彼女はいつになく僕を真っ直ぐ見つめていた。
「…ミカンさん?」
「…期待…させないでよっ!」
普段は物静かで表情をあまり表に出さないミカンさんが、華奢な身体を小刻みに震わせて大きな声で言の葉を搾り出した。
それは5年前にさかのぼる。僕、ヒビキはポケモントレーナーとしてワカバタウンを旅立った。行く先々で沢山の仲間達と出会い、また沢山のトレーナーたちとも出会った。
そしてかねてからの夢であったポケモンリーグのチャンピオンになるために、ジョウト地方のジムを巡っていた。アサギシティジムはその一カ所にすぎないはずだった。そう、あの人に出会うまでは…―――
「えっ?灯台のポケモンの看病?」
いつも主人公の目の前に現れる謎の赤髪の少年、シルバーに灯台のポケモンの看病のためにリーダーがジムを空けているのだと告げられた。もっとも彼はその言葉を吐き捨てて去っていったのだが。
(…それは素晴らしいことだけど、ジム戦が出来ないのも困るなあ)
自らの夢に早く近づきたかった僕は何とかバトルにこぎつけようと、その足で街の小高い丘の上にそびえ立つアサギの灯台へと向かっていった。
灯台の中では色んなトレーナーに勝負を挑まれたが難無く勝ち抜き、最上階へとたどり着いた。
そこには見るからに弱ったデンリュウが一匹、そして白いワンピースを見に纏った僕より少し年上ぐらいの清楚な雰囲気な女の子が一人寄り添っていた。僕は、その女の子にそっと近寄って話しかけてみた。
「もしかして、アサギシティのジムリーダーさんですかあ?」
「…トレーナーさんですか?私がアサギシティジムリーダーのミカンです」
消えそうなか細い声で彼女は言った。
「僕、ジム戦をお願いしにきたんですけど!」
「…ゴメンなさい。いまあなたとジム戦をするわけにはいかないの」
それから彼女とは少し話しをした。このデンリュウ(アカリちゃん)は彼女が幼少の頃から親しかったので自分のポケモンと同じぐらい大切なことや、容態が酷いから離れるわけにはいかないこと。そして治すにはタンバシティの特別な薬が必要だということ…。
(何て心の優しい人なんだろう)
僕は彼女からそんな印象を受けた。そして自然と僕は何とかして困ってる彼女の力になりたいと思ったんだ。
「…分かりました!僕がタンバシティまで行って薬を貰ってきます!」
「…お願いしてもいいんですか?」
「はい!ミカンさんはアカリちゃんの側に居てあげて下さい!」
僕はそう言って彼女を安心させようと微笑みを投げ掛けた。
「…ありがとう」
彼女は軽く会釈をしつつ囁くような声でそう言った。こうして僕はタンバシティへと行くことになった。
これが僕とミカンさんの最初の出会いでした。
数日後。タンバシティで薬を貰って、そこでジム戦も重ねてほんの少したくましくなって僕はアサギに帰ってきた。
急いで灯台のライトルームに向かい、ミカンさんに薬を渡した。アカリちゃんはミカンさんからしか物を受け取らないらしいのだ。
薬を与えると、アカリちゃんは見違えるように元気になった。ミカンさんも喜んでくれたようで、ついにジム戦が行われる次第となった。
それはそれは激しい戦いだった。ミカンさんは可愛い見た目とは裏腹に、ハガネールなどのはがねタイプのポケモンを多用して僕のポケモンたちも次々と倒れていった。だがその中でも何とかして勝利をおさめたのだった。
「…これ、バッチです。受け取ってください」
「ありがとうございます!」
「…灯台のこともありがとうございました」
「いえいえ、アカリちゃんも元気になって良かったですね」
そんなやり取りをしばらく繰り返し、ジムを去ろうとした時だった。
「…あの。ヒビキくん!」
僕は呼び止められて振り返った。
「…あたし、口下手でうまくいえないけど…」
今までの僕とのやり取りの中でミカンさんは表情をあまり表には出さなかった。
でもその時のミカンさんは、違ったんだ。
「…頑張ってくださいねっ」
頬を朱に染めて、ニコッと笑っていたんだ。
なぜだろう。僕は心がくすぐられるような気持ちになり、ドクン。ドクン!と僕の心臓がいつになく激しく脈を打ち始めた。
「…はいっ!」
そういって僕は振り返らずに正体の分からないモヤモヤを抱えたまま、アサギシティを飛び出したのだった。
「…ほっほう。ミカンさんがエールを送るとは…。鉄壁ガードと呼ばれる彼女のあんな表情は見たことがないな…」
ジムでの一部始終を陰で見届けていたジェントルマンがそう呟いたのはまた別の話。
(…頑張ってくださいねっ)
その日の夜。僕はアサギの街が見渡せる高台で、キャンプをはっていた。そんな時でもあのフレーズや情景、彼女の仕草が頭の中で思い出されて、僕はミカンさんの事でいっぱいだった。
あの麗しい姿、透き通るような声、天使のような微笑み… 。
(なんなんだよ、この気持ち…)
いてもたってもいられなかった僕はポケギアのコールボタンを押した。
…♪〜…♪〜…♪〜、、、ピッ!
