ナナシマでも大きな市場のある二の島。そこで一人の女性が買い物袋を両手に抱えてあたふたしていた。眼鏡に切れ長の瞳の、かつて四天王と呼ばれた女性、カンナ。  
ナナシマの四の島から、買出しに出てきていた。ポケモンリーグを引退してからはや3年ほど。故郷でゆっくり、しかしながら確実に子供達へポケモンバトルを教えていた。  
もちろん、いてだきの洞窟のパトロールも忘れない。あそこには、珍しいポケモンたちが静かに暮しているのだ。  
そして、今日は溜まった買出しの日。ナナシマでは物資の運搬は行われているものの、やはりそこは島とあってなかなか上手くいかないし、  
大きな島に市場が集中するのは無理もないことだった。  
「やだ、買いすぎ?でもこれぐらい買っておかないと、すぐになくなっちゃうし。」  
ふう、と言いながら持つ手をかわるがわる交換しつつも、いかんせん重さが一緒なので効果はいまひとつ。力のあるポケモンたちは留守を任せているのでいない。  
「連れてくればよかったかしら、ラプラス…あ、でも荷物持って陸で歩くようなポケモンじゃないわね……」  
あーあ、とため息を付きながらよろよろと定期船乗り場に向かう途中、彼女は懐かしい声を聞くことになる。  
「えっ!何…?!また売り切れだと?!」  
大きな声を出して菓子屋に詰め寄っているのは道着を着た格闘家だ。自分でも思わず出してしまったらしく、慌てて声のトーンを下げているが周囲の目は彼に向けられている。  
人だかりもでき、なにやら皆ひそひそ言い合っている。あの人もしかして、有名な誰それさんじゃないの、と。無論、それはカンナの目を引くことにもなった。  
「……ちょっと…こんなとこで何やってんのよ……!」  
重たいはずの荷物をゆさゆさと揺らしながら、カンナはなりふり構わずかつ素早くその男の首根っこを掴むと、ものすごい勢いで人だかりから彼を引きずり出し、  
人気のない場へと引っ込んだ。  
「……な、何だアンタは!いきなり……」  
一瞬何が起こったのかわからない男に、カンナはムッとしながら答えた。  
「それはこっちの台詞よ!あんなとこで何やってんのよ!この筋肉馬鹿!」  
え、という驚きと共に男の目が見開かれる。彼の目の前にいたのは、かつての同僚であった。そういえば今は故郷に帰省していると聞いたが……  
「……カンナ?何故ここに?」  
「同じことアンタに聞きたいわよ。何でここにアンタがいるのよ。ここは私の故郷よ。私はいて当然でしょ。」  
もう、何も知らないんだから、とムスッとむくれるカンナに、急に物事が起こりすぎて混乱した男はただぼんやりとするしかなかった。元々社交が苦手なのもあるが。  
「……いや、俺はその…トモシビ山に修行にだな……」  
「修行に来た人がお菓子屋で何の用だったの?現セキエイリーグの四天王のシバが。みっともなく大声出して。」  
「……別に、関係ないだろう!」  
ふーん、と冷めた目で見られ、たじろぐシバに、カンナはさらに追い討ちをかける。  
「あっそ、そんなに買いたかったのね、いかり饅頭。好きだものね。」  
「……好きで悪いのか!……大声出したのは反省しているんだぞ……」  
久々に会ったとたんにこの弄られよう。シバにはカンナがこうもつっかかる理由が皆目わからなかった。別に、自分がどこで何をしていようが関係ないはずだというのに。  
「ま、アンタが何してようがいいけど。丁度よかったわ。これ運ぶの手伝って。」  
パワーだけは人一倍でしょ、とカンナは無理矢理自分の買い物袋を押し付けた。本当に久々の再開だというのに、散々な扱いである。  
(どうしてこんなに機嫌が悪いんだ……?)  
