可愛らしいポニーテールがひとつ揺れた。  
「ボク……ううん、私、本当は女の子なんです」  
 時刻は夕方、日が沈んで一番星が瞬き始めていた。麦わら帽子を両手に持って、イエローは  
恥ずかしそうにそう言った。  
「は?」  
 レッドはぽかんと口を開けて呟いた。その状態が三秒以上続いたので、ちょっと馬鹿っぽく  
見えた。  
 やがてぱちぱちと瞬きをし、頭をぽりぽりと掻いて、彼は言った。  
「冗談だろ?」  
「……」  
「本当は髪が長いだけの男の子なんだろ?」  
「…………」  
 イエローはちょっと傷付いた。  
「……ホントです」  
 後日思うに、その反応は二人が既に一緒に住んでいたために「今まで知らずに女の子と一緒に  
暮らしていたんだとしたら、それって物凄く気まずい」故の反応だったのかも知れないが、  
とにかく彼女は傷付いた。  
「……」  
 レッドはひょいと首を傾げた。  
「ホントに?」  
「……もういいです」  
 イエローは肩を落としてとぼとぼと立ち去った。それから暫くしてやっと、レッドの頬を  
冷や汗が流れていった。  
 レッドはひとつ瞬きして引きつった笑顔を見せた。  
「……ホント?」  
 そんな主人を、傍らのピカチュウが白い目で見ていた。  
 
 
 自分の部屋に閉じこもっていたイエローを説き伏せて、リビングに引っ張り出す。彼女の経緯を  
聞いたレッドは唖然とした。  
「二年前、トキワの森で俺が助けた子!」  
「そうです」  
 伏せがちの顔をまじまじと見つめると、随分成長しているが確かに面影がある。年齢的にも  
ぴったりだ。そういえばあの子、あの時コラッタ捕まえたっけ……。  
 閉じこもっていた間、ずっとイエローに付き添っていたらしい「ラッちゃん」と視線が合う。  
今もソファに座ったイエローの脇に陣取ったまま、何だか責めるような視線だ。  
「……あー、それでさ」  
 レッドは話を切りだした。  
「このまま一緒にいるって訳にもいかないし……俺、一旦マサラに戻ろうと思うんだ」  
「そんな!」  
 イエローは(レッドにとっては)意外な反応を見せた。パッと顔を上げるとかぶりをふって、  
しばらく言葉に詰まる。  
「ええと……。その、ピカが可哀想です。いままでレッドさんとわたしの二人共が側にいて嬉し  
そうなのに」  
 元々こうして二人で同じ家に住み始めたのは、元々レッドのポケモンだったピカチュウをイエ  
ローが連れて旅して以来どちらにも懐いてしまったために、レッドが半ば冗談交じりで  
「みんなで一緒に住むか?」  
と言ったことを発端としている。  
 トキワの森に二人は暮らしていた。お互いに自分の町の復興に出掛けなければならないことを  
考えると、二つの町の間にあるトキワの森が一番都合が良かった。何より、森はピカチュウの  
故郷でもある。  
 レッドにはイエローの反応が解らない。指先でテーブルの上に置いた自分の帽子に触れながら、  
「いや、でもさ。いくらなんでも女の子と一緒に暮らすわけにいかないし」  
 イエローは顔を上げた。レッドとは逆に、唐突にあることに気付く。  
(レッドさん、ボクのこと何とも思ってないんだ……)  
 レッドの発する「女の子」という単語には何の響きもない。レッドが特に感慨を抱いていない  
証拠だ。  
 
「……」  
 イエローは自分でも理由の解らないショックに打ちのめされた。レッドが別れて暮らそうと  
言っているのは何のことはない、イエローを女の子として見ているのではなく、単に今までの  
男の子としてのイエローに「本当は女の子だった」という事実を「事実なんだから」という  
理由でその上に乗っけて見ているだけだからだ。それがわかった。  
 イエローはわけのわからなさに呆然とした。その事に、自分は何でこんなにショックを受けて  
いるんだろう。イエローはくらくらとした頭の中で考えた。そういえばどうして私、自分が女の  
子だって告白したんだろう。告白したらレッドさんがこういうことを言うのは当たり前なのに。  
なんで私、今までの楽しい生活を壊すようなこと、自分から言いだしたんだろう。  
 それらが頭の中でグルグルと回り続けている。いくら考えても答えのでない疑問にイエローは  
知らず知らずのうちに追い詰められていった。  
 気が付くと、イエローは両手でテーブルを叩いて立ち上がっていた。   
「嫌です!ボクはレッドさんと一緒にいたいんです!」   
 自分が口走ったその内容を頭が理解したのは数瞬後だった。レッドはよほど驚いたのか、  
固まったままぽかんとこちらを見ている。  
 頬がかっと熱くなるのがわかった。  
「……!」    
 イエローはその目に涙を滲ませ、ぱっと踵を返した。  
 
 レッドはそれを目の当たりにして面食らった。引き留めようと咄嗟に手を伸ばすが、テーブル  
越しに座っていたこともあり、届かない。  
「お、おい!」  
 レッドの声を無視して、イエローは自分の部屋のある二階へ駆け上がって行った。その後を  
慌ててラッタが追う。  
「あ……」  
 差し出した手を下ろせずに唖然としていると、その手が突然ばちっと音を立てた。  
「いてっ!」  
 思わず手を引っ込めると、目の前にギザギザの尻尾がある。レッドはその原因を認めて声を  
上げた。  
 
「ピカ!何すんだよ!」  
 家の中でレッドが絶縁手袋をしていないのをいいことに、ピカチュウがレッドの手に電流を  
流したのだ。  
「ピーカ。ピカァ」  
 レッドのピカチュウは頭は良いが性格はキツイ。「自分で考えろ」と言わんばかりについと  
そっぽを向く。随分とお冠のようだ。レッドはなんだか自分だけがおいてきぼりになっているよう  
な気がして、まだ痛んでいる手をさすった。  
「……ったく、何なんだよ」  
 ピカチュウは答えずにソファに陣取ると、ころりと丸くなって目を閉じた。どうやら、だんまり  
を決め込んだようだった。  
 
