「ねえあんたアカギさまの居場所知ってるんでしょ!? 教えてよ!」
半ば涙目になりながらマーズは少年の肩を掴み、壁に押し付ける。
少年……コウキは痛みに顔を歪め、呆れた風に言った。
「あんたさぁ、いい加減にしたら? 普通の女の子に戻るんじゃねーの?」
「それは……っ」
「アカギは人間みんな嫌いだよ。あんた含めてな。もう一生こっちには戻ってこないよ」
「違う!」
「違わない。あんただって分かるだろ?」
コウキの突き離すような冷たい言葉がマーズの頭のなかで反響し、涙腺を揺さぶる。
声にならない声を漏らしながら、コウキの肩から手をどけそのまま顔を覆った。
全て分かっていたことだった。あの方が命令をくだすたびに薄々思っていた。
あの方の世界にはあの方以外誰もいらない。もちろん入り込めることもない。今までそうだったように、きっとこれからも。
「う、うう……っ」
「ああもう泣くなよーだからこの話嫌なんだよー」
「だ、だって……だって……」
コウキはいたたまれなくなってマーズにハンカチを差し出した。
マーズは遠慮なくそれを借りて涙を拭う。
「あんまこするなよ、赤くなるから」
「もう知らない知らない私ふつーの女の子だもんっ」
「うん」
「ふつーにアカギさまのこと好きだったんだもん」
「うん」
マーズの「アカギさま」の話は結局夜明けまで続いた。
その間も泣き止む気配はなく、コウキはマーズがしゃくりあげて苦しそうになるたびに背中や頭を優しく撫でながら彼女の話に耳を傾けた。
「……なんか、変な感じ。あんたは敵なのに」
「もうアカギはいない。ギンガ団も変わった。だからあんたは普通の女の子だ」
「……うん」
「もうちょっとプラスに考えてみれば?」
「頑張ってみる」
不思議とマーズは以前のように心がささくれだつようなことなかった。
前は思いだすだけで呼吸が難しくなったのにそれどころかとても安心してまた新しい涙が出てきた。途端に眠気が襲ってくる。
「もうそろそろ寝たほうがいいよ」
「うん」
コウキの言葉に素直に従い、もぞもぞとベッドの中にはいってピッピの人形を抱きしめる。
「ねえあんたさ」
コウキは不意に妙な気持ちになって、マーズに声をかけた。
マーズは眠気たっぷりの声で「なによ」と無愛想に返す。
「新しい恋しよう、とか思わないの?」
眠気が少しだけ飛んだ。
(あ、やば)
言い終えたあと急に恥ずかしくなってしまったが、マーズは何の返事もしない。
寝ているのだろうか。それはそれで何かモヤモヤするものがある。
「もしもしー寝てる?」
「ね、ねね寝てる!」
「ははは起きてるじゃん」
上着を羽織り、リュックを背負っているとマーズが少しだけ布団の中から顔をだした。
「ねえ」
「うん?」
「明日もきてくれる?」
「ポフィンでももってくるよ」
「……ん」
「おやすみ」
ギンガ団基地を後にして、長い階段をおりながらコウキは考えごとをしていた。
マーズももう平気だろうし、サターンやジュピターだっている。これから銀河団は立派な会社にでもなってくれるだろう。
もう、大丈夫だ。
朝の光がこのシンオウを優しく包む。冴え渡るような夜明けだった。
マーズがイライラしている。口にこそだしていなかったが、時計を睨みつける様は空気にも伝わるようにピリピリしていた。
サターンは書類をまとめながらふぅ、とため息をついた。
「マーズ、何もしないなら帰っていいぞ」
「何よなんか文句あんの」
「山ほどある。この忙しいのにお前は昨日から泣いたり怒ったり喚いたりしてるだけじゃないか」
「……私はアカギさま以外のやつから命令される覚えはないわ」
「まだそんな屁理屈を言うか」
「あんたとは違うのよ!」
「じゃあなんだ、コウキからお願いされても動かんのか」
そういうとマーズは黙り込んでしまった。少なくとも即否定する程度でもないらしい。
まあ私には関係のないことだが。サターンは再びデスクに向きなおる。
「……そういえば」
「何よ」
「コウキはしばらくこちらにこれない、と言っていた」
驚いて声を張り上げるだろうと思ってほんの少しだけ身構えていたがそんなことはなかった。
妙に思ってマーズの方を見ると、静かに泣いていた。
私には関係ないことだ。
「……何故泣く」
「あんたにはわかんないでしょうね」
「どういことかさっぱり分からない」
「分からない。アカギさまがいなくなって、顔色ひとつ変えないあんたにはわからない」
とても理解しがたい。私はマーズと違っアカギ様に執着していたわけではない。あの方が選んだ道見届けただけだ。
まったく、私とは正反対の位置にある。