しかし、彼女に逆らえないまま、しぶしぶ買い物袋を抱えてノコノコと彼女の後を歩く姿はいつもよりもずっと情けない、格闘使いの四天王であった。  
カンナの家まで…即ち四の島まで荷物を運ぶと、カンナは流石に唐突だったから、と茶を淹れてもてなしてくれた。  
ぬいぐるみが置かれた可愛らしいインテリアの部屋は、現役時代のクールな彼女のイメージとはかけ離れていた。  
無論、無骨な自分がそこで茶を飲んでいるのはもっと似合わないだろうが。  
 
「へー、アンタでも上着るんだ。」  
「…当たり前だろ…上半身裸で町を歩く馬鹿がどこにいるんだ……」  
シバはいつもの下半身のみの道着に、ちゃんと上を着ていた。下駄だが靴だって履いている。重そうな腕輪はつけていた。鍛錬の一環だからだろうか。  
「これ、おいしいいでしょ。時々キクコさんが送ってくれるの。元四天王のよしみだって。」  
「……あ、ああ。」  
カンナが引退するのと同じぐらいに引退したゴースト使いの老女を思い浮かべ、まだ元気なのかあの婆さん、と不謹慎な考えを起こしてしまう。  
ウワサでは四天王は引退したが、まだ現役バリバリでトレーナーをしているらしい。同年のオーキド博士は学者でインドアだからいいとして、よくやるなと思った。  
「で?本当にここに来たのって、修行しにきただけ?」  
お茶のお代わりを注ぎながらカンナはちらりとシバを見た。湯気で少し眼鏡が曇ったのがどうも可笑しくて笑いそうになるが、笑うとれいとうビームが飛んできそうなのでやめた。  
「いや、だからそうだと言ってるんだが…前からよく来ているし……」  
「前から?!ちょっと、アンタそれなのにずっと私に挨拶もナシだったじゃない!」  
ばん、と机を叩いて不機嫌そうな顔をもっと不機嫌にするとカンナはぶすっとそっぽを向いた。  
「……あ、いや、だからな…ここがお前の故郷だとは知らなかったし……」  
「いいわよ、別に。気にしてないから。」  
気にしていなければここまでふて腐れることもないだろうに。  
「……お前、まさか誰も尋ねてこないから寂しかったとか……?」  
図星を差されたのかカンナがぴくっと反応し、ムキになって顔を赤くしながらも、はきはきと言い訳を並べる。  
「違うわよ。そんなんじゃないわよ。第一、手紙ぐらいなら貰うもの。さっきもキクコさんからお茶頂いてるっていったでしょ?それにこの辺は交通の便が悪いから……」  
「わかったわかった。今日は一日相手してやるから、な?」  
「結構よ。修行のことしか頭にない筋肉男と一緒にいて何が楽しいんだか……」  
どちらかというと普通は頭脳派でクールなカンナがしょうがないわね、と駄々をこねた相手を丸め込むのが通常だが、今日は逆だった。  
しかも思い切りその役割が似合わない男に。しかも鈍感な。元同僚が誰も尋ねてこないのが寂しくて、ついそっけない態度を取ったのは認める。  
しかしカンナとしては、それとはまた別の感情を目の前の男に抱いていた。カンナはそれを認めたくなかった。誰にも、悟られたくなかった。  
自分の好みのタイプがこんなかけ離れたタイプの人間だと思いたくなかったのである。この、いかにも女に興味がなさそうで鈍感な。  
「……久しぶりに再会したというのに、なんだかやけにつっかかるな。何かあったのか?」  
「……別に何もないわよ。」  
このムードで、こうも正直に自分の言いたいことを言える人間もなかなかいないだろう。シバが言葉を発するたびに、カンナの機嫌は逆撫でされるばかりであった。  
本当は色々話したり、想う所もあるのに。それなのに拗ねて冷たくする子供みたいな自分が嫌になった。  
「……いてだきのどうくつの中、気になるからちょっと見てくるわね。」  
逃避したところで、何も変わらないというのに。カンナはスッと立ち上がると外へ出て行った。鍵を持っていないところを見ると、留守は任せたということか。  
「……あいつ、俺にちょっと酷くないか……?」  
一人ポツン、とぬいぐるみだらけの部屋に男一人取り残され、再会した途端に雑務を押し付けられるという不幸に見舞われたシバはため息をついてうなだれた。  
 
