そうなの? どんな感じだった?」  
「いやな、普段とバトルじゃ目つきが全然違うんよ。ポケモンの扱いもよう出来る子やで」  
「子? …それって子供?」  
「そう! ミカンよりちょい下ぐらいの男の子で、トレーナー歴もまだ浅いんやって。おまけにトレーナーズスクールにも行っとらんらしいで。ほんまたいしたもんやわ!」  
「そっか。ちょっと気になるな…」  
「もしかしたらそのうちミカンのところにもやってくるかもしれへんで? じゃあ!」  
 
ピッ!ツー…ツー…  
 
(強い…男の子かぁ)  
 
それからしばらく後になってからだった。アカリちゃんの様子がおかしくなったのは。  
 
 アカリちゃんは長い間、あたしが生まれる前から灯台のポケモンとして休まず働いてきた頑張りやさんだった。  
アサギシティのジョーイさんに診てもらったけど、疲労だけじゃなく合併症も起こしていて街の設備だけではどうにもならないらしい。タンバシティの老舗の薬屋までいかないとダメだそうだ。  
一刻の油断も許されない状況で、あたしは側を離れるわけにはいかなかったから、やむをえなくジムを閉めることにした。  
 
そんな日が数日続いた後、一人の男の子があたしを訪ねてきた。  
 
「もしかして、アサギシティのジムリーダーさんですかあ?」  
「…トレーナーさんですか?私がアサギシティジムリーダーのミカンです」  
 
 あたしはそういってその男の子を見た。最初に目に入ったのが綺麗で大きな瞳。鼻筋が通っていて全体的に整った顔立ちをしている。キャップを被り、パーカーを着込んでランニングシューズを履いている。ちょっとオシャレな普通の男の子って感じだった。  
 
「僕、ジム戦をお願いしにきたんですけど!」  
「…ゴメンなさい。いまあなたとジム戦をするわけにはいかないの」  
 
それから彼と少し話しをした。アカリちゃんの容態が酷いから離れるわけにはいかないこと。そして治すにはタンバシティの特別な薬が必要だということ。それまでジム戦は出来ないということ…。  
彼は少し思いあぐねていたようだけど、しばらくしてこう言った。  
 
「…分かりました!僕がタンバシティまで行って薬を貰ってきます!」  
 
ちょっと思いもよらない回答だった。あたしはあの出来事以来、心から信頼できたのはアカネただ一人だけだった。だからこの大切な役割をそう簡単に人に頼めずにいて途方に暮れていた。  
けど、彼の正義感に満ちたその顔はどこか信頼が出来そうな、不思議とそんな気がしたの。  
 
「…お願いしてもいいんですか?」  
「はい!ミカンさんはアカリちゃんの側に居てあげて下さい!」  
 
彼はそう言って微笑んだ。  
 
「…ありがとう」  
 
あたしはお礼をいい、自分でも不思議なことにこの素性の分からない少年を信じることにした。  
 
「じゃあ僕行きますね」  
 
そういって彼はエレベーターに乗って去っていった。  
 
 あれ、あたし名前聞いてなかったっけ…。そう思ってたら足元に一枚のカードが落ちていたのに気がついた。拾い上げてみるとそこにはこう書いてあった。  
 
『Name:Hibiki  
 Sex:Man  
 Age:10   』  
 
添付されている写真を見るかぎりどうやら彼のトレーナーカードのようで、名前はヒビキと書いてあった。  
「…ヒビキくんっていうんだ」  
 
それがあたしとヒビキくんが出会った日の出来事でした。  
 
数日後にはヒビキくんが灯台に帰ってきた。  
彼からひでんの薬を受けとって、代わりといってはなんだけど彼のトレーナーカードを渡してあげた。  
 
探してたんですよ〜、と彼はちょっと照れたのか表情を崩した。そこには素顔のヒビキくんが表れていたように思えた。  
 
 薬を与えると効能がすぐに表れた。ぐったりしていたアカリちゃんがたちまち何もなかったかのように元気な声を上げた。  
 
「よかったね……」  
 
そういってあたしはアカリちゃんと抱擁した。  
 
 その後、ジムに戻ってバトルを行った。  
戦いをするうちにあたしは違和感を感じていた。このぐらいの歳にしては、ヒビキくんは明らかに実力がずば抜けている。  
どうしてか考えてみたときにふとアカネの言葉が脳裏をよぎった。  
 