サターンはしばらく考えこんでから、パソコンのうえで手を休めずに呟いた。
「全く理解し難い。アカギさまに執着するのと同じようにコウキに執着するのなら」
まったく、くだらない。サターンはこんなことを口走ることさえ滑稽だと思えてくる。
理解不能で、故に私には関係のないことなのに。
「何故、今あの時のように追いかけようともしない。まだ同じ世界にいるのに、くだらないとは思わないのか」
「……っ!」
バタバタと大げさな足音をたてて、マーズが走りさっていく。
これでやっと心おきなく仕事ができる。サターンはまた何でもないような顔をしてパソコンに向きなおった。
一つだけ、コウキはヨスガシティにいるていうこと言い忘れた。
眉間にシワがよっていく。私には関係ないことなのに。
「あれ? いつかの変態集団」
ロストタワーを通り過ぎようとしたところで神経を逆なでするような言葉をかけられた。
むっとしながら振り向くと、入り口のところに少女が立っている。ピンクのワンピースタイプのコートと黒髪セミロングが印象的なおとなしそう少女が花束を抱えてこちらを見ている。
見覚えがあった。「あの日」テンガン山の頂でのこときいて駆けつけてきたナナカマド博士の助手で、確かコウキがヒカリと呼んでいた。
「っ今すぐ訂正しなさい!」
「あ、ごめんなさいごめんなさい悪気はなかったんですただそのままありのままのことを言っただけなんです許してください」
「それにしたって言い方ってもんがあるでしょ!」
「発電所乗っ取った人に言われたくないです」
今のところ彼女は頭にくる発言しかしていない。マーズはおとなしそうというイメージを撤回した。
「それでメス豚さん、こんなところで何してるんですか?」
「め、めめめめめめメス豚!?」
「あっ私ったらいけない……ごめんなさい癖なの」
「……早めに治したほうがいいわよ」
「それで奴隷さんこれからどちらに?」
「あ、あんたなら知ってるかも……コウキって今どこにいるの?」
「ああ、あの白馬の王子を気取ったオスザルさんはちょうど今ヨスガシティにいると思います」
豪華絢爛に飾られたステージ中央で、なり止むことのない拍手と羨望の視線と祝福とを一身にうけるタキシードを着た少年と美しい毛並みのルカリオ。
とても眩しく感じる。住む世界が違うのだ、とマーズは観客席の隅っこののうでそれを見ていた。
いくら視線を向けてみても彼は気づかない。胸が締め付けられるように痛く感じた。
しかし、それもつかの間のことでしばらく見つめていると目があった。優しく目を細めてこちらに向かって手をふっている。それに気づいた何人かの観客がマーズの方をみた。
どう反応していいかわからずにマーズはきびすを返し、会場から駆け足で出て行ってしまった。
待合室にいる間もコウキはずっと人に囲まれていた。女性がやけに多い気がしてならない。
(……デレデレしてる)
花束やらなんやらを受け取り、「じゃあ僕はこれで」と言ってやっとマーズのところまできた。
「はは、拗ねてるし」
「拗ねてない」
「拗ねてます」
「……なんなのほんと。あたしが馬鹿みたい」
これは思った以上に不機嫌だ。コウキは気づかれないようにやれやれと息をついた。
「今日はどうしたの。あんたから会いにきてくれるって珍しーね」
「……あんたがしばらく来ないってサターンがいってた」
「えー?」
「……嘘つき。また来るって言ったくせに」
そっぽを向いてしまったマーズがコウキにはやけに愛おしく映った。
「えー? それで寂しく思ってきちゃったわけー? マーズさんキャワイイー」
「いい加減にしてなんでしばらく来れないわけ?」
「あははまだ信じてんのー、嘘だよあれ」
「え、でもサターンが」
「協力してくれましたー」
信じられない。マーズは目を丸くしてコウキを見つめた。少年はいたずらに微笑む。
「あいつちょっと丸くなったよねー」
マーズの顔が熱くなってくるのが目に見えてわかりコウキは内心でほくそ笑んだ。
面白いほど計画通りである。
「だって……あのサターンが……!」
「あっはっはっ超馬鹿ー! 超かわいいー!」
「〜っ! こ、この……っ」
恥ずかしいやら悔しいやらなんやらでマーズは踏んだり蹴ったりである。
屈辱的に感じていたりするのかマーズは僅かに体を震わせている。涙目でコウキを見つめていた。
ほんの少しだけ罪悪感を感じて彼女の頭を撫でる。
「……ごめんね」
「……あんたは、あの方みたいにいなくならないで」
「うん、ごめんね」
「許さない」
「えっそんなにポフィン欲しかったの」
「馬鹿、しね」
「じゃあさ」
コウキはマーズの耳元で低く囁いた。
「俺のこと好きなの?」