 カンナはいてだきの洞窟の中で、変わらぬパートナー…ラプラスを撫でていた。こうでもしないと気が落ち着いてくれなかった。  
買い物途中で偶然彼を見つけたとき、喜んだものだがシュチュエーションが最悪だった。もう少し彼に現役の四天王であることを自覚してもらいたい。  
たかだか菓子の売り切れで大声を上げるなど、子供っぽいしみっともない。…しかし、だがしかしそこも自由な彼らしくていいとも……  
 
「…思わないわよ!何考えてんのよ私……」  
あんなバカに惚れるなんてあっちゃいけない、私が大バカになっちゃうじゃないの、と相手に失礼なことを考えながらカンナはラプラスに身を寄せた。  
ひんやりとした肌がなんとも言えず気持ちいい。  
「…別にさ、悪い男じゃないのはわかってるし、むしろいい男の方だと思…って違う!」  
先程からうんうんうなる主に心配そうな顔を向けるラプラス。知能の高いポケモンだ。カンナの心境も恐らく理解している。先程から彼女もどこか落ち着かない。  
「…第一、ポケモンリーグにいたころから気に食わなかったわよ…男臭くてムサ苦しいし、バトル馬鹿だし、不器用だし…でもそういうところも……ああもう、違うのに!」  
現在カンナの家で当人はくしゃみがとまらず、ストーブを付けた方がいいか?などとい考えてしまっているだろう。  
いい加減リーグにいたことから気になっていたということを認めてしまえばいいのだが、プライドが高いカンナにとってそれは難しいことだった。  
「きゅーるる?」  
見かねたラプラスがカンナの髪の毛をくわえてパタパタと動かす。いい加減にしたら?というように。  
「っていうか、そうよ、アタシなんかが言い寄ったら迷惑だわよ、何せポケモンバトル馬鹿なんだから。」  
強いものと闘うために…そうしてシバは四天王になったと聞く。女の色恋沙汰も、彼にとっては不要であり、別世界なのだろう。  
もし好きだと言ったとしても、それは男女の仲ではなく友人の仲として捉えるに違いない。  
とことんネガティブな思考のカンナに、ラプラスは呆れはてたように彼女から離れ、氷の浮かぶ湖へとダイブした。  
「……もう、さすがに帰ったわよね。きっと。」  
日が傾き始めている空を見ながら、カンナは家路に着いた。だが彼女の予測は外れることになる。家に帰ると、外からでもわかるいい匂いがした。  
まさか、と思ってドアを開けると、帰ったと思っていた人物がまだそこにいた。しかも夕飯まで作っていた。  
カンナは彼に対して好意的であり、バカにしている部分を一つ忘れていた。彼がかなり真面目な男だということだ。  
「……何、してんの?」  
「え?ああ。カレー……作ってみた。さっきの茶の礼にと思ってな……」  
「よっ…余計なこと、しないでよ!もう!」  
食材だって買出しのこと考えて買ってるんだからね!と文句を言いながらもカンナは内心まんざらではなかった。  
男一人であちこち山なんかで修行している身だ。料理がそこそこ上手いのはなんとなく予測できたので、夕飯を作る手間が省けて正直嬉しかった。  
「……まさか、ここに泊まる気じゃ、ないでしょうね?」  
「ん?そうしてくれるつもりじゃなかったのか?」  
さらりと真顔で言ってのけるくせ者に、カンナは顔が一瞬で真っ赤になるのがわかった。  
「あっ…あああっアンタ何言って……独身の女の家にいい年した男が泊まるだなんて……」  
「冗談に決まっているだろ。飯食ったらトモシビ山の方に帰る。」  
「〜〜〜〜〜!!」  
してやられた。一本取られた。ハハハ、と笑いながら鍋をかき混ぜているシバに恨みがましい視線を送りながら、カンナは食器をできるだけ静かに取り出した。  
時折聞えるヤミカラスの声が自分をバカにしているように聞える。ああもう、と思わず乱暴になりそうな手つきを抑える。  
が、食器を並べている時にカンナはふと、大事なことを思い出した。夕方…?今、何時だろうか……?定期船は四時が最終のはずだが……  
壁の時計を見ると、残念なのかラッキーなのか、針は既に五時を過ぎていた。  