(バトルのときに、目つきが変わる男の子……)  
 
ふと、彼の顔を見てみる。  
普段は柔和な優しい瞳だったのに、キリッとした集中した瞳……そこには完全に勝負師の顔があった。  
全力は尽くしたし、決して油断したわけじゃない。それでも彼の戦術はカリスマ的なものだった。冷静さを忘れずに場の状況に瞬時に適応して、最大限に利用する能力…。  
どう考えたってここ最近トレーナーになったとは思えない。あたしは確信した。  
 
(間違いない……彼がアカネの言っていた男の子)  
 
目の前でハガネールが崩れ落ちていく。  
ここまでやられたのは初めてだった。……悔しいけど、完敗だった。  
 
「…これ、バッチです。受け取ってください」  
「ありがとうございます!」  
「…灯台のこともありがとうございました」  
「いえいえ、アカリちゃんも元気になって良かったですね」  
 
バトルの時じゃない彼はまるで別人のようで…この場に及んでもまだアカリちゃんのことを心配してくれる。ここまで人のことを気にかけてくれる優しい男の子は初めて見た気がした。  
 
それから何気ないやり取りをしばらく繰り返し、彼がここを去ろうとした時だった。  
 
「…あの。ヒビキくん!」  
 
彼の背中に呼び掛けた。  
 
「…あたし、口下手でうまくいえないけど…頑張ってくださいねっ」  
 
なぜだろう。思い返せばあたし、挑戦者には積極的にコミュニケーションをあまりとらないタイプだったはず。でも彼は…何だか応援したくなったの。  
 
「…はいっ!」  
 
あたしに飛び切りの笑顔を見せて、彼はジムを去って行った。  
 
テロップ忘れました。  
すみません。続きいきます。  
 
 あたしのようなジムリーダーには一ヶ月に一回だけリーグから二連休を正式に与えられる。  
 
 ヒビキくんとのバトルから1ヶ月後、その休みの日にアカネがアサギシティのちょっと外れにあるあたしの家に遊びに来ていた。そこではこんな会話が繰り広げられていた。  
 
「…でな、バトルフロンティアのタワーの屋上からはな、ジョウト全体が見渡せるようになるらしいで!」  
「そうなんだぁ。出来るのが楽しみだね〜」  
 
そんなことをいいながら、話題はお互いのジムのことに移った。  
 
「ミカンはどうなん? 最近のジム戦は?」  
「…相変わらず全然手応えのないトレーナーばっかり。あっ! でも1ヶ月前、たぶん電話でアカネの言ってたような男の子が来たの」  
「おぉ! あの男子か! ミカンのとこ来てたんや。んで、どうやった?」  
「…完敗だった。悔しいけどね」  
 
久しぶりに脳内にヒビキくんの事を思い出した。意外と今でもバトルは鮮明に覚えていた。あのバトルの時のキリッとした瞳…狂いのない戦略。走馬灯のように光景が蘇ってくる。そしてなによりあの笑顔…。  
 
「…おーい。ミカン?」  
「……えっ」  
「なんや。自分そんな顔するなんて久しぶりやん」  
「…あたし、どんな顔してた?」  
「いつもはなんか仮面被っとる感じやけど、こう、にへらぁーって感じでニヤけとったで?」  
「…やだ。そんな、あたしらしくない」  
「いや、ウチはそっちの方がエエと思うけど? 今みたいにほんのり朱くなった頬とか…もともとは可愛い顔してんねん。笑わな損やで損!」  
「そんな可愛くないって…あたし、もう昔みたいには笑えないよ……」  
「…うーん。まあエエわ。…それより、何考えとったんかな? ミカンちゃん?」  
 
しまった。勝ち誇った目でこっちを見てる。そしてこの口調。こうなるとアカネは面倒臭い。この子は人の表情を読み取るのがホントに上手い。  
だからちょっとした顔の特徴を見抜いて、言ってることがズバリ嘘だとわかってしまう。前もホントの事を話すまでたっぷり絞られたことがあったっけ…。  
 