 
 レッドは取り敢えず、イエローを旅に送り出した──ひいては今回の件の発端とも言える  
ブルーに連絡を取ってみた。そのブルーは、  
『あなた……馬鹿ね』  
 通信機の向こうで開口一番そう言った。  
「何だよそれ。大体お前、知ってて教えてくれなかったのかよ。聞けばイエローを男の子として  
旅に出したのはお前だって話じゃんか」  
 レッドは仏頂面で返す。事実にも関わらず、ブルーは全く動じなかった。  
『あなたが気付かないのが悪いのよ。グリーンは何にも知らなくても自分で気付いたわよ?』  
「えっ、嘘」  
『ホントよ。嘘だと思ったら本人に聞いてご覧』  
 さらりと言われ、レッドはむー、と唸って反論を止めた。自分がイエローに対し、何も  
考えずに反射的に答えを返したことは事実だったからだ。  
(どうしたもんかなあ)  
 レッドにとってイエローはかわいい弟のような存在だった。ここ一ヶ月ほど一緒に暮らして  
いたが、イエローは自分が女であるそぶりなど全く見せなかった。……と思う。そうブルーに  
話すと、案の定彼女は呆れきった顔をした。  
 
『一ヶ月も一緒に暮らしてて、よくもまああの長い髪の毛に気付かなかったもんねえ。尊敬するわ、  
いっそのこと』  
「うるっさいな。町の復興もあるんだし、同じ家で暮らしてるからって始終一緒にいるわけじゃ  
ないんだよ」  
 レッドは生活面に関しては割とルーズで、復興の手伝いが長引けば平気で二、三日は家を空ける。  
 逆にイエローはとにかく生真面目で、忙しい中でも毎日家に戻ってきては、自分のことは──  
時にはレッドのことまで──何から何まできちんと整理していた。時々家の中で一緒になった時は、  
今思えば意図的にだろうが、バンダナだのタオルだので必ず頭を覆っていた。だから出会ってから  
ずっとレッドは見た目のまま、イエローが男の子だと思い込んでいたのだ。そういや、女の子  
だとは聞いてなかったけど、男の子だとも言ってなかったっけ……。レッドは渋い顔をした。  
 突然「女の子です」と言われはしたが、正直まるっきり実感が湧かない。体格も小さく、  
まだまだ男女の見分けがつかないあれくらいの年齢では、年上の人間にとっては男の子だろうが  
女の子だろうが殆ど気にならないというのが正直なところだ。  
「大体なんで未だに男の子のふりなんてしてたんだよ」  
『言い出しにくかったんじゃないの?』   
「だからそれは何でさ」  
『アタシに聞かれてもね。本人に聞けばいいじゃないの』  
「でもさあ」  
『……』  
「ブルー?」  
『────だー、もー、男のくせにぶつぶつぶつぶつ細かいことを気にしてるんじゃないわよ!』  
 ばんとデスクを叩いてブルーは叫んだ。画面越しにレッドに指を突き付けて高らかに断言する。  
『いい?イエローはね、レッド、あなたのことが好きなのよ!』  
「はあ!?何でそうなるんだよ!」  
 レッドが素っ頓狂な声をあげて反論すると、ブルーは腰に手をあてて身を乗り出してきた。  
『女が男に「一緒にいたいんです」なんて言いだす理由なんてひとつしかないでしょうが!わかり  
なさいよ、唐変木』  
「何でもそうやって色恋沙汰に結びつけて考える方がおかしいんだろ!」  
 正論を述べたつもりだったが、その言葉を聞いたブルーの瞳がぎらりと光った。  
『あなた、このブルーさんの目を疑うって言うの』   
 
「……いや、でもさ」  
 自分に完全な理があるとでも言いたげな堂々とした態度に、レッドは思わず怯んだ。始めて  
会った時ブルーの可愛い見た目と演技に騙されていい様に振り回されたのを思い出し反論を  
引っ込める。ブルーは可愛らしいが剣呑な仕草で髪を掻き上げると、  
『あなた見てるといらいらするわ、ホント。……そうねえ』    
 何かを思い付きでもしたかのように唇に指をあてて微笑む。  
『イエローに、後で私に連絡するように伝えてくれない?』  
「ええっ……あんなことの後じゃ話しにくいよ」  
『ぐだぐだ言わない。いいわね?』  
「……」  
 何だかとても嫌な予感がする。が、レッドは結局それ以上言えず通信を切った。言うとおりに  
しないと後で何があるかわかったものではない。レッドはひとつ溜息をつくと、イエローのいる  
二階へと階段を登っていった。  
 
 
 ブルーは立ち上がるとくるりと身を翻した。そして突然その姿勢でぴたりと止まる。  
「……」  
 彼女はしばらくそのまま立ち尽くしていたが、やがて、ぷ、くくく、と肩を震わせ始め、   
「あはははは!あーもー、面白すぎ、面白すぎるわ、レッド!」  
 堪えきれずに爆笑し始めた。  
 からかいの種としてはあの子くらいの逸材はそうそういない──とブルーは常々思っていたが、  
恋愛沙汰に関しては特に、といったところか。十一歳にしてすでにつつもたせで生計を立てていた  
ブルーにとっては見ていてこれ以上気持ちのいい男もいない。イエローが本当は女の子であること  
も、彼女はわざと黙っていた。なぜなら黙っていれば面白そうだと思ったからである。  
 タチの悪い少女であった。  
 ひとしきり笑い終えると、ブルーはさて、と背伸びした。レッドはレッドとして、ひとまずは脇  
に置いておく。  
「それにしてもあの子、白状するのが意外と早かったわね」  
 この場合のあの子とは、言わずもがなイエローのことだ。  
 