「帰るって……二の島への定期船、もう……ないわよ。」  
「え」  
 
それ、本当か……?とバツの悪そうな顔でシバはカンナに救いを求めるような顔をしてきた。  
ここで今までの態度ならば野宿しろ、と言っただろうが、その極度に困った顔を見てカンナは気が変わった。気まぐれというやつだろうか。  
 
 予想していた通りカレーは美味しかった。具が大きいのは仕方がなかったが、他人の料理してくれたものほど美味く感じるというのは嘘ではないようだ。  
「上手いのね。」  
「まあな。修行仲間の空手連中にも結構評判だ。」  
ふふん、と得意そうに笑うシバに、カンナは自分の表情が迂闊にも綻びかけたのをあわてて直した。こういうときにこそ、クスクス笑ってやればまた色気もあったろうに。  
「そういえば留守の間、何してたの?」  
「ん?勿論部屋の外でカイリキーと組み手してたが?」  
「……好きね……アンタもそういうの……」  
「カンナこそ何なんだ、急に来た俺に留守を任せるなど…そんなに忙しいのか?まあ…泊めて貰ってしまって、宿代が浮くのは嬉しいんだが……」  
相変わらずの唐変木の応対にカンナはふう、とため息を吐いた。  
「……アンタ、何もかってないんだ……」  
「何が?」  
「……いいわよ、わからないなら。」  
「……気になるな……」  
じゃ、一生気になっててちょうだい、とドライに言い放つと、カンナはいそいそと布団を敷き始めた。換え用に二枚あるので、その予備の方を彼に貸してやることにした。  
布団を敷くカンナの手はどこかぎこちなかった。ドライに言い放ったのは表面上で、内心はとてもドキドキしている。  
ときどきチラチラと相手を見てしまうのがまたまどろっこしい。いっそ言えたらどれだけ楽なことか。しかし、大人の意地というやつはとてつもなく厄介だった。  
一度決めてしまったら、ずっとズルズル引きずってしまうものだから。  
   
 いざ布団の中に入ると、それはもっと厄介なものになった。眠れない。  
勿論カンナはベッドで寝ており、シバは床の上に布団を借りて寝ているが如何せん同じ部屋で寝ている事実に変わりはない。カンナの胸はざわめきで破れそうだった。  
そんなカンナを差し置いて、シバは寝息も立てずに爆睡していた。こちらが様子見にチラリと見ても身動き一つしない。修行で野宿が多いからだろうか。ピクリとも動かない。  
どうしようもなくなって、ベッドからむくりと起き上がると、カンナはまじまじと彼を観察した。  
枕元には簡単な荷物と腕にはめているリストと共に、彼の手持ちが収められたモンスターボールが置かれている。自分の現役時代と違って数も増えて種類も違う。  
(そっか、そうよね。コイツ、今も常に戦ってるんだから。)  
そう考えると急に寂しくなる。3年前の自分、リーグで挑戦者を待つ日々。それから3年経って面子も変わったセキエイリーグ。  
この3年間、情報を遮断ていたわけではない。リーグの動きのことはメディアを通じてよく知っていた。  
チャンピオンになった少年の行方不明事件、四天王のトップであったワタルの辞任から、彼が一からやり直し、今度はチャンピオンとしてリーグに君臨したこと。  
キクコの引退、そして自分の引退からその穴を埋めるためにやってきた、新しく四天王として加わった三人のトレーナー。  
とりわけ例の少年の事件はカンナを驚愕させた。自分のこの故郷を救ってくれた少年でもあった彼。確かシロガネ山に調査に行ったきり、帰ってこなくなった……  
彼は更なる武者修行をするためにチャンピオンの座を降り、シロガネ山への調査に志願した。それから、行方がわからなくなった……  
ワタルが四天王の座を降りた時は彼のようにならないか正直心配した。だが彼はリーグに更なる実力をつけ、舞い戻った。しかし辞めると言ったときは寂しかった。  
カンナ自身、彼の行動を目の当たりにして四天王から引く決意をしたと言っても過言ではない。  
 
かつての仲間が次々変わっていく中で、この目の前の男は変わらずリーグで挑戦者を待ち構えている。だがそれもいつまで続くかわからない。  