「…もっしも〜し!あたしコトネ!」
「…ヒビキだけど」
「あっヒビキくん!聞いてよ〜。いまマリルの臭いを嗅いだらね、雑巾みたいなにおいが…」
「コトネ。ちょっと聞いてほしいんだ」
「…なによ!ちゃんとあたしの話しも聞いて〜」
「あぁ。後でな」
僕はここ数日の出来事をコトネに話した。
「…ははっ。そっかあ〜ヒビキくんもウブだなあ」
「なんだって?」
「…あのさあ。それって何か心がくすぐられた感じ、しない?」
「……」
「胸がキュンって、しない?」
「……あぁ」
「ヒビキくん、それが人を好きになるってこと…その気持ち、大切なことなんだよ」
「…コトネ。サンキューな、幼なじみにしかこういうの話せないからさ」
「いいのいいの!」
「じゃ、また電話するな」
「ちょ…あたしの話も聞い」
ピッ!ツー…ツー…
ヒビキは電話を切り、アサギシティを見下ろした。灯台の光りが海を照らし、街もキラキラしていた。頭上には満天の星が輝いていた。
(…これが、好きになるってこと)
ヒビキはやっと感情が静まり、その日はそっと眠りについた。
それからの日々は色んなことがあった。ロケット団のラジオ塔ジャックを解決したし、何とかジョウトの全てのバッチを集めて憧れのポケモンリーグにも参加。ついには夢にまで見たリーグチャンピオンの座にもつくことが出来た。
チャンピオンになってからもカントーに行ったりしたし、ホウエンやシンオウにも行ったりした。
一方で僕は、時間があればアサギシティに向かった。ミカンさんに会いたいと思うようになっていたんだ。すると何と運のいいことかよくミカンさんを街中で見かけるのだ。だから僕はドキドキするけど、ミカンさんに極力話しかけるようにした。
ミカンさんは相変わらず表情を読めないことが多いけど、時々少し笑ってくれてた。それだけでも嬉しかった。ミカンさんとバイバイした後はいつもすぐに、コトネにもよく相談してもらっていたりした。
そしていま、15歳になった僕は修業の帰り道でホウエンからアサギに向かう船の中で電話をしていた。
「ヒビキ…まだ言えてないの?」
「……あぁ」
「このヘタレっ! ミカンさんとこのままの関係でいいの?」
最近、僕はよく電話口でよく怒鳴られるようになっていた。
「…少しは感付かせるようなこと言うようにしてるんだけど」
「こういうのはね、男が一歩踏み出すものなの! よく5年間もそのままでいられたわね…」
「…コトネ。お前もこの5年で随分と気が強くなったよな」
「とにかく今日! 今日こそ気持ちを伝えなさい! いくらポケモンが強くても、こういうトコが強くなくちゃダメだからね!」
ピッ!ツー…ツー…
そう。僕はミカンさんが好きな気持ちは変わらない、むしろどんどん大きくなってるのに、5年間もあの言葉を口に出来ずにいた。それどころか身体に触れたこともなかった。
コトネにはいいたくないが、今の関係が壊れるのが怖いんだ。今もそれなりに悪くはない人間関係を築けていると思う。ただ、向こうの気持ちが分からない…。それだけに一歩踏み出せない臆病な自分がそこにいるんだ。
「5年間…か」
そんなことを呟くうちに、船はアサギの港に到着していた。
船から出た僕は、一呼吸入れてポケギアのボタンを押した。
…♪〜…♪〜…♪〜、、、ピッ!