「さてはやっと恋してることを自覚したか。それとも無意識で言ってしまったか。どっちにしろ、  
このままじゃ可哀想ね」  
 ブルーは経歴のせいか、異性に対してはとてもシビアだ。しかし意外なことに同性に対しては  
そうでもない。特にイエローはレッドだけでなく彼女にとっても妹分のようなものだった。  
しっかりした子なので妹分という割にはほったらかしだが、彼女をポケモントレーナーにしたのも  
ブルーだ。それなりに思い入れは強い。  
「さて、ここは可愛い妹分のために一肌脱ぎますか」  
 ブルーはとんと舞うように一回転すると、ふふ、と楽しげな笑みを浮かべた。  
   
 
(何でボク、あんなこと言っちゃったんだろう……)  
 イエローはベッドの中で泣きはらした顔を上げた。視線の先、ベッドのサイドテーブルの上には  
彼女愛用の麦藁帽子がある。  
(女だとわかるとなめられるわね、きっと。アタシみたいに女であることを武器にできるまでは……  
その可愛いポニーテール、隠しときな!)  
 少年として旅をしていく為にブルーから貰った麦わら帽子。当時行方不明となっていたレッドを  
探しに旅立ったあの時、自分はこれから男として生きていくんだと決意を固めた。実際、ブルーが  
言ったような理由だけでなく、男としての旅は色々と都合が良かった。なにより自分自身、  
精神的に強くなることができた。女であることに甘えるのをやめると、次第に大の男達を相手に  
対等であろうとする気概を持てた。長い旅の中で様々な相手と渡り合って来れたのは、ひとえに  
この麦わら帽子のお陰だった。今では自分の身体の一部のような存在だ。  
 でも今は、その麦わら帽子は自分にとってなぜかとても鬱陶しく思えた。抱き枕のようにして  
抱いていたラッタに細い声で話しかける。  
「ラッちゃん、ごめんね……ちょっとだけ一人にして」  
 モンスターボールを取り出すとスイッチを押す。ラッタは心配そうにイエローを見ていたが、  
大人しくモンスターボールに戻った。イエローはボールをバッグにしまい込むと、立ち上がって  
バッグをいつもの場所に掛けに行き、疲れたようにまたベッドに戻った。バッグを部屋の向こう  
側に持っていくのだけで全体力を使い果たしたような心地になる。再びベッドに倒れ込むと、  
金色のポニーテールが身体の動きを追うようにばさりと目の前に降ってきた。  
 彼女の髪はポニーテールにしても膝まであるほど長い。大きな麦わら帽子でなかったら隠せない  
ところだ。その髪に右手で触れる。  
「……」  
 髪が長いからって、女の子だと思ってくれるわけじゃないんだ。また一段と落ち込んで、ベッド  
の上で身を縮める。何でこんな気持ちになるんだろう……。何でレッドさんにだけ、こんな  
気持ちになるんだろう。彼女は上掛けを握りしめて考え込んだ。  
 レッドと始めて会ったとき、彼は自分にとって、始めてポケモンのことを教えてくれた先生  
だった。次に会ったとき、彼は「トキワシティの次期ジムリーダー」になった。そして三度目、  
その時には……  
「──」  
 イエローは自分の身体を抱くようにして何度も両腕をさすった。なんだか体の表面が冷えて  
寒い様な気がする。それでいて体の中心はとても熱い。  
 彼女にとってそれは未知の感覚だった。さするたびに寒さが消え、体が熱くなっていく。  
(……ボク、どうしちゃったんだろう……)  
 おかしいと思いながらも、手の動きは止まらなかった。レッドのことを考えていると、それまで  
ごちゃごちゃと考えていたことが次第に頭の隅へ追いやられていく。  
(レッドさん……)  
 吐息が漏れる。その息は自分でも驚くほど熱かった。  
(レッドさん──)  
 両手が勝手に服の下へと入っていく。自身のまだ未成熟な乳房に恐る恐る触れると、敏感な部分  
に触れた時特有の刺激がイエローを襲った。  
「……」  
 背筋が粟立った。自分で自分を犯すという恐怖が漠然とした形を伴って彼女に覆い被さってくる。  
イエローは初めての感覚に恐怖しながらも、次第にその行為に没頭していった。胸に触れる手の  
動きが少しずつ激しくなっていく。敏感になった乳首をきゅっと捻ると、彼女の体は電流が走った  
ようにびくんと震えた。  
「んっ……」  
 
 最後の理性が声を出させまいと自制するも適わない。気がつくと、右手をズボンに──いや、  
その下のショーツの中に滑り込ませていた。下腹部を撫でるたびに身体がぴくぴくと痙攣する。  
(何、ボク、何やってるんだろう……)  
 わずかな理性を思い出すたびに恥かしさと背徳感に打ちのめされる。しかし愛撫は止まらなかっ  
た。駄目、と叫ぶ心の声も意に介さず、右手はさらに下へと降りていく。  
 指先が秘裂に触れた。  
「ひあっ」  
 今までで一番強い刺激に、声を抑えることも忘れて高い声で喘ぐ。イエローはそこが今の体の  
熱さを──ひいては自分の苦悩を──どうにかできる可能性のある場所だと、本能的に悟った。  
「……」  
 これまでろくに触れたことも無かったそこはすでにじっとりと湿っていた。割れ目に沿ってつっ、  
つっ、と躊躇いがちに指を滑らせると、これまで感じたことも無い快感が彼女の全身を駆け巡る。  
その快感は確実に、意思が強いはずの彼女の精神を浸食していった。  
「っ、あぁ、あ」  
 背筋をぴんと伸ばして嬌声を上げる。それでも、  
(足りない……まだ、足りない……)  
 何かが満たされない。足りない。  
 快感に負けて思考が次第に鈍くなり、やがて働かなくなっていく。恥かしさも罪悪感も忘れて、  
イエローはただ一心不乱に指を動かし続けた。  
 何も考えられない頭の中でただひとつ浮かんだのは、今はこの場にいないレッドの顔だった。  
 頭の中のレッドは、イエローの苦悩など知らぬ下に、明るく笑っていた。  
「レッドさ──」  
 突然、どれだけ憧れても自分の方を見てくれない人に憧れる哀しさと空しさが胸に溢れる。  
イエローの目から大粒の涙がこぼれて頬を伝った。  
 熱に浮かされたように、彼女はひたすら自分自身を責めつづけた。やがて昂ぶっていく身体だけ  
が感覚を支配し、彼女を一気に高みへと押し上げていく。イエローは無意識のうちに、この瞬間  
最も求めている人の名前を呼んでいた。  
「……っ!レッドさん……レッドさんっ……!はっ、あっ──」  
 本能の求めるまま、秘部へと小さな指を突き立てる。  
「──────────────!」  
 