「さっ、さっ、教えてーな」  
 
ここは素直に白状したほうが賢明だと思い、1ヶ月前の出来事を話した。  
 
 話しの途中、アカネがちょっと予想外な行動をとった。…その、あたしの、決して大きいとは言えない、胸に手を置いたの。  
 
「…!! なっ!! えっ、あ、アカネっ!?」  
「あはっ! ミカンってばドキドキしとるやーん!」  
「だって…!」  
 
アカネは人差し指を立てて、あたしの唇に柔らかなタッチで触れた。  
 
「…ミカンちゃん。ヒビキに何か他の男の子とは違うことを感じなかった?」  
「……」  
「自覚なかったとしても、アンタの喋っとる顔見たらよう分かるわ。いつもの鉄仮面外れとるで。この手に伝わるドキドキが何よりの証やな」  
「……」  
「アンタ、あの子が好きなんやない?」  
「えっ、そんなん…」  
「どっちにしろ、いずれ好きになるのは見え見えやで。ミカンちゃん?」  
 
釘を刺すように言い切るアカネ。たしかにヒビキくんにはアカリちゃんのこととか頼みやすかったりしたけど…。これを恋と言えるのかはこの時のあたしにはよく分からなかった。  
 
「まあそれにしても、ミカンって着痩せするタイプ? 思ったより柔らかいもん持ってるやなーい!! まっ、ウチの方がグラマラスやけどねーっ!!」  
 
アカネは下からそっと、あたしの柔らかいモノを持ち上げながら、その指で繰り返し圧力を加えはじめた。  
 
「…やだっ!」  
「へぇ〜。アンタの恥ずかしがる顔もエエなぁ! その顔、きっと男のリビドー掻き立てるで!!」  
「あ、アカネのハレンチっ!」  
「え、ウチのどこがハレンチなん? いってみぃ?」  
「……いじわるっ」  
「あっ! その潤んだ目での上目遣い、ウチでもキュンとくるでー!!」  
 
圧力を加えていたアカネの指が、今度は柔らかい部分の突端を挟み軽く持ち上げた。  
 
「…! んっ!」  
「おぉ!? やたら高い声で鳴くやない! それ反則やでミカンちゃーん!!」  
「アカネっ!! バカーっ!!」  
「怒った顔も、ちょっとイジメたくなるで!! ミカンほんま可愛いわぁ!!」  
「……///」  
「そういう顔の方がやっぱ全然ステキよ!? さっ、今夜は楽しくなるでーっ!!」  
 
アカネはあたしの頭をくしゃくしゃに撫でた。  
 
その夜はいろいろ語り明かした。ちょっといつもとは違った雰囲気になったけど、それはそれで楽しかった気もする。これがホントのガールズトークっていうのかな…?  
 
 翌朝、あたしたちは新聞を見て愕然とした。語り合っていたまさにその時に、コガネシティがロケット団にジャックされていた。ジムの休みでアカネがいなかった隙を狙って行われた犯行らしい。  
そしてその敵の本陣を討ち取ったのが、まぎれもないヒビキくんだった…。  
 
 あれからちょっともしないうちに、リーグ本部から連絡が届いた。ヒビキくんが、あのワタルさんを破ってチャンピオンになった。という一報だった。  
公式記録によると、3年前に大きく話題になったカントーの少年2人の殿堂入り最年少記録にちょうど並ぶ。  
もちろんジョウトでは史上最年少記録になるそうだ。  
 
 そんなある日のお昼時。実はあたしは決まってアサギ食堂に通うのが日課。…一応あたしも女の子の端くれだから言うのは恥ずかしいけど、こうみえて結構食べる人だったりする。  
これはマスターさんと、アサギの船乗りさんとの間だけの秘密だ。秘密だったのに…。  
 
幸せを感じながら大皿の料理に舌鼓をうっていた時だった。何だか店内が急に騒がしくなった。声のするほうを振り向くと、そこには絶対にいるはずないと思っていた人がいた。  
チャンピオンだ、という声が飛び交う中であたしと視線が合うや否や、その人はこちらに歩み寄ってきた。  
 
「ミカンさんっ!! お久しぶりです!!」  
 
そう言うと、飛び切りの笑顔を見せてくれた。  
 
「…ご、ごきげんよぅ。ヒビキ…くん」  
 
…困ったことになった。こんな恥ずかしいところを知っている人に見られるのはあたしの自尊心が許さなかった。  
しかもよりによってヒビキくんに見られるだなんて…。  
そんな時に彼の視線がカウンターにあたしが積み上げた大きな皿が目に入ったみたいで、少々驚いているように見えた。とっさの一瞬であたしは弁解の言葉を口にした。  
 