今でこそ四天王の座に納まっているものの、おそらくそろそろ四天王から引くだろう。四天王という役職は、彼から自由な時間を大幅に奪っている。  
今日のように修行に来るのもそこまで頻繁にあるわけではないのだろう。だからこそ来る時は、修行に目を全て向けているのだろう。  
彼の原動力は強い相手と戦い、己を鍛えることであり、四天王の座に固執することではない。ワタルのように、修行をやり直すと言い出すのは時間の問題だ。  
現在四天王に残っているのは真面目で責務を果たそうとしているからであり、今の新しい面子がしっかりして固まれば言い出すに違いない。そしてきっと、行動に移す。  
修行の旅に出てしまえばいつどこにいるかもわからなくなる。もしかしたら、あの少年のように消息を絶つのかも知れない……  
そこまで考えてカンナはひゅっと背中に寒気が走った。関係ない、自分には関係ないはずなのに。  
安らかに動かぬ岩のように眠っている目の前の男が急に、ふっと消えていなくなってしまう気持ちにカンナは駆られた。  
もしかしたら、このまま会えなくなるのかもしれない。  
急に不安が胸を支配する。同時に、気分が高揚していく。寂しいし、悲しいし、苦しいし、興奮もしてどきどきする。さて、この気持ちをどうしてくれようか。  
(だったらいっそ……)  
カンナの氷のように硬いプライドに亀裂が走る。こんなにもあっけなく意地が消えるのなら、彼が起きている時にしてくれればいいのに。  
黙って自分を認識していない時にしか、素直になれないなんて。  
可愛くない、女ね。  
自虐を心の中でひっそりと済ますと、カンナは目の前の男の顔に両手を添え、優しく口付けた。  
自分が彼に覆いかぶさるような体勢になってしまっていても、カンナは気にしていなかった。そっと唇を離そうとすると、頭に圧力が加わってその行為は中断された。  
頭に回された腕によって固定され、眠っているはずの相手からより深く求められる。急な反撃に、カンナの頭はパニックになる。  
(えっ…ちょ、ちょっとどうして?!寝てたんじゃないの?!)  
ふうん、と鼻に付く甘い吐息がカンナから発せられるようになると、相手はようやくカンナを解放した。  
ぷはっ、と離れて飛び退こうとしたカンナだったが、既に腰に腕を回されており、逃れられなかった。普通の男性でも叶わないのに、体を鍛えているこの男ならば尚更だ。  
そのまま抱きしめられると、異性の香りが香ってカンナを刺激した。頭が、くらくらする。  
「お前が俺に冷たかったのは、こういうことだったのか?」  
「……え?」  
混乱して沸騰し、ふらふらする頭でカンナは鈍い反応を返す。  
「すまなかったな。今まで気がついてやれなくて。」  
こんな時まで謝らなくていいのに、馬鹿ね、とまた憎まれ口を叩いてしまう。だがその口を、言い終わる前に塞がれてしまう。  
もう駄目だ。ここまできたら引き返せない。溜まった思いは体に正直に出てしまって、カンナの体温は沸騰寸前だった。顔も真っ赤になっているに違いない。  
「……気持ちは嬉しいんだが…その……」  
後に続く言葉ぐらい予想は出来ている。貴方は真面目な人だから。  
「いいの。いつも側にいなくても。もし、どこか遠くへ行ってしまうことがあっても。」  
ずっとここで、待っているから。  
「……だから……」  
だから、どこへ行ってもいつかはここへ帰ってくるって証を、私に頂戴。  
軽い女だと思われても構わない。カンナがそう言って口付けを落とすと、シバは無言でカンナの眼鏡に手をかけて外した。彼なりの返答だったに違いない。  
 
 「……ん……」  
悩ましげな呻き声と共にカンナのラインが踊る。誰もが羨ましがる豊かな胸は、現在は一人の男の手中にある。  
ゴツゴツとした節のある指が柔らかな乳房に食い込んでいる。しかしながら手つきは乱暴ではなく、緩やかで慣れた優しい手つきだ。  
「……んッ……ア、アンタ……その…なんか…慣れて…ない……?」  
ひん、と突起を摘まれて体を強張らせたカンナに、呆れた顔でシバは対応した。  