 声にならない声で彼女は鳴いた。  
 頭からつま先まで、身体中が弓のように反り返った。四肢が生まれて初めて迎える絶頂にとめど  
なくわななく。子供同然の年齢にも関わらず、それはひどく妖艶で蠱惑的な姿だった。  
「……あ……」  
 やがて身体から力が抜けると、彼女は涙を流しひくひくと震えながらその余韻を味わった。  
 虚ろな瞳を天井へ向ける。朦朧とした意識の中、今まで自分がとても浅ましいことをしていたの  
だけは解った。  
 右手を目の前に持ち上げると、わずかに粘りけのある透明な何かがべったりとまとわりついて  
いる。性的な事柄について殆ど知識のない彼女にはその名前すらわからなかったが、とても凝視  
していられず目を逸らした。   
 こんな、恥ずかしいこと……。イエローは先程まで自分が一体どんな姿だったのかと想像する  
だけで全身を震わせた。また涙が溢れだしてくる。シーツを握りしめる手はかたかたと震えていた。  
(レッド、さん……)  
 している間ずっと、レッドのことばかり考えていた。彼女はその事実に絶句した。   
 ボク、レッドさんに、こんなこと、して欲しいの……?  
 もはや自分自身が全く理解できなくなって、彼女は耐え切れずに嗚咽し始めた。  
 
 
 レッドは思わず出かかった声を喉の奥に押し込めた。掌でぎゅっと口元を押さえて、ドアの  
すぐ外で立ち尽くす。  
 自分はイエローに、ブルーの伝言を伝えようとしてここまで来た。扉がほんの少し空いて  
いたから、何気なくドアノブに手を掛けて中を覗いてみただけだ。なのに、これは……。  
 見てはいけないものだとわかっていながら、靴底は床に張り付いたみたいに動かなかった。  
足だけじゃなく、手も、身体も、それに視線も。  
 視線の先のイエローはベッドの上で身を折り、時たま身じろぎをしながらその行為に身を  
捧げていた。暗い中でも長い金髪は月の光を受けて反射し、イエローの白い身体に覆い被さって  
妖しく煌めいた。  
 
 喘ぎ声の中に時折すすり泣くような声が混じり、やがて高まっていくのがはっきりと聞こえる。  
その声の中に、  
(……!)  
 信じられないものを聞き、レッドは痺れるような感覚に苛まれた。  
 自分の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。イエローにまで聞こえてしまうんじゃないかと  
冷たい汗をかきながら、それでもレッドはそこを離れることが出来なかった。それは自分が  
イエローにあんなことをさせている、それを本能的に察したからかも知れない。  
「──!」  
 彼女の身体が弾けるように震え事切れたのを契機に、レッドは逃げるようにその場を離れた。  
 
 
 翌朝。  
 イエローが身支度を整えて階下に降りると、レッドが珍しくイエローより先に起きたのか、  
食堂で椅子に座っているのが見えた。特に何をするでもなくぼーっとしている。  
 レッドは丁度こちらに背中を向けた状態だった。まだこちらには気付いていないようだ。  
昨晩怒鳴ってリビングを飛び出してしまったことを謝らなければと思い、少し緊張しながら  
背後から声を掛ける。  
「レッドさん、お早うございます」  
「!」  
 がたんと椅子が鳴った。飛び上がるような反応をしてから振り向いてくる。  
「い、イエロー?お、お、おはよう」  
 あたふたと返事をする。動きが何だかカクカクしていて不自然だ。訝しく思い、  
「どうかしたんですか?」  
「いや、何でもない!何でもない!何でもない!気にするな!」  
 尋ねるとぶんぶんと首がちぎれそうなほどかぶりを振って否定してくる。  
「……?あの、それで」  
 イエローはとりあえず話し始めた。  
「昨晩のことなんですけど」  
「──!」  
 レッドは何故か真っ青になって両手をあげると、  
「ごめん!」   
 いきなり食卓に突っ伏す。イエローは目を白黒させた。  
「?ううん、悪いのはボクなんですから……ごめんなさい、急に怒鳴って出て行っちゃったり  
して。レッドさんの言ってることの方が正しいのはわかってたんです。でも、その……」  
「……は?」  
「……いえ、は?じゃなくって……昨日の夜、リビングで二人でお話したことなんですけど」  
「……」  
 顔を上げたレッドは目をぱちくりさせて、やがて脱力したようにぱったりと倒れ込んだ。  
「ホントに、大丈夫ですか?体でも悪いんですか?」  
「……ううん、違うんだよ……本当に何でもない。悪ィ」  
 もそもそと謝った後、何故かふっと自虐的な笑みを浮かべる。イエローがその反応が解らず  
おろおろしていると、彼は顎で通信機の方を指して言った。  
 
「そういや、ブルーがお前に『連絡くれ』ってさ」  
「ブルーさんが?」  
「うん、昨日」  
「何でしょう」  
「さあ?あいつ、いつもいきなりだしなあ」  
 俺はあいつは苦手だ。そう言うとまた食卓に突っ伏す。  
「……?」  
 イエローは首を傾げながらも、取り敢えずは朝食を用意するためにキッチンに向かった。  
 
 
 
