「んー…気持ちいい!」  
 
 
フキヨセのジムリーダー、フウロはパートナーであるスワンナに乗って空を飛んでいた  
アララギパパほどではないが、フウロも移動に貨物機を使うことは多少ある  
しかし、今回の旅路はサザナミシティのバカンスに誘われて行ってきただけだ。貨物機は着陸できないしなにより荷物も少ない  
サザナミではシロナと話したりカミツレとバトルしたりして楽しめた。電気対策をしていたが、それでもさすがは電気のエキスパート、そう易々と勝たせてはくれなかった  
 
「グライオンだけじゃ無理があったかなあ…。…ランドロスにお参りしてこようかな。って、神頼みしちゃダメだよね、うん」  
 
ポケモン勝負というものは負けても楽しいと思えるからこそやめられない。それはジムリーダーとしての心得であり、同時にトレーナーとしてのポリシーだった。  
 
「もうすぐフキヨセだね。スワンナ、お疲れ様……って、え?」  
 
フキヨセの近くにそびえ立つ鎮魂の塔、タワーオブヘブン。その鐘楼のある頂上に、見慣れた人影が佇んでいるのが見えた  
 
「…トウヤくん?」  
 
かつて自分に挑戦してきた一人の少年が見えた。気になってスワンナに行き先の変更を頼む。少々非常識だったが、直接塔のてっぺんに着陸することにした  
 
「トウヤくん!」  
「…フウロ、さん?」  
 
少年は心底予想外だった、という風にフウロを見てぽつりと呟いた。フウロはスワンナをボールに戻し、歩み寄る  
 
「久しぶりだね。プラズマ団を倒してから行方をくらませてた…って聞いたけど、元気そうで安心した」  
「そう…ですね。ご心配をおかけしました」  
「…トウヤくん?」  
 
いつもと違う、影のある面持ちにフウロは疑念を抱く。探りを入れてみようと、話題を変えて様子を見る  
 
「チャンピオン…というか、Nを倒したんだよね。おめでとう」  
「いえ…チャンピオンの座はアデクさんにお返ししました。僕がチャンピオンでいるより、あの人のほうがみんなのためになるでしょうから」  
「え…どういうこと?」  
 
フウロが問うと、トウヤは一つのボールを取り出した。紫色でMの文字が刻まれたボール。マスターボールに収まるポケモンを思い浮かべ、フウロはその名を呟いた  
 
「…ゼクロム?」  
 
少年はこくり、と小さく頷いた。そのボールを見つめて、トウヤは俯いた  
 
イッシュ建国の竜の片割れであるゼクロム。伝説と呼ばれるポケモン。トウヤはゼクロムに選ばれた英雄だった  
 
「ポケモンが好きで、バトルが楽しくて、勝つと嬉しくて、それだけあれば充分だったのに…どうしてこんな事になったのかな」  
「…トウヤ、くん」  
「少し…“重く”て」  
 
それは間違ってもボールの重さではない。重いというのは、背負わされた宿命のことだろう  
 
フウロは目の前にいる少年が、かつて自分に挑戦しにきた時のことを思い出した。スワンナとエンブオーの一騎打ち。相性も戦況も不利な状況なのに、トウヤは笑ってその困難に立ち向かった。その末にトウヤは勝った  
その時のトウヤの顔は、本当に輝いていた。ポケモンといることが楽しくて堪らない、そんな表情  
 
だが今のトウヤの顔にはあの時の光は感じなかった  
純粋にポケモンが好きだった少年が、ポケモンの解放だの伝説の竜の英雄だの、そんな大人の都合に巻き込まれて光を失ってしまった。チャンピオンの座を返上したのもきっと、プレッシャーに耐え切れなかったからなんだろう  
 
ズキン、と胸が締め付けられるような痛みに襲われた。自分はこの少年に何かしてあげられないだろうか?フウロは必死に考えて、一つの結論を出した  
 
「…トウヤくん」  
「はい?」  
「後ろ、向いて?」  
「…え」  
「いいから。あ、階段に腰掛けてくれると嬉しいかも」  
「は…はぁ。わかりました」  
 
にこにこと微笑むフウロに「?」を浮かべつつ、トウヤは言われた通りに階段に腰掛ける。フウロはどうやら階段を登り、後ろに回り込んだようだ  
 
 
-ふわっ  
 
「…えっ」  
 
なにをされるんだろうと思った矢先に、背中に感じた柔らかい感触  
 
「フウロ、さっ」  
「えへへ、トウヤくんはあったかいなぁ」  
 
首を動かして後ろを伺うと、フウロに抱きしめられていた。柔らかい感触の正体はフウロの、フウロのっ…!  
 