「……あのな、俺のことを仙人か何かと勘違いしていないか?」  
「……ムッツリスケベ……」  
「堂々と他人に性生活のことなど言えるか!」  
「……てっきりそういう経験したことないんだと思ってた。」  
「…はあ…あのなあ……そういうお前はどうなんだ。」  
「さっきのアンタの言葉をそっくりそのまま返すわ。」  
ふん、と口を尖らせて拗ねるカンナに、色気がないやつめ、と内心毒づきながら空いている手を彼女の下半身に滑り込ませる。  
湿り気を帯びたそこは、撫でてやるとすぐにぬるりと濡れてきた。  
あん、とか、どこ触ってんのよ、という彼女の声がしたがそんなものを聞いている余裕はない。  
そろりと指を滑り込ませ、軽やかにほぐしていくと、カンナの愛嬌が一層艶かしくなる。  
「……んん……駄目え…アンタばっかり…ずるい……はむ……」  
そういったどろどろとした、空気が溶けそうな雰囲気の中でも抗議するカンナの口を口付けで塞ぐ。  
口を塞がれたからか体で抗議しようとしたその体も、敏感な部分を刺激して自由を奪う。  
何も出来なくなった彼女に、止めを刺すべく己の怒涛を引きずり出すと、最後に自由を奪っていない場所へと狙いを定める。  
「……すまん……その…最近“そういうこと”から遠ざかっていたので……我慢が…な……」  
途端に強張ったカンナを見て、確信する。彼女は“そういう経験”をまだしていないのだと。  
「本当にいいのか?嫌ならここでやめることも出来るが……」  
「ばっ…馬鹿言わないでよ!こんなとこまできて止めても仕方ないでしょ!」  
顔を引きつらせてはいたが、カンナはドライな態度を装って言った。顔を背けていたので表情はわからなかったが、多分不安な顔なのだと思う。  
「最初は少し痛いが、我慢してくれ。」  
「ったく…するなら早くし…っ……!」  
憎まれ口をまた叩こうとして、カンナの思考がまた停止した。自分の中に、何か違うものが蠢いている。  
目の前の、焦がれていたはずのものなのに、半分嬉しくて半分恐ろしい。  
「……ッあッ……ああッ……」  
相手の動きにつられて動かされる度に、感覚は自分のものではなくなっていく。どんどんと相手の感情に塗りつぶされていく。  
痛いと忠告されたがさほど痛みは感じなかった。恐らく上手くほぐされ、動きも加減しているのだろう。  
いつもの態度や今まで相手に抱いていた印象とは違う抱き方に、カンナの心は揺さぶられ、相手の心に沈められていく。気がつけば自分から唇を貪り、名を呼んでいた。  
愛を囁いていた。満更でもなさそうな目の前の男に、カンナの行為はエスカレートし、もはや一人の女と成り果てていた。  
「……はあ…はあ…も、もう……」  
「……俺もだ…安心しろ、中にはしない。」  
限界を訴えるカンナからきつく締め付ける感覚を感じ取り、ぐったりともたれかかる彼女を抱きとめながら己を引き抜くと、溜まっていた欲情がカンナの足に滴った。  
「……別に…しても……よかったのに……」  
「馬鹿言え。そこまで無責任なことはしないぞ、俺は。」  
「…あら、責任とってくれるつもりじゃなかったの?」  
ぎゅ、と腕を回して抱きつくカンナに、むう、とシバは顔を顰めた。  
「責任なんか、お前とこうなる時から取ると決めている。だが危険は避けた方がいいだろう?」  
「そ。」  
ふーん、と言ってぬいぐるみを抱き寄せて弄りだしたカンナの腕を取り、自分の胸板に当ててみる。  
「ぬいぐるみより、俺の相手はしてくれないのか?」  
「……アンタ、結構エッチね。」  
呆れるわ、と眉をひそめたカンナに耳元で囁く。  
「俺が責任を取るんだ。お前も取ってくれ。」  
この後、空が白ばむまで睦言が途絶えることはなかった。  
 
 次の日の朝、定期便で帰っていったシバだったが、早朝にカンナの家から出てきたことを付近住民に見られ、  
ジャーナル誌の記者がカンナに突撃取材を試みてカンナの機嫌がまた悪くなってしまったのは言うまでもない。  
 
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