『イエロー?おはよ』  
「お早うございます、ブルーさん」  
 ブルーはいつもの黒いワンピースでぴしりと決めていた。すでに整えられた長いブラウンの  
髪の毛に、両耳にはきちんとイヤリングも付けている。薄く化粧をしているが、今の自分の  
最も強力な武器が「若さ」であることを重々承知しているのだろう、ぱっと見はスッピンかと  
思える程自然だ。  
(ブルーさん、相変わらず可愛いなあ)  
 ぼけっと見ていると視線が合う。何だか照れて、イエローは視線を逸らした。  
『悪いわね、朝早くに』  
「いえ、こちらこそ……あのう、それで、何でしょう。何か用事でも?」  
『そうね、用事って程のもんじゃないんだけど』  
 ブルーは一息ついて微妙に間を取り、何気ない仕草で口を開いた。   
『レッドとは仲良くやってる?』   
「……はい」  
『あらま、どうしたの。元気なさそうだけど』  
 ブルーさんにはやっぱりわかっちゃうのかな、こういうことって……。と、レッドとブルーの  
会話を知らないイエローは思った。顔を見られないように俯きながら、  
「いえ、何でもないんです。只ちょっと……」  
 
『まあ、レッドの奴ってああいう性格だからさ、ちょっと気がきかなかったりちょっと無神経  
だったりちょっと馬鹿だったりするけど、悪い奴じゃないから。少しケンカしたくらいで仲悪く  
なるんじゃないわよ』  
 ずけずけとした物言いに思わず苦笑する。ブルーがこんなにあからさまに人をなぐさめることは  
珍しい。イエローはちょっと笑って頷いた。  
「はい、それはわかってます」  
 それを見て画面の向こうのブルーはよろしい、といった風ににっこりした。そう言えば、と身を  
乗り出してくる。  
『あなた、まだそんな恰好してるの?』  
 言われて改めて自分の恰好を見る。そういえば、これって旅してたときの恰好とあんまり  
変わらないかも……。  
 生活はきちんとしている割に服装には頓着のなかったイエローはこれまでレッドに女だと  
言い出せなかったこともあり、長袖のシャツにズボンにブーツ時々ベストと、それまでと  
あんまりどころか殆ど変わらない服をそのまま着続けていた。勿論麦わら帽子は標準装備である。  
『旅してた頃の癖がまだ抜けないのかしら?』  
 くすくす笑うと、ブルーはすっと真面目な顔になった。  
『あの戦いからもう一ヶ月か。あなた、本当によくやってくれたわ』   
「そんなことは……」  
 謙遜するイエローに囁くように言う。  
『そろそろ女の子に戻ってもいいんじゃない?』   
「え……」  
 驚いて咄嗟に言葉が紡げないイエローを見て、ブルーは人の良さそうな笑みを浮かべた。それは  
実は普段からは考えられないくらい人の良さそうな笑みだったが、イエローはブルーとの  
付き合いがまだ浅く、人の良さも手伝ってそれに気付くことはなかった。  
『さて、そこでブルーお姉さんから可愛いイエローにプレゼントがあります』  
「えっ」   
『アタシの行きつけのショップに可愛いのがあったのよ。昨晩連絡とっといたから、そろそろ着く  
頃だと思うんだけど……』  
 その声を合図にしたように、窓の外からピジョットの甲高い鳴き声が聞こえた。  
 
「あの、ありがとう……」  
 包みを受け取ったイエローがそう言って撫でてやると、ピジョットは一声鳴いて空へと  
舞い上がっていった。あっという間だった。  
「勤勉だなあ」  
 ピカチュウと見送っているとピジョットの鳴き声を聞いたのか、窓を開けてレッドが顔を出した。  
イエローとピカチュウを認めると、  
「どうしたんだ?あのピジョット」  
「あっ、いえ、何でもないんです、これは」  
 イエローは咄嗟に包みを背中へ隠すとぶんぶんとかぶりを振る。別に見られて困るようなもの  
でもないのだが、何となく気恥ずかしい。  
「あ……そう」  
 普段のレッドだったら、興味本位でずんずんと近づいて来たところだろう。しかし今回は  
やっぱりどこか大人しい。それだけ言うと、家の中へひょいと引っ込んでいった。  
「……」  
 イエローは持ち前の思慮深さを発揮し、詮索することはせずそのまま家へ入った。自分の部屋で  
包みを開く。きれいにたたまれていたそれが顔を出した。その表面に手で触れて、イエローは  
うつむいた。  
「……」  
 昨日レッドが言ったことは確かに真実だ。それに……と、イエローは暗い表情で付け加えた。  
一緒にいたってしょうがない。レッドさんはボクのこと、どうとも思ってないんだから……。  
 一瞬、しまい込んでしまうことも考えた。しかし何故かそうすることも出来ず、イエローは  
それをゆっくりと手に取った。  
「……綺麗」  
 ふっと、押さえ付けていた少女の部分が顔を出す。レッドを意識するのとは別に、単純にこう  
いうものを好きだと思う自分に少し驚いた。  
 ぎゅっと目をつぶる。麦わら帽子を取ると、長い後ろ髪がばさりと波打った。  
(いいよね……ちょっとだけ、女の子に戻るだけだもんね)  
 イエローは勇気を奮い起こすと、目の前にあるそれを挑むように睨み付けた。  
 
 
 レッドはリビングで頭を抱えていた。  
「……どうしよう」  
 昨晩以来、イエローを変に意識してしまって仕方がない。顔を合わせるたびに嫌でも昨晩の  
ことを思い出してしまう。  
 レッドはイエローとは違い、性的な事柄について一通りの知識は持っていた。年頃の少年と  
しての嗜み(?)ではあるが、そういったものを自分の周囲の誰かに反映してみたことはまだ  
なかった。  
 だから昨晩イエローが一体何をしていたのかはわかったし、それに戸惑いもする。ただ、  
ひとつ思ったことは、  
(……イエローも女の子なんだ……)  
 ということだった。昨晩見たイエローは普段の麦藁帽をかぶった少年然とした彼女とはまるで  
別人だった。可愛くて、綺麗で、それに──  
 思い出して赤面する。まだ13歳の健全な少年には衝撃的な出来事だったが、それをしていた  
のが最も近いところにいる少女であれば尚更だった。  
(……俺の名前、呼んでた)  
 自分を慰めながら、俺のこと……。  
 突然ブルーの言葉が実感を伴って脳裏に甦ってきた。イエローはあんたのことが好きなのよ。  
(──マジかよ。だって)  
 仲間だぞ?友達だぞ?なのにその、そういう関係になるってことは……。  
「────……うう」  
 元来、悩むには向いていない頭だ。脳は沸騰寸前を通り越してショートし始めている。  
グルグルと目を回しながらうだうだしていると、一度自室へ戻ったイエローが階段を降りてくる  
足音が聞こえた。足音はレッドが今いる食堂へのちょうど入り口で止まった。  
 どうすんだ、まだまともに顔を合わせられる心の準備が出来てないぞ。そう思いながら虚ろな  
視線を向ける。  
「あのな、イエロー……」  
 台詞は途中で切れて、その先が発せられることはなかった。  
 イエローは戸口で恥ずかしそうに頬を染めて立っている。その恰好はいつもとまるで違っていた。  
 