「…あ、イヤ、このぉ皿はあたしが全部食べたわけではなくて…。そぅ! ぁたしの前にいた人がお食べになった残りなんです…」  
「そっ、そうなんですか」  
「…はぃ」  
 
(…ダメだ。顔の表情は平静を保てたけど、明らかに言葉に動揺が出ちゃってるよぅ)  
 
その時の心中は凄い慌てふためいていたと思う。しばし沈黙が流れた。  
どうしよう、どうしよう、と考えていると彼の左手首にポケギアが付いているのに気がついた。あたしはもう、とっさに浮かんだ打開策にこの場の変化を懸けてみることにした。  
 
「…そういえば今後とも連絡が取りたいんですけど、電話番号交換しませんか? せっかくの機会ですし……ねぇ?」  
 
あたしはどうか気を変えてほしいと懇願するように、彼を見上げて見つめながら申し出た。  
 
「もっ、もちろんです!! むしろこっちから聞き出そうと思ってたぐらいですから!!」  
 
意外と好感触だったようで、気を紛らわすには最高の結果となったようだ。こんな感じであたしたちは初めて連絡先を交換しあった。  
 
「…これでいつでもお話し出来ますね。あたしは夜なら大丈夫だから、いつでもお電話くださいね」  
「はいっ!! 自分も夜なら大丈夫なんで…こっちも待ってます!!」  
「じゃっ…あたし、もうジムがあるから」  
 
ホントはまだ時間はあった。今の状況でこれ以上話しを続けるのは不可能だと思い、紙幣をカウンターに置いてそそくさと店を飛び出した。  
 
(何とかごまかせたよね…!? あぁ…恥ずかしいっ!!)  
 
 いてもたってもいられなくなり、あたしは気を紛らわすかのように街を走り抜けて小高い丘の上に登り、灯台を一目散に駆け上がった。  
アカリちゃんは待っていたかのように出迎えてくれて、あたしはその胸に飛び込んで顔をうずめた。  
 
「アカリちゃん…ヒビキくんに、あたしの秘密見られちゃった…」  
「ぱるぱるっ」  
「恥ずかしかったぁ…いまもドキドキが止まらないの」  
 
アカリちゃんは長くて大きな手で、そっとあたしを抱きしめてくれた…。  
 
 その時に気がついてしまった。あたしが無駄に動揺していたことを。  
普通ならあたしはこれ以上嫌な所を見られたくないから、急いで店を飛び出しただろう。  
でも彼の場合はどうだろうか。まず誤解ってゆーか弁解しようとした。沈黙が走った時も、普通はお店を出れば良かったよね…  
 
(…トクッ…ドクッ!!)  
 
…それって、どこかで自分をよく見せたいなんて思わなきゃしないよ、ね。普通の人じゃそんなことしなかったよ、ね。あたし…。  
 
(ドクッ! ドクッ!)  
 
「…あたし、恋、してるの?」  
 
心臓が沸騰しているのが身体の奥から感じられる。…何だか、その、お腹の中も、きゅんっと切なくなる。  
 
「…好きだよ、ヒビキくん」  
 
言葉に出すほど、考えれば考えるほど、心臓の高鳴りが収まることはなかった。  
 
何だかんだで、アカネの言ったことはホントになったらしい。あたしは、ヒビキくんが好きになってる自分に気がついてしまった。  
 
(そういえば電話番号も交換したんだよね。夜にいつでもかけて良いなんて言っちゃったんだよね、あたし…!)  
 
それからアカリちゃんに抱き着いて、思いっきりじたばたしたのは秘密だ。  
 
 それからというもの、あたしとヒビキくんはたまに会うようになった。  
 
最初のうちは暇があれば灯台に登り、ライトルームから街を見下ろしては彼の姿を探し、見つけたら偶然を装って彼の目の前に現れたものだった。  
そのうち緊張していた電話をするのにも慣れてきて、色んな話しをしたものだった。  
 
ただ一つ、気掛かりなことがあった。彼はあたしと会った後すぐに誰かに電話をかけていた。どうやら女の子が相手らしい。  
その時の彼の顔はあたしには見せてくれないデレデレした顔。その姿を見るといたたまれくなり、アカリちゃんの胸に飛び込んでいった。  
その顔をあたしにも見せてほしい…そう思っては見えない電話の相手に一方的なジェラシーを抱いていた。  
 