「…もしもし」
「ミカンさん?久しぶり。ヒビキです」
「…帰ってきたんですね」
「…え?」
「あ、いや何でもないです。それであたしに何か?」
いつもより高鳴る鼓動を抑えながら、僕は言った。
「ミカンさん。ちょっとアサギの船着き場まで来てくれる?」
「…はい。分かりました。今から向かいますね」
「…待ってるから」
ピッ!ツー…ツー…
「ふぅ…緊張した」
しばらく時間が経ち、遠くから僕を呼ぶ声がした。その人は小走りでこちらに駆け寄って来る。
「…お久しぶりです。ヒビキさん」
「…しばらくぶりだね。ミカンさん」
ここ5年間でミカンさんはさらにスラッと身長が、特に足が伸びて、顔付きがぐんと大人の女性になった。いつからか柑橘系の香水をつけるようになったようで、風が心地よい香りを運んで来る。
「ちょっと海岸に出てみませんか?」
僕はそういって、ミカンさんを海岸へと連れていった。もう夕日が水平線に近づいてみなもが光りを照り映やし、海がオレンジに染まっていた。
「いつみても、ここの夕陽はキレイだ…」
「そうですね。今日は一段とキレイです」
やはり繰り返されるのはいつもの会話。悪くはないが、よくもない。砂浜の一歩先を歩くミカンさん。僕は彼女の手を見つめていた。透き通る白い肌、細い指に小さな掌…頭によぎるのはコトネの言葉。
(男が一歩踏み出すもの…)
(ミカンさんに…触れたい!)
その一心でいっぱいだった。
気が付くと、僕は、そっと、彼女の手を、握っていた。
「…っ!……いやあっ!!」
ミカンさんは、すぐに、僕の手を、振りほどいた。そして振り返り、僕の方にキッと視線を向けた…。
僕は事態を把握するのに時間がかかった。僕の手は彼女に…振りほどかれた。
どうしようも出来ない僕。
僕にするどい視線を浴びせるミカンさん。
二人の間にしばらく、僕には無限にも感じられる時間が過ぎた。
先に言葉を発したのは、ミカンさんだった。
「いつかはハッキリさせようと思ってました…どうせ他の女の子にもそういうことしてるんですよね?」
「…え?」
「とぼけないでください!」
混乱する僕。彼女はいつになく僕を真っ直ぐ見つめていた。
「…ミカンさん?」
「…期待…させないでよっ!」
普段は物静かで表情をあまり表に出さないミカンさんが、華奢な身体を小刻みに震わせて大きな声で言の葉を搾り出した。
「…あたし、知ってます。いつもあたしと別れた後、女の子に電話をかけてますよね?」
「それは…」
「その時のあなたの顔、とても幸せそうな顔をしてるの。あたしなんかといるときよりもずっと…。ヒビキくんにとってのあたしってなに?」
「いや、だから!」
「もうやめて……っ!!」
鉄壁ガードの女の子の頬には、一筋の涙が流れていた。
「……」
「…あたしは! ずっと! ずっと!! あなたのこと…っっっ!!」
僕は声をはり、泣きじゃくる彼女に歩みよる…片手を腰に回して、もう一方の手を頭に回して、そっと、接吻をした。
強く、ツヨク、抱きしめた。
言葉じゃ誤解を解ききれない。抱きしめるしか…そう思うと、気持ちが僕を大胆にさせた。
しばらくの後、唇から離れ彼女の頭を胸にそっと抱き寄せた。
「…期待しろよ。この心臓の音、聞こえないのか?」
「……」
ミカンさんはじっとしている。動こうとはしなかった。
「…すっげえドキドキしてるでしょ? こんな感じ、ミカンさんじゃなきゃならない」
そのまま、僕は少しずつ思いを吐き出していった。
「…何て言うかさ、不安だったんだ。ミカンさんってあまり表情を面に出す人じゃないじゃん?」
「……」
「だからもしかして無理して僕と一緒にいるんじゃないかとか、ミカンさん優しいから嫌だって断れないんじゃないかとかも思ったりした。それでも僕のつまらない話しでもミカンさんが笑ってくれる。それだけですごい幸せだった。でもあからさまに顔に出すのはやめてた…」
「…じゃあ…あの電話は?」
「たしかに女の子。でも幼なじみ。そいつには話しを色々聞いてもらってた」
彼女の両肩をそっと掴んで、僕の胸元から離した。ミカンさんの目は微かに赤く腫れていた、しかし夕日を反射して綺麗でもあった。
「どうやったら大切な人を振り向かせられるか、どうやったら大切な人を喜ばせられるか、そしてどうやったら大好きな人にこの気持ちを伝えられるか…」
「…好きです。あなたが大好きです」
言えた。やっと言えた…。
僕の心臓は最高潮に高鳴っていた。