 彼女が身に着けていたのは少女らしい白いワンピースだった。  
 肩の部分が細い紐でつり下げられている。腰の部分に切り替えが入ってはいるが、基本的に  
身体の線に沿ってすとんと落ちるタイプのシンプルなワンピースだ。それでいて全体のバランスが  
良く、可愛らしい。丈は膝上で、裾は何枚かの布を重ねてあるのか、煙った朝靄のような色を出  
していた。長い髪の毛は解かれていた。身体のラインに沿って落ちている。  
「……」  
 レッドは「女の子だ」と告白された際と同じく、ぽかんと口を開けた。  
「……どうしたんだ、それ」  
 イエローは正面切って凝視され、そわそわと落ち着かない様子だった。彼女が身じろぎするたび  
スカートの裾がゆらゆらと揺れる。  
「その……ブルーさんに貰ったんです。プレゼントだって」  
「あいつ……」  
 あのピジョットはブルーの差し金か。確証は無いがものすごく作為的に作られた状況のような  
気がして、レッドは思わず見えない相手に向かって握り拳を固めた。そこに遠慮がちな声が  
割り込む。  
「……あの」  
 我に返るとイエローがこちらを見ていた。  
 かと思うと恥ずかしさのためかすぐに目を伏せる。それを何度か繰返してからやっと、イエロー  
は口を開いた。両手をぎゅっと胸の前で握って、  
「…………どう、でしょう……」  
「どうって……」  
 どうって何がどういう風にどうなんだろう。咄嗟に答えあぐねていると、イエローの表情は  
見る見るうちに曇っていった。やがてしょんぼりと肩を落として呟く。  
「そうですよね……似合いませんよね……」  
 わかってるんです、と彼女は囁くように言った。寂しそうに身をすくめる。剥き出しの肩の線が  
小さくなり,儚い印象を作った。それを見た時、口が勝手に動いて彼女の言葉を否定していた。  
「い、いや、違うんだ!何て言うか,びっくりしただけで。ただ、いつもの格好とあんまり違うからさ、  
何て言えばいいかわかんね−って言うか、なんだ、その」  
 
 自分でもなんでこんなに必死になってるんだ,と思うほど必死に取り繕う。もはや言葉になって  
いない単語の羅列が止まった時、レッドは立ちあがり机に手を付いて身を乗り出していた。  
 イエローはきょとんとしていた。レッドは自分の状況に気付いて赤くなり、口の中で言うべき  
言葉をぼそぼそと幾つか呟いたが、結局女の子が言われて一番嬉しい言葉なのではないかと  
思われる、  
「可愛いよ」  
 という感想を述べた。  
「あ……ありがとうございます!」  
 イエローの表情は陽が射したようにぱっと明るくなった。それを見て、レッドもなぜか  
ほっとした。  
 
 
 ほっとしたのはイエローも同じだった。途端にいつものしゃべり方が戻ってくる。  
「レッドさん、今日はどうするんですか?またマサラタウンに?」  
 問い掛けるとレッドは頬を掻いた。  
「いや、一段落して戻ってきたところだから、今日は……」  
「はい?なんでしょう」  
「いや……暇ならでいいんだけど」  
「暇なら?」  
「暇なら、久しぶりに二人で過ごすか、と思ってさ」  
 イエローは目を丸くして、  
「はい!」  
 と答えた。  
 
 答えたものの、ほんの十分で彼女は後悔した。  
 足もとが頼りない。  
(男装する前は、そりゃあそんなにお洒落じゃなかったけど、スカートだってはいてたのに)  
 昔は下に黒いタイツばっかりはいてたからかなあ、と反省する。どちらにしろこんな、  
可愛さを優先したような薄い生地のものは見に付けた事が無かったから、居心地が悪いのは  
当然なのかもしれない。  
 
 膝から下は素足である。歩くたびに心許ない気分になり、自然歩幅は狭くなった。二人で  
森に出て散歩していても、これではスムーズに歩くことなど出来ない。随分先に進んで  
しまったレッドが振り返って言った。  
「大丈夫か?」  
「は、はい……」  
 ブルーはワンピースに合わせたミュールも用意してくれた(勿論、ミュールなどをはくのも  
初めてだ)が、これがまた歩きにくい。レッドも意識していい道を選んでくれているようで  
森の中でも下生えに苦労するというようなことは無かったが、なんでこの靴こんなに踵が  
高いのー?泣きそうになるが構っていられず、イエローは小走りになってやっとレッドに  
追いついた。  
「ご、ごめんなさい……」  
 小声で謝ると、レッドは「うん、いいけどさ」と言って微笑んだ。それを見てイエローは、  
(ボク、まだレッドさんのこと諦め切れてないんだな……)  
 と思う。こんな服を着ているのがいい証拠だ。  
 今日一日一緒にいようと言われたのは嬉しかった。これが良い機会なのかも知れないな、と  
イエローは考え始めていた。レッドさんのことをあきらめる良い機会かもしれない。  
(潮時かな……)  
 両手を合わせて握りしめると、彼女は再び歩き出した。  
 
 
 