そんな事を思いながらも、あたしは彼と会う日が続いた。だってヒビキくんが好きなんだもん…。  
 
 
 
 そうして、5年の月日が流れて現在に至る。あたしは今日も灯台に登り、久しぶりに会う彼の到着を待っていた。  
片手にはポケギア、もう片方には、あたしの好きな香水の小さな瓶を握り締めていた。  
これはコガネに遊びに行った時に、アカネがプレゼントしてくれたものだ。彼女曰く、ミカンの花言葉は清純・純潔だからアンタにぴったりやろ?とのことだった。  
 
 眼下の港に一隻の船が入ってくる。それとほぼ同時にポケギアが鳴った。  
 
「…もしもし」  
「ミカンさん? 久しぶり。ヒビキです」  
「…帰ってきたんですね」  
「…え?」  
 
しまった。これじゃあたしが灯台から様子をみていたのがバレてしまう。  
 
「あ、いや何でもないです。それであたしに何か?」  
「ミカンさん。ちょっとアサギの船着き場まで来てくれる?」  
「…はい。分かりました。今から向かいますね」  
「…待ってるから」  
 
ピッ!ツー…ツー…  
 
「ふぅ…緊張した」  
 
何とかごまかせたみたい。このままじゃ幻滅されちゃうかもしれないもんね。  
 
「アカリちゃん。いってくるね…」  
「ぱるぱるっ」  
 
アカリちゃんに抱き着くとホントに落ち着くな…。  
あたしは心を踊らせて彼の元へ駆け出して行った。  
 
 彼はこの5年間で身長はいつしかあたしよりも高くなってしまい、声もいくらか低くなった。  
体幹はほっそりしているけど日々の鍛錬で鍛え上げた程よい筋肉が付いて引き締まっている。  
何て言うか、男らしくなったなあ…ヒビキくん。  
 
「…お久しぶりです。ヒビキくん」  
「…しばらくぶりだね。ミカンさん。ちょっと海岸に出てみませんか?」  
 
あたしたちはアサギの海岸へと出ていき砂浜を歩いていた。繰り返されるのは、やはりいつもの他愛のない会話。  
 
(…ちょっと退屈)  
 
あたしは段々とあまり気がつかない彼の嫌なトコを思い出してきてしまった。  
 
そんなときだった。出会って一回も触れたことのない彼の手が、突然、そっと、あたしの手の平に、侵入してきた。  
心が飛び出すほど嬉しい、はずだった。でも、頭に浮かぶのは見えない相手に向けられた嬉しそうな顔…あたしには向けられたことのない大好きな顔…  
 
「…っ!……いやあっ!!」  
 
何かが切れたように、あたしは感情を爆発させていた。  
 
 …それからはあまり覚えてない。だけど、全てが終わったときあたしは確かに彼の腕の中だった――  
 
 
 
 「…あたしね、小さいときは分かりやすい子だったの。でもイジメられたの。だから、強くなりたくて…。気づいたらこんなに表情が硬くなっちゃったの」  
「……」  
 
僕の胸に置いていたミカンの手が、きゅっ、と少し強く服を掴んでいた。  
 
「だから、分かりづらいだけなの。あなたのこと、嫌いなわけじゃないよ…」  
「……」  
「あたしだってずっとずっと、言いたかったけど、怖くて言えなかったの」  
「……もういい」  
 
彼女にそんな過去があり、僕のことを思ってくれているなんて思いもしなかった。てっきり自分の独りよがりかと思ってた…。  
 
「もういいよ…ミカンさん」  
 
それよりも僕が、自分が傷つくのを怖がっていたせいで、大切な人を長い間不安な気持ちさせてしまった。  
怖がらずに素直に態度で示せばよかったじゃないか。彼女がこんなに辛い思いをしなくて済んだじゃないか。  
そんな不安が少しでも埋まるように、タイトに華奢な身体を抱きしめた。  
 
「……ゴメンな」  
 
彼女の長い髪を指先で梳くように撫でる。と、彼女はこう言った。  
 
「……寒い」  
 
気がつくと、辺りには星がまたたいている。  
海の向こうのタンバの街明かりまでも見えるほど空気は澄んでいる。  
 
と、ミカンさんは僕の手をそっと握ってきた。  
 
「…あたしに、ついて来て」  
 
彼女に手を引かれて、僕らは海岸をあとにした。  
 
 

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