「いいんだよ、背負わなくて」  
「!!」  
 
ビクッ と体が跳ねたのは、耳元に吐息がかかったからだとか、胸の感触に興奮したからだとか、そんなことじゃなかった  
 
「未来とか、理想とか、真実とか、解放とか…そんなことトウヤくんが、背負って戦う必要なんてないんだよ」  
「…フウロ、さん」  
「トウヤくんは、ちょっと真面目すぎ。もう少し肩の力抜いていこうよ。キミが私に挑戦しにきた時みたいに…楽しく、嬉しく、ね?」  
 
優しく腕を回して、きゅっと抱きしめる。そのまま無言の時間が流れると、ポタッ…と腕に冷たい何かが零れ落ちてきた  
 
「フウロ、さんっ」  
「…なぁに?」  
「僕も、また、楽しんでいいんですか…?」  
「うん。堅苦しいしがらみなんて、全部投げ捨てちゃえ」  
「はいっ」  
「ごたごたはもう終わったんだから、またみんなで笑ってバトルしようよ」  
「はいっ」  
「それでもまた辛くなったら…私が傍にいてあげるから、ね?」  
「…フウロ、さん」  
「…トウヤくんは、あったかいね」  
 
もう一度、なだめるような優しい声色でそう言って、フウロは微笑んだ  
 
「(この人は、どうして、僕の欲しい言葉をくれるんだろう)」  
 
トウヤはごしごしと涙を拭きながらフウロの温もりに身を委ねる  
 
「温かいのは…フウロさんですよ」  
 
そう呟いたトウヤの顔はほんのりと赤かった。そんな顔をされたら、母性本能が擽られるというかなんというか…  
 
「(あ、私も顔赤くなってる…かも)」  
 
ポー…と呑気にそんなこと考えていたら、トウヤとフウロの目線がバチリと合った  
 
「「あっ」」  
 
思わず声をあげたのはほぼ同時だった。トクントクンと、お互いの鼓動が聞こえてきた気がする  
二人はそのままジッと見つめ合い、どちらからでもなく距離を縮めていき…  
 
「―――」  
「…ん…」  
 
チュ、というリップ音を立てて口付けを交わした  
 
「…ぁ、わっ…!ご、めんなさっ…!」  
 
バッ、と勢いよく顔を離してトウヤは慌てた様子で謝る。しかしフウロは、無言のまま自分の唇を指でなぞった  
 
「(キス、しちゃった…?…はわー…ファーストキス、奪われちゃった…)」  
 
なんてことをぽけーっと考える。赤くなったトウヤの謝罪にはまだ気付いていない  
 
「(あれ?なんとなくそんなムードになってキス、しちゃったけど…嫌じゃなかった…。はじめて、だったのに)」  
「フ、フウロさん?」  
 
名前で呼びかけられてようやくフウロはハッと我にかえる  
 
「あ、はは。別に気にしなくてもいいのに!私こそ、ごめんね、ベルちゃんがいるっていうのに、こんなこと、して」  
 
内心では気持ちの整理がついていなかったが、とりあえず『年上のお姉さん』として相手を気遣う余裕を見せてみた  
 
「………ベル?が、どうしたんですか?」  
「……へ?」  
 
だがトウヤのこの反応は予想外だった。逆にフウロが素っ頓狂な声をあげる  
 
「え、だってベルちゃんってトウヤくんの幼なじみでしょ?好きなんじゃないの?」  
「ブッ!な、なに言ってるんですか!ベルが好きなのはチェレンですよ!」  
「…な、なんだってー」  
「僕が好きなのはっ――」  
 
言いかけて、トウヤは口をつぐんだ。その先を言うつもりはない…らしい。だがフウロは、その先の言葉を聞きたがっている自分がいることに気付いた  
 
「…好きなのは…誰?」  
「………」  
 
真剣な問い掛け。リアル黒い眼差しを体験したな、とトウヤは墓穴を掘った自分を呪いつつ、拳を握って俯きながら呟いた  
 
「僕が、好きなのは…」  
「………」  
「…フウロさん、です」  
「………」  
 
静寂が場を支配する。言ってしまった以上、トウヤはフウロの返事を黙って待つ。そのフウロはというと…  
 
「(…どうしよう。嬉しい、かも…)」  
 
自分の胸の躍動に戸惑っていた。しかしどうしてそんな気持ちになっているのか、よくわからなかった  
相手は年下だし、運命的な出会いをしたというわけでもない。ジムリーダーと挑戦者、出会うのは逆に必然だ。そうだ、目の前の少年はあくまでも数多いた挑戦者の一人で…  
 
「………あっ」  
 
そこでようやく気がついた。何故、暗くなったトウヤの笑顔がもう一度見たくなったのか。キスをして嫌だと思わなかったのか。告白されて嬉しいと思ったのか  
 
「(私も、好きなんだ)」  
 
簡単すぎて、気がつかなかった。自分は彼の笑顔が好きだったのだと  
自分と同じように、ポケモンといるのが嬉しくて、バトルするのが楽しくて、逆境にも笑って立ち向かう彼の純粋な笑顔に惹かれていたのだ  
 
「やっぱり、その…迷惑、でしたか?」  
「え…?」  
 
あまりにも長い沈黙が苦痛だったのか、耐え兼ねたトウヤがぽつりと呟く  
 
「え、遠慮はしないでください。僕もその、男です。諦める覚悟はできて、ますから」  
「……私は、諦めてほしくないな」  
「…えっ…」  
「だって私は、どんなに辛くても絶対に諦めない、そんなトウヤくんに惹かれたんだから」  
「フウロ、さん」  
「…私も好きだよ、トウヤくん。キミの笑顔が私は大好き」  
 
1番欲しかった返事が返ってきてトウヤは涙が零れそうになった。だけどそれを必死になって堪えて、笑顔を見せた。だって彼女は、その笑顔を好きと言ってくれたのだから  
 
想いが通じ合った二人が、『もっと楽しいこと』をするのはまた別の話…  
 
 
fin  
 
 
 

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