 森の割と浅いところを歩いているつもりだが、イエローは大丈夫だろうか。レッドは  
ちらちらとイエローの足下を見ては、こまめに道を変えていた。  
 人やポケモンの安全が掛かっている場合を除いては、レッドが他人の動向に対してこれほど  
注意を払うことはほとんど初めてと言えた。それはレッドがイエローを意識し始めた結果  
だったが、加えてレッドには、この格好をしてからのイエローはひどく頼り無く見えたから  
だった。剥き出しの手足が思っていたよりずっと細くて今にも折れそうに見える。今更ながら  
レッドはイエローが自分とは違う、少女であるということを改めて認識せざるを得なかった。  
 目が合ってしまうととても冷静でいられる自信は無い。レッドの視線はますます足元に行き  
がちになる。もしブルーの言うことが本当なら、  
 
(俺、どうすればいいんだろう)  
 ……俺ってこんなに意気地なかったっけか?  
 相手が好いてくれているとわかっているのに自分からは何も出来ない。恋愛は勝手が違うと  
言ってしまえばそれまでだけれど、  
(……違うな。何だろう)  
 もっと根本的な問題のような気がする。  
 でもそれが何なのかわからず、レッドはまた今朝方同様頭を悩ませることになった。  
 
 
 
 などとお互いを意識しながら歩いていたのは最初のうちだけで、  
「この辺はもう大丈夫だな。他属性のポケモンはいないみたいだ」  
「でももともと暮らしてるポケモン達への影響は確実にあったと思うんです」  
「それはもう少し継続的に見てみないと詳しいことはわかんないだろうけど」  
 昼を回った頃には彼らはただのポケモン生態調査隊と化していた。  
 諸事情で人の手によって生態系が変化していたトキワの森は一時期に比べれば随分もとの  
状態を取り戻してきている。イエローは行き当たった川の側に座りこみ手で水をさらっていた。  
レッドは彼女から離れた場所で川縁の木々に触れてみて状態を見ていた。  
 ふと頭上に影が差した。見上げると枝の上で、キャタピーが警戒したようにこちらを見ている。  
レッドは片手をぱたぱたと振りながら話しかけた。  
「お前、あんまり日の下に出てくるなよ。鳥ポケモンに食われるぞ」  
 キャタピーがひょこひょこと幹の方に戻っていくのを確認してからイエローの方を振り返る。  
イエローも丁度立ち上がってこちらを見たところだった。  
「じゃ、行きましょうか」  
「そうだな……」  
 言いかけて、レッドは硬直した。  
「イエロー!」  
 イエローがぱっと振り返る。  
 彼女が背にしていた位置の川の水が大きく膨れあがる。ポケモンだ。それも大型。川を割って  
現れたのは、  
 
「ギャラドス!」  
 背筋に怖気が走った。駆け出す。同時に腰に付けていたモンスターボールを手探りで掴んで  
振りかぶった。中がどのポケモンなのかもろくに確かめなかった。  
 しかしレッドがそれを投げる前に、  
「ラッちゃん!」  
 鋭い声が飛んだ。いつの間に取り出したのか、イエローがモンスターボールを投げはなって  
いた。ボールは敵に向かって一直線に飛んだ。音を立てて空き、煙が爆散する。  
「『ひっさつまえば』!」  
 イエローの指令に、ボールから飛び出したラッタが身を捻る。攻撃はギャラドスの胴体に  
クリーンヒットした。ギャラドスが痛みに身をくねらせる。尾が水面に叩き付けられ、川の水が  
渦を巻いた。  
 咆哮が響いた。  
 イエローが驚いて耳を塞ぐ。ラッタがイエローの傍に駆け寄った。ギャラドスは激しく苦悶  
して、水中へ身を翻す。  
「あっ、待って!」  
 イエローは追いかけるように川縁へ駆け寄ったが、その時にはギャラドスの姿は影も形も  
なく消えていた。  
「急所に当たるなんて思わなかった……でも他の子じゃ間に合わなかったし」  
 荒れる川面を覗き込み、  
「ごめんね、ギャラドス」  
 しゅんとして呟く。その後、「ラッちゃん、ありがとう」とラッタの頭を撫で、ボールに  
戻した。それから初めてレッドの方を見た。  
「あんな子がまだいたなんて……この川はちょっと狭そうだなあ。ゲットして他の場所に移して  
あげられれば良かったですね、レッドさん」  
「……」  
 レッドはぽかんと立ち尽くした。  
 イエローに向かって二、三歩歩いて、そこにあった石にけつまずく。  
「レッドさん!?」  
 
 イエローが素っ頓狂な声を上げて静止しようとするが間に合わない。べしゃ、と音を立てて、  
レッドは顔面から地面に突っ込んだ。  
 静寂が流れた。  
 その静寂の中、レッドが取り落としたモンスターボールはコロコロと転がっていき、イエロー  
のミュールの爪先に当たって止まった。イエローがあたふたとした様子でボールを拾い上げる。  
「ど、どうしたんですか、レッドさん?」  
「は、はは……いや……なんか安心してさ」  
 レッドは顔を上げて何とか答えると、腕を立てて身体を起こした。掌で顔の汚れだけは拭った  
もののまともに立ち上がれず、尻餅を付いてへたり込む。  
「……」  
 心の奥で引っかかっていたものが急に顕在化してきた。同時に、それによる不安感が綺麗に  
削ぎ落とされてすとんと落ちた。  
 目の前にいるのは間違いなくイエローだ。レッドはそう思った。  
 レッドは今までのイエローと今のイエローがなんだか剥離しているような気がしてならなかった。  
ずっと違和感を感じていた。  
 今のイエローは確かに女の子らしい。レッドの少年らしい劣情を煽るには充分な可愛らしさだ。  
しかもその子は自分を好いてくれていると来ている。普通なら一も二もなく受け入れるところだ。  
 しかしそこまで考えたとき、一つの問題があった。  
 では自分の方はどうなのか。本当にイエローでなければ駄目なのか?  
 今まで知っていたイエローと目の前の女の子との印象があまりにもかけ離れていたせいで、  
これまで恋愛とは全く無縁だったレッドにはその判断が全くつかなかったのだ。もしかしたら  
イエローじゃなくてもいいんじゃないか。今の自分の感情は、可愛い子を見ればそれが誰かなど  
関係なく抱いてしまうような、単なる欲情に過ぎないのではないか。もしそうだとしたら、  
イエローとそういう関係になったって、イエローを一方的に傷付けることになるだけだ。  
 その思いは、図らずもイエロー自身が払拭してくれた。イエローは女の子になってもイエロー。  
そしてそれを実感しても変わらず、自分はこの子を可愛いと思っている。  
 
 ……なんだ。俺、イエローのこと好きなんじゃん。  
「大丈夫ですか?レッドさん、まさか、怪我とか」  
 イエローがおろおろと駆け寄ってくる。その姿がまた男の子の恰好をしていた時と全く変わら  
ない仕草で、レッドは思わず吹き出した。  
 突然笑い出したレッドを見て、イエローは転んだ時頭でも打ってしまったんじゃないかと  
本気で心配になった。跪くと、レッドの肩を掴んで揺さぶる。  
「ちょっと、レッドさん!」  
 言いかけて、イエローは固まった。レッドがいつの間にか笑いを引っ込めて自分を見ている。  
 ひどく近くで目が合った。  
 我に返り思わず身を離そうとしたとき、肩に手が回って身体が引き寄せられた。  
「んっ──」  
 一瞬息が詰まる。自分で止めたのではなく、唇を何かに塞がれたために思わず声が漏れた。  
 かと思ったらその一瞬後、その何かはさっと離れていった。何が起こったのか解らず  
見上げると、すぐそこにレッドの顔があった。ぺろりと唇をなめると、意地の悪い笑みを浮かべる。  
「驚いた?」  
「お……」  
 イエローは目を見開いてまじまじと相手の顔を見つめた。  
 驚いたなんてもんじゃない。口をぱくぱくさせて何か言おうとするが、声が出てこない。  
そもそも何を言えばいいのかわからない。文句?それとも詰問だろうか。レッドはそんな  
イエローを見てまた笑った。  
「はは。びっくりさせてごめんな」  
 ぎゅうっと抱き締められ、そこまでいってやっと、イエローは自分が一体何をされているの  
かを理解し、混乱した。  
「……レッドさん?」  
 恐る恐る問い掛けてみると、レッドは一旦体を離した。かと思うと、何だか不満そうな  
顔をしてこちらを見ている。  
「思ったより反応薄いな。足りないのか?」  
 足りない?何が。そこまで考えてはたと気付き、  
 
「い……いえ、もう結構です!もう充分!」  
 慌てて叫んだが遅かった。再び唇が塞がれる。今度はこころもち長めに。その頃にはもう、  
イエローは恥ずかしさで真っ赤に頬を染めていた。  
 しばしの静寂の後、ようやく解放される。ぷは、と息をつぎ、  
「な、何てコトするんですかぁ!」  
 そうくってかかる。自分がレッドを好きだなどという事実は脳裏から吹っ飛んでいた。相手の  
デリカシーのない攻めかたとそれにいいように翻弄されている恥ずかしさに、イエローは  
そうして怒鳴ることでなんとか自分のペースを取り戻そうと試みる。  
 が、暖簾に腕押しのようで、レッドは平然としている。それどころかイエローからボールを  
取り返すと、  
「あ、ピカか」  
 と何の感慨もなくのたまった。イエローはそこでやっとあることに気付いた。さーっと顔から  
血の気が引いていくのを感じる。  
「な……ピカ……今の見てたの!?」  
 お互いが腰に付けているボールは身体の影になっていたからともかく、手の中にあったボール  
だけは今の場面をしっかりと目撃していたはずだ。レッドの手の中のボールに視線をやる。  
ボールの中のピカチュウが一瞬にやりとしたのをイエローは確かに見た。  
「……!!」  
 ポケモンの気持ちを読み取ることで彼等と会話に近いコミュニケーションを成立させることの  
できるイエローだったが、  
(……しばらくはもうピカと話できない。恥ずかしくって)  
 がっくりとうなだれる。その顔をレッドがひょいと覗き込んだ。  
「観念した?」  
「何がですかっ!?」  
 やけになって叫ぶ。  
「もう、何が何なんだか解りませんよ!一体何でこんな事になってるんですか!?何がどうして  
こうなってるんですか!?誰でもいいから説明してくださいっ!」  
「俺しかいないし」  
「じゃあレッドさん説明してください」  
 
 怒りの口調でどんと地面を叩く。きっとレッドを見上げたその目が丸くなり、その表情から  
怒りだけがすっぽりと抜け落ちた。  
 レッドが真面目な顔をしてこちらを見ていた。その口が開き、短く、  
「好きだよ」  
 と言った。  
 気勢を削がれて心理的に無防備だったイエローは、レッドが発したその一言を一瞬理解  
できなかった。  
「……嘘」  
「嘘ついてどうなるんだよ」  
 苦笑しながらそう言ったレッドだったが、イエローの表情を見て、その苦笑は凍った。  
 イエローは泣いていた。表情は驚いたそのまま、声を上げることもなく、ただ目尻から涙が  
零れて一筋頬を伝っていた。  
「……だって、もう駄目だって思ってたのに。もう諦めてたのに。諦めなきゃいけないんだって、  
そう思ってたのに──」  
 女の子として見て貰えなかった時から、もうどうしようもないと思ってたのに。彼女の言葉は  
そこまでで途切れた。ゆっくりと俯き、表情が窺えなくなる。これまで殆ど自覚のなかった  
レッドだったが、それを見て今更ながら自分の言葉でいかに彼女が悩んでいたか、ようやく  
理解できた。  
(俺の言ったこと、そんなに気にしてたのか……)  
 手を伸ばすともう一度彼女の身体を引き寄せる。  
「ごめんな」  
 謝罪の言葉はごく自然に口から出て来た。  
「──」  
 レッドの上着に顔を押し付け、イエローは堰を切ったように嗚咽を上げ始めた。